「え、あいつ年とるの?」
真夏のけだるい午後
縁側に並んで座った男女は水を張った桶に素足を突っ込んで歓談していた。
「暑い」「土佐に比べりゃ大したことなか」「いや暑い」「今日の晩飯素麺がいいな」「暑い」
会話の大半を「暑い」が占めていたが紅一点の彼女が発した素っ頓狂な言葉に全員の視線が集中する。
「…お前、人は誰しも年をとるものだよ?」
「いやだって。何年経っても「20歳です」って言われたらなんか通用しそうな気がしない?」
「しねぇよー俺たちもすぐオッサン扱いされんぞ」
球のような汗が滲む首筋を扇子で仰ぎ、まだ高い場所にある太陽を睨みつけながら銀時は言った。
八月上旬の日差しはまだまだ元気で容赦なく一同の体を照りつける。
背にした広間で回っている小さな扇風機は熱風を送ってくるばかりで全く涼しくない。
軒先に取り付けた風鈴の音がせめてもの涼しさを演出しているが、それも蝉の鳴き声に掻き消されてしまいそうだ。
「なんかあげた方がいいかな?」
「あー?別にいいんじゃね?あいつボンボンだし欲しいモン何でも持ってるよ」
「あ、そうだった。ムカつく」
桶の中で両足を交互に上下させて蹴りあげた水が夏の日差しにきらきらと光る。
「っていうか誰情報?」
「鬼兵隊の連中」
「えっ、何でそれで私が知らないの?」
「知らねーよお前嫌われてんじゃね?」
「嘘だぁ!私かなり献身的だよ!?上司を立てるいい部下やってると思うよ!?」
「うるせーな…そこが逆に鬱陶しいんじゃねーの?銀さん重たい女は嫌いです」
「オメーに好かれようとか思ってねーんだよ天パ!」
「つめてっ!何すんだこのアマ!!」
「ハッハッハ、暑いのに2人共元気じゃのぉ」
桶の水を蹴りあげて子供のようなやりとりをする2人を見てもう1人は呑気に笑っている。
跳ねあがった水が熱された鉄板のような地面に落ちてジュッと蒸発した。
遂に立ち上がって水を蹴り合う銀時とだったが、座ったままそれを眺めていた辰馬の横に会話のネタだった男が仁王立ちする。
「会議サボって水遊びたァいい御身分じゃねーか」
「、晋助!」
足を出して桶を持ち上げ、銀時に水をブッかける手前ではピタリと静止した。
「午後一番で会議があるって今朝言ったばっかりだろうが。朝飯食って忘れたか?」
「……会………あッ…!!」
今朝起きて朝食を食べるまでの会話を思い出し、は慌てて桶を地面に置く。
上司である高杉はその様子を見て呆れたようにハーッと溜息をつき、スタスタと縁側を離れて行った。
「もういい、お前除隊」
「じょた…!ちょっ、待って晋助…じゃなくて総督!!」
わたわたと縁側に上がって両足を濡らしたまま上司の後を追う。
銀時と辰馬は縁側に座ったままぼーっとそんな光景を眺めていた。
「…どこが献身的だよ」
僕らは夏を食べて蒼穹に向かう
「…会議忘れたくらいであんなに怒らなくてもいいのに」
除隊は免れたが食らった説教のダメージも大きく、はとぼとぼと夜の廊下を歩いていた。
蝉が鳴き止む頃バトンタッチしたひぐらしが庭の垣根で鳴き始める。
聴覚的には涼しいが夜の風は生ぬるく、肌にねっとりと張り付いて寝苦しい夜になりそうだ。
「この山の向こうが戌威族の本拠地として有力らしいな」
広間の横を通ったところで見張りの浪士たちの会話が聞こえてくる。
は足を止めて開け放された障子の向こうから立ち聞きした。
「鉱山があったから燃料には困らんだろう。人も沢山住んでいるようだし…」
「くそ…囲まれるな…」
別に隠れて聞く話題ではないが、自分が不真面目な発言をしていただけに何となく後ろめたい。
頭を抱える浪士たちを見ては僅かに目を細めた。
「裏手の小川にゃ蛍がたくさんいたのになァ、上流から油だ死体だ流れてきたら見れなくなっちまう」
「戦場にゃハエぐらいしか寄りつかねぇからな」
「………………」
は静かに部屋の前を通り過ぎると、小走りで他の浪士たちが寝ている広間に向かった。
一番奥の大きな障子をゆっくりと開けると、昼間存分に動いた浪士たちは広間で気持ちよさそうに雑魚寝している。
その一角にある押し入れの中がの就寝スペースだったがそこには戻らず、代わりに隅で眠る銀時の枕元にしゃがんだ。
白い手でその頬をぺちぺちと叩き、ぐしゃぐしゃの銀髪をわしゃわしゃと掻き回してやや乱暴に起こしにかかる。
銀時はその手を払いながら寝ぼけ眼をこすってぼんやりと目を開く。
上下逆さまに映る女の晴れやかな笑顔。
「ぎーんときくーん、虫採りに行こー」
周囲を気にして少し声を潜めていたが、確かに聞こえたの声。
「……………は…?」
「……ちょ…何…何なの…これは…」
寝起きの銀時はに連れられて木賃宿裏にある田園沿いの小川に来ていた。
は勝手場からくすねてきたのか口の狭い籠を抱えて叢をうろうろしている。
「鈴虫でも捕まえて飼う気かよ…ダメだよあれ。夜中超うっせーから。母ちゃん毎晩ノイローゼだよ」
「違うよ、蛍捕まえるの。なるべくたくさん。…あ、いたっ」
銀時が呆然と立ち尽くしている間にも、は澄んだ川の水に集まってくる緑色の発光飛行物を籠に納めた。
ふわふわと夏草を行き来する蛍は川に沿って生える草に止まってじっとしている。
小さい時もよくこうやって蛍捕まえたなぁなんて思い出しながら、飛び立つ瞬間を狙ってそっと両手で包むと指の間から柔らかい光が漏れた。
「あんた昔からこういうの得意じゃん。優しく捕まえてね、弱っちゃうから」
「…何すんの蛍なんか」
怪訝な銀時の様子などお構いなしには草履を脱いで小川に入っていく。
銀時は頭を掻いてあくびをしながらしばらくその様子を眺めていたが、
彼女の意図が分かったのか徐に袖と裾を捲くり始めた。
「……ガキの自由研究じゃねぇんだからさー…いい年こいて虫採りってお前…カブトムシ採って金にした方がいいわ」
「まぁまぁ、明日お昼におはぎ作ってあげるからそれで手を打ってよ」
「ぜってー粒あんにしろよ。こしあんのおはぎなんか邪道だからな」
文句を言いながらも叢を掻き分けて小川に入り、脱いだ羽織を虫網代わりにして蛍の光を目で追う。
広間で浪士たちが寝静まった頃、灯りのついている小部屋では一人の浪士がこの辺一帯の地図と睨み合っていた。
硯に刷った墨は縁が乾き始め、傍らで焚いた蝋の灯りがちらちらと反射して揺らめいて見える。
右手に持った小筆の柄を額に当てながら地図を睨み合うこと数分、浅く息を吐いて少し眉根を寄せた。
(…背後を攻めるなら川を上るのがいいだろうが体力あり余ってる奴なんかあの馬鹿くらいだしな…
先日の戦で足やられた奴も結構いたし…時間をかけてでも確実に正面から攻めるか…)
一つの義勇軍を仕切る男は迫る次の戦に備えて様々な考えを巡らせていた。
(………もう5人死んだ)
筆を置いてその手で額を覆い、手のひらの下で眉間にシワを寄せる。
「あ。やっぱりここにいた」
突如空気を読まぬ明るい声が飛び込んできて蝋の火が揺らめいた。
驚いたのと、集中していて気配に気づかなかった不覚さに表情を歪めながら高杉は振り返る。
障子を開けて半分部屋に入っているは小脇に網籠を抱えてにかっと笑った。
髪と肩に垣根の葉がついていたがまぁ体の一部だと思うことにして放っておく。
「…何してんだお前…」
「ね、ね、ちょっと灯り消して」
そう言って後ろ手で障子を閉めてずかずかと部屋に入ってきた。
人の話聞けよ、と言う前にその場にしゃがんで蝋の火を吐息で消してしまった。
この火だけが部屋を照らしていたので互いの顔も見えないほど暗くなってしまう。
「何……」
硯に置いていた小筆が机に落ちると、その音に驚いた"生物"が網籠からいっせいに飛び出した。
暗闇に慣れた目に映ったの顔の前を横切る緑色の光。
小さないくつもの光が彼女の手元から天井に向かって舞いあがり、真っ暗な部屋に柔らかな蛍火が灯る。
「1つオッサンに近づいたお祝い」
傍らに脱ぎ捨てた上着に止まった蛍を見下ろしては笑った。
高杉は一瞬何のお祝いだと眉をひそめたが、先ほど確認した暦を思いだして彼女の言っている意味を理解した。
「…お前よく此処で人の誕生日とか祝えんな」
「他に祝うことなんてないんだから上司の誕生日くらい祝っておいた方がいいでしょ?」
はそう言って床に広げられていた地図を手に持り、筆の印をびしっと指で弾いて高杉に返した。
上着に止まっていた一匹が紙に移動してきてちらちらと緑色の光を点滅させている。
地図に指を滑らせると蛍はそれに驚くことなく指先に寄ってきた。
「いい年こいて虫採りか?」
「虫採り馬鹿にすんなよ奥深いんだぞ。あんた絶対採るの嫌で買ってもらったタイプでしょ」
くっ、と笑って地図を置くと蛍は再び中に舞い上がる。
「弱っちゃうからそろそろ放すね」
がそう言って閉め切っていた障子を開けると、部屋のあちこちに浮遊していた蛍はいっせいに外へ向かって飛び出した。
月明かりが部屋に差し込んで緩やかな夏風が紙を揺らすと最後まで残っていた一匹も高杉の指を離れて行く。
「戦が終わるまで見納めかな」
腰の刀を帯に差し直し、振り返って微笑を浮かべた。
「ついていきますよ。総督」
ちりん、軒先の風鈴が鳴る。
高杉も刀を持って立ち上がり、地図をぐしゃりと握り締めた。
「へばったら置いてくぞ」
ひぐらしが鳴き止んだ。
遠くで大筒が聞こえた。
明日も晴れる。
儚い蛍火など一瞬で塵になるような、
熱い、秋が来る。
少し遅れて高杉誕祝い。ス/ピ/ッ/ツの「ホタル」聴きながら書いた。
随分前の曲だけど意外と高杉ソングだと思った!
攘夷高杉はヒロインの性格を選ばないので書きやすいです。
何でわたし現在ばっか書いてたんだろ…白夜叉降誕見てから妄想の範疇を脱したんですかね。