疾風少女は浅黄色を翻す-8-
午後十時半
一部の隊士は安東邸の前に張り込んでいるが、ほとんどの隊士は屯所に戻って各部屋で眠りに入っていた。
シンと静まり返った屯所内で、は浴衣には着替えず隊服で身支度を整えている。
腰にしっかりと刀を差し、自分宛に届いた手紙をポケットに押し込んで静かに部屋を出た。
キョロキョロと廊下を見渡し、誰もいないことを確認してあらかじめ縁側に持って来ていたブーツを履いて外へ出る。
足音を立てぬように中庭を通って屯所を出ると、迷いのない足取りで川原へと向かった。
「……俺の判断ミスだったかな…」
その頃、無断で屯所を出たを知る由もなく局長室で近藤が呟いた。
近藤の向かいに座る土方は銜えていた煙草を灰皿に置きながら頭を掻く。
「近藤さんのせいじゃねーよ。今回は犯行組織の実態が知れるまでに時間がかかった。
実態が分かってもそのメンバーが攘夷志士や浪人だけじゃねぇとなるとヘタに動きようがないしな…」
「…山崎も気にしてるみたいだった。もうちょっと早く気づいていれば、って」
桂を含む攘夷志士たちの間では既に明らかになっていた大蛇の存在を
警察が掴むまでに時間を要したことが被害拡大の原因だ。
「とにかく…明日から体勢立て直してかかろう」
「ああ」
午後十一時
は最初に幕吏の死体が上がった川原へ来ていた。
時間帯が遅いこともあって通る人は疎らで、周囲を照らす街灯も少ない。
は川原に降りて砂利の上を歩きながら辺りを見渡しながら闇に神経を尖らせる。
冷たい秋風がポニーテールを揺らし、不気味な寒気を誘った。
(…多分…あの時あたしが犯人の顔を見たと思ってるんだ)
役人を斬った大蛇のメンバーが自分の顔を見られたと思ってを脅しにかかっている。
はそう予測していた。
(ただ単にあたしが一番弱そうだから脅したってんなら問答無用で滅多刺しにする。
四の五の言わさず串刺しにする)
怒りに燃えて悶々と恐ろしいことを考えながら、奥歯をギリギリと噛み締めた。
すると次の瞬間
「……来てくれたんですね…」
「ッ!!」
全く気配の感じなかった背後から低い、男の声。
は勢いよく振り返り、同時に地面を蹴って背後の影から距離をとった。
後ろにぼんやりと立っていたのは、細長い影。
風に靡く漆黒の衣服。
そして月明かりに照らされてギラリと光った眼鏡。
「……お前は…」
「……初めまして、大蛇・毒蛇の志摩と申します」
やけに礼儀正しい言葉遣いで恭しく頭を下げる男。
ガリガリに痩せた長身の体を真っ黒なコートに包み、覇気のない切れ長の瞳を眼鏡に隠している。
年齢は30代半ばぐらいだろうか。
礼儀正しい言葉遣いとは裏腹に、はその男から只ならぬオーラを感じていた。
「貴女が噂の真選組女隊士、さんですね。
前々から一度お会いしてみたいと思っていたんですよ」
細い目を更に細め、男はにこりと怪しげな笑みを浮かべる。
「……あの日役人を斬って、病院でトドメをさしたのはお前か」
は挨拶もそこそこにして確信を突く質問をした。
「----------ええ」
「私は医師ですから」
の問いに全く迷うことなく、志摩と名乗った男は笑顔のまま答える。
の予想は確信を突いた。
「本当はあの夜、あの役人も他と同じように腹を半分斬って首を刎ねる予定だったんですけどね…
貴女が来て予定が狂ってしまったんですよ…
そこで医師の私が薬で止めを刺すことになったんです」
「私達のことに関して大体の調べはついているんでしょう?
攘夷志士や浪人に限らず、私のような医師、裁判官、教師や幕臣、その辺を歩く一般市民も大蛇のメンバーに含まれていること…
そして貴方たち無能な幕吏が正義感を振りかざして行っている打ち首や切腹を殺し方に選んでいることを…」
淡々と話す志摩に沸々と怒りを覚える。
志摩はそんなの感情を受け流すように冷静な態度を崩さない。
「貴女は組織に忠実なようだから、近藤局長の名前を出せばきっと来てくれると思っていましたよ」
ジャキッ!
近藤の名前を聞いた瞬間、は抜刀して鞘を放り投げた。
「…言っとくけど、近藤さんはアンタたちなんかに殺られるような人じゃないよ」
「でも貴女は現にここに来てくれた。
そんなに心配ですか?一度暗殺されかけている局長の身が」
ガキィンッ!!!
志摩が喋り終えるか終えないかというタイミングで地面を蹴ったは、
両手で振りかぶった刀を勢いよく振り下ろした。
「………情報通り、局長に関することは驚くほど短気なようだ」
の太刀を鞘で押さえる志摩は目を蛇のように細めて嫌らしく笑う。
刀に全体重をかけていたは後ろに飛んで再び距離をとった。
月明かりが反射する焦げ茶色の瞳は完全に瞳孔が開いている。
「あの人の言った通り、面白い戦いが出来そうですね…」
「ッ!?」
長いコートの中から音を立てて現れた影。
それはあの夜が見た蛇のような長く波打った影だった。
だが今は、僅かな街灯と月明かりに照らされてその影がはっきり見える。
「……日本刀…」
はその武器を見て呟いた。
志摩が持つのは、確かに日本刀。
が持っているものと同じような装飾のされた丈夫な柄。
丸い唾。
だが決定的に違うものがある。
----------長く、鞭のように曲がりくねった銀色の刃。
志摩が腕を下げている今は刃は地面にだらりと垂れ下がって、
日本刀とは思えない柔軟なシルエットを映し出している。
鋸の刃をもっと長く薄く伸ばしたような銀色の刃が、確かに柄と繋がっていた。
「これが私たちが"大蛇"と呼ばれる由縁でもあるんですよ。
…まぁ、メンバーの中でもこれを持つ者は限られますが」
そう言って志摩が右手を僅かに上げると、垂れ下がっていた刃はジャラリと音を立ててうねる。
「…さぁ、女隊士の実力を見せて下さい」
大きく振り上げられた右手と同時に、長い刀身は鞭のようにしなやかな動きでへ向かってきた。
は地面を蹴りながら刃の動きに神経を集中させ、
弧を描くように遠回りをしながら志摩に突進して行く。
自分のすぐ横を物凄いスピードで通り抜けた刃が僅かに頬を切ったが、
そんなことは気にせず自分の刀を平行にして志摩の胴体を斬りに走った。
だが
「!?」
避けたと思った刃がの背でぐるんと回転し、
再びに向かって猛スピードで近づいてくる。
螺旋を描いて近づいてきた刃を前に、は咄嗟に腕の前で刀を垂直に立て、
鞭のような刃が完全に腕に絡まるのを防いだ。
だが大きく尖って突き出た刃は細い腕に食い込み、丈夫な隊服を貫通して肉に浸透してくる。
「………ッ!」
ギシッ、と嫌な音を立てて左腕が絞められ、同時に数箇所から血が吹き出てきた。
吹き出た真紅の血はの足元にボタボタッと落ちて染みになっていく。
「女の肉は柔らかくてよく斬れますからねぇ…
その切れ味を真選組女隊士と名高い貴女で試せるなんて光栄ですよ…」
「……っクソ野郎が…」
引っ張られないように両足で踏ん張り、何とか食い込んだ刃を抜け出そうとするが、
動けば動くほど血が噴き出してきて血飛沫が上がる。
激痛と不安定な手元に歯を食いしばると、額に脂汗がじわりと滲んだ。
一方
「局長ォ!!」
静まり返った屯所内に突如響く隊士の声。
局長室で座ったまま仮眠をとっていた近藤と土方は勢いよく目を覚ます。
「どうした!」
血相を変えて廊下を走ってきたのは二番隊の隊士たちだ。
「さっき病院から連絡があって…最後に集中治療室に入った医師が
病院を抜け出して行方を眩ましたようです!!」
「「ッ!!」」
思いがけぬ報告に目を見開く2人。
「全員たたき起こせ!病院周辺包囲網張って検問かけろ!!」
「はい!!」
迅速な近藤の指示に隊士たちはいっせいに散って
自室で休んでいる他の隊士たちを起こしに走った。
深夜の屯所はいっきに慌しくなる。
「…………ッ」
そんな屯所の慌しさを知らず、騒ぎの元凶になっている男と対峙している。
未だ長くうねった鋭い刃は細い左腕に食い込み、
ブーツの横には血溜りが出来ている。
「…さァ…少しでも力を緩めれば腕が飛びますよ」
「くッ……!!」
左腕の前で刀を盾にしている右手もそろそろ限界が近い。
「このまま貴女の腕を切り落として近藤局長に贈れば、最高のプレゼントになると思いませんか?」
にぃっ、と口元を吊り上がらせて笑う男の表情に
の全身の毛が逆立った。
「----------ッやれるもんなら…」
右手に持った刀を少女の細腕とは思えぬ力で前に押し出し、
僅かに隙間が出来た瞬間に素早く左腕を引き抜く。
腕の変わりに絡まった刀を両手で握り、そのまま勢いよく手前へ引き寄せた。
「やってみな!!!」
「!?」
ぐんっ、と勢いよく引っ張って目前に迫った志摩のみぞおちに
右足で強烈な蹴りを叩き込む。
「ぐっ…!」
後ろへ飛ばされる志摩の体に引っ張られて鞭のような刀もから離れていく。
細い体はいとも簡単に飛んでいったが、すぐに両足で踏ん張って倒れるのを防いだ。
バネのような機械的な動きが不気味に暗闇に浮かび、
辺りの砂利に刀身についていた血が飛び散る。
「はっ…はぁッ…!ハッ、はぁっ…!!」
はすぐに体勢を整えて刀を構えるが、
左腕には力が入らず血をボタボタと流したままだらんと垂れ下がっている。
「……ハッ…はははははは!!!!
聞いていた通りだ!やはり貴女は早々に潰さなければならないらしい!!」
左手で顔を覆い、狂ったように笑う志摩。
は何とか呼吸を整えながら奥歯を噛み締める。
「…既にご存知かとは思いますが、我々の目的はただ1つ…
何も機能することなく崩壊しきった世界を創ることです」
左手をするすると顔から退かし、蛇のように目を細めてを見る。
「名ばかりの将軍と幕府は滅び、路頭に迷う民の嘆きと憎悪が混沌と渦巻く世界…
どうです、想像するだけで楽しくなりませんか?」
狂気に満ちた笑顔を貼り付けたまま淡々と言葉を紡ぐ志摩を
は冷静に見つめていた。
ドクトクと血が流れる左手を柄に沿え、痛みを我慢して両手でしっかり刀を握る。
「…理想郷描くのは勝手だけどね、そんな薄気味悪ィ宗教のために
無関係の人間を巻き込むんじゃないよ」
額に脂汗を滲ませながら再び姿勢低く構えた。
「刀といい生き様といい…随分ひねくれた魂じゃない。
侍なら黙って真っ直ぐ魂突きたてな。
そんな曲がりくねった魂に潰されるほど、この世界はまだ弱っちゃいないよ」
チャキッ、と刃を相手に向け、同時に地面を蹴って間合いへと詰める。
志摩は再び鞭のような刀を自在に操り、
その刀身を的確にに向かって打ち付けた。
足元を狙った刀を真上に飛んで避けると刃が砂利を弾いて宙に舞う。
右足を大きく前に出すと同時に両手で持った刀を振り下ろすが、
素早く刀身を振り切った志摩はの太刀を確実に防いだ。
火花が散るのも構わずに、着地しながら左足を高く振り上げて相手の右頚椎に回し蹴りを叩き込む。
ゴッ!!!
刀身の合間を縫うように繰り出された回し蹴りは志摩の頚椎を強打した。
「がッ…!!」
はそのまま半回転して今度は右足を振り上げ、
同じ場所に後ろ回し蹴りを叩き込む。
横へ倒れる体に、右手の刀を勢いよく薙ぎ払った。
ブシュッ、と生々しい音を立てて鮮血が舞い、の顔と隊服に返り血となって付着する。
は地面を蹴って宙返りしながら後ろへ飛び、再度距離をとった。
「……はぁっ…はぁ…クッ…くははははは…っ
どうやら大蛇における私の役割までは把握していなかったみたいですね…」
胴体から大量の血を流しながらも未だ笑いを止めない志摩の言葉には怪訝な目を向ける。
「貴女の左腕……当分使い物にならないでしょう…?」
黒い隊服にじっとりと血の滲むの左腕を見て志摩はニヤリと笑った。
確かに細い腕の数箇所に深い切り傷が刻まれており未だ血も止まらない。
少し動かしただけでも悲鳴を上げそうな激痛が常にある。
だがはそんな素振りを表に出さず、両手でしっかりと刀を握っていた。
「……私が"毒蛇の志摩"と呼ばれる由縁も…知らないでしょう…?」
意味深な言葉に目を細めた瞬間、
ぐにゃり
「………ッ!?」
突如視界が歪み、は咄嗟に左手で目頭を押さえた。
徐々に立っていられないほどの眩暈に襲われ、ついにその場に両膝を着いてしまう。
「…ち……ッ…刀に…毒…!?」
「効果が出るまで時間がかかるのが難点なんですけどね…
これからの貴女の動きを制御できれば十分なんですよ…」
血を流しながらも1歩1歩近づいてくる志摩。
はギリッと歯を食いしばり、刀を支えになんとか立ち上がる。
「私は単なる捨て駒に過ぎない…貴女のすぐ傍に大蛇はいる。
貴女は江戸が崩壊する瞬間の目撃者になるでしょう」
「……………ッ」
目頭を押さえたまま額に強く爪を立て、見開いた瞳で強く男を睨む。
歪む視界を気合いで直して両手でしっかり刀を握った。
「クソくらえ…ッ!!」
意識をしっかりと持ち、フラつく足取りを修正しながら突進する。
志摩が刀を振り上げるのと、が間合いをつめて居合い抜きするのは同時だった。
志摩の体から勢いよく吹き出る大量の血。
細い体がぐらりと倒れ、軽い音を立てて砂利の上に倒れる。
少し遅れて長い日本刀も力なくその場に落ちた。
「…わ、私達が成せずとも……必ず…あの人がその世界を創る……」
ビク、と細い体を痙攣させ、それでも尚話し続ける志摩を前に
は2〜3歩後ずさりして様子を窺う。
じわじわと広がっていく血の円の真ん中に倒れる男は、その数秒後動かなくなった。
「……っはっ…!はぁっ!はぁッ!…っつ…!」
突然襲ってくる激しい眩暈と吐き気。
そして左腕の激痛には再び崩れこんだ。
すると
「何してる!!」
川原に"御用"と書かれた提灯が複数当てられ、人の声が飛び込んできた。
は左腕を押さえながら土手を見上げる。
川原を覗き込んでいるのは警察の人間だった。
「真選組のです…コレ幕吏連続殺害容疑の男なんで……
連行して下さい…つっても息ないと思うけど…」
「え…ッ!?わ、分かりました!!」
川原で座り込んでいた剣士の1人があの有名な真選組女隊士だと分かり、
警察たちは慌てて土手を下ってくる。
砂利の上に飛び散った大量の血を見て男たちは一瞬たじろいだが、
倒れている志摩を運ぼうと駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
その中の1人が心配そうにに近づいてきてくる。
「あぁ…あたしは気にしないで下さい。
局長にも連絡入れるんで、そのうち来ると思います」
「ご協力感謝します」
警察はそう言って敬礼するとの傍を離れて行った。
はその場にべしゃりと座り込み、左腕の袖を捲くる。
白い腕は真っ赤に染まっており、どこが傷口でどこから血が流れているかも判別できない。
フラつきながら何とか立ち上がり、川に近づいて川の中に左腕を突っ込んだ。
「………ッ…!」
冷たい水が傷口に激しく沁みて痛みを伴うが、
流れのある川が血を洗い流して傷口を露にしていく。
細い腕に長さ10cmほどの切り傷が十数か所。
澄んだ川の水にゆらゆらと赤い靄が混じって溶けていくのを見つめながら腕を出した。
そして傷口に自らの唇を当てて血と一緒に毒を吸い上げ、砂利の上に吐き捨てる。
それを何度か繰り返した。
(……これで毒って抜けるんかな…)
昔山崎に教わったことがあったような、なかったような。
水で洗い流した血は傷口から再びドクドクと溢れてくる。
「………どーしよこれ……」
To be continued