「伝説…って…何なの、タカチン」


新八は顔色を変えてタカチンに問いかけた。

いつの間にかが1階のスナックお登勢に入っていったことには気付かずに。



「俺もチームにいた頃先輩から聞いただけなんだけどよ…

 数年前までかぶき町に大江戸レディースの総長を務めてた女がいたんだよ」

「レディースの総長…?」



新八と再会するまでヤンキーグループに属していたタカチンが言うのだから間違いはない。

確かにカタギの人間ではなさそうな外見と言葉遣いだったが、

まさかそんな大きな役職についていたとは。


「男も手が出せなくてヤクザの連中も一目置いてたって…

 素手で何人も半殺しにしてきた化け物みたいな姿からついた仇名が…"鉄姫"」







昔話は多少脚色する-中編-









「だーから、その呼び方は止めろっつの。周りが勝手に付けただけだし、

 あたしはもう足洗ったんだ」


スナックのママ、お登勢に招かれたは店内で酒と夕飯を馳走になっていた。


「らしいね。数年前からとんと姿を見せなくなったと思ったら…

 警察なんかに勤めてんのかい、アンタ」

「…成り行きだよ。別に公務員になって世の為に働こうなんざ思ってない」


温かい味噌汁を飲み終えたところで即座に煙草を銜える。

数年前より大人びて落ち着いた様子のを見て、お登勢も新しい煙草に火をつけた。


「…ま、あのバカを連れ帰ってきてくれた礼だよ。飲みな」


お登勢はそう言って空になったグラスに酒を注いだ。


「…アンタもお人好しな所は変わらねーなバーさん。

 あんなマダオ拾って住まわせるなんてさ」

「家賃滞納してるからこれ以上になるなら出てって貰うけどね」


煙草を銜えて憎まれ口を叩くお登勢はなぜか嬉しそうだった。

どういう経緯で彼女があの男を拾ったのかは分からないが、

万事屋にいた2人の子供も銀時を信頼しているようだったし、思いのほか人との繋がりは深い男なのかもしれない。


「アンタは?足洗ってちゃんとまともな生活してんのかい?」

「してるよ。かぶき町離れてから昔の知り合いに絡まれることもなくなったし」


煙草の灰を落としながら酒に口をつけ、テーブルに頬杖をつく。


「昔はどうしようもない悪タレだったってのに…人は変わるモンだねぇ」

「………………」



自分が吐いた煙をぼんやりと見つめながら、久しぶりに吸う町の空気で昔のことを思い出した。







子供がグレる原因はいくつかある。らしい。









テレビや雑誌でその手の評論家やコメンテーターが言うのは決まって

「家庭環境に問題がある」だとか「友人関係に問題がある」だとか、そういった無難なものだ。

そこであれこれ難しい議論が始まるわけだが、実際はそんなに難しいことじゃない。


他人とは違った何かをしてみたくなった奴。


それを「個性」と呼べるのは常識の範囲内に収まった場合のみ。

逆に間違った方向へ進むと立派に非行街道まっしぐらというわけだ。

手始めに未成年の煙草であったり酒であったり、

犯罪になれば万引きや暴力沙汰、廃れきった奴らが最終的に辿り着くのがいわゆる「薬」。

周囲にそれを叱ってくれる人間がいないから、物事の善悪の区別をつけられず無駄に年をとっていく。

大人になっても警察の世話になっているような連中はその部類だ。

自分は恐らく、その原因全てに該当した完全な非行街道を歩いてきたのだと思う。


手始めに家庭環境。




物心ついた頃から父と母が仲良く会話をしているところを見たことがない。





が大きくなるにつれて帰りが遅くなる父親。

その理由を悟っていたのか、その頃から母親も自宅に見知らぬ男を連れ込むようになった。


「ただいまーいい子にしてたー?」


かぶき町の夜の店で働いていた母親はいつも夜遅くに酔っぱらって帰ってくる。

寺子屋に入りたてだったはいつも1人でその帰りを待っていた。

だが決まって母は1人では帰ってこない。


「お腹空いたでしょ、これあげるから下の喫茶店で好きなもの食べておいで」


ドアの向こうに昨日とは違う男を待たせて、母は笑いながら真新しい一万円札を差し出してきた。

「残った金で遊びにいってもいいよ」

それは「朝まで帰ってこないで」と同義語だ。

アパートの下のテナントには夜遅くまで開いている喫茶店が入っていて、晩御飯はきまってその店で食べることになっている。

喫茶店の夫婦も心配そうにはしていたが何かと口を挟んで面倒事に巻き込まれるのも嫌だったのだろう。

夜に1人で来店する子供をすんなりと受け入れ、当たり前のように料理を振舞ってくれた。



…だから自分は家庭の味というものを知らない。



喫茶店で出される綺麗な形のハンバーグがどの家庭でも出てくると思っていたし、

柔らかいふわふわした卵の乗ったオムライスはどの母親も作れるものだと思っていた。




贅沢で、





虚しい勘違いだ。





「…一度児童相談所に言ってみた方がいいのかしら…?」

「でも…虐待を受けているわけではないだろう?食事をさせる気はあるようだし…」

喫茶店を営む夫婦は困ったように言っていたが、確かに暴力を受けていたわけではなく食事も満足に摂っていたので虐待ではない。

まぁ単なる育児放棄というやつだった。

それでも十分児童相談所に相談する理由にはなるのだろうが、

家族間のことまでは口出ししない方が、と耳打ちする夫婦の会話は幼心に理解できていたのだと思う。



13歳になった夏

ある程度金の使い方を覚えると、これまで無意味に貯めていた食事代の残りを持って街に出た。



詳しくは覚えていないが、13歳の少女が持つにはあまりに不釣り合いな金額を持っていたのだと思う。



その時は知らなかった。

子供の自分が、そんな金額を持って夜の街を歩けばどういうことになるのか。



自分のような境遇にいる子供が、最終的にどんな場所に行き着くのか。




「う…ッ!」




華奢な子供の体は店のシャッターにぶつかって跳ね返り、冷たい夜のアルファルトに倒れこむと頭をスニーカーで踏みつけられた。

それはあまりに突然のことで、は景色を真横に見つめながら自分を囲う集団の声に耳を傾けようとする。

だが頭と一緒に耳を踏みつけられていてよく聞き取れない。


「ガキのくせに大層な金持ってんじゃねーか、あァ?」


の目の前に立った若い女。

背中につきそうな長い金髪を靡かせ、真っ黒な特攻服を纏ったその女は蛇のように鋭い目を細めてを見下ろす。

その横に立つ同じような風貌の女たちはから奪った財布の中身を確認し、

中身だけを素早く抜き取ると空の財布をに向かって投げつけた。


「どうせテメーも親に見放されたクチだろ?」


女は笑いながらその長い足をにみぞおちに叩きこむ。

「ぅ、あッ…」

「じゃなきゃガキがこんな金持って夜中にウロついたりしねぇだ、ろ!」

そのまま足での体を転がして腹の上に足を置いた。

素足に草履だというのにまるで岩を叩きこまれたような威力。


「恨むなら親恨めよ」


じり、と腹の上で捩られる足。


「……………っ」


反射的に、は自分の腹に乗せられた足を掴む。


…そうだ。


1人で金を持って夜の街に出てこなきゃならないのも

今こんな痛い思いをしているのも

やられてやりかえせない弱さも




…全部





女はの表情を見て目を細めた。


「何してんだこのガキ!」

「テメーの置かれてる状況分かってんのか!?」


周囲にいた別の女たちが再び小さな頭を蹴りつける。

だが腹を蹴った女だけはゆっくりと足を退かし、その場にしゃがんでの顔を覗き込んだ。



「…いい目してんな。そんなに世間が憎いか」



ぐいとの胸倉を掴んで女は笑う。





「ウチに来るか?親半殺しにするぐらいの強さは、身につけられるんじゃね?」





その時チームに誘ってくれたのが、当時の大江戸レディース総長だった。





心の弱さというものは堕ちていくにはもってこいの材料らしく、

それから世間でいう「悪く」なることは容易いことだった。

髪を染めるのも煙草を吸うのも理由は特にない。「周りがやっているから」。

それを叱る人もいないし、警察に追いかけられても仲間がいると思えば全く怖くなかった。


所属チームは江戸のレディースチームのトップに立つ「叉無」というもので、

他にも「満血漢」や「露西庵武瑠」など複数のチームが存在したが総長の属する「叉無」には頭が上がらないらしい。



「お前はまだ喧嘩弱ぇなァ、



他チームとの喧嘩のあと、総長は決まってにそう言った。


「でもま、素質はあるんじゃね?アタシが見込んだんだし」


総長は何かと自分を買ってくれて、帰る場所がないと言うと1人暮らしのアパートによく招き入れてくれた。

喧嘩の仕方もヤンキーとしてのルールも、全てを教えてくれたのがその人だった。

彼女といると自分も強くなれたような気になったし、

男も黙らせる強さと江戸の荒くれを統率するカリスマ性に憧れもあった。

それはおそらく自分だけでなく江戸のレディースみんながそうだったのだろう。



そんなある日。



何週間かぶりに家に戻ってみれば、母がいたはずのその部屋はいつの間にか空き家になっていた。



の荷物だけをご丁寧に玄関の前に並べて。



現実味のない現実は驚くほどの頭を冷静にしていって、

怒りとか悲しみなんかよりずっと分かりやすい感情がぽつんと1つ心の中にあった。



…なんだ。"やっぱりな"



無くなった表札を5分と眺めず、は玄関前に置かれたボストンバッグを持ってアパートの階段を下りる。

1階の喫茶店前を通ったところで丁度店の妻が出てきた。


「……あっ…」


妻はすっかり変わったの風貌を見てびくっと肩をすくめる。

白に近い金髪

薄い眉

派手な刺繍の入った白いスカジャンとジャージ

一目で「そっち」の人間だと分かるを見てあからさまな恐怖の色を覗かせる夫婦。

はそんな夫婦を一瞥するとそのまま素通りして店の前を立ち去ろうとした。


ちゃん…!」


すると夫婦は慌ててを呼び止めた。

は立ち止ったが振り返らない。


「あ、あのね…お母さん…」

「……出てったんだろ?どうせそんなことだろうと思ったよ」


彼らは母がアパートを出て行ったことをいつ知ったのだろう。

そんなどうでもいいことを思いながら肩をすくめて鼻で笑う。

「もともと居ても居なくても変わらない親だったんだ。…今更どうでもいい」

そう言ってバッグを右肩に担ぎ、夫婦を振り返った。




「…ありがと。おじさんおばさん。ここの飯、うまかったよ」




それだけ言うと踵を返し、「今」の自分の居場所へと戻って行く。





…それからはあのアパートに近づくことをやめた。





思えば、あの夫婦の存在だけがあの時の自分の唯一の「良心」だったのかもしれない。






「っげほっ…!ゴホッごほッ!」






何度も喧嘩を繰り返して少しずつ強くなっても、

やはり1人の時大勢に囲まれてはまだ歯がたたなかった。

当時自分がチームで最年少だったこともあり、決まって1人になると他チームから喧嘩を売られてはボコボコにされて街中に捨てられるなんてしょっちゅうだ。

その時自分を見る周囲の目線は冷ややかで、恐怖心も見えて鬱陶しくて、

それに向けて罵声を吐く自分はもっと鬱陶しいと思った。



仲間の家を転々として、それが出来ない時は野宿だってした。

他チームから金を巻き上げてはバイクを買って昼夜を問わず乗りまわす毎日。

それだけで楽しかったし、何より喧嘩が強くなっているという実感が嬉しかった。


そんなことを5年も繰り返したある日




「足洗うことにした」




突然総長から呼びだされて聞いた言葉。

は目を見開く。


「…え……?」


既に叉無の中では古株の部類でもあったは、入団当時から面倒を見てくれた総長の言葉にただ驚いた。

「な、何で…年のこと言ってんスか…?23なんてまだ全然…!」





「…ガキ、出来たんだよ」





そう言った総長は右手で腹を押さえている。

は信じられないようなものを見る目でその細い腹を見た。




人間の中にもう1人の人間が宿っているという様を初めて目にしたからだ。




「…………ガキ…?」


「もう下ろせない時期に来てるらしい。体質的にあんま目立たなかったんだとさ」



総長はそう言って鼻で笑った。

だがは全く笑うことができない。

ましてや「おめでとうございます」なんて祝福する気にもなれなかった。

実際チーム内で妊娠したというメンバーもこれが初めてだったし、

恋人を作らないという規律こそなかったが男のチームを差し置いて江戸を仕切っているチームとしては

自分たちより喧嘩の弱い男とは付き合わないというプライドもあったんだと思う。



「う…産む気なんスか…!?」

「さすがにあたしも人殺しはしたくねぇ。いくら乳しか飲めねぇガキっつったって

 もうちゃんと心臓動いてるらしいからな。テメーの不注意でできちまったモンの責任放棄も後腐れが悪ィ」



相手は。

そう聞こうとしたが総長は口を挟む隙を与えなかった。



「チームの皆には話した。腹にガキいるっつったら制裁免除されたよ。

 …アタシとしては手なり足なり潰してくれて構わなかったんだけどさ」



「…笑えるよな」


総長はそう言ってハッと鼻で笑い腹を押さえる。





「ガキのお前蹴り飛ばしてたあたしの、腹ン中にガキがいるんだってさ」




自虐的に笑う総長が「女」の顔をしていることに、その時初めて気付いた。

はそんな彼女の表情を見て、彼女の腹の中にいる「生物」のことを考えていた。




…子供って、どうやって育つんだ?

メシはどうやって食わすんだ?

一日何回なんだ?

しつけ?とかってどうやってするんだ?

犬猫みたいなペットとどう違うんだ?





あたしらみたいなのから生まれて





あたしらみたいに







「新しい総長にお前を推そうと思ってる」





真顔になった総長の言葉にハッと我に返った。



「アタシが見た限り、今の叉無で一番強いのはお前だ。

 後輩増えて面倒見もよくなってきたしな」

「っ総長…!あたしはまだそんな大役…!」



言いかけたが、総長の笑顔がその続きを言わせてくれそうもない。





「無責任で悪ィけどさ、後頼むよ。






警察に追いかけられて世間から蔑んだ目で見られて


親に見捨てられたあたしたちが親になって


自分の腹で出来た「生物」を手前の力で育てていくって







…先輩






あたしにはやっぱ、分かんないッスよ







To be continued

タカチンのチームがマルチーズだかポメラニアンだったので女の子のチームは猫にしました(笑)