One-1-







「………くそっ」



静雄はイラついていた。

昨日の夜上司のトムと共に取り立てに行った相手がこれまた強情で、

ブチ切れた静雄に投げ飛ばされたにも関わらず開き直って一向に金を払おうとしない。

命知らずな中年男の粘りに付き合っていたら夜が明けてしまった、というわけだ。

…とりあえず寝よう。トムの話では夕方にもう1件取立てが入っているらしいから、それまでは寝よう。

そう考えて欠伸をしながら自宅を目指していた-------------はずなのだが。



「あんたが平和島静雄かァ」



自宅の近くにあるコンビニの前で屯していたグループの1人が声をかけてきた。

静雄はもう声をかけられて立ち止まること自体が面倒で、完全に戦闘態勢で男を睨む。

「俺たち最近ブクロに進出してきたばっかなんだけどさァー

 ブクロのダチがアンタには絶対喧嘩売るなってうっせーんだよなー!

 んでどんな奴かと思って拝みに来たわけよー」

語尾を延ばすバカっぽい喋り方に静雄の血管は限界だ。

今、沸点は通常の倍以上に低い。

「っとにバーテン服なんだなァ、オイ。試しにそこの看板引っこ抜…」

引っこ抜いてみろよ、と言う前に、目の前の男は既にそれを実行していた。

コンビニの隣のパチンコ店の看板。

チカチカと点滅する眩い看板を男は片手でいとも簡単にひょいと引っこ抜いて見せた。

店から伸びていた配線がブチブチを切れて一瞬火花が散り、男達の顔がいっきに青ざめていく。

「…うそ、ちょっ、待っ……!」



「バーテン服を……馬鹿にすんじゃねぇぞコラァ--------------------ッッ!!!!!」



そのまま重さを利用して看板をフリスビーの様に水平にブン投げた。

看板は男たちをなぎ倒し、ドォンと大きな音を立ててガードールにぶつかる。

辺りに立ち込める砂煙と、無残に千切れた配線。


「ああくそ…っ完全に目ぇ覚めちまっただろうが…どうしてくれんだ?あぁ?」


金髪の頭を掻きながら看板の下敷きになっている男たちを見下ろす。

だが男達は白目をむいて泡を吹いているため応答は皆無だ。

「ちッ…酒でも飲んで無理矢理寝るか…」

ポケットから煙草を取り出し、口に銜えてくるりと踵を返す。

すると自分と入れ替わりに駆け足で看板に駆け寄る影があった。


「…………?」


看板の前に立っているのはスーツ姿の女。

細身の黒いジャケットにタイトスカート、黒いヒールといったいかにも会社員といった格好の若い女だ。

女は困ったように看板を見下ろし、その場をうろうろしながら辺りを見渡している。

…絡んできた連中の仲間、という様子ではない。

静雄が不思議そうにそれを眺めていると、女はその場にしゃがみこんで何とか看板を退かそうと看板を掴み始めた。

さすがに静雄も何事かと思い再び看板へ近づく。


「あのー」


「どうかしました?」

完全に熱が冷め、冷静な態度で女に問いかける。

しゃがんでいた女は立ち上がり、振り返って静雄を見上げた。

セミロングの黒髪

目鼻立ちのすっきりとした顔立ち

年は自分と同じか、少し下ぐらいだろうか。


「あの…定期入れが…看板の下敷きになっちゃって……」


女は困ったように看板を指差す。


「バッグに定期入れを入れようとして落としちゃって…

 そしたら急に看板が倒れてきて下敷きに…」


しきりに時間を気にして、「どうしよう…」と呟いている。

こんな大きな看板は2人がかりでも持ち上げられない。

女はそう思いこんでいたので、当然静雄に「手伝って下さい」などとは言わなかった。

静雄は「ああ…」と頷き、煙草を銜えたまま右手を看板に添える。


「すんません、投げ飛ばしたの俺なんで」

「え…?」


そう言って再びひょいと看板を片手で持ち上げた。

女はいとも簡単に持ち上げられた巨大な看板を見上げ、あんぐりと口を開ける。

看板の下から革の定期入れが姿を現し、静雄は左手で定期を取って女に手渡した。


「ありがとうございます……」


定期を受け取り、女は驚きながらもぺこりと静雄に頭を下げる。

「すごい、力持ちなんですねぇ」

顔を上げ、女はそう言ってへらっと笑った。

…力持ちって。

そんな軽い単語でこの力を片付けられたのは小学校以来だ。

いや、小学校の時も既にそんな単語では片付けていられなかったかもしれない。

静雄はそんな気の抜ける女の言葉に呆気にとられ、静かに看板を下ろす。

女は腕時計の時間を見てハッと我に返り、慌てて定期入れをバッグに突っ込んだ。

「仕事遅れちゃう…!あの、本当にありがとうございました。

 またどこかでお会いしたら、その時ぜひお礼させて下さい」

再び静雄に向かって深々と頭を下げ、曖昧な口約束をして駆け足でその場を去っていく。

静雄な頭を掻きながらそんな彼女の後姿を見送った。


--------意外な反応だった。


冗談だと思われたのかもしれないが今までの一般的な反応とは違ったから。

(------まぁ、いいか)

もう会うこともないだろう。

静雄も特に気に留めず、再び踵を返して自宅へ向かう。




その、一見普通過ぎる女との出会いが

これからの自分を変えるなんて思いもせずに。





数時間後

あの後夕方まで自宅で睡眠をとった静雄は上司のトムと一緒に再び池袋の中心街へ出向いていた。

これからまたテレクラの代金を取りたてに向かうところだ。

「さて…と、今度は大人しく払ってくれっと助かるなァ」

「そうですね」

静雄の横を歩く上司のトムが面倒くさそうにドレッドヘアを掻きながらぼやく。

一方の静雄は慣れた様子で馴染みの道を歩きながら、口に銜えた煙草を指で持って相槌を打った。

「まーた朝帰りとか俺ァご免だぜ」

「今度ああいうのが出たらドタマかち割る勢いで行くんで」

「……頼もしいな」

ぐっすり寝てやる気を取り戻したのか、右手の拳を握ったり開いたりする静雄。

トムは冷や汗を流しながら横目で静雄を見る。

「今日はどこですか?」

「えーと…」

静雄の問いに、トムはポケットから取りたて主の住所を書いたメモを取り出した。

すると


「…っやめて下さい!」


雑踏の中で確かに響いた女の声。

2人は反射的に顔を上げ、声のした方を向いた。

「いいじゃねーかよぉ、まだ時間も早いんだしさァ

 一軒付き合ってくれるだけでいいんだ。な?」

見るとパチンコ店の看板の傍で酔っ払いの中年親父が1人の女に絡んでいる。

この時間にはよく見られる光景だ。

だが道行く人は軽蔑や同情の視線を向けながらも助けに出ようとはしない。

もし助けに入って出して自分も巻き込まれたら面倒だと思っているからだ。

「あーあー…何やってんだか」

トムは呆れるように溜息をつき、特に迷うことなく酔っ払いの男に近づいていく。

静雄も頭を掻きながらそれを追った。

「オイおっさん、警察に通報される前に手ぇ引いといた方がいいんじゃね?」

トムはそう言って酔っ払いに肩をがしりと掴み、あくまで温厚な態度で男に忠告する。

「うっせぇなァ、なんだてめぇら偉そうに!!」

男は呂律の回らない口で酒臭い息を吐きながら声を荒げた。

トムの手を振り払った瞬間、男が右手に持っていたカップ酒が飛び散って…



あろうことか、トムの斜め後ろにいたバーテン服の男のベストにぶっかかった。



「あ」



それを見たトムは弾くようにその場を離れ、咄嗟にビルの影に隠れる。

「………俺の大事な服を…」

ブチリ、と血管の切れる音。

静雄はわなわなと震えた右手でぐんと男のネクタイを引っ張り、

そのまま左手は背広の裾を持って両手で軽々と男を頭上に持ち上げた。



「酒まみれにしてんじゃねぇぇぇぇえええええ!!!!!」



砲丸投げのように男の体を勢いよく放り投げる。

投げられた男は居酒屋のゴミ箱に直撃して、生ゴミに埋もれたままピクリとも動かなくなった。

そろそろいいかな、とトムはビルの陰から顔を覗かせる。

「タチ悪ィなぁ、最近の酔っ払いは」

「…酒の匂いって洗って落ちますかね?」

いっきに熱が冷めた静雄は濡れたベストを見て目を細めた。

「クリーニングに出すのが無難じゃね?」

「ちッ…クリーニング代請求すりゃよかった」

ぶつぶつ文句を言いながらゴミに埋もれている男をじろりと睨む。

そこで漸く、何が起こったのか分からず困惑している女にトムが声をかけた。

「嬢ちゃん大丈夫か?この辺ああいうオヤジ多いんだからあんま裏通り歩くんじゃねーよ」

「あ、はい…すいません…」

女はトムにぺこりと頭を下げ、顔を上げて隣にいる静雄を見上げる。


「あの…助けてもらうの、2回目ですね」

「え?」


ベストの濡れた部分を気にしていた静雄は、女の言葉に顔を上げて目を丸くした。

「…どっかで会いましたっけ」

単純に女に見覚えがなかった静雄は女の顔を見て首をかしげる。

女はふふっと笑い、バッグから定期入れを取り出した。

「ほら、今朝看板持ち上げてくれたじゃないですか」

女が出した定期入れと「看板」という単語で静雄はようやく今朝のことを思い出した。

絡んできたヤンキーに看板をブン投げて、

その看板の下敷きになった定期入れを取ろうとしている女がいて、

自分がその看板を持ち上げて定期入れを取ってやったことを。

「…………あぁぁー…」

「え、知り合い?」

「や…知り合いっていうほどでも…」

興味津々という具合に口を挟んできたトム。

静雄は頭を掻きながら言葉を濁す。

「やっぱり力持ちなんですね」

女は静雄を見上げ、今朝と変わらない柔らかい笑顔を浮かべた。

怖がるどころか関心している女を見て2人は呆気にとられている。

(静雄の力見て怖がらない女は…初めて見たな)

トムの知る範囲では。

「…あークソッ…酒臭くて気持ち悪ィ…」

静雄は再び眉間に濃いシワを刻み、ベストのボタンを開けてパタパタと仰ぐ。

安いカップ酒の嫌な臭いがシラフの今は不快でしょうがない。

「あっ、クリーニング代私が出します…!」

女はハッと我に返り、慌ててバッグから財布を取り出そうとする。

「あぁいや…気にしないで下さい。家にまだ替えあるんで」

「脱いどかねーと、シャツにまで臭いつくんじゃね?」

「あぁ…そっか」

トムの忠告を素直に聞き、静雄はしぶしぶベストを脱いだ。

そんな様子を見ていた女は思いついたように顔を上げる。



「…あの、もしよければそのベスト私に洗濯させてもらえませんか?」



「え?」

女の意外な提案に静雄は目を丸くした。

「いやそこまでは…」

「元を正せば私のせいだし…それに私、クリーニング屋でバイトしてたことあるんです。

 せめてクリーニング代替わりのお礼に」

さすがに戸惑う静雄だが、人差し指で自分を指す女の表情には一切の邪心が感じられなかった。

静雄は素直な彼女の申し出に珍しく困ったような顔をして頭を掻く。

そんな空気を察したのか静雄の代わりにトムが口を開いた。


「……して貰えばいいんじゃねぇのか?クリーニング代浮くし」


助け舟を出してキレられたら元も子もないのだが、今の静雄の状況を見るに落ち着いているようだったので

トムは女の提案を呑むように示唆してみた。

静雄は頭を掻きながら腕にかけていたベストを見る。


「………じゃあ、頼んます」


決心したように顔を上げ、黒いベストを女に差し出した。

女は「はい」と返事しながら柔らかく笑い、両手で優しくベストを受け取る。

「多分、明日には仕上がると思います。明日のこの時間…この辺り通りますか?」

「あぁ俺らの職場すぐそこのビルなんで、この辺りは毎日通ります」

静雄はそう言ってすぐ傍の雑居ビルを指差した。

「じゃあ、明日のこの時間ここに持ってきます。

 あの…お名前、聞いてもいいですか?」

「平和島です。平和島静雄」

「平和島さん、私はっていいます。

 それじゃあ明日のこの時間にまた。今日は本当に、何度もありがとうございました」

と名乗った女はにこりと笑い、2人に向かって頭を下げる。

そして今朝のように時計で時間を気にしながら駅の方向へ駆けて行った。


「…………自分で提案しといてなんだけどさ」


彼女の後姿を見送りながらトムが口を開く。

静雄は首をかしげてトムを見た。

「正直ホントに頼むとは思ってなかったわ」

無責任な言葉だったが、それは本音だ。

だが静雄はその言葉に特に苛立つこともなく、スラックスのポケットに手を突っ込む。

「…まぁ、キレる要素もなかったし…なんつーか…全く悪意がなかったじゃないすか」

「だなぁ。怖がりもしねーし、感じのいい子だったな」

トムはブチ切れた静雄を怖がりもせず洗濯を申し出てきた彼女も驚きだったが、

初対面の彼女の申し出を素直に飲んだ静雄にも驚いていた。

確かに静雄は怒らせるようなことを言わなければ物静かな性格だし、純粋な好意を邪険にするような男ではないのだが。


(…これであっちが下心見え見えだったらブチ切れてたんだろうな…)


彼女にはそれが感じられなかったことはトムも分かっている。

静雄の外見だけならまだしも、彼の力を間近で見ても尚彼に近づいてくる人間は少ないからだ。

だからこそ、珍しいケースだった。



To be continued