緋が見るもの








ちゃん!ちょっ…、待って!」

夕暮れの屯所に騒がしく響く声。

本来静かに気配を消していなければならないはずのその男は、自分の役職も忘れて大声で数メートル先を歩く隊士を呼んだ。

競歩で廊下を進むは監察方・山崎の制止など全く聞かず、辺りをきょろきょろと見渡して誰かを探しながら歩いている。

ふわりと揺れる横結いのポニーテールと華奢な後ろ姿。

だがその表情は険しく、まさに鬼の形相ですれ違う隊士たちをビビらせていた。

「待ってってばちゃん!話聞いて!!」

山崎が必死に追いかけるも虚しく、は廊下の突き当たりに目当ての人物を発見し、速度を速めてつかつかとその隊士の背中に詰め寄った。

後ろから追いかけていた山崎がそれに気づいて「あ」と口を開いた時には既に遅く、

気配を察して振り返った隊士の胸倉に勢いよく掴みかかっていた。

その男と一緒に歩いていた同じ一番隊の神山も驚いて振り返る。


「……何しやがんでィ」


ワイシャツごとスカーフを掴まれた総悟はさして驚くことなく、冷めた目付きでを睨んだ。

幾分身長の高い男を見上げ、も負けじと睨みつける。



「…それはこっちの台詞だよ。何してんだお前」



隊士の中でこの男の胸倉を掴める人間など局長と副長を除けば彼女ぐらいだ。

総悟はスカーフを掴む白い手を見下ろし、緋色の視線を息巻くへと移す。



「何を言ってるのかさっぱり分からねーな。離せ、暑さで頭おかしくなったのかィ?」

「野郎ってのはどうして皆いい格好しぃなのかね。ほとんど一人で片付けて後処理しやがって…何のための隊だっつんだよ」


ぎちりとスカーフを掴む手に力が入ると喉仏が締め付けられたが、総悟には何ともないことだった。

小さい頃から何度も胸倉を掴み合って喧嘩してきたが、今回は喧嘩というレベルではない。

総悟の横にいる神山との後ろにいる山崎はそれを止めようにも止められず、わたわたとうろたえるしかなかった。

沸騰寸前のに対し総悟は表情1つ変えずに浅い溜め息をつく。



「何の話だ」



それを聞いて一気に沸点に達したは掴んでいた胸倉を離し、拳で総悟の胸を突き飛ばした。

軽い体の突きでは大したダメージはなかったが上体が少し仰け反る。



「何であたしに言わなかったっつってんだ!!」



廊下に響いた怒鳴り声に隊士たちが振り返る。

総悟は乱れたスカーフを直しながら二度目の溜め息をついた。

鼻息荒く総悟を見上げるの瞳孔は完全に開き、こめかみに血管が浮き出ているのが窺える。

気の短い彼女には珍しいことではないが、それが仲間に向けられるのは極めて珍しいことだった。

総悟はそれを知りながら怒りの感情に感化されたりはしない。


「……言う必要があったか?」


「言わない必要があったか!?」


「テメーの性分じゃうっかりポロッと他言しちまうのがオチだ。機密事項なんざ柄じゃねーだろ。しゃしゃり出てくんな」


そう言って右手でシッシッと追い払う仕草。

「柄じゃねーのはそっちでしょ。部下と女子供守って一件落着ってか?随分いい子ちゃんになったじゃないの」

さんそれは…!!」

「テメーは黙ってろ!」

見兼ねて駆け寄ってきた神山を大声で制止する。

いつになく怒りに満ちた横顔を見て神山はそれ以上何も言えなくなってしまった。


「…誰が殺ったとか誰の為だったとか、んなことはどうだっていいんだよ」


「アンタがあたしに黙ってたことが胸クソ悪くてしょうがねぇ」


恨めしそうに総悟を睨むは奥歯を食いしばって震えた声を絞り出した。

総悟はそんなの勢いを受け流すように肩をすくめて鼻で笑う。

「お前が俺のなんだってんだ。彼女気取りか?」

「そうじゃねーだろ!」


「あたしが…っあたしが何の為に一番隊にいると思ってんだ!!」




"近藤さん"




怒鳴るを見て総悟は随分昔のことを思い出した。




"隊の編成のことなんですけどまだ決まってねぇんなら、アイツ俺のとこ入れちゃーくれませんかね?"




そう告げた時近藤は一瞬目を丸くしていたが、すぐに笑って「分かった」と言っていた。

「アイツもどうせならお前の下がいいと言っていたよ」と言い加えて。



"俺はアイツの面倒見るのなんか御免でさァ。ただアイツを扱きてぇだけです"



結果として、真選組が江戸で活動するようになってからはずっと総悟の部下でい続けている。

伊東の一件で隊を再編成した後も、ずっとだ。



「…知らねーな。嫌なら抜けりゃいいだろ。テメーみたいな厄介モンを抱えるのもうんざりしてきたところだ。

 こないだ十番隊に行きてーとか言ってただろ。原田にゃ話つけといてやるよ。他の隊に移っちまえ」


「………ッ」


逆上したはその右手を腰の柄にかけた。


「っさん!!」


横にいた神山が思わず後ろからそれを押さえ込む。

だがそれは神山の片腕の腕力では押さえ切れず、神山は少女の手を慌てて両手で押さえ直した。

細いがしっかりと筋肉のついた腕はそれ以上執拗に力を入れることはなく、当然だが本気で目の前の隊長を斬り込むつもりではないらしい。



「……、あたしは……ッ」




顔を伏せ、歯を食いしばるの足元に小さな水の粒が一滴落ちたのを総悟は見逃さなかった。

総悟はそれを見て僅かに目を見開く。



"アイツの泣き顔初めてみたのは"



はそれは3人に見られまいと必死に歯を食いしばり、歯茎から血が出そうなほど顎を震わせている。

恐らく、総悟しか気づいていないだろう。


てめーのことじゃ一度も泣かなかった奴が、

他人のことじゃ馬鹿みてェに泣くんですよ。



『…こんな時に勝手だけど…』

『そーちゃんをお願いね……』



"アイツはてめーの大事なモンの為に泣く奴なんでさァ"




………もういいっつんだ。
・ ・
あの時だけで十分だ。

俺のことで泣くなんざ柄じゃねーくせに。





「……アンタがどんなド変態のドSだろうと…どんなタチ悪い性悪だろうと、

あたしはアンタの部下でいたことを後悔したことなんか一度もない」





僅かな涙が乾いてから顔を上げ、総悟を見上げる

それを聞いて目を見開いたのは総悟ではなく横にいた神山と山崎だ。

自分たちより前から道場にいる二人がどのような関係を築いて今に至るのかは知らないが、

普段は上司と部下というより気が合わない悪友のような印象がある。

少なくとも、の口から隊長を敬うような言葉を聞いたことはなかった。


「ウダウダ言ってないで黙って部下に尻拭いされてろってんだ。アタマ空のくせに変なとこばっか悪知恵働かせてんじゃないよ」


右腕を押さえている神山の手を振り払い、ようやく落ち着いた様子で言う。


「…テメーにケツ拭かれるほど落ちぶれちゃいねぇ」

「勝手に言ってろ。こっちも勝手に尻拭って勝手に守ってやるから、知らないうちに勝手に守られてろ」



「アンタにはその価値がある」



そう言って総悟を睨みつけ、その横をスタスタと通り過ぎていった。

神山と山崎はしばらく呆然と口を開けてその後ろ姿を眺めていたが、我に返った山崎が慌ててその後を追う。

総悟も遅れて振り返り、の背中を見た。


「お前が守るのは近藤さんだけじゃなかったのか?」


その言うとはぴたりと立ち止まって勢いよく振り返る。


「隊長守るのは部下の役目だ。ダチ守るのだって同じだ。悪いかゴラ」


そう言うと再び向きを変え、ずんずんと歩を進めて部屋に戻っていく。

総悟はそれを見ながら深い溜め息をつき、面倒くさそうに頭を掻いた。



「…いつテメーとダチになったってんでィ」



同じ職場にいる以上仲間に違いはないだろうが、いくら1つ屋根の下で生活していても家族ではない。

増してや兄弟でも、恋人でもない。

ただの腐れ縁で同い年の幼なじみというだけだ。

…ならばダチで十分だとあいつは言うのだろう。






「………つくづく面倒くせぇ女だ」







本誌が真選組でシリアスをやったらとりあえず便乗しとこうと思って書きました。
っていうのは建前で総悟にときめいたからです(笑)怒鳴りっぱなしヒロイン。
この子が総悟と絡んで穏和でいた試しがないです。