つるばみの詠-5-








「………い」


「……おい


「おい!鉄火丼を醤油茶漬けにする気か!!」



真横から名前を呼ばれてハッと我に返ると、目の前の鉄火丼がどんぶりなみなみに醤油まみれになっていた。

醤油注しを傾けた右手は右隣に座る近藤の手に押さえられていた。

あと少し遅ければ醤油はどんぶりから溢れていたかもしれない。


「………うわ」

「うわ、じゃねーよ昼寝したくせに寝ぼけてんのか?」


は悲惨な鉄火丼を見つめて眉をひそめる。

近藤の更に右隣に座る土方はマヨネーズまみれの海鮮丼をかっ込みながら怪訝そうに言葉を投げかけた。


「どうしたんだ、まだ眠いのか?」

「…いえ…もう目は覚めてるんですけど…ちょ、総悟醤油半分あげる」

「いらねーよ俺のまで残飯にすんな」


カウンター席で左隣に座る総悟に醤油をお裾分けしようとしたが、総悟はどんぶりをから遠ざける。

は浅く溜息をついて頭を掻き、店主に醤油を捨ててもらって食べることにした。

マグロの切り身の下にあるご飯がすべて醤油に浸水しているのでかなりしょっぱいが、

粗末にしてはいけないと我慢して勢いで口にかっ込む。


「いやーやっぱり新鮮な海の幸は美味いな!」

「………しょっぱい…」


既に完食している近藤の横では何度も水をお代りして何とか鉄火丼を減らしていく。

新鮮で高級なマグロなのだろうがその美味さは微塵も舌に伝わってこない。

柔らかいものとネギの食感がするただのしょっぱい汁だ。

「そういやお前土産どうするんだ?俺たちはさっきとっつァんへの土産買ってな。

 奮発して毛ガニ宅配してもらったよ」

「…あ、そっか。お土産…あたしも栗子ちゃんに買って行こうかな」

何とかどんぶりを空にして残りの水をいっき飲みする。

そういえば旅館の土産屋でご当地マスコットを売っていたような。

町に出て土産専門店を見ればもっと種類があるかもしれない。

「俺たちは粗方回ってきたから一度旅館に戻ろうと思ってる」

「じゃああたしちょっと町見てきます。昨日もゴロゴロしちゃったし、勿体ないや」

「気を付けてな」

勘定を済ませて店を出ると近藤たちは旅館へ戻る緩やかな坂道に向かって歩き出す。

は反対方向の商店街に向かって歩き出した。

向かって左側の防波堤の向こうには穏やかな海が広がっていて、

丁度真上まで昇ってきた太陽の光が波間に反射して網目模様を映し出している。

こんなにのんびりと海を眺めたのは久しぶりかもしれない。

海沿いの小道を歩いていると土産屋はすぐに見つかった。

さすがは観光地というべきか似たような店構えの土産屋が軒を連ねている。


(栗子ちゃんには…お菓子がいいよなぁ。妙ちゃんには近藤さんが買うだろうけどどうせゴミ箱行きだから…

 あ、妙ちゃんに買うなら九ちゃんにも同じもの買おうかな。お揃いのストラップとか喜びそう。

 ……あ、だめだ妙ちゃんも九ちゃんも携帯持ってないんだった)


松平にカニを送ったということは必然的に栗子もカニを食べるということだ。

なら菓子がいいかな、と考えたり地産のとうがらしを使った煎餅や椿油なども置いてあって悩む。

とりあえず自分用にストラップを選び、友人の顔を思い浮かべながら物色した土産を籠に詰めていくと


「あら、貴女もしかして江戸の警察の…」


店の奥から出てきた女将がに気付いて声をかけてきた。

「あ、はい。真選組です」

「テレビでよく拝見するのよ。テレビで見るよりずっと小柄で可愛らしいのねぇ」

店内の客も集まってきて物珍しそうにを見る。

お世辞とは分かっていてもやはり褒められるのは悪い気がしないもので、は照れ笑いを浮かべながら頭を掻いた。

「ここへはお仕事で?」

「いえ、ちょっと遅い正月休みで慰安旅行なんです。

 いい島ですね。静かで海もきれいだし、お料理も美味しいし」

そう言って背後に望める海を振り返りながら笑う。

せっかくの鉄火丼は散々にしてしまったが、旅館から見る景色は最高で江戸の喧騒なんか忘れてしまいそうだ。

女将も気を良くしたようで「そうでしょう?」と微笑む。


「お宿はどちらに?」

「丘の上にある…「波浮の宿」っていうところです」


旅館の名前を思い出し、が口にしたところでその場の空気が変わった。



女将や他の客の顔色が変わり、全員がはっと息を飲んで黙り込んでしまったのだ。

一瞬の空気の寒暖には眉をひそめて周囲を見渡す。



数秒その場が静まり返ると、女将が慌てて口を開いた。


「あ、あのお宿ね。この辺りじゃ一番大きいし、団体さんが泊まるにはいい所よね」


慌てる女将が隣の女性に「ねぇ?」と同意を求めると

女性は困ったように目を泳がせながら「ええ」と頷く。

が首をかしげていると、女将は籠の中身を手早く会計して店の名前がプリントされた紙袋に入れて寄こした。


「いい旅行になさってね」

「…どうも…」


女将は紙袋を差し出しながらぎこちない笑みを浮かべる。

は不審に思いながらも礼を言って頭を下げた。


「…あの旅館…まだお客とってたの」

「らしいわよ。女将もがめついんだから、もう何年も前のことなんて気にしてられないんでしょ」

「また何かあったら島のイメージも悪くなるじゃない。

 千泉さんだっていい加減静かに暮らしたいだろうに…」


店を出たところでぼそぼそと耳打ちしあう女性の声が聞こえた。

こういう時田舎育ちは耳がいいので助かる。

だが深入りしない方がよさそうだと判断したはそのまま女性たちに背を向けて歩き出した。




「そういえば、さんが言ってた天井のたてつけってどうだったんですか?」



同時刻、隊士が出払っている客室の掃除をしながら新八が銀時に問いかけた。

「何ともなかったよ。ったく、たかが物音で大袈裟なんだよ。

 どうせ隣のゴリラが騒いでるだけなんだって」

銀時は隊士が使っている部屋を掃除する気にならないらしく、窓際の座椅子に座って我がもの顔で寛いでいる。

新八はその横で掃除機を稼働させながら「ですよね」と苦笑した。

部屋に備え付けの茶菓子を頬張りながら、銀時は朝方近藤たちの部屋で見たものを思い出す。


「……………………」


あれは確かに、人の影だった。


「…いやいやいや」

「?何言ってんすか」


一人で呟きながら首を振る銀時を見て新八は首をかしげる。

「ホラ、銀さんもちゃんと働いて下さいよ!今度は風呂場のタオル洗濯しなきゃ」

「面倒くせぇなぁ…もう客アイツらしかいねぇんだからトンズラこいてもよくね?」

「駄目ですよ!言ったでしょ、ちゃんと仕事して報酬貰わないと僕ら江戸に帰れないんだから!」

雑用魂が沁みついている新八はてきぱきと掃除を終え、掃除機を引きずって部屋を出て行く。

銀時も頭を掻きながらその後を追った。





土産を買ってから島をぶらついただったが、何となく土産店での話が気になって早めに旅館へと戻ってきた。

早め、と言っても昼食をとったのが遅かったからすでに陽は傾きかけている。

部屋に戻ろうと階段を上ったところで下りてきた総悟とすれ違った。


「あれ、もうお風呂行くの?」


彼が脇に抱えているタオルを見て首をかしげる。

「近藤さんと土方さんはもう先行ったぜ」

「ふぅん…あたしは部屋のお風呂にしようかな」

何となく1人であの大浴場を使うのは落ち着かないし気が引ける。

やはり高級志向が肌にあっていないということだろう。

階段を下りて大浴場へ向かって行く総悟の背中を見送り、再び階段を上り始めた。

右手に持った土産袋のせいなのか、歩き疲れたのか、いつもより体が重い気がした。


(お土産だけ先に屯所に送ってもらおうかな…)


帰りの荷物が多いのは嫌だな、と思いながら踊り場を折り返したところで





肩を、押された。



真正面から、階段に立っていた「何か」に。






確かに正面から腕が二本伸びてきて、確かに自分の両肩を勢いよく突き飛ばした。

重心が後ろに傾きながら、は自分の正面に立つ「何か」を確認することが出来なかった。

階段はなぜかその先が薄暗く、丁度良くその「何か」が立ちつくしている場所を隠してしまっている。

完全に両足が地から離れてしまってからでは体勢を立て直すこともできず、

の体は階段と平行に下へ向かって放り出されてしまった。


「あー…ったく面倒くせぇな今度は夕飯の準備かよ…」


同時に下から階段を上ってきた銀時は頭を掻きながらふと前を見上げる。

上り下りするための手段である階段から、少女の体が降ってきた。


「は!?」


咄嗟に受け身をとろうと上半身を捩じったと、避けようもなくそのままクッション役にならざるを得なかった銀時の

額同士が物凄い音を立ててぶつかり、2人はそのまま踊り場に倒れ込んだ。

額を押さえて悶えている銀時の上ですぐに起き上がったは慌てて階段を振り返った。

だがそこに人影はない。


「…ってぇな何してんだお前!!つーかどんだけ石頭!?」

「あたし頭突き一発で土方さんと総悟気絶させたことあるんで、頭は隊で一番硬いと思います」

「いいんだよそんな自慢話!!階段でジャーマンスープレックスの練習か!?」


銀時の額は赤く腫れ上がっているがはけろりとして全く痛がる素振りもない。

いっそ剣を捨てて格闘技で生きていけと言いそうになりながら、銀時はの視線の先を追った。


「…誰かに突き落とされたんです」


階段の先を睨みながらは言った。

銀時は眉をひそめる。

「お前のすぐ身近にいんだろ。本気で突き飛ばしてきそうな奴すぐそばにいんだろ」

「総悟はさっきそこで会いました。今頃風呂入ってます」

「お前ら恨まれてっからな。誰にやられても不思議じゃねーだろ」

職柄恨みを買うようなことは沢山してきているが、慰安旅行で高級旅館に来てまで暗殺未遂にあうとは穏やかじゃない。

(もしあのまま落ちていたとしても受け身をとれば軽傷で済んだろうし)

銀時は落とした土産袋をに向かって投げつけながら、腫れた額をさすって階段を上って行く。


「………………」


も袴の裾を直してゆっくりとその後を追った。







心配事よりも体の疲れが勝っていたのか、昼寝をしたにも関わらず食事を終えるとすぐに睡魔が襲ってきた。

今日もあの物音が聞こえるまで起きていてやろうと思ったが布団に入って記憶があるのは3分だけだ。

それは隣室も同じようで、3人がそれぞれの場所に布団を敷いてそれぞれ静かな寝息を立てて熟睡している。

…はずだったが



「…って、」



壁際に眠る土方の額にこつん、と落ちてきた堅い物体。

土方は熟睡していたにも関わらず思わず声を出した。

暗闇の中寝ぼけ眼をこすってみても落ちてきた物の正体など分かるはずもいない。

頭を少し動かすと耳の横で転がる丸い物体が視界に入った。

もぞもぞと布団から手を出して物体を摘み、顔の前まで持ってきて目を細める。


「………んだこれ…」


寝起きのしゃがれた声で独り言を漏らす。

感触からするに木の実のようだ。


大きさはドングリ程だったが形は球体に近い。

家の中で木の実が降ってくるなんて


「…草壁家かここは」


暗闇の中1人でマニアックなことを言っていると



ドン



壁から昨晩と同じ物音。

思わず枕から頭を浮かせてそちらを見た。



ドン!



昨日も聞いた大きな音は恐怖というより苛立ちに変わって、

土方は壁の方に寝返りを打つと足で軽く蹴りを入れた。


「おい寝ぼけんのもいい加減に…」



ドン!



再び聞こえた音に耳が違和感を感じた。

その音は昨日と違い壁の向こうから聞こえている籠った音ではない。

すぐ傍から聞こえているような、はっきりとした音だった。

壁に耳を貼り付けようと起き上がって身を乗り出すと


こつん


また1つ木の実が枕元に落ちてくる。

木の実を拾う前に天井を見上げ、音の正体が分かった。



壁際の天井から伸びている二本の足

その左足はなぜかどす黒く、右足の横にぶら下がっている右手は関節が不自然な方向に曲がっていた。

右手は手の平いっぱいに木の実が握られ、揺れながら壁を強く叩いている。

青白い手が壁に当たって跳ね返るとまた実が手の平から零れた。



「……………っ」



叩くのを諦めた腕が再びだらんと垂れ下がるのを見届ける前に、階一帯に土方の叫び声が木霊した。

同室の2人が飛び起きると同時に隣室のも勢いよく目を覚ます。


「どっ、どどうしたトシ!!」

「…、あ、足!!足と手!!」


近藤が慌てて灯りを点けると土方は壁際の天井を指差していた。

さすがの総悟もアイマスクを外してむくりと起き上がり、彼の指さす天井を見上げたがそこには綺麗な木目が広がっているだけだ。


「どうしたんですか!?」


が裸足で駆けてきて部屋に飛び込んでくる。

「どうもしねぇよ。土方さんがまた寝ぼけてただけでさァ」

「土方さん…?」

は土方が座り込んでいる位置を見てハッとした。


(…同じ…)


夢の中でが謎の木の実と天井からぶらさがる手足を思い出した。

土方の様子を見て彼もまた同じものを見たのだろうと直感する。


「一体どうしたというんだトシ。昨日からおかしいぞ?」

「っおかしくなんかねぇって!確かに天井に…!」


困ったように頭を掻く近藤を振り返りながら再び天井を指差すが、明るく照らされる天井はシミ1つない。

悲鳴を聞いた他の隊士も廊下に出てきて「なんだなんだ」と部屋を覗きこんでいる。


「副長が寝ぼけてたんだとよ」

「なんだよ…昨日もそれで煩くしてなかったか?」

「折角の旅行なんだから勘弁して欲しいよな…」


騒ぎが大したことないと知ると皆それぞれの部屋に戻って行く。

だがは部屋の入口に立ち尽くしたまま動けなかった。

「部屋代われ。うるさくて敵わねぇや」

「え、ちょっ…!」

総悟はそう言って枕と毛布を抱え、の横を通って部屋を出て行った。

そのまま隣の部屋に入ってバタン、と戸を閉めてしまう。


「………………」


再び部屋の中を見つめ、は土方の布団の傍にあの木の実が落ちていることに気付いた。

必死に近藤に訴える土方の後ろにしゃがんで実を拾い、目を細める。


「……あたしも見ました」


丸い木の実を見つめたまま呟くと2人は勢いよく振り返った。

「…多分土方さんと同じもの」

そう言って拾った木の実を2人に見せる。

土方はそれを見て苦々しい表情を浮かべたが、近藤は首をかしげて実に手を伸ばした。


「…何だこりゃ。つるばみ?」

「え?」

「まぁ所謂クヌギの実だよ。昔道場の庭にも生えてただろう。

 お前と総悟が拾ったやつ食ったことあってなぁ、苦いって騒いで…」


近藤は懐かしいなぁと呑気なことを言いながら木の実を持って手の平で転がす。

だがと土方の心中は穏やかではなかった。

なぜ穴も開いていない天井から木の実が落ちてくるのか。

そもそも、2人が見たものは何だったのか。

「さ、もう寝よう」

木の実をテーブルに置き、近藤は再び布団に潜り込む。


「「………………」」


と土方は無言で顔を見合わせた。






To be continued
土方さんとヒロインは怖がりなので見たくないものが見えてしまうタイプ。
総悟に霊感はない。誰より背中に憑いてますがそれを微塵も感じません。
近藤さんは怖がりだけど大物なのでころっと忘れてすぐ寝れるタイプ。