不幸な主人に囚われたのだ。
瞬く程に、瞬く間も無い程迄迅速に、
非情な被害に囚われたのだ。
屈する程の重荷を背負い、彼は幾つも歌を唄った。
希望を謳う葬送歌まで、屈するほどのメランコリィを。
エドガー・アラン・ポーは詩集を破り捨てた-6-(完)
「……ここが…キースさんのお家…」
はヘルズキッチンの外れにある一軒家の前に立ち尽くしていた。
どこからどう見てもごく普通の一軒家で、本当にここなのかと疑ってしまうが
何回か住所と家の番地を見比べてみてもやはりここに間違いはないようだ。
「ケイトさんいるといいな…」
住所が書かれたメモを二つ折りにしてカバンに仕舞い、意を決して敷地内に入る。
ニューヨークでの暮らしには大分慣れてきたものの、やはり初めて人の家にお邪魔するというのは緊張するものだ。
はごくりと唾を飲みながらドアに近づく。
するとがベルを鳴らす前に家の内側からどのドアが開いた。
「いらっしゃい。来る頃だと思ったわ」
中から出てきたのは主人が留守の間家を任されているキースの妻、ケイト。
は以前1度だけガンドールの事務所に隣接しているジャズホールでお酒を飲みながら話をしたことがある。
ケイトはにこりと微笑み、まるでが来ることを知っていたかのように落ち着いた様子で出迎えた。
「………え……?あ、の……………え…!?」
ドアの手前で棒立ちになったは困惑している頭を整理しようとするがうまくいかない。
ケイトはそんなを見てふふ、と微笑んだ。
「主人から電話があったの。貴女が家に来るだろうから、話を聞いてやって欲しいって」
「キースさんが…?」
「あの人珍しく饒舌だったから、きっとよほどのことがあったのね」
ケイトはそう言って苦笑すると大きくドアを開けてを出迎える準備をする。
まさかそこまで気を遣ってもらっていたとは。
「さぁ入って。丁度紅茶が入ったところなの」
「…あ…!お、お邪魔します…!」
は慌てて頭を下げ、今一番頼れる女性の住まう家へと足を踏み込んだ。
同時刻・マルベリー通り
いつもより早めに事務所を出てきたラックはその足でのアパート前まで来ていた。
フィーロと約束をした通り、今日こそと話をするために。
…だが
(…まさかアパートにも戻っていないとは)
彼女は留守だった。
通常なら大学の講義も終わっている時間。
自分と外食へ行く時以外、1人で夜のニューヨークを歩くことなどない彼女がこんな時間まで一体どこで何をしているのだろう。
今の彼女の心境を考えるとどうしても不吉なことばかり考えてしまう。
(……友人を当たろうにも…大学関係まで把握してるわけじゃないしな…)
中折れ帽を脱ぎ、困ったように頭を掻く。
マフィアボスという自分の立場上、堅気の世界に住むの友人関係はなるべく干渉しないようにしている。
アイザックやミリア、マルティージョの面々と仲良くしているのは知っているが、
彼らもまた堅気の世界に住む人間ではないのだ。
彼女が学生生活を送りにくくなってしまうのは嫌だし、
どうしたものかと浅いため息をついていると
「ねぇ!あなたもしかしての!」
「え?」
突然見知らぬ女性に声をかけられたラックは驚いて振り返る。
駆け寄ってきたのは色白の肌に綺麗な金髪を靡かせた若い白人女性。
だがその顔に全く覚えのないラックは首をかしげた。
「あの、失礼ですが」
「私のクラスメイトのルイザ。
前にとあなたが一緒にいるのを見たことがあって顔を覚えてたの。
、今日学校を休んだのよ。だからちょっと心配になって」
ルイザと名乗る白人女性はそう言って心配そうにのアパートを見上げる。
寝耳に水だったラックも驚いて主のいないアパートを見た。
「…本当ですか?」
「ええ、あの子無断欠席なんて今までしたことないから…
でもあなたと一緒じゃないってことは…どこ行っちゃったんだろ?」
「…………………」
ラックは顎に手を当てて考え込んだ。
フィーロから電話があったのは昨日の夜遅く。
あれからフィーロに言う通りアルヴェアーレの空き部屋に泊まったというのなら、再度フィーロから連絡が来てもいいだろう。
それにいくら何でも翌日の夕方まで家に戻らないというのはおかしい。
「…教えて頂いてありがとうございました。
私も心当たりを探してみます」
ラックはそう言ってルイザに頭を下げ、踵を返して歩き出すと同時に手に持っていた中折れ帽を被った。
風に翻ったトレンチコートの後姿を見送るルイザは軽く首をかしげる。
「……なんかマフィアみたい」
若いマフィアボスは、今は自分がマフィアであることなどどうでもいいのかもしれない。
ヘルズキッチン
「美味しい…」
は淹れたての温かい紅茶を口に運んで思わず表情を綻ばせた。
こんなにゆっくり人の淹れた紅茶を飲むのは久しぶりかもしれない。
「よかった。あの人はコーヒーしか飲まないから、なかなか茶葉が減らないのよ」
ケイトはそう言って笑いながらの向かいに腰を下ろす。
そして自身もティーカップに口をつけてゆっくりと落ち着いた口調で話を始めた。
「…実はね、私とカリアで貴女たちの話をしたことがあるのよ」
「えっ」
は弾くようにカップから口を離してケイトを見た。
ベルガの妻であるカリアにはまだ会ったことがない。
ただラックの話を聞くと相当気丈な女性だということが窺えたが、
自分たちの知らない場所で自分たちを話題に出されるというのは複雑な気分だ。
「ラックに日本人の恋人が出来たって聞いた時は正直驚いたけど…
それより貴女が…その、不死者じゃないことが心配だったの」
「不死者」という言葉を日常的に用いていいのか戸惑うように、ケイトは言葉を選びながらそう言った。
だがは既に「不死者」という言葉に慣れてしまっている。
「私たちは縁あって3人と一緒に不死者になったけど…ラックと貴女が出会ったのは私たちが不死者になった後だものね」
コトン、と軽い音を立ててカップがソーサーに戻される。
もカップを置いて膝の上で両手を絡めた。
「……………私」
そして自分の膝を見つめたまま口を開く。
「フィーロに…言っちゃったんです。…なんで私だけ不死者じゃないの、って」
「……私が不死者なら、ラックさんにあんな顔させずに済んだのにって」
ぽつりぽつりと思い出すように話し始める。
ケイトは黙ってその声に耳を傾けている。
「でも本当は…"不死者じゃない普通の自分"が一番怖くて…」
「不死者じゃない方が普通じゃないんじゃないかって思って…」
ラックは自分が不死者であることを打ち明けてくれた時、
フィーロから聞いた不死者に関することをすべて教えてくれた。
それは自分を不安にさせないようにとしてくれたことだったし、
彼自身が包み隠さず知っていて貰いたいとも言っていたから。
酒の知識を持っているのがマルティージョのマイザーだと聞いたとき
多分、いつか聞くつもりになっていたのだろう。
「不死者になった喜びたいのは…ラックさんじゃなく私自身なんです」
湯気のたつ紅茶の水面を見つめると、情けない自分の表情が映って見える。
恐らくマルティージョの皆にはもっと酷い顔を見せていたのだろう。
「…………………」
ケイトはゆっくりと立ち上がると、テーブルの横を通っての隣に静かに腰を下ろした。
ふわり、優しい香りを共に柔らかい手の感触が冷え切ったの手を包む。
「…ラックは、貴女が不死者でもそうでなくても、きっと同じことを言ったと思うの」
は顔を上げ、ケイトの優しい顔を見上げた。
「私も何度死にかけたか分からないけど…相手がみんな不死者だと分かって攻撃してくるわけじゃないでしょう?
ラックは貴女の安全を考えてきっと同じことを言ったわ。
…キースも、私が一緒に不死者になっていなかったら何て言ったか分からないし」
ケイトはそう言って苦笑する。
「あの子はとてもしっかり者だけど、どうしても自分のことは後回しにしてしまうから…
貴女とのことを考えていても色んなことが先だってなかなか話を切り出せなかったのね」
…ラックは、滅多に自分から自分のことを話さない。
その代わりにが聞いたことは何だって答えてくれた。
小さい頃に亡くなった父親のことも兄弟のことも、一緒に育ったフィーロやクレアのこと、
好きな古書や詩集、ジャズミュージック、可能な限りは仕事のことだって話してくれた。
はその限度の境界線を探しながら、彼が話してくれる1つ1つを喜んで聞き入れた。
そうしているうちにいつしか、マフィアである彼の姿を見失っていたのかもしれない。
「…キースさんは、不死者になった時ケイトさんになんて言ったんですか?」
は前々から気になっていたことを問いかけてみた。
いきなり不死者になったから、と説明されても話を受け入れるのに時間がかかったに違いない。
それを聞いたケイトは口に指を当てて困ったように微笑む。
「"面倒なことになったけどついて来てくれるか?"って。
相変わらずよねぇ、そんなこと言われたら「はい」って言うしかないのに」
極度に無口なキースは家庭でもほとんど変わらず無口だと聞いたが、
妻にそれを打ち明けた時も相変わらずなようだ。
「あの子が怖いのは…不死者であることに鈍感になってしまっている自分。
自分の周りの、不死者ではない仲間が傷つけられる現実。
……これから先、貴女に先立たれてしまう未来」
の手をそっと握り締めるとその僅かな笑顔が消えて寂しげな表情に変わる。
「あの子は不死者になってから貴女と出会って、それらを受け入れる覚悟は出来ているの」
「---------貴女は?」
びくり、ケイトの手の中で冷えた指が強張った。
「これから、辛い思いをたくさんすると思う。
それでも…あの子と居ることを選ぶの?」
おっとりと優しい声は次第にを冷静にしていく。
「………私は…」
同時刻・マルベリー通り
ラックは未だを探してマンハッタンの街を歩き回っていた。
彼女が行きそうな店には立ち寄ってみたし、途中会ったガンドールやマルティージョの構成員にも話を聞いてみたが
街でを見かけたという人物はいなかった。
(…まさかどこかの組に連れていかれたりなんてことは…)
自分と一緒にいることで別にファミリーに顔を覚えられていないとも限らない。
「ラック!」
後ろから聞き慣れた声に呼び止められて振り返ると、深緑のスーツを着た青年が駆け寄ってきた。
「フィーロ」
「まだ見つからないのか?」
少し前にアルヴェアーレを訪ねた際、彼女が家にも戻っていないことを伝えると
フィーロが自分も一緒に探すと言ってくれたのだ。
昨晩彼女を引きとめずに帰してしまったことに責任を感じているのかもしれない。
「ええ……もう一度彼女のアパートに戻ってみます。帰ってきているかもしれない」
「俺も一回店に戻ってみるかな…」
中折れ帽をかぶり直し、引き返そうと踵を返した瞬間
「ラックさん!」
フィーロが駆けてきた方向から今度は女性の声がラックを呼びとめた。
2人は振り返り、後ろに立っている白いコートの女性を見て目を見開く。
「さん…!」
慌てて駆け寄るとどうやらも走ってきたようで肩で息をしながら呼吸を整えている。
「はぁ…う、後ろ姿が見えたから……追いかけてきたんですけど…追いつけなくて…」
スカートにヒールのあるブーツでは走るのも大変だったのだろう。
一方のラックは前だけを向いて街を歩いていたので、後ろから追いかけてきていたに気付くはずもなかった。
「今までどこに…」
「キースさんのお宅に……あの、なんか…ごめんなさい…
大事になって…たり……」
はそう言ってラックの横に立つフィーロを見る。
(…キー兄のところか……)
ラックは額を押さえてふーっと安堵のため息を漏らした。
まさか身内の自宅だとは。
が住所を知っているとは思わなかったし、そこまで頭が回らなかった。
「とにかく…無事でよかった。アパートまで送ります」
「、あ…っあの…!」
トレンチコートの襟を立ててその場を離れようとしたラックの手を、が慌てて横から掴んだ。
その手が思いのほか強い力だったのでラックも驚いて彼女を見下ろす。
「今、聞いて下さい」
ラックを見上げる眼差しは強く、昨日ガンドールの事務所を出て行った時に見せた顔や
フィーロがアルヴェアーレで見た衰弱しきった表情とは全く違うものだった。
「私は…ラックさんより先に死ぬことは怖くありません!」
強くラックを掴む手は震えていたが、はしっかりとした口調でそう言った。
目を見開くラックと自分はここで聞いていていいものだろうかと困惑するフィーロだったが、
静まり返ったマンハッタンの街に響く少女声にしっかり耳を傾けている。
「私が怖いのは…このままラックさんと一緒にいて私だけ年をとって…
いつか、並んで歩いてても恋人同士に見えなく、なったりとか…」
しっかりとした口調は次第に揺らいできているが、ラックはその言葉を遮ったりはしない。
「私が……呆けてラックさんのこと、忘れちゃったりとか…」
そんな姿を
貴方に見られるのが怖いのです
手を掴む冷たい指先の力が緩んで強かった眼差しが泳ぐ。
「、」
ラックが思わず掴み直そうと手を伸ばし口を開いた瞬間
「「いたぁ--------------!!!!」」
静まり返った夜の裏路地に再び新たな声が割り込んできた。
…しかも特別賑やかなのが2人。
3人がびくっと肩をすくめて振り返ると、3人もよく知る2人組がバタバタと物凄いスピードで走ってくるのが見える。
1人はカウボーイ姿の長身な男
もう1人は真っ赤なドレスを翻す小柄な少女
「…また話をややこしくしそうな人たちが…」
ラックはその姿を確認してげんなりとした表情を浮かべた。
「探したんだぞ!」
「探したんだぞう!!」
呆気にとられてラックの手を離してしまったに詰め寄るアイザックとミリア。
突然の出来事には目を白黒させている。
「ラックのことも探した!お前にはメキシコですっごい世話になったけどな!
今日ばっかりはお前に説教をしなきゃならない!」
「…はい…?」
アイザックはぐるりとラックを振り返り、両手でがしりとその肩を掴む。
ラックは眉をひそめて呆れたような困ったような表情を浮かべた。
「女の子を泣かすのは良くないんだぞ!!」
「良くないんだぞ!!」
「俺とミリアみたいに仲良くしなきゃ駄目なんだぞ!!」
「駄目なんだぞ!!」
真顔で詰め寄ってくる2人を前にラックは言われていることを何となく理解してきた。
…だがなぜそれをこの2人が知っているのか。
一体どういう解釈の仕方をしたのか。
「お仕置きが必要だな!」
「テンチューだね!」
「お仕置きっつーと…えぇと…1週間チョコレート食べちゃいけないとか!」
「ゴーモンだね!!」
「…お前らが入ると余計話がややこしくなるんだって…」
2人で盛り上がるアイザックとミリアを見兼ねて遂にフィーロが横から助け船を出した。
ラックはもともと甘いものを好んで食べる人ではないからあまり意味がないし、
なぜチョコレートというチョイスなのかも分からない。
「…………以前」
アイザックとミリアの肩を掴んでその場から追い払おうとしているフィーロの横で、ラックが静かに口を開いた。
「私が不死者のことを明かした時、さんは言いましたよね。
死ななくなったというだけで私が私であることに変わりがないなら、何も怖いことはないと」
「、はい」
未だ困惑した状態から抜け出させていないだったが、
ラックの話を聞いて数か月前のことを思い出した。
「ならば私も変わりません」
「例え周りからどう見えようと、貴女の記憶から私が消えようと、
今ここにいる貴方に変わりはないのだから」
ラックはそう言って中折れ帽を脱ぎ微笑む。
「…とても面倒なことに巻き込んでしまったんですけど…
ついて来て貰えますか?」
そして反対の手をに差しだした。
は目を見開いてラックを見上げる。
………ああ
…兄弟、だなぁ
は目尻に薄く涙を浮かべて柔らかく笑い返し、その手を両手で握り締めた。
「はい」と発したら泣いてしまいそうで、言葉の代わりにこくんと頷く。
少し離れた場所でアイザックとミリアを宥めながら2人のやりとりを見ていたフィーロは、
ぼんやりと今アパートにいるであろう想い人のことを思い浮かべた。
(…多分)
エニスが人間だろうと人造人間であろうと
不死者であろうとそうでなかろうと
遅かれ早かれ自分は惹かれていたのだと思う。
ただたまたま、数奇な運命に見舞われたというだけの話なわけで。
「あれっ!笑ってるぞ!」
「仲直りしたのかなぁ?」
「じゃあ仲直りのお祝いをしなきゃな!」
「パーティーだね!!」
「頼むから静かにしてくれ…何時だと思ってんだ」
手を取り合って騒ぐ2人の横でフィーロは額を押さえて深いため息をついた。
あらゆる群集のうちの誰一人として
汝の秘められた時を探ろうとする者はいない
「籍は入れないんだとよ」
数日後、再び事務所を訪れていた幼馴染に向かってベルガがぶっきらぼうに答えてみせた。
「なんで」
「知らねーよ。ラックは「その方がいいから」としか言わねーし」
ソファーに座って大きなハサミをジャグリングしているクレアは、それを聞いても「ふぅん」と興味なさそうに答えるだけだった。
…お前が騒ぎの元凶だろう。
ベルガや奥にいるキースはそう思ったが面倒なので口には出さなかった。
「俺はシャーネが俺の籍に入ってくれた時は嬉しかったけどな。
あ、いやウォーケンってのは本籍であって本籍でないわけだから微妙だが…
いやでも愛する女と姓が同じになるって嬉しくないか?結婚ってそういうものだろ?」
「…別人から戸籍買った奴が何言ってんだよ…」
は待ち合わせのレストランまで急いだ。
待ち合わせ時間にはまだ余裕があるのに、なぜか今日は急いだ。
数日前ラックに借りたエドガー・アラン・ポーの詩集を大事に胸に抱えて。
そして気付いていなかった。
買ったばかりの履き慣れていないブーツで走ったせいで、踵が出血していたことを。
そしてその傷がいつの間にか無くなっていたことを。
随分長いことかかってしまいましたすいません。
ヒロインを不死者じゃない設定にした時点でいずれ書かなきゃいけない話題だなーと思って
思い切って書いてみたんですがどうにもこうにも…(笑)
ヒロインが気付くのはまた今度ということで。
エドガー・アラン・ポーはアニメの1話でラックが読んでた詩の著者だそうです。
あれアニメオリジナルですよね。
ポーっていったらモルグ街の〜しか知らないので小説家なのかと思ったらもともとは詩人だったようです。
彼の短編集をちょっと調べてこれラックが愛読書にしてると思ったら萌えた…!
ここまで読んで下さった方ありがとうございました!
大鴉/エドガー・アラン・ポー