ササラモサラ










「かぶき町で一騒動あったらしい」


「ほら、あの四天王の」


「ここしばらく停戦状態だったって話だが」


「何でも溝鼠組の連中が…」


「娘?そんなんいたのか?」


「死人が出たんだろ?」


「え?助かったんじゃないの?」





「スナックのバーさん」






は原付をとばしていた。

ステッカーをべたべた貼ったヘルメットを目深に被ってゴーグルを装着し、

背中につきそうな金髪を靡かせてかぶき町を目指す。

こういう時は改造した原付が役に立つ。

時折サイドミラーでパトカーが来ないことを確認して、更にグリップを回してアクセルを開けた。

赤信号に変わるギリギリで交差点を通過し速度を上げると、それに対抗するように隣の車線を走る一台のリムジンが近づいてきた。

ガラスにスモークのかかった明らかにアチラの世界の住人が乗る車。


「えらいとばしてはんなァ」


助手席の窓が開いて1人の男が顔を出す。

は横目で男を一瞥して再び前を見るとリムジンを追い越そうと更にグリップを捻った。

「ちょ、ちょ、無視はないやろ!わしとアンタの仲やないか!ちゃーん!!」

顔を縦断する傷を歪ませ、顔を出した男・勝男は慌てて窓から身を乗り出す。

「見りゃ分かんだろ、今急いでんだ。進路妨害すんならその高そうなリムジンに突っ込んだっていいんだよ」

「どうせお登勢のとこに行くんやろ?それ以外にアンタがかぶき町に来る理由がないわな。

 そない急がんでも大丈夫や、ちょっとわしと話しまへんか」

リムジンは車線変更しての前に入り少し速度を落とす。

は歩道とリムジンの間に入り込むと首に引っかけていたヘルメットを取ってベルトを持ち、

そのまま助手席に向かって勢いよくスイングさせた。

「あっ兄貴ィィィィィィ!!!!!」

堅いヘルメットは勝男の顔面を直撃し、慌てた運転手が車を停止させる。

は数メートル先でようやく停止して片足を地面についた。

「何してくれとんじゃこのアマァ!!」

「兄貴はなぁ、まだお嬢に刺された傷塞がっとらんのやぞ!!

 生まれたてのバンビ以上に繊細なんや!どう落とし前つけてくれるんじゃワレェ!」

一緒に乗っていた組員が車を降りてに詰め寄る。

も原付を降りてゴーグルを上げると、懐から取り出したものを勢いよく真横の電柱に向かって突き刺した。

ゴッ、と物凄い音がして太い電柱に亀裂が走る。

固いコンクリート製の電柱に刺さっているのは割り箸で作られた松居棒。

コンビニで弁当を買うとついてくる普通の割りばしで作られた掃除用具も、電柱に突き刺さってしまえばどんな名刀にも勝る。


「急いでるっつってんだろうが聞こえなかったのか?あ゛ぁ?

 溝鼠だかハツカネズミだか知らねぇが邪魔するならその汚ェ腸引き千切って猫に食わすぞ」


端正な顔立ちが一転、瞳孔がかっ開くと額に筋が浮かび上がる。

女のものとは思えない低い声とそのオーラにプロの極道である組員たちが気押されてしまった。

過去堅気の人間でなかったにしても、所詮は江戸という狭い街のレディースチームをまとめていたヤンキーに過ぎない。

その悪名の轟き方、恐ろしい程の働きぶりは耳に届いていたが、

それでも自分たち極道に敵うほどのものではないと思ってきた。

増して足を洗って数年、警察関係者となりその牙は削がれたものだと思っていた。


だが違う。


目の前にいる女は、これまで同職の人間でも数える程しか目にしたことのない表情をしている。

静かで冷ややかでありながら見つめられた本人は全身が熱く燃えてしまいそうになる。

一瞬でも目を逸らし動けばそれが着火合図になってしまいそうな、額を伝う冷や汗さえ蒸発してしまいそうな、

長い金髪から覗く鋭い眼光は相手に向けるだけで相手に確かな恐怖と殺傷力を植え付けている。

組員たちは「何で松居棒!?」と思いながらもその迫力にたじろいだ。



「…相変わらずやなぁちゃん」



しばらくのびていた勝男がむくりと起き上がって車を出てくる。

乱れた前髪をきちっと七三分けに直してふらふらと近づいてきた。

「足洗ってこの町出てってから気ィ抜けた炭酸みたいや思っとったが…

 やっぱりわしの目は正しかったっちゅーわけやな。昔粘って口説いとくんやったわ」

「しつこいぞお前。何度言われようとあたしは極道妻になるつもりはねぇっつったろうが。

 あたしはテメーらみたいに暇じゃねーしミカジメ料で楽して稼いでねぇんだ。昔話してェだけなら帰れ。

 治りかけのその傷ぱっくり開いてやろうか?」

「ここは穏便に行こうや。騒動がようやく沈静化して町も落ち着いてきたところやねん。

 わしも病み上がりやし、あんたも警察関係者の身でわしらと揉めんのは都合悪いやろ?」


勝男は両手を胸の前に上げて静かに首を振った。

警察が暴力団の存在を知りながら事件が起きるまで関与しないのは、彼らもまた闇社会の均衡を保つことにおいて欠けない存在だからだ。

さすがにもそれは分かっている。


「…あたしはかぶき町がどうなろうと知ったこっちゃねぇよ。

 くだらねぇ縄張り争いも、老いぼれ共の因縁も興味はない。…あの女狐の正体もな」

「なんや全部知っとんたいかい。さすが、警察関係者は情報回んの早いなぁ」

「真選組の連中は知らないと思うよ。あたしも昔の仲間に聞いて知ったから」


は電柱から松居棒を引っこ抜き、懐に納めた。

「心配しなくても昔みたいにあんたらのシマで暴れようなんて思っちゃいねーよ。

 もういいだろ、見舞いに行くんだ。邪魔すんな」

そう言って再びヘルメットをかぶり原付に跨る。




「見舞いやったら病院やのうて店の方や」




後ろで勝男が口を開いたのでそのままの姿勢で顔だけ振り返る。

「退院してもう店開けてるらしいで。まったく元気な年寄りは加減っちゅーもんを知らんな」

勝男はそう言って組員に「行くぞ」と声をかけ、リムジンに乗り込んで行った。

発進して横を通り過ぎて行く長い車を目で追いながらも原付のエンジンをかける。

大きな病院からかぶき町の病院に移ってきたと知り合いに聞いたから病院に行こうと思っていたが、

目的地がスナックお登勢へ変更になった。

そうと決まれば急がなくては。

だが走って間もなく左手の歩道に見覚えのある後姿を見つけた。

くるくるの銀髪

特徴のある着方の着物

腰にぶら下がった木刀



「よォ」



スピードを上げ切らないまま減速して歩道に寄せると気だるそうに歩いていた男は立ち止った。

「あぁ…いつかのヤンキー掃除婦」

「このまま家帰るんだったら乗れよ。あたしもスナックに用がある」

自分がかぶっていたヘルメットを差し出しながら後ろの席を顎でしゃくってみせる。

この間の借りもあるし、と思ったがそれは言わなかった。

「マジでか?俺の原チャ壊れてて修理中なんだよ」

じゃ遠慮なく、と言ってヘルメットを受け取り、ジャンプの入ったコンビニ袋を手首に引っ提げて後ろに跨る。

銀時が腰を落ち着かせたのを確認しては再びアクセルを回した。


「…スナックに用ってことは、騒動のことは粗方知ってるみたいだな」


緩やかに速度を上げていく原付で風にかき消されないように、銀時は少し大きな声でに話しかけた。

「だいたいな。でも別に興味はない」

「聞いたぜ。なんかガラの悪い女共が後始末手伝ってくれたって」

「昔の知り合いに声かけただけだよ。あたしは行ってない」

この男と一緒なら別に急ぐ必要もないか、と今度は赤信号でしっかり停止した。

というか、大の大人2人乗りではなかなかスピードも出ない。

信号待ちの静寂、はゴーグルを直しながら少し後ろを向いてゆっくり口を開く。



「………バーさん、助けてくれてありがとう」



言われることを予想していたのか、銀時はあまり表情を変えずにの背中を見る。

そしてボリボリと頭を掻きながらバツが悪そうに遠くを見つめた。

「…あんなん助けた内に入ってねーよ。どんだけ重傷だったと思ってる」

「それでも生きてりゃ助かったってことだ。お前だって軽傷だったわけじゃないだろ」

は黒い上着の下に覗く胸の包帯を見逃していなかった。

信号が青になって再び原付はゆっくりと加速していく。


「…お前もあのバーさんの世話になったクチか?」

「馬鹿やってた頃何度か飯食わせてもらっただけだよ。

 世話とかそういう大したモンじゃない」


住む場所がなくなって、仲間の家を転々としながらそれでも行き場所がない時は野宿をしたこともあった。

そういう時は決まって対立していたチームと出くわして、夜通し暴れてフラフラでその辺に情けなく転がっていたこともある。




"ちょいと。邪魔だよアンタ"




初めて声をかけられたのはあの店の勝手口、ゴミ捨て場の辺りに座り込んでいた時だ。

煙草を銜えた目つきの悪い初老の女が裏口から顔を出してこちらを見ている。


『…るせぇなババァ見てんじゃねーよ…殺されてーのか』


いつもの調子で睨みつけたが女は全く怯まなかった。


『くたばりそうなのはそっちじゃないのかィ。ボロボロだよ』

『…っせぇんだよ黙れクソババァ!!』


壁に掴まって立ち上がると、路地の向こうから自分を探す敵対チームの声がした。

やばい見つかる。

ちっ、と舌打ちしてその場を離れようとすると女に腕を掴まれた。


『、何だよ!離せ!』

『店の前で騒がれちゃ迷惑なんだよ。こっち来な』


骨と皮だけの細い手だったがその力は意外に強く、はそのまま裏口から店の中に引っ張り込まれる。

女が裏口の戸を閉めたところで我に返ってその手を払った。

ドアの向こうで足音と声が聞こえたから恐らく連中は気付かずに通り過ぎたのだろう。


『何のつもりだババァ!』

『あんた、最近ここらで暴れてる大江戸レディースのモンだろ?』


小じんまりとしたスナックの店内は営業前でまだ薄暗く、

正面の入口にはまだ内側に暖簾がかかっている。

何食わぬ顔でカウンターに回り作業を始めた女の顔を見ては気付いた。


(……このババァ…確かかぶき町四天王の……お登勢…?)


四天王の存在は勿論知っていた。

江戸を拠点とするチームはみな、その四勢力と衝突しないようにと細心の注意を払って行動している。

元攘夷志士の鬼神、賭博場を牛耳る孔雀姫、町内最恐溝鼠組組長、そしてかぶき町の女帝。

一人でも敵に回そうものならチームを潰され兼ねないと、もメンバーに度々注意してきた。

そんな四天王の一人がこんなしみったれたスナックのママだと?

が目を細めているとお登勢は手早く作業を済ませ、カウンターに何かを置いた。


『………んだよこれ…』


木製のカウンターに出されたのは米と味噌汁、そしてきゅうりのぬか漬け。


『あんた痩せすぎだよ。ちゃんと食いな。開店前でこんなもんしかないけどね』

『…っいらねぇよこんなモン!気持ち悪いんだよ!!』


カッと頭に血が上って味噌汁の入った椀を右手で弾き飛ばした。

熱い味噌汁が飛び散って手にかかったが気にはならない。

具の豆腐とワカメがカウンターに汚く落ちた。

お登勢は表情を全く変えずに着物の袖から煙草を取り出し、火をつけてゆっくりと煙を吐き出す。


『…あんた、親の作ったモンを食ったことがないんだね』


フーッと吐いた煙が薄暗い店内の視界をいっそう悪くする。

可哀相に、とでも言いたげな表情を見て更に腹が立ってカウンターに回りこんでやろうかと思ったが、

お登勢はそんな殺気をまるで無視して残った米と漬物を指差した。


『食わないなら猫の餌にするけど米はよくてもぬか漬けはちょっとねぇ。

 味は保証するよ。旦那の好物なんだ』


知ったことか。

そう思ったがその肝心な「旦那」の姿がない。

そう考えるとすぐに「好物だった」という言い方が正しいのだと気付いた。


『…………………』


は席に座らず、立ったまま小鉢から漬物を1つ手で摘んで口に放り込んだ。

切れた口内に塩辛さが沁みて唾液が余分に出る。




…今にして思えば、その時既にあの店の2階には彼女を守る男が住まっていたのかもしれない。





「…………漬物」

「あ?」

「あのバーさんの漬けるきゅうりのぬか漬け、美味いんだよね」


信号のない商店街に入ると少しぼんやりと遠くの景色を眺める

「…あぁ、あれか。確かにあれだけで飯食えるしな。

 長靴いっぱい食べたいよ」

何のことだと一瞬眉をひそめた銀時だったが、二日酔いで食欲のない時でもお登勢が出してくれた漬け物は喉を通った覚えがある。

どこのジブリアニメだとは前を向いたまま笑い、前方に二階建てのスナックを確認するとスピードを緩めた。


「手伝ってくれた連中に礼言っといてくれや」


階段の傍に停止すると先に降りていた銀時はにヘルメットを返して二階へ続く階段を上って行く。

はそれを最後まで見送ることなく、座席の中から見舞い品と取り出して店の戸を開けた。



「まだ準備中だよ」



開店前でまだ薄暗い店内からしゃがれた初老の女性の声が聞こえてくる。

カウンターの奥で屈んでいたスナックのママは立ち上がってに声をかけ、

その姿を確認したところで「何だ」という顔をした。

「アンタかィ、こんな真昼間にどうしたんだよ」

はしばらく呆然と入口に立ち尽くしていたが、お登勢の何事もなかったかのような表情を見て

はーっと深く長いため息をつきながら後ろ手で戸を閉めた。

…本当に営業再開したのか。


「…くたばり損なったらしいじゃねーか。おめでとう」

「アンタ日本語おかしいよ」


そう言いながらカウンターに持ってきた見舞い品を置く。

お登勢愛用の煙草のカートンが1つ。

お登勢は眉をひそめて怪訝そうに見舞い品を見下ろす。

「どういう風の吹きまわしだい珍しい」

「敬老の日が近いから」

「いやまだ5月だよ」

カウンターの真ん中に座って適当なことを答えるを見てお登勢は呆れ顔で突っ込んだ。


「…警察はまだ動いてないらしいな」

「たかが小さな町の抗争に警察が出てくるまでもないさね。

 テメーの町の喧嘩くらいテメーで片づける甲斐性はあるよ。この町の人間は」


懐から煙草を取り出すとお登勢がライターを近づけてきたので、

も煙草の先を火に近づけてゆっくりと煙を吸い込んだ。

火がついたのを確認し、お登勢も早速カートンの包装を開けて取りだした煙草を口に銜えた。

銘柄の違う2つの煙草の煙が締め切った店に充満する。




「………無事でよかった」




ぼそり、低い声で呟いたのでお登勢は思わず耳を疑った。

…聞き間違いだろうか。


「きゅうりのぬか漬け、食えなくなるのはヤだもんな」


カウンターに頬杖をついて笑うと、お登勢もつられるように表情を綻ばせた。

そしてに背を向け、しばらくして小鉢を1つカウンターに出してきた。

色鮮やかなきゅうりのぬか漬けが数切れちょこんと乗っている。

は煙草を潰し、おしぼりで手を拭いてからその手で一切れを摘み上げた。

口に入れるとポリ、と小気味のいい音がして程良い塩味ときゅうり本来の味が口に広がる。


「うまい」


早くも2つ目を口に入れた。

静かな店内にポリポリと歯切れのいい音が響く。


「今度漬け方教えてよ」

「塩加減が微妙なんだ。素人にゃ無理さ」


飯も食べていくかい、そう言ってお登勢は茶碗に炊き立てのご飯をよそい始める。



「そうかい」



教えてもらうつもりなんか毛頭ないんだ。






ほんの少し、旦那の顔を想像した。





きっとあの男に似てるんだろうなと、勝手に思ったんだ。










久々掃除婦。
長編始まった直後から本誌で完結したら掃除婦ヒロインで書こうと決めてました。
溝鼠に顔がきく、というかただ勝男に言い寄られてるだけ(笑)
辰五郎さん、初めて出た時黒髪ってだけで土方さん?とか言ってすいませんでした。
あれは紛うことなき銀さんですね。初めて墓場で会った時どんな気持ちだったんだろうなぁ…
真選組はジブリネタが多いけど銀さんはジブリを見るんだろうか。
松居棒は星砕でできています。