30%増量トランキライザー










「…すいません」


池袋最強を誇り、自動喧嘩人形の異名を持つ男、平和島静雄は平謝りしていた。


信頼する先輩にでもなく、懐の広い社長にでもなく、

物損してしまった店のオーナーにでもなく、

たった一人の女性に対して。


「…や、別にいいんだよ。私が自分で買った車じゃないし。

 ただ、今日私はどうやって帰ったらいいのかって話」


女性は腕を組んで不機嫌そうな困ったような、微妙な表情を浮かべて歩道の脇に停めてある一台の高級車に目をやった。


真っ白なポルシェの天井に道路標識が垂直に突き刺さっているのだ。


へしゃげた軸が頑丈な天井を貫き、進入禁止の青いマークが車から生えているような絵面になっている。

もし後部座席に人が乗っていたら一緒に串刺しになっていただろう。

新品同様のポルシェは彼女の年齢で持つにはかなり不釣り合いに見えたが、

彼女自身が先ほど言った通り、この車は彼女が自分で買ったものではないらしい。


「ほんとすいません、さん」


静雄は再び頭を下げた。

池袋中から恐れられる男に2度も謝罪をさせた当人・は「もういいよ」と言って静雄の肩を叩く。


「まぁ、なんだ。お前乗ってなくてよかったよな」


その横でトムが助け船を出した。

「あーまた静雄が暴れてんなぁ今度は何かなぁって好奇心で車降りたのが正解だったわけだ。

 いいよ、こんな悪趣味な車こういう時のアシじゃなきゃ乗らないっつーの」

はそう言って無惨な車のナンバープレートを軽く蹴った。

車内のミラーが白いファーで装飾され、後部座席に高そうなクッションが並べられた高級車も

彼女にとってはただの客から貰った厄介なものでしかない。

の夜の勤め先と静雄たちの事務所が近いことからいつか火の粉が飛んでくるのではと思っていたが、

タイミングよくが先日客から贈りつけられた車に災難が降りかかるとは。

所詮お前はこうなる運命だったんだよ、と高級車に話しかけてボンネットを撫でる。


「天井に穴開いてるだけだから運転は出来そうだけどな」

「やだよ恥ずかしい。廃車にするいい口実になったし、明日ディーラーに連絡しちゃおっと」


見事に車に突き刺さった標識を見上げて感心するトムだが、は既に車に興味はなかった。

「静雄、もう車はいいから家まで送ってくれない?」

「あ、はい。でもさんのマンションって南口のすぐ側ですよね?」

ここは南口からほどない歓楽街の一角だ。

彼女の住むマンションまで徒歩10分もかからないはずなのだが。

静雄が首をかしげるとトムが横歩きでやってきて静雄の肩に手を乗せる。

「ここは何も言わず送っとけって。女は怒らすと厄介だから。時間も時間だし危ねぇだろ?」

「いや…車壊したの俺なんでちゃんと送りますけど…」

何故か声を潜めるトムに再び首をかしげながら携帯を開いて時間を確認する。

そろそろ日付が変わろうとしていた。

「まだ1人回収出来てないんすよね?」

「あぁ、500万も借りといて一銭も返さず遊びまくってるってんだから笑えるよな」

トムはそう言って頭を掻きながら携帯で取立先の情報を確認する。

「名前は割れてんだが何回家行っても留守だからな…いいや、これは明日にすんべ」

「大丈夫っすか?」

「ああ、お前早いとこ送ってってやれ」

後でうるせーから、とぼやくとが離れたところから「何か言った?」と睨みつける。

「タダでとは言わないよ。明日昼のバイト先来てくれたらポテトつけてあげるよ?」

「…俺ら夜もマックだったんだけどな」

まぁいいかと頭を掻き、トムは閉じた携帯をスーツのポケットに押し込んだ。

「んじゃ俺は帰るわ。お前らも気を付けて帰れよ…って、静雄がいりゃ心配ねぇか」

手を振って雑踏に紛れて行くトムを見送り、2人はその反対方向へ歩き出す。

百貨店や飲食店のシャッターは下りているが繁華街のネオンは煌々としていて、

と同職と思われる男女やその客の姿が多く見られた。

「あの車、客から貰ったんすか」

「うん。ウチの店ガールズバーなのにキャバクラと勘違いしてるらしくてさぁ…

 女の子とお喋りしたいならそっちに行けば可愛い子いっぱいいるのに」

欠伸をしながら元も子もないことをさらりと言って退ける。

それは単純にその客が彼女を気に入っているから通いつめているのだろう。

静雄はそう思ったが口に出したら彼女が嫌がりそうなのでやめた。



2つ年上、トムと同級生の彼女に初めて会ったのは1年ほど前だ。

借金を繰り返している男がガールズバーに出入りしていると聞き出待ちして話を聞こうとしていたのだが、

会話が成立して3分後、店先の自販機が宙を舞う。

男は痺れを切らした静雄が投げた自販機を紙一重で避け、池袋最強の手を逃れようと夜の街に駆けだす。

静雄が手近な道路標識を掴んでそれを追おうと走り出した瞬間、


『あっ』


右足が何か踏んだ、と思うと同時に近くから女の短い声が聞こえた。

その声よりも右足の感触に違和感を感じた静雄は立ち止って足を上げる。

右足の下には金色をした鎖状のものが落ちており、途中数か所で途切れて粉々になっていた。

女物のブレスレットだと気付いたのは標識を置いて数秒後だ。

静雄は足元を見下ろし、声を発した女の方を向く。


『……すいませんこれもしかしてアンタの…』


若い女はしばらく唖然と静雄の足元を見つめていたが、すぐに苦笑して首を振った。


『…さっき別れたばっかりの彼氏に貰ったものだったから…いいや。せいせいした。

 捨てて自分で踏みつけてやろうと思ってたら君が代わりに踏んでくれたよ』



『ありがと』




人の物を壊して礼を言われたのは初めてかもしれない。

「でも、」と静雄が言うと女は「いいのいいの」と笑う。

代わりに売り上げ貢献してよ、とマックのクーポン券を渡して。


その後彼女はトムの高校時代の同級生だと知り、

夜のバイト先であるガールズバーと静雄たちの事務所が近いことも知り、

池袋という狭い街で何度か顔を合わせるうちに自然と親しくなった。

「高校の時田中から話きいてどんな屈強なんだろうって思ってたら案外カッコよかったからびっくりした」

彼女はそう言って笑う。



「そういえばまだ回収できてない奴、近所なんでしょ?

 顔と名前分かんないの?ウチ色んな人来るからひょっとしたら分かるかも」

スクランブル交差点の信号を待ちながらは静雄を見上げる。

「あー…いや、今朝トムさんに写真見せられた気ィするんですけど…

 俺人の顔と名前覚えんの苦手なんで…」

「あはは、私も夜のバイト始めたての頃は苦労したよ」

お得意さんは似顔絵描いたりして覚えたっけ。そう言って笑いながら信号が青になった横断歩道を渡った。

バーテン服の長身な男と仕事用の綺麗な服を着た女が並んで歩く様は絵になっていたが、

男の正体を知る街の人間はなるべく関わらないようにそそくさと道を開けていく。

「ねぇ静雄、明日……」

横断歩道を渡りきって再びが顔を上げると、1人の男が後ろから駆けてきての手を引いた。

はぎょっとして肩にかけていたバッグを落としてしまう。



「何で今日車乗ってないんだよ!」



男は2人の前に立つなり肩で息をしながら怒鳴ってきた。

スーツ姿の一見真面目そうな中年の男だ。

はバッグを拾いながら訝しげに男を見る。

同時に静雄はこの男が彼女に車を贈った客なのだと理解した。

「廃車になったから乗れないの」

答えることすら面倒なのかは溜息をつきながら簡潔に事実を述べる。

「廃車って…買ったの1週間前だぞ!?」

「でも廃車なの。事故っちゃった」

悪びれる様子もなく言うを前に男の顔がみるみる赤くなっていくのが分かる。

静雄は「廃車にしたのは自分です」と言いかけたのだが


「いくらしたと思ってるんだ!?500万だぞ!?借金までして!!

 昨日も借金取りが家に来て居留守使うの大変だったんだ!!」


……ん?


は眉をひそめる。


借金500万…

でもその割に昨日もウチの店に来たし…


『500万も借りといて一銭も返さず遊びまくってるってんだから笑えるよな』


トムの言葉を思い出し、「あ」と口を開けて横の静雄を見上げる。

さすがに静雄も気付いたようで片眉をひそめて1歩前に出た。


「…おいちょっと待て」


が反論する前に静雄が口を開く。

「惚れてる女に贈ったモンを壊したことは…まぁ、謝る。

 だがそれを買うために借金して一銭も返さずにガールズバーで遊ぶっつーのはどういう神経なんだ?あ?」

静雄はまだ辛うじて冷静さを保った状態で男に声をかけた。

クラブの客寄せだと思っていた男が急に妙なことを言いだしたので、相手の男は目を白黒させている。


「…何だお前…バーテンは黙って……」


ダブルパンチだ。

…こいつにとっての。


はそう思って1歩後退する。

するとそれを見計らったように静雄がのいた位置に腕を伸ばし、

たまたまコンビニ前にあったポストの投函口に指をかけてひょいと持ち上げた。

コンクリートに埋まっていたポストはいとも簡単に引っこ抜け、静雄はそれを肩に担ぎながら更に男に近づく。


「…借金取り立ててそれで給料貰ってる俺が言う台詞じゃねぇが…

 女に贈るモンぐらい手前で稼いで買うってのが筋ってモンだろうが…っていうか借金返しやがれェェえええええ!!!!」


正論を叫びながら振りかぶったポストを勢いよく放り投げるという理不尽な行動をとる静雄。

男が背を向けて逃げ出した時にはもう遅い。

轟音と共にポストの中身がひらひらと宙を舞ったが、時間帯もあってさほど数は入っていなかった。

は男を追いかけて行く静雄の姿を見つめながら地面に落ちた郵便物を拾う。

これらを弁償する彼の事務所の社長を尊敬しながら、静かな夜に轟く怒号の主も同じように尊敬した。





「よかったね。取り立て終わって」

「…なんか、すいません。俺が車壊したから…」

「いやいや、結果オーライだよ。アシはなくなっちゃったけど必ず必要ってわけでもなかったし」

トムに連絡を入れて男を引き渡し、2人はとりあえず無事にのマンション前まで来ることが出来た。


「もしかして、車使ってたのってああいうのに絡まれるからだったんすか」


予想外な静雄の言葉には目を丸くした。

鈍いくせに妙なところ鋭いんだよな、とすぐに苦笑して頷く。

「ごめんね、なんか追い払うのに利用したみたいになっちゃって」

「いやもっと早く言ってくれれば…」

そう言いかけて静雄は言葉に詰まる。

用心棒ぐらい買って出るのに、とでも言いたかったのだろうか何様だ自分。

そう思うと口に出したわけじゃないのに恥ずかしくなって頭を掻くことしか出来なくなる。


「…なんか、ありそうな時は…人避けぐらいにはなると思うんで」


控えめに言い直したつもりだったが今度は逆に言葉足らずになってしまった。

はそんな静雄を見上げてふふ、と笑う。

「そんな自虐的に売り込まないの」

信用してるよ、と長い腕を2、3度叩く。


「明日の昼マックに来てよ。ポテトつけてあげる、30%増量で」


それを聞いた静雄は頭から手を離し、僅かに首をかしげて小柄な彼女を見下ろす。

「…30%って…どんくらいっすか」

「……ええと…Mサイズがこれくらいだから…こんぐらい?」

も首をかしげて両手でポテトのサイズを推測し、親指と人差し指でおよそ30%を表してみせた。

計ったことないから分かんないや。

自分で的確すぎる数字を出しておきながら無責任にへらっと笑ったので、静雄もそれにつられて笑った。


「送ってくれてありがと。じゃあ明日ね」

「はい。おやすみなさい」

「おやすみ」


マンション入口の自動ドアを通りロックナンバーを入力して更に奥のドアを通るまで見送っていると、

エレベーターに乗る前にもう一度外を向いて手を振ってきた。

静雄が煙草を取り出した右手を軽く上げて振り返すと安心したようにエレベーターに乗って行く。

静雄はそれを確認してマンションの前を離れた。

銜えた煙草に火をつけながら携帯を取り出すとトムからメールが来ている。

捕まえた男から無事金を回収できたという報告と、明日は昼飯食ってから動こうという予定が書かれていた。

メールの最後に「昼飯どうする?」とある。

吸いこんだ煙草の煙を吐き出しながらメール画面を開いて返信を打ち始めた。



マックがいいです。



簡素すぎるメールを返し、閉じた携帯をベストのポケットに押し込んで、上昇していく煙を見上げるように空を仰ぐ。

都会の荒んだ夜空を覆うのは雨雲なのか汚れた空気なのか分からないが、

そんなことはどうでもいいやと思える程静雄の心は晴れ晴れしている。


天井を標識で貫いた高級車も、不躾で空気の読めない男の顔も、とても新しい記憶なのに

増量したポテトとそれを渡す店員の姿を想像するだけで端々から薄れて行くような気がした。

(いや実際何かを記憶するのは苦手だから片っ端から忘れていくんだけど)





「…マックなに食うかな」







「お前のポテトなんかスゲー多くね!?」

「30%増量だそうです」

「30%どころじゃねぇだろ…溢れてトレイに落ちてんじゃねーか」





シズちゃん年上趣味が判明してから年上で書こう!と思ったら案外書きやすかったです。
多分シズちゃん敬語だと口数少ないからだな…(笑)
ポルシェの新車は500万じゃ買えないから中古だと思います。
ガールズバーとキャバクラの違いがいまいち曖昧だったんですが、
ガールズバーはバーテンダーが女性なんですね。素敵!