まつげに六花






白んだ空からは爪の大きさほどの雪が深々と降り続き、上田の町や城の屋根をどんどん埋めていく。

もっつもつと積もる雪に今更驚いたりはしないがそろそろ屋根の雪下ろしに駆り出される頃だな、と思うと若干憂鬱になった。

越後ほどではないが信濃も十分豪雪地帯なのだから、半日も放っておけば人が歩くのも不便になるほど積もるだろう。

ぱちぱちと音を立てて燃える火鉢もどこか頼りなく、外気に負けて今にも消えてしまいそうだ。

部屋の中から降りやまぬ雪を眺めてふぅと息を漏らすと白く舞ってすぐに生ぬるい外気に溶けていく。

部屋の中にいるのに息が白いのは、障子が全開だからだ。



「……幸村様ぁ」



呆れた声を出して中庭の主に向かって声をかける。

この真っ白な空間で目立ちすぎるその井出達はまるで雪の中に血をぶち撒けたみたいだ。…などとは物騒だから言うまい。

幸村は先ほどから中庭に出て雪玉を拡大する作業に夢中だ。

転がしても転がしてもなくならない雪のおかげで雪玉は彼の膝ぐらいまで大きくなっている。

その傍らには先に作った更に大きな雪玉があって、重ねる準備は整っているらしい。


「そろそろ止めて入ってきてくれません…?開けてんの寒いし…風邪ひきますよ」


寒いのは本当だが風邪はないな、と思いつつ一応心配する素振りをした。

部屋には火鉢があるから温かいのに外気が容赦なく入ってくるせいで微妙な温度だ。

「障子を閉めて良いぞ」

「いや、そういうわけにもいきませんて。長から手当て任されてんです。悪化させたら怒られるの私ですよ」

そう言うと幸村は顔を上げてこちらを見た。

鼻が赤い。

…というか腕折れてるのに雪だるま作るってどうなの。作れるもんなの?


「佐助はそなたを叱るのか?」

「…叱りはしませんけど嫌味は言われるでしょうね」


俺は大将の指示で物見に行くから代わりに頼むって言ったじゃん。

苦笑のような嘲笑のような表情を浮かべて言う様が目に浮かぶ。

凹みはしないが腹は立つ。例えそれが自分たち忍隊の長であっても。

「そうか、それは良くないな」

何を良くないと思ったのか分からないが幸村は雪玉を拡大することを止め、

転がしていた雪玉を難なく持ち上げて既存の大きな雪玉に乗せた。

もう雪だるま作って遊ぶ年でもないでしょうに、と思って眺めていたが、

なんやかんやでこの人は毎年雪を楽しんでいるような気がする。


(…お館様と本気の雪合戦したりね…)


出来あがった巨大な雪だるまの前で満足気に仁王立ちする主を見ているとつられ笑いが零れた。

やれやれとため息をつきながら立ち上がっても縁側に出る。


「じゃあ私が仕上げしましょう」


篭手を外した手を擦り合わせて温めながら、近くの杉の木から葉を千切って雪だるまの顔に貼りつけた。

幸村はそんなの様子を興味津津に見つめている。

続けて雪だるまの頭に蓑をかぶせ、太い枝を二本刺した。

下の雪玉に小石を四つ菱状に並べて…


「はい、お館様」

「おお!は芸術の感性が豊かでござるな!!」


紛うことなきお館様だ!と賞賛の声を上げる幸村に「どうも」と苦笑して足早に部屋へ戻る。

「気が済んだら入って下さい。放っておくと骨くっ付かなくなりますよ」

「後であの雪だるまに水をかけておいてくれ」

固めて残しておく!と言いながら縁側に座って草履を脱ぐ。

「はいはい」と再び苦笑して火鉢の前に座り、少なくなった炭を足して火吹き竹で空気を送った。

ようやく部屋に入ってきた幸村は後ろ手で障子を閉めるとの横にすとんと腰を下ろす。

気休め程度には部屋があたたかくなった。

「佐助は何処へ物見に?」

「越後です。物見というより、謙信公に書状を届けに」

「左様か。越後は上田より更に大雪であろうな」

上着を脱ぎながらなぜかわくわくした表情を浮かべる幸村を見て、は呆れながら三角巾を折った。

添え木を折れている右腕と固定して、あらかじめ結んでおいた三角巾を首から下げてやる。

「じゃあ肋骨も固定するんで左腕上げて下さい」

左の脇から晒を挟み、固定した右上を一緒に包んで一周させると踏ん張りが利くように片足を立てた。

「息吸ってー吐いてーそのまま止めてーハイ締めますよー…っと」

「、いッ、…!!」

晒の端を両手で持ち全体重をかけて締めると、鍛え上げた体を持つ幸村も流石に身を屈めて呻いた。

「し、締め過ぎではないのか…?」

「これくらい締めないと幸村様みたいな骨太はくっ付きませんよ」

締めた晒が緩まないように引っ張りながら邪魔にならない位置で結ぶ。

幸村は少し咳き込みながら上着を肩に羽織った。

「これもどうぞ」

は先ほど淹れておいた茶を湯のみに注いで幸村に手渡す。

すまぬ、と湯のみを受け取って湯気立つ茶を口へ運んだ幸村だが


「…妙な味のする茶だな」


口を離し、匂いも…と湯のみ鼻を近づけてスンスンと犬のように湯気を嗅ぐ。

「金木犀です。秋に摘んだの乾燥させて茶に混ぜてみました。鎮静鎮痛の効果があるらしいので」

「そうか。これは他の負傷した者たちにも飲ませてやりたいな」

「たくさん作りましたから、後で配って歩きますよ」

処置道具を片づけながらはそう言って笑う。

鎮痛より鎮静の方の効果が出て欲しいなぁなんて思いながら。

外は風が出てきたようで障子をカタカタと鳴らし、隙間風が入ってきて部屋はさっぱり暖まらない。

ぶる、と身震いした瞬間


「…っえ、くしっ…!!」


咄嗟に口を押さえたが盛大なくしゃみが部屋に木霊した。

城全体が雪に覆われているからいつもより声が通る。

「寒いのか?」

「いや、外の景色見て言って下さいよ。この時期寒がらないのなんか貴方とお館様ぐらいです」

懐紙で鼻をかんでズズ、とすすりながら恨めしそうに幸村を見た。

この人に「寒い」なんて感覚あるんだろうか。

幸村は「そうか」と苦笑して持っていた湯のみをに差し出す。


「…貴方に飲んで欲しくて淹れたんですけど」

「俺は十分暖まった。腕の痛みも殆どない」


思わず湯のみを受け取ってしまったがこれでは意味がないじゃないか。

そうですか、と自分で淹れた茶を啜る。

お、自分で作っといて何だけど割といけるな。

幸村はというと、立ちあがって再び障子を開けた。

…折角部屋があったまってきたのに。


「止む気配がないな」

「明日はまた厩舎の雪かきですよ。やだなぁ、連日やってて腰痛いんすよね」

「情けないぞ。真田が忍たる者、常に足腰を鍛えておかねば」

「雪かきの途中で足軽と雪合戦始める人が真面目に雪かきしてくれれば負担も減るんですが」

「………………」


思い当たる節があったのか幸村は黙り込んだ。

その後ろで茶を啜るがちら、とその背中を見やると幸村は徐にしゃがんで草履を履き始める。

「何してんですか」

「積もる前に今から雪を掻きに行く」

「ちょっ、腕折れてんのに何言ってんですか!嫌味言ったのは謝りますから大人しくしてて下さい!!」

何を言い出すんだこの人は。

慌てて湯のみを置いてその後を追う。

紅い上着を掴もうと思ったが幸村が草鞋を結んで立ちあがる方が早く、伸ばした右手はむなしく宙を掻いた。


「幸村さ……」


外に出て背中を追おうとした所で、額にぽこん、と堅く冷たいものがぶつけられた。

それが雪玉だと気付いたのは瞼まで下がってきた白いものが視界を覆ってからだ。

崩れた雪玉の向こうにくっきりと見える紅い人影。

それが悪戯な笑みを浮かべたのもはっきり見えた。

冷えた額に血管が浮き出てきてぴく、と震えたのが分かる。


「…上等じゃないっすか…」


足元に積もった雪に両手をずぼっと沈め、左右から掻き集めるようにして雪玉を作る。

「生憎私の郷は上田より高地なんで更に雪降るんですよ…盆地育ちには負けません!!」

「望むところ!そなたの熱き心しかと受け止めた!勇んで参られよ!!」

左手で掴んだ雪を右手の添え木に押しつけて固め、雪玉第二弾を作って振りかぶる幸村。

は両手で持ち上げた雪玉を思い切り主に向かって投げたが、軽やかに避けられた。

ほんとに骨折してるのかこの人。

今度は幸村が作った雪玉を左手に持ち、鍛えられた肩の筋肉を使って勢いよくブン投げてきた。

流石、左腕でも利き腕と同じくらい剛速球で、は咄嗟に中庭に置いてあった箒を手に持つ。

箒の柄を両手で持ち、鍛えられた視力で雪玉を見極めてそのまま雪玉を…


「よっしゃあぁぁあ!!!」

「む!道具を使うとは卑怯な…!」


雪玉は振り切った箒を直撃して空高く舞いあがり、粉々に砕けた塊が塀の傍の松林へと飛んでいく。

中でも大きな塊が木に吸い込まれて松の葉が揺れたかと思うと


「いてっ」


…木が喋った。

その声に聞き覚えのあるの顔が青ざめる。

あんな高い松の木の上にいるのなんか、自分と同じ職の人間だけだ。

数秒後、松の木から迷彩の影が降りてきて真っ赤な髪に崩れた雪の塊を絡ませながらこちらに歩いてくる。


「…何やってんの?」


にっこりと笑うと鉢金の下に浮き出た血管が動いた。

は持っていた箒をボスンと足元に落とす。



雪は止まない

攻撃を食らった忍装束は濡れて冷えてきて

元凶である紅い災厄は上司に説教を食らう自分なんかお構いなしに庭駆け回る

そのままひとっ走りして卯月を呼んできて貰えませんか。

できれば早急に。迅速に。



濡れた睫毛を瞼ごとぐい、と拭うと、災厄は腹が立つほど穏やかに笑っていた。









「俺は大将の指示で物見に行くから代わりに頼むって言ったじゃん。

 何乗せられて一緒に雪合戦始めてんの。旦那も!腕折れてんだから槍振り回すなよ!左腕でもだめ!」




雪があるうちに書かねばと思って長編の合間に書きたくなった短編。
筆頭は雪国らしく顔以外露出がないのに幸村の胸板は長野の気候をガン無視ですね。
かすがもそうだけど(笑)幸村に寒いと言わせたい。意地でも言わなそう。