誰かに愛されたいと願って

それでも誰も愛することが出来なくて

自分の力を怖がって

この力で愛した人が傷つくのを恐れて

ならいっそ、全てを止めてしまおうと思い立ったのは、いつのことだったか。






One-6-






「遅っせーな…」

「マジで来ないんじゃね?」

バタフライナイフの刃を出し入れしながら、男はドラム缶の上に腰を下ろして苛立ち始めている。

は唇を噛み締め、震える手足をなんとか押さえようと全身を強張らせていた。

体は恐怖に震えているが頭ではこれからどうすればいいのか必死に考えている。


「……もし静雄さんが来たら…どうするつもりなんですか…?」


考えても策など浮かぶわけがなく、は男を見上げて口を開いた。

男はぎょろりと目を動かし、を見下ろしてニヤリと笑う。

「アンタをダシにして静雄をおびきだしゃ土下座くらいはすんじゃねーかと思ってよォ。

 あの静雄に土下座させるとかすげくね?俺らの方が池袋最強になれるっつーの!」

「こんだけ人数いりゃボコれんだろ!」

声を合わせ、合唱の様に狂った笑い声が共鳴する。

その言葉を聞いたは、怒りに似た感情が沸々と沸き上がってきた。


-------私は確かに、あの人のことは名前以外なにも知らない。


年齢も

住んでいる場所も

何が好きで 何が嫌いで

まだ数回しか面識のない自分を、どう思っているのか。



でも、

これだけは解る。



「……そんなの…無理に決まってる…」

「…あ?」

絞り出すように口を開いたの声に、男は眉をひそめた。


「あなたたちみたいな人が何人束になったって…っあの人には勝てない!!」


刹那、目の前の男の拳が振り下ろされる。

大きな拳はの右頬を勢いよく殴り、はその勢いで地面に倒れこんだ。


「…調子づいてんじゃねーぞアマ」


完全に瞳孔を開いた男はバラフライナイフを抜いての前に立つ。

白い肌は右側だけが青く腫れ上がり、歯をくいしばる暇などなかったために口から血が出てきた。

「あーあーいいのかよ手ぇ出して。静雄来るまでとりあえず無傷にしとくって話じゃなかったっけー?」

そんなを心配する者など当然いるわけもなく、その状況を楽しむように周りの男たちは笑い出す。


「そのつもりだったけどよ…なんか暇になってきたから止めるわ」


そう言ってのワイシャツをぐいと引っ張り、ナイフの切っ先を左肩へ近づける。

は口元から血を流しながらも真っ直ぐ睨むように男を見た。

その目を見た瞬間、男の瞳孔が開く。



「…恨むんなら静雄を恨めや」



ナイフはそのままの肩口を下から上に斬り付けた。

黒いスーツの左肩が切れ、その下の白いワイシャツをもぱっくりと切って

刃が深く浸入した白い肌から弾けるように血が飛んだ。

血がぱたたっ、と軽い音を立ててコンクリートに落ちて染み込んでいく。

「…つ…ッ!」

今までに感じたことのない痛みに、は思わず声を上げてしまう。

激痛に肩を押さえ再び地面に倒れこんだ。


「-------可哀相になァ?静雄なんかに近づかなきゃこんな目に合わねーのによー」


それでも男は表情を変えず、ニヤニヤと笑いながら立ち上がる。

「あいつマジ化けモンだぜ?人を軽々投げ飛ばすわ道路の標識引っこ抜くわ、マジ在り得ねーから。

 極めつけはアレだ、前に仲間が静雄撃っちまったんだけどよォ。

 あいつ次の日にゃピンピンして街歩いてたんだぜ!?」

「………!!」

は地面に倒れながら男を見上げ、目を見開く。

それは静雄の強さを語られたからではなく、「撃たれた」という言葉に驚いて。

「つーか撃たれても死なねーんならどんどん撃っちまってよくね!?」

「ヒャハハハハ!!何発撃ったら死ぬか賭けるか!?」

血を流す女の前で高らかに笑う群集は、異常だった。

は血が付着した手をぎゅっと握り締める。

(-----------静雄さん……)




…あの人は


確かに「化け物」と称してもおかしくない力を確かに持っていて


でも



いつも寂しそうな横顔を

見せる人だった




「…静雄さん………」





掠れた声が笑い声にかき消された、その瞬間

ドォン、とその場を一瞬にして静まり返らせる轟音。

隕石が落下してきたような、大型トラックが猛スピードで突っ込んできたような、

とにかく人為的にはあり得ない音が倉庫の外から響いた。

「な…なんだ…!?」

男たちはざわめき出す。

倉庫の入り口付近にいた仲間が外へ出ようと駆けると、シャッターを無人のバイクが突き破ってきた。


「な、あ…!?」


それは自分のバイクだと気づいた男は目を見開く。

もなんとか起き上がり、入り口の方を見た。

外の暗闇から浮かび上がってくる無人のバイク。

男たちは近づいてようやく気づいた。

そのバイクは突っ込んできたのではなく、1人の男によって持ち上げられているということを。

金髪でバーテン服の男が、右手1本で無人のバイクの座席を持ち、

まるでバッグでも持つかのような力加減で立っている。


「……ってめぇ…静雄!!!」


入り口にいた数人の男がいっせいに静雄に飛び掛る。

静雄はそのまま右手を振りかぶり、遠心力を使ってバイクをまるで円盤のように180度振り切った。

同時にバイクから手を離しバイクは男たちを数人巻き込んで倉庫の隅にぶつかって止まる。

そんなバイクを気にも留めず静雄は倉庫の中央へ歩いてきた。

少し遅れて、中の様子を窺うようにセルティが入ってくる。

静雄はを囲う男たちと向き合い、その合間から見えるに目を向けた。

右頬に殴られたような痣

左肩はジャケットとシャツが切られ、白い肌から血が流れているのが見えた。

地面に飛んでいる血の跡は彼女のものだろう、

静雄はそれを見てすぐに目の前の男たちに目を向けた。


「やっぱ来たか静雄さんよーつか首なしライダー連れてくるとか反則じゃね?」


男たちも静雄に詰め寄り横目でセルティを見た。

そこで初めて静雄がゆっくり口を開く。


「…安心しろ。セルティには此処まで運んできてもらっただけだから。

 俺が誘き出されたのに助っ人頼むとか最悪だろ…?」


サングラスを外し、ポケットに仕舞いながら顔を伏せる静雄は、笑っていた。

血が出そうな程ギリギリと奥歯を噛み締め、

手の甲とこめかみに血管を浮き出させて。

男達は周りに放置されていた角材や鉄パイプを手に取り、いっせいに静雄に向かって飛び掛っていく。

だがその勢いはこの男の前では無意味だった。

振り下ろされる鉄パイプを身長のリーチでしっかり掴む。

そのまま特に力を入れることなく、鉄パイプをぐにゃりとへし曲げた。

「な…っ」

驚く男の胸倉を左手で掴んで引き寄せ、鉄パイプを離して右手でストレートをかます。

鼻骨が折れる音と共に静雄の右手に返り血が飛んだ。

男は爆風に巻き込まれたかのように後ろに吹っ飛び、

それでも次々と武器を持った男たちが走ってくる。

1人1人相手をするのが面倒になった静雄は、手近なところにあった1つのドラム缶に目をつけ、

その縁を片手でひょいと持ち上げた。

中にはセメントが詰め込まれており、缶と合計すると100kg以上あるものなのだが。

それを両手で持って頭の上まで上げ、勢いよく放り投げた。

「「「ぎゃあぁぁぁぁあああ!!!」」」

複数の悲鳴が飛び交い、投げ飛ばされたドラム缶と一緒に吹き飛ばされ、

人形のように無抵抗な体とドラム缶は積み上げられた看板や鉄材の中に突っ込んだ。

その拍子に飛んできた看板の破片がの頬を僅かに切って血が出る。

だがはそんなことに気づかず、ただ静雄の戦う姿を見ていた。


何人集まって、

何を武器にして突っ込んでいったって、

目の前のあの人の前では、そんな群れた「力」は無意味。

ただ呆けた顔で静雄を見て、1つの疑問が浮かび上がる。




……どうして…来てくれたんだろう




すると、の傍にヘルメットをかぶった「影」が近づいてきた。

『立てる?』

影はPDAに文章を打ち込み、の目の前に見せる。

はハッと我に返り驚いてその影を見た。

「え……っ」

『大丈夫、私は静雄の味方だから。ああ酷い傷だ…新羅に診てもらわないと…』

よく見ると影と見えたのは漆黒のライダースーツで、

そのしなやかな体つきから女性だということが窺える。

だが首から上には奇妙な装飾のされたヘルメットをかぶっており、表情がまったく見えない。

は困惑した顔で目を白黒させた。


「…あの……もしかして都市伝説の…」


一般人のも池袋の都市伝説・首無しライダーのことはよく耳にする。

たまに街で見かけることがあるが、まさかこうして自分の前に現れるなんて。

首無しライダーはコクンと頷き、再びPDAに文章を打ち込んだ。

『私のことは後で説明する。とりあえずここを離れないと…立てる?』

の右肩をそっと支えながら華奢な体を立たせたところで、

周りを埋め尽くしていた悲鳴や轟音がピタリと消えた。

2人が顔を上げて倉庫の中央を見ると、バーテン服のシャツに返り血を浴びた静雄だけが立っている。

倉庫のあちこちに黄色い布を巻いた男たちが倒れており、

隅に整理されていた様々な機材は滅茶苦茶に散乱していた。

そこで初めて、静雄はと目を合わせる。

熱が冷めたのかその表情はいたって冷静だったが、

痛々しい傷を負っているを見てすぐに視線を外した。




-----------忘れていた




あまりに彼女が、自然に自分の中に入ってきたものだから。

自分があまりに無防備にそれを、受け入れてしまったから。

結果として彼女が血を流している




「………セルティ」


そしてではなく、セルティに向かって口を開いた。

「…早いとこ新羅に診せてやってくれ」

静雄はそれだけ言って踵を返し、倉庫を出て行こうとする。


「…っま…待って…っ!!」


はフラつく足どりで立ち上がりながら静雄を呼び止めた。

だが静雄は背を向けたまま立ち止まろうとはしない。

「静雄さ…っ」

動くと傷む左肩を押さえ、それでも静雄を呼ぶ。

見かねたセルティが静雄に駆け寄ろうとするとは唇を噛み締め、踏みとどまって大きく息を吸いこんだ。




「私…静雄さんが好きです!!」




はっきりと、その場に響いた声。

誰よりその声を近くで聞いていた男は目を驚愕に見開き、立ち止まってゆっくり振り返る。

少し離れたところに立つ彼女は目にいっぱいの涙を浮かべていた。

セルティも、目があったら見開きたいというぐらい驚いてを見る。


「………貴方の力のことを…少し、聞きました…」


震える唇を何とか動かしながら、は言葉を続ける。



『これ以上アイツに近づかない方がいい』


『あいつマジ化けモンだぜ?』



彼を知る様々な人間から聞いた言葉。



「でもそんなことは私にはどうだっていいんです!」



震える声が確かな言葉を紡いでいく。


「私には貴方の力を受け止めるだけの強さはないし、貴方の抱えてることを全部理解できる自信もありません。

 正直、今日初めて貴方を怖いとも思いました」


「それでも!私は貴方のことを好きになりたいんです!」


両目いっぱいに溜め込んでいた涙が汚いコンクリートに落ちる。

静雄は言葉が見つからなかった。

自分の為に泣いてくれる人は、初めてだったから。


---------目の前の彼女は

自分のために涙を流しているのだと、解った。

自分を怖がらず、真っ直ぐに向き合ってくれた

怪我をしながらも自分を、好きだと言ってくれた


自分がこの場に来たのは

彼女を、助けたかったからで

攫った奴等への怒りは二の次で

それは多分



「…………俺も」



静雄はゆっくりと口を開いた。

は顔を上げる。



「……アンタのことが 好きなんだと、思う」



ゆっくりと、言葉を選ぶように紡ぎだされた声。

は思いもよらない言葉に驚いていた。

驚いているのはどうしていいか分からず隅にいたセルティも同じだった。


「…いや、それがアンタが言うのと同じかは…解んねぇけど……

 一緒にいるならアンタがいいって…そうは、思うんだ」

「アンタといれば多分、誰と居るときよりも笑えるのかもしんねぇって思った」


どんなにムカついて喧嘩してきた後でも

何故だか、彼女を見た瞬間に表情が綻ぶ自分がいる

自然と笑う、自分がいる。

彼女にはそういう「力」がある。

それを体験したのは数えるほどだったはずなのに。



「…でも俺は、他の奴らとは違う。アンタとも…違う」



そう言って血まみれの自分の右手を見つめる。

殴った相手の返り血以外にも、ナイフで切られりしていて肌色の部分を探すのが難しいほど赤い手。


「一緒にいてアンタに怪我させない保証もないし、…つーか絶対、させる」


第三者が聞けばなんと物騒な会話なのだろう。

確かに静雄は「罪歌」の一件で自分の力を抑えることが出来るようにはなったが、

膨大な静雄の力が弱まったわけではない。

それがいつ、彼女に及んでもおかしくない状況だ。



「…だから、無理だ。俺はアンタとは一緒にいられない。

 俺はアンタに、嫌な思いしかさせない」




弾丸が飛んできたら?

いきなり後ろから刺されたら?

スタンガンを押し当てられたら?

普通の人間が一生遭遇しないであろう出来事に日々遭遇している静雄にとってその懸念は笑い事ではない。

周囲が彼女を傷つけずとも自分が彼女を傷つける。

生ぬるい比喩ではなく、文字通り、物理的に。


そんなのはもう沢山だ

誰も理解しようとしてくれなくていい

歩み寄ろうとしてくれなくていい

無理やり笑って「そんなことない」なんて言ってくれなくていい


「…………」


するとはゆっくりと静雄に近づき、傍に落ちていた金属片を拾った。

そして徐にその金属片で自分の腕をワイシャツの上から勢いよく切りつけた。

それを目の前で見ていた静雄は驚いて目を見開く。

血まみれだった細い腕から更に血が噴き出したが、彼女は唇を噛み締めたまま金属片を捨てて

血まみれの腕を静雄に見せつけた。


「…貴方と私は一緒です」


傍にいたセルティは慌てて駆け寄ろうとしたが、彼女の表情がそれを思いとどまらせた。


「怪我をしたら血が出る、痛みがある。例えその怪我が翌日には治ろうが、血の量が多かろうが少なかろうが、

 私と貴方は同じ人間です。どこが違うんですか…?」


静雄に向かってそう話す表情は、静雄がこれまで見てきた彼女のどれとも違っていた。

「貴方に弾丸を跳ね返す力があっても、貴方の血が緑色でも、私は貴方を好きになりました。

 それはいけないことですか?頭がおかしいですか?」

血を流し、怒りにも似た剣幕で廃倉庫に立つ女は、異様だった。


「「怖いから、嫌な思いをするから貴方とは一緒にいたくありません」って、私がそう言えば丸く収まるんですか…!?

 それは本当に静雄さんが望んでることなんですか!?」


貴方に一言、「迷惑だ」と言われたら終わるこの恋なのに

傍にいることを許されたら

欲が募ってしまう


血まみれの細い手が、血まみれの大きな手をぎゅっと握り、静雄は無意識に体を強ばらせた。

何てことはない弱々しい女の力だったのに振り払うが出来ない。


「…何が普通とか、普通じゃないとかそういうのは誰が決めることでもありません。

 どうか「力」を理由に人と距離をおかないで下さい。せめて私とは置かないで下さい!

 私を貴方の隣にいさせて下さい!」



…いつかあの刀から聞いた「愛」はもっと別の形だった。

いや、その言葉にどんな種類があってどれが正しいかなんて

まともな「愛」を受けたことがない人間が判断することじゃないけど


-----------居るはずがないと思ってた


こんな自分を、好きだと言ってくれる人なんて。

人を殴ることしかしてこなかったこの手を、握ってくれる人なんて。

「------------…」

包まれた細い手を、反射的に握り締める。


「……望んでいいのか?」


低く、掠れた声で紡ぎ出された言葉には顔を上げた。

頭をかなり傾けなければ視線を合わせられない静雄の表情は長い前髪のせいでよく見えない。


「一緒にいて欲しいって、アンタに望んでいいのか…?

 一緒にいるならアンタがいいって…思っても罰当たんねぇかな?」


そう言って少しだけ顔を上げた静雄の表情を見て、は自分が思ったことは間違いではなかったと実感した。


…とても、優しいひとだ。


「当たりませんよ」


はそう言ってもう一度静雄の手をぎゅっと握った。


「貴方が望んだことを、誰も咎めたりしません。だから望んで下さい」


「私が持ちうるすべての力を使って、それを叶えてみせます」


柔らかく笑う彼女につられて静雄もぎこちなく表情を綻ばす。

殺伐としたこの倉庫にそぐわぬ温かな空気。

そんな様子を少し離れて見ていたセルティはふと自分の恋人のことを思い出していた。


(…あの子…少し新羅に似てるな…)


雰囲気とか性格じゃなくて、愛する人を想う考え方が。

彼女もまたデュラハンとか、喧嘩人形とか、属性はとりあえず関係ないのだ。

もしも相手も自分を好きでいてくれるなら、一緒に居ることを許してくれたらそれでいい。



(---------------で)




…私はどのタイミングで出ていけばいいんだ…?