One-4-






「……微妙な味だな」

夕暮れの池袋

その街の一角に聳える雑居ビルの中で、静雄は眉をひそめて呟いた。

右手には茶色い瓶。

ラベルには「肉体疲労回復!」と書かれている。

口内に広がるのは甘いような酸っぱいような、それでいて後味が苦いような、なんとも言えない味。

「何飲んでんだ?」

そこへ上司のトムが寄ってくる。

「貰いものなんすけど」

静雄はそう言って右手の瓶を上げて見せた。

「ドリンク?疲れてんのか?」

まさか、という様子でトムは僅かに目を見開く。

静雄が肉体疲労なんて在り得るのか、と思ったが口には出さない。

「いや全く疲れてないですけど。効くって言われて貰ったんで飲んでみようかなと」

残りを飲み干して、テーブルの上に置いた。

「ふーん、珍しいな。道で配ってたのか?」

トムは空の瓶を持って問いかける。

よく金融会社がティッシュを配ってるということはあるが、栄養ドリンクを配っているというのは見たことがない。

「いえ、昨日コンビニであの子に会って…」

「あの子?」

トムの頭に疑問符が浮かぶ。

「ほら酔っ払いに絡まれてた…」

「……ああ!あの子か!え、何、仲良くなったのか…?」

そして先日酔っ払いに絡まれていたところを助けた女のことを思い出した。

そこで当然の疑問が浮かんだが、あまり突っ込んだことを聞くとキレられそうなので

トムは当たり障りのない聞き方をする。

「仲良くっていうわけじゃ…ちょっと話をして、仕事終わったの朝方だって言ったらくれたんです」

(…それは十分仲良くなったというんじゃないか…?)

淡々と話す静雄に心の中で突っ込むトム。

だがそれも勿論口にはしない。

するとトムの上着のポケットから携帯の着信音が鳴った。

取り出して携帯を開く様を見るに、どうやらメールの様だ。

「仕事だ。行くべ」

トムはそう言って取立て主の住所が書かれたメール画面を静雄に見せる。

「はい」

静雄は空の瓶に蓋をして、トムと共に部屋を出た。






同時刻



そろそろ退社準備をしようかと思っていたに、同僚が離れた席から声をかけてきた。

同僚は右手に受話器を持っている。

「なに?」

「ロビーにに会いたいって人が来てるって」

「…私に?」

はキーボードを打つ手を止め、同僚を見て首をかしげる。

「社長とアポとれてる人だから部外者ではないみたいだけど…」

「分かった、行ってくる」

席を立ち、内線を繋いだままの同僚にそう告げてオフィスを出た。

同僚は再び受話器に耳を当てて「ただいま向かいます」と報告している。

はエレベーターに飛び乗り、中の鏡でシャツの襟と髪を整えた。


(……誰だろう。こんな時間に)


まだ下っ端の自分に会いに来る取引先などいないはずだが。

不思議に思いながら1階でエレベーターを降り、受付で話をきくとロビーの脇に備えられたラウンジを指された。

そこには1人の男が座っている。


「…あの」


は男に近づきながら声をかけた。

「お呼び頂いたです」

「--------ああ、貴女がそうですか。初めまして」

が名乗ると、男は席を立ちながらにこりと笑う。

漆黒の短髪

切れ長の瞳

細身の体を真っ黒な服で包んだ、若い男。

スーツではないが、この場に見合った清潔な身なりだ。

「あの…失礼ですが……」

男に見覚えのないは不思議そうに首をかしげる。

仕事関係で会ったことのあるなら忘れていては失礼だと思ったが、記憶をいくら掘り起こしても男の顔は出てこなかった。


「申し遅れました。折原臨也といいます。

 こちらの社長と少し面識がありましてね…

 よく出来た若い社員がいるとお聞きしたので、お会いしてみたいと思ったんですよ」


折原臨也と名乗った男はそう言って柔らかい笑みを浮かべ、

にも座るように示唆した。

変わった名前だな、と思ったが社長の名前が出ていっきに安心したは男と向かい合わせに座る。


「そんな…恐縮です。私なんかまだ未熟で…」


はこの会社で女性誌のコラム等で使う写真の編集や文章構成を考える仕事をしていた。

直接取材を行わないため記者のように口達者ではないが、デスクワークは卒なくこなしている。

だがそれだけで社長直々に他所へ紹介がいくような腕ではない。

この男がなぜ自分に会いに来たのかがさっぱり分からなかった。


「突然ですが、他社の雑誌をお読みになることは?」

「ファッション雑誌やグルメ雑誌なら少し…」

「少し前、ゴシップ記事を集めた雑誌で"池袋で最強なのは誰か"なんていう記事が話題になったんですけど…

 ご存知ですか?」


臨也は表情にまったく変わらない薄笑いを貼り付かせたまま、に問いかける。

「いえ…そんな記事があったんですか?」

「ええ。三流記者が考えつきそうなネタですよねぇ。こちらの雑誌ではまずやらない特集でしょうし」

カラーギャングと呼ばれる集団が多く集うこの街では遅かれ早かれ誰かが取り上げていたネタかもしれない。

目の前の男は何が言いたいんだろうと首をかしげていると




「…そこで最強だってことになった男なんですけど…

 平和島静雄って、ご存知ですか?」




射抜くような視線とその口から出た名前には目を見開いた。

ご存知も何も、つい昨日会ったばかりだ。


「……静雄さんの…お知り合いなんですか…?」


彼女の反応を見て、臨也はニヤリと笑う。

は彼がなぜ自分に会いにきたのか分かった気がした。

彼も記者か何かで、どこかで自分と静雄が話しているのを見て、

静雄について知りたがっているから自分に話を聞きにきたのではないか。

「知り合いというか…まぁ高校時代の同級生で、腐れ縁ってやつです。
 
 付き合いは全くありませんよ」

目が全く笑っていない笑みを浮かべたまま、臨也は静雄との関係を完全否定する。

「1度アイツを見たら誰も忘れられないでしょうね。

 勿論、悪い意味で」

の心臓が大きく跳ねた。

…理由は分からない。

なぜか、モヤモヤして。



「…もし知っているなら、これ以上アイツに近づかない方がいい」



臨也はまっすぐを見て、その切れ長の瞳を更に細めた。






「----------死にますよ?」








夜が更けた池袋の街に、ドォン、と鼓膜を破るような轟音が響き渡る。

中心街の中にある古ぼけたアパートのドアにまるで大砲で打ち抜いたかのような大きな穴が開いていた。

部屋の主は穴の開いたドアの前で腰を抜かしている。

だが当然周囲に大砲などなく、ドアの前には2人の男が立っているだけだった。

ドアの前に立つ静雄は右手の拳に血管を浮き立たせ、ダラダラと血を流しながらも平然とドアを睨んでいる。

静雄はその手をドアノブにかけ、何の力も加えずにドアをべりっと壁から引き剥がした。


「ひィ…ッ!」


中にいた男は悲鳴をあげながら後ずさりする。

「おっさーん、100万も使っといて居留守はねーだろ居留守は。

 使ったモンはしっかり払ってくんねーとさー」

静雄の横にいたトムが男に向かって声をかけた。

「はっ…払う…!!今銀行いって金下ろしてくるから待ってくれ…!!」

男はなんとか立ち上がり、ガタガタと震えながら玄関に出る。

トムと静雄はそんな様子を見張るように見ていたのだが。

「………!!」

男は玄関に出た途端2人の間を走りぬけ、ダッシュで部屋を出て廊下を一目散に駆けて行った。

「あのやろ…ッ」

それを追おうとしたトムより早く、

静雄は壁から引き剥がしたドアを両手で持ち上げて大きく振りかぶる。




「逃げんじゃねぇぇぇええええええ!!!!!」






同時刻


(……あの人は、何で私に静雄さんのことを話したんだろう)


はオフィスから駅へと歩きながら、先刻のことを思い出していた。

折原臨也という男

(…雑誌で取り上げられるぐらいだから有名なんだろうし…近づくなって、忠告だったのかな…)

名前以外何も知らない相手だったから、雑誌とか池袋最強とか彼の口から聞かされた事実には少し驚いた。

しかし人や看板をいとも簡単に持ち上げる怪力は一度見た者なら忘れないだろうし、

噂好きの学生に広まれば当然記者の耳にも入る。

きっと噂に尾ヒレがついて話が大きくなってしまっただけなのだろう。

…あまり深く考えるのはよそう。

改札を通ってホームに向かうと丁度よく電車が入ってきたところだった。

人の波に流されるまま電車に乗り込むと、出入り口付近に立っていた乗客に勢いよく突っ込んでしまった。

「すいませ…」

慌てて顔を上げて思わず「あっ」と声が出る。

向こうも同じように「あ」と口を開けていた。

少し煙草の匂いがするバーテン服のベストと、満員電車の中で一際飛び出た金髪。

「…ども」

「こんばんは…あの、降りますよね?」

背中からもぎゅうぎゅうに押されて身動きのとれないは慌てて体を捻ろうとする。

彼は池袋住まいだと言っていたからここで降りなくてはならないだろう。

「ええ、でも髪が…」

「髪?」

静雄がそう言って目線を自分の胸元に向けたのでもその視線の先を追う。

少し首を捻ったところでようやく気づいた。


「………あ」


電車のドアが閉まる。

の髪の毛束が数本、静雄のベストの第二ボタンに絡みついていた。

「す、すいません!私ハサミ持ってるのですぐ切ります…!」

「いや切らなくても…どこで降りるんですか」

「……目白です…」

「何だ次か。俺も目白で降りますよ」

「…すいません…」

申し訳なさすぎてただただ謝るしかない。

電車が揺れると引っかかった髪が突っ張ってボタンが千切れてしまわないか心配になる。

「仕事終わりすか」

頭の上から静雄の声が振ってきた。

「あ、はい。静雄さんも?」

「ええ、珍しく新宿で仕事だったんで」

そういえば彼がどんな仕事をしているのか聞いたことがない。

バーテン服を着ているのだしやはりバーテンダーなのかな、と思っていると電車が目白で停車した。

なるべく離れないように、でも近づき過ぎないように、

髪の絡まったベストと微妙な距離を保ちながら何とか電車を降りる。

椅子の近くで立ち止まった静雄はベストのボタンを摘んだ。

「引っ張るんで、髪押さえといて下さい」

「え、あの、」

ハサミあります、と言う前に、静雄は摘んだボタンをいとも簡単に引きちぎった。

「とれた」

絡まっていた糸ごとちぎれたボタンと一緒に髪の毛が解放される。

「ボタン!!」

呆気にとられていたは解放された髪よりも先に取れてしまったボタンに触る。

「いや、ボタン1つなくても別に…」

「よ、よくないです…!ベスト貸して下さい!」

自分の髪を切って取って欲しかったは慌てて静雄にベストを貸してもらった。

これで彼のベストを手にするのは二度目だ。

後ろの椅子に腰を下ろし、バッグから裁縫セットを出して黒の縫い糸を針に通す。

静雄は立ったまま頭を掻きながらその様子を見下ろしていた。

受け取ったボタンをものの30秒で縫い付けたは、ボタンホールの位置を確認してベストを静雄へ返す。

「よかった、次の電車に間に合いました」

「…何でも出来るんすね」

ボタンはしっかり縫い付けられていて、逆に他のボタンより丈夫になったかもしれない。

「一人暮らし長いので…前は針に糸も通せなかったんですけど」

裁縫セットを仕舞いながら席を立ったは苦笑してそう答える。

同時にホームへ池袋へ戻る電車が入ってきた。

「本当にすみませんでした。帰るの遅くなっちゃって…」

「今日はいつもより早いぐらいなんで気にしないで下さい。じゃあ」

静雄はそう行って電車に乗り込む。

はその場に立ったままホームを出ていく電車を見送った。

ドア越しに頭を下げると、入口に立っていた静雄が軽く右手を挙げたのが見える。


「…あ」


目白駅を出た電車の車内で静雄はぼそりと声を出した。


「…礼言うの忘れた」


頭を掻きながらベストの第二ボタンに触れ、次に会ったら言おうと決めた。



To be continued