疾風少女は浅黄色を翻す-4-









「…ふわあぁぁああ〜…」

すっかり日が暮れた江戸の街、中心街の高級料亭門前で気の抜けた欠伸が響く。

は涙の滲んできた目を擦りながら眠そうに瞬きした。

「オイ。シャキッとしろシャキッと」

気が緩みまくりのを横で一喝する土方。

そうは言っても、土方も煙草を銜えているため一見かなり不真面目だ。

「だぁって土方さん…会合の打ち合わせっつってもう3時間も料亭に籠りっきりっすよ?」

は口を押さえていた手で自分の後ろに佇む高級料亭を指す。

護衛を受け持つことになった安東は数日後に迫った会合の前に、

幕府の重鎮や天人の役人を集めて料亭で食事会を行っていた。

「いーから黙って突っ立ってろ。仕事なんだからしょうがねーだろうが」

「ったく命狙われるかもしれねーのに高級料亭で一体何食ってんだろ…」

はぶつぶつと文句を言いながら肩に手を当て、

首をぐるりと回して凝りをほぐす。

「全くこっちは腹空かせて必死に護衛してるってのにいいご身分だ」

そう言っての隣に立つ総悟の手には美味しそうな匂いを漂わせるほかほかの肉まんが握られている。

はそれをじと目で見つめて思わず手を伸ばす。

「寄越せ!!」

「てめーで買って来やがれィ」

総悟はの勢いを受け流し、片手での頭を押さえる。

すると料亭の正門がガラリと開いた。

2人は弾くように離れて瞬時にビシッと姿勢を正す。

「お疲れ様でした」

正門の前に立っていた近藤がぞろぞろと出てきた役人に向かって深々と頭を下げた。

役人達は料亭の前に停めてあった黒塗りの車に乗り込み、その場を後にしていく。

「安東殿は俺とトシが自宅まで送る。

 お前らは屯所に戻っていいぞ」

「「はーい」」

役人が全員車に乗り込んだのを見送り、と総悟は手を上げて返事する。

「あーお腹すいた。ラーメン屋ギリギリ開いてるかなー」

「なるべく早く戻って来いよ。明日も早朝から警備に着くからな」

「はーい」

近藤の言葉に2度目の返事をして、パトカーで戻っていく隊士たちから外れる

夜の繁華街はネオンが眩しく煌めいて、一歩裏路地へ入るとホストクラブやキャバクラの客寄せで賑わっている。

は歩きながら携帯を開き、時間を確認した。

(9時半か…10時までに入ればラーメン作ってくれるから急ごう)

行きつけのラーメン屋を思い浮かべると自然に足早になる。

近道をするため裏路地に入り、人通りの少ない細い道を駆けると


「っ!」


は突如立ち止まって辺りに耳を澄ませた。

(……何の音だ…?)

金属同士が擦れあったような高い音が僅かだがの耳に届いてきた。

暗闇に神経を集中させていると


うわぁぁぁああああああ!!!!


暗闇から聞こえた悲鳴。

は勢いよく地面を蹴り、悲鳴の聞こえた方向へ迷うことなく走っていく。

細い路地を突っ切って長屋の角を曲がったところで3つの影を見た。

1つは地面に倒れている陰。

1つはその影を見下ろしている影。

そしてもう1つはその影が手に携えている、太く曲がりくねった大蛇のような影。

背後を照らす月明かりに反射してそれは鈍い銀色に光っていた。

地面に倒れている陰からは大量の血があふれ出し、の足元まで迫ってくる。

立っていた影はを見ると即座に踵を返し、その場を去ろうと背を向けた。

「っ待て!!」

咄嗟に追おうとしたが、足元に倒れていた陰が苦しそうに呻き声を挙げた。

「……う…」

は慌ててしゃがみこみ、影の上半身を腕で起こす。

よく見ると倒れていたのは黒い半纏を着た役人の男だった。

その右脇腹は深く斬られており、一目でヤバイと分かる量の血が流れてきている。

「おいっ!しっかりしろ!!」

隊服を脱いで男の傷口に押し当てながら必死に呼びかける。

誰もいない暗闇に、の叫び声だけが響いた。

「オイッ!!」







同時刻・安東邸前

「…露子さん無事帰宅ー…と」

「安東」という表札が掲げられた豪邸の向かいのビルで、

奇妙な組み合わせの3人組が双眼鏡を覗き込んでいる。

大きな正門をくぐって家の中へ戻っていく露子をビルの屋上から双眼鏡で確認し、

新八は双眼鏡を目から離した。

「んじゃ今日の仕事はこれで終わりだな」

新八の横に座り込んでいた銀時は眠そうに欠伸をしながら立ち上がり、頭を掻く。

「でもこんなんでいいんですかね?

 護衛というより見張りって感じで」

「いいんじゃねーの、本人の希望だし。俺たち楽だし」


『私の護衛をして欲しいんです』


先日彼女から受けた突然の依頼。

だが自分が家を出て出掛ける時に周りを見張って欲しいと頼まれただけで、

四六時中一緒にいて護衛をしろというものではなかった。

「この内容であの依頼金なんだから何も文句ないネ。

 黙って仕事しろヨ駄眼鏡」

「一番仕事してるの僕なんだけど!?」

銀時と神楽は黙って見張っている作業に途中で飽き、

最後はほとんど新八が1人で見ていた状況だ。

そんなことを言い合っていると、安東邸の前に1台のベンツが停まり誰かが降りてくる。

「----------あ」

降りてきた人物に見覚えがある新八は思わず声を漏らした。

「あれ、近藤さんと土方さんじゃないですか?」

運転席から降りてきたのは土方。

助手席からは近藤が降りてきて、後部差席のドアを開ける。

後ろからは黒い羽織を着た中年男性が降りてきた。

「…何であいつらが此処にいんだ?」

塀に肘を着き、銀時は目を細めて車を見る。

「そういえば露子さんのお父さんは警察に護衛されてるんですよね。

 それって真選組のことだったんじゃないですか?」

「それって連中より俺らの方が信用されてるってことじゃね?」

「チンピラ警察なんかに任せておけないヨ!!私たちの方がずっと優秀ヨ!!」

役人が家に入っていくのを見送った近藤と土方は再びベンツに乗り込み、その場を去って行った。

「さ、帰ろうぜ。ったくお嬢様も夜遊びが過ぎんじゃねーの?

 見張る方の身にもなって欲しいよなー」

時計は既に10時を過ぎている。

露子は夕方から友人と食事に行くといって今の時間まで外出していた。

銀時は面倒くさそうに頭を掻きながらビルを後にする。

神楽と新八もそれを追って屋上を離れた。



ピリリリリリ



ピリリリリリ



「…お、からだ」

ベンツに乗って安東邸を離れた近藤の携帯が鳴る。

画面にはの名前が映し出されていた。

「もしもし、どうしたー?」

『大変です近藤さん…ッ!ラーメン屋に行く途中に幕吏斬りの現場に遭遇して…

 被害者まだ息があって今病院に…!!』

「何!?」

珍しく取り乱したの報告に近藤も驚愕の声をあげる。

運転していた土方も目を細めて横目で近藤を見た。

「…分かった、すぐ行く。大江戸病院だな?

 お前はそのまま待機していてくれ」

冷静を保ち、近藤は静かに携帯を閉じる。




30分後・大江戸病院

は血まみれのワイシャツ姿でロビーの長椅子に座り、近藤たちの到着を待っていた。

あの後すぐに救急車を呼び、役人の男を病院まで運んだのだが

男は手術室に運ばれたきりなかなか出てこない。

深夜の病院はロビーにうっすらと明りが灯っているだけで病棟は暗く、

当然ながら入院患者たちは寝静まっていて不気味なほどの静寂が広がっていた。

(……あれは…何だった…?)

膝の上に肘を着き、指を組んではあの暗闇で見たものを思い出す。

恐らくは今回の連続幕吏殺害の犯人であろう人物が持っていた、銀色の長い物体。

一瞬でよく見えなかったがあれは確かに


(…刀の光だった)


曲がりくねってとても日本刀には見えなかったが、あれが放っていた光は確かに見慣れた日本刀の輝きだった。

掻き毟るようにわしゃわしゃと頭を掻いて溜息をつくと


!」


暗闇の廊下から聞こえた声に顔を上げて立ち上がる。

正面口から続く廊下を近藤と土方が走ってきた。

「近藤さん!」

「怪我は!?」

血まみれのワイシャツを見て近藤はまず第一にの身の安全を心配する。

「あたしは大丈夫です。被害者は手術中なのでまだ何とも…」

はそう言って廊下の奥で赤く光っている手術室のランプを見つめた。

「犯人は見たのか?」

「…いえ…暗かったので…追おうと思ったんですけど被害者に息があったんでそっちを優先しました。

 犯人の顔は見てませんけど……妙なものは見ました」

「「妙なもの…?」」

土方の問いに神妙な面持ちで答える

近藤と土方は眉をひそめて声を揃える。

すると手術室の赤いランプが消え、ドアが開いて中かた緑色の手術服を身に纏った医師が出てきた。

3人は走って医師に駆け寄る。

「容態は!?」

「警察の方ですか、ご苦労様です。

 一命は取り留めましたが油断できない状況です。

 右下腹部をかなり深く斬られており、あと少し発見が遅ければ助からなかったでしょう」

医師はマスクを外しながら深刻な面持ちで役人の容態を説明する。

「話を聞けるのは先になりそうだな…」

近藤は腕を組んで苦々しい表情を浮かべた。

重傷とはいえ犯人の顔を目撃しているかもしれない唯一の生存者に、

一刻も早く証言をしてもらいたいのが現状だ。

「……麻酔が効いて意識が途切れる前に…

 しきりに「蛇が、蛇が」と魘されるように呟いていました」

医師は手術前のことを思い出し、ぽつりと呟いた。

3人は目を見開き、同時に顔を上げて医師を見る。

「…近藤さん」

「…やはり蛇は無関係ではなかったか…」

だが蛇が成す意味が全く予測できない今は、いくら考えたところで何も分からない。

医師たちは浅く頭を下げてその場を離れていき、

看護師が担架で役人の男を運び出してきた。

3人はそれを無言で見送りながら表情を険しくさせる。

「…ちッ…山崎のヤロー一体何してやがる…」

土方は舌打ちをしながら携帯を開く。

数日前から土方の命令で調査に出ている山崎からはまだ一向に連絡がない。







そして不穏な空気の立ち込めた夜は静かに更けて行く。









To be continued