胡粉色のひとりごと








甲斐の昼下がりは穏やかだった。

晴天で時折緩やかに縁側を吹き抜ける微風は温かささえ感じる。

つい先刻軍議を終えたばかりの若武者はそんな微風も熱風に変えそうな面持ちで館内を歩いていた。

実際、頭の鉢巻きを揺らした風は季節外れの熱を帯びていたと思う。

次の戦に向けて心を滾らせると自然と足早になって、早く上田に戻って鍛錬を積まねばと心が逸る。

だが歩いているのは自分だけだと思っていた廊下で後ろからトタトタと歩幅の狭い足音が追いかけてきたのを感じた。



「幸村!」



甲高い声色に名前を呼ばれて振り返るとその声は自分の真下に滑り込んで、

首を下げたところでようやく声の主が視界に入ってきた。


殿」


長い着物の裾を引きずって息を切らしているのはこの館に住まう主君の末子。

自分より僅かに若く、頭一つ半ほど背丈の低い彼女は首をかなり傾けなければ表情が伺えない。


「ど、如何されたそんなに息を切らして…」

「…ゆ……幸村が歩くの早いんだよ…お、追いつけないじゃない…」


はしばらく屈んで呼吸を整え、胸に手を当てて数回深呼吸してから顔を上げた。

自覚はなかったが幸村はとりあえず「済まぬ」と謝る。


「…さっき、向こうで父上とお話をして…軍議が、終わったって聞いた、から」


まだ少したどたどしく、肩で息をして乱れた髪を耳にかける。

走って赤くなった顔が恥ずかしいのか反対の手でぱたぱたと自分の顔を扇いだ。

よかった間にあって、と照れくさそうにはにかむ姿はまだあどけない。


「某を追いかけて来て下さったのか」


彼女が言わんとしている続きを予測するとは笑いながらコクンと頷いた。


「先日ね、遠方から来たお客様にお菓子を頂いたの。

 たくさんあるから…お裾分けにと思って」


はそう言って抱えていた木箱の蓋を開けてみせた。

中には種類の違う菓子が箱いっぱいに詰め込まれている。

おそらく貰った菓子をが選んで新たに箱に詰め直したのだろう。


「父上や城の侍女にもあげたのだけど…それでもまだ部屋に沢山残ってるの。

 上田のみんなで食べて」

「かたじけない。有難く頂戴致す」


幸村は両手でその箱を受け取った。

懐に寄せた瞬間に甘い香りが漂う。


「しかし…何故そんなに沢山菓子折りを?」


幸村はふと疑問に思って問いかけた。

確かに彼女は自分と同じで甘味が好きだとは聞いていたが、

一度にそれほど大量の菓子折を贈られるということは滅多にないだろう。


「多分、先月私の生まれ月だったからだと思う」


律儀にそんなこと頭に入れてる人もいるんだね、とは笑いながら中庭に目を向けた。

幸村はそれを聞いて「あ」と間抜けに口を開ける。


「そ、そうでござったか…!某も何か…」

「あぁいいのいいの、部屋にあるお菓子も食べきれないし…

 他に頂いた簪や着物もどうしたらいいか分からないから…」


慌てる幸村を見ては苦笑した。

生まれ月の祝いにと大量の菓子折りの他にもたくさん高価な品を贈られたのだろう。

ただ幸村が見る限り、彼女が父親に贈られた着物以外を着ることはまずない。

綺麗にまとめた黒髪を煌びやかな簪で飾ることも滅多にしない。

だから「どうしたらいいか分からない」というのは嫌味でもなんでもなく本音なのだろう。


「…それに、きっと私に向けたものじゃないんだよ。全部」
 

苦笑が途端に無表情に変わる。

幸村は首をかしげた。



「私に取り繕って、父上と取り合ってもらいたいだけなんだわ」



はそう言って不機嫌そうに唇を尖らせた。


…理由は恐らく、それだけではないと思うが。


以前、彼女に何度か縁談の話があったことを佐助から聞いた。

その都度彼女がきっぱりと断りを入れていたことも。

あの年で縁談の話が来るのはやはり武田信玄の末子であるからだろうし、

逆にそれを己の意志ではっきり断ることが出来るのも彼女が武田信玄の末子だからなのだ。

彼女をきっかけに甲斐の虎と関わりを持ちたいと下心のある者もいるだろうが、

単純に彼女の人柄に惚れこんだ者だって少なくないだろう。




「きっと誰も私の欲しいものなんてくれない」




そう言って中庭を見ながら浅いため息をつく。



「…父上にだって、無理」



それは微笑に変わった。

幸村は目を泳がせて困惑した様子で彼女を見下ろす。


「…お、お館様にも…でごさるか…」

「うん。きっと無理」


信じられないというように苦々しい声を絞り出す幸村。

はにかっと満面の笑みを浮かべてはっきりとした否定の言葉を口に出した。

とにかく末子には甘い主君の姿を見てきたが、あの主君が愛娘に買い与えることの出来ないものとは

一体どんなものなのだろうと考えた。


「…本人が首を縦に振れば命令はしてくれるかもしれないけど」

「本人?」

「ううん、ひとりごと」


ぼそりと聞こえたつぶやきを聞き返すとは首を横に振った。


「…ねぇ。贈り物はいらないから、そのお菓子で一緒にお茶を飲んで?」


は幸村の抱えた箱を指差してにこりと笑う。

幸村はその細い指先と自分の抱えた箱を交互に見て目を丸くした。


「茶の湯…でござるか?もっと他に別の…」

「いいの。それで十分」


自分を見上げて笑う彼女がとても嬉しそうだったのでつられてこちらも表情が緩む。




誰かがくれるとしたら

私は頭を下げてでもきっとそれを請うんだわ




貴方が二槍を振り回して戦うそれ以外の時間を


貴方が馬に跨り戦場を駆けるそれ以外の時間を


貴方が主君と共にその深紅を翻し勇むそれ以外の時間を




貴方が一人立ち止まって夜空を見上げるその一瞬の時間を


貴方が鍛錬の汗を拭い緊張の糸を解いたその一瞬の時間を


貴方が朝目覚めて眩い朝陽に目を細めるその一瞬の時間を








私に頂戴









「……高価かもなぁ…」


「?何か申されたか?」


「だからひとりごとだってば」



どうか笑って聞き流してください



貴方の周りは色んな音が多くて

私のひとりごとなんか、掻き消されてしまいそうだけれど。



「しかしお館様でも手に入れられないような物とは一体…」

「うーん…天下?」

「っお館様は必ずや天下をお獲りになられる!その暁には殿も…!」

「はいはい座ってねお茶零れちゃうから」



抱きついて身動き出来なくさせて


叫んじゃえればいいのに





きっと眉根を寄せて、困った顔をするんだろうな
(ちょっと、見てみたい)







…それが出来ないから、


限りなく無色に近い、ひとりごとのままなんだなぁ。










長編を書いた後管理人が幸村と全く仲良く出来なかった結果がこれです。
でも愛は深まった!やっぱりあたし幸村好きなんです!
ちょ、ちょっとは書きやすくなった…気がします。
…お館様の娘ってすごくおいしいですよね。何を言っても幸村反論できなくて押さえこめる辺りが←
末子はきっと可愛いでしょうからお館様に溺愛されてるといい。
いざとなっても幸村にはくれてやらないぐらい溺愛されてるといい。
この時代誕生日祝う習慣なんかなかったらしいですが目ェ瞑って下さい。
ちなみに胡粉色は背景の色です。ほとんど白!