つるばみの詠-3-









「……………………」


すりガラスの戸に手を添え、息をのんでゆっくりとスライドさせていく。

湯気が外へ逃げて行くと足元から外気にさらされて冷たくなっていくが、

それでもまだ鼓動が速いのは決してのぼせたからではない。

ガラス戸を半分ほど開けると脱衣所の隅に人影を見つけた。

小さなオレンジ色の頭とぼんぼりに包まれた2つの団子。


「…っ神楽ちゃん…!」


目を見開いてその影の名前を呼ぶと、呼ばれた少女は首をかしげながらこちらを向いた。

「な、何してるの…?」

「何って仕事アル。こちとらテメーらと違って忙しいんだヨ」

神楽はそう言って小さな両手いっぱいに抱えてきた洗いたてのバスタオルを籠に入れていく。

脱力したはようやく額を押さえて滴る水を拭い、ふーっと溜息をついた。

浴衣を羽織って紐を結ぼうとすると



「おーい神楽そっち終わったか?」



何の躊躇いもなく暖簾をくぐって銀時が脱衣所を覗き込んでくる。


「何普通に入って来てんだお前ェェェェ!!!逮捕されてーのか!!!!」


は慌てて床に置いていた刀を掴んで勢いよく抜刀した。

「なんだうるせーな…見られて困るような大層なモンでもねーだろ」

「そういう問題じゃねーんだよ常識の問題だろうが駄目侍が!!!

 他の客いたら間違いなく逮捕ですよ!?」

何だコイツしれっと女風呂来ておいて何でこんな偉そうなんだ死ね。

ここにいるのが自分だけだったからいいようなものの、他の客がいたら間違いなく覗きで逮捕だ。

「大丈夫だよお前、また板女とお風呂でバッタリ★なんてしたって何の得もねぇんだから。

 もしポロリ事故とか起こったってスタッフどこにモザイクかけていいか分からなくなるよ?

 あれ?これは臍ですか?乳首ですか?ホクロですか?みたいな。何カップだ?AAか?AAなのか?」

「死ね!!今すぐ!!!」

思わず振りかぶった刀は辛うじて神楽が押さえているが、彼女がいなければ間違いなく斬りかかっていた。


「大丈夫でさァ旦那。辛うじてA65はあります」

「なんで知ってんのお前ェ!!!つーか野郎は入ってくんなつってんだろーがァ!!!!」


そしてまたも何の躊躇もなく暖簾をくぐってきた隊士が一人。

は神楽の制止を振り切ってその隊士へと刀を向ける。

同じく風呂上がりなのか浴衣姿で少し髪が濡れている総悟は、右手に持っていた刀を持ち上げての太刀を防いだ。


「そうか。もうちょいだな。あともうワンランク上に向けて頑張れA65」

「負けるなA65」

「人を戦闘機みたいに呼ぶなぁぁあああ!!!」



なんだ脱衣所に押しかけられた挙句この理不尽な感じ。

間違いなく悪いのこいつらなのにすっげー惨めな敗北感。


「ガタガタ騒ぐんじゃねーよ。お前ら以外に客いねーんだから女風呂に1人いるかいないかなんて分かんねーだろ」

「…え…?あたしたち以外って…今朝までいましたよね?」


頭を掻きながら面倒くさそうに脱衣所をぐるりと見渡す銀時。

はそれを聞いて眉をひそめる。

確かに今朝、旅館の庭園で老夫婦を見た。


「知らねーよ。もうチェックアウトの時間過ぎただろ。

 お前ら団体客ってことで前々から予約入ってたみたいだし、

 他の客は今日までってことになってんじゃねーの?」


銀時がそう言って脱衣所を出て行くと、総悟と神楽も続いて踵を返してその場を離れていく。


「…だからって脱衣所に入ってきていい理由にはなんねーだろ…」


頭を下げてタオルで髪を拭いていると


「ッ」


すりガラスの向こうを何かが横切った気がした。

勢いよく振り返るが当然浴室には誰もいるはずがない。

が入る時だってここには1人だったんだし、その間に誰かが入ってきたということはない。

それに今銀時から聞いた通り、今この旅館に泊まっているのは自分たち真選組だけなのだから。

真選組に女は1人だから、必然的に女風呂を利用するのは1人ということになる。


「………………」


手早く髪を結わえ、着替えと刀を持って足早に脱衣所を出た。







「おぉーっ!さすが豪勢だなぁ!!」


午後7時を回った頃、大広間には伊豆大島の海の幸をふんだんに使った夕食が並んでいた。

鯛のお頭が大きな船に盛りつけられ、その周囲を彩るマグロや鮭などの刺身。

1人1人に用意された小さな鍋ではすきやきがグツグツと煮込まれており、

太く長い海老の天ぷらはいかにも揚げたてという香ばしい匂いがしている。

こんな豪華な食卓は祝いの席でもなかなかお目にかかれない。


「?どうしたのちゃん。食欲ないの?」


箸も持たずに食卓と睨み合っているを見て、隣に座っていた山崎が不思議そうに顔を覗きこんできた。

「あ、いや…ううん。お腹は超減ってる…」

はそう言って首を振るとようやく箸を持って「いただきます」と頭を下げる。

「そういや女風呂の方どうだった?こっちはこの人数じゃ屯所と大して変わらなかったよ。

 確かに立派だけどさ、俺たちには豪華すぎるかなって感じ」

山崎は何食わぬ顔で食事を始めながら温泉のことを話し始めた。

「こっちは1人で悠々と使ってるからかなり快適だったよ。逆に恐縮しちゃう」

もそう言って笑いながら大きな海老の天ぷらを箸で摘む。

「部屋も広くて眺めいいし、羽伸ばすにはもってこいかも」

「ホント…松平のとっつァんにしては気の利きすぎた話だよねぇ…」

「……………………」


(考えすぎだな…)


海老のしっぽを皿に出し、後ろに置いてあった徳利を持って席を立った。

「近藤さん、お酌します」

「おぉ、すまないな」

楽しい慰安旅行に水を指すようなことを考えるのはよそう。

は近藤の猪口に酒を注ぎながら横目で結露のついた窓ガラスを見つめた。









その日の夜

午前2時を過ぎた頃、どの客室も静まり返り部屋によっては低い鼾が聞こえてくる。

最上階の角部屋にいるも船旅で疲れていたのか日付が変わる頃には寝入っていた。

窓は閉め切っていてもすぐ傍に臨める海から波の音が聞こえてきて、

時折行き来する漁船と灯台の明かりだけがこの離島を照らしているようなものだった。

備え付けの時計が丁度午前2時半を指したその時



ゴンッ



隣室と面した壁から鈍い物音。


ゴンッ


それは間髪いれず2回聞こえてきた。

恐らく寝相の悪い近藤あたりが壁でも蹴っているのだろう。

はもぞもぞと布団に潜り込む。

だが



ゴンッ




ゴン!!



「「…っうるせぇなァァ!!!」」




最後に一際大きく聞こえた物音。

溜まらずが部屋を飛び出すと、同時に隣室からも人が飛び出してきていた。

は隣室から同じタイミングで出てきた男を見て眉をひそめる。


「…土方さん…?」


部屋を飛び出してきたのは土方。

まさに今飛び起きたというような格好の土方も目を細めて怪訝な顔でを見た。

だがが詰め寄る方が早い。


「ちょっと土方さん!部屋煩いっすよ!!総悟か誰か暴れてんじゃないんですか!?」

「あァ!?アイツはとっくに寝たよ!うるせーのはテメーだろ!さっきからガンガンガンガン壁蹴りやがって!寝ぼけてんのか!?」

「あたしじゃないもん!!煩いのはそっちだもん!!!」


深夜に大声で怒鳴る男女がいれば、さすがに寝入っていた他の隊士たちも起きてくる。

最初に近藤が部屋から顔を出し、少し離れた所から原田たちが顔を覗かせた。


「一体どうしたんだトシ…も…今何時だと思ってる」

「だって!近藤さんたちの部屋煩いんだもん!壁蹴ってるみたいな音するし!」

「そりゃこっちの台詞だ!壁蹴ってんのはお前だろ!!」


寝ぼけ眼をこすりながら2人を交互に見る近藤は困ったように再び自室の中を見る。

部屋ではこの騒ぎだというのに総悟がアイマスクをして静かな寝息を立てていた。


「…俺は板の間側に寝てるし…総悟は窓側に寝てるから…壁側に布団敷いてんのはトシなんだが…」

「じゃあ土方さんだ!寝ぼけてるんだいい年こいて!」

「だから知らねーっつってんだろ!寝ぼけてんのはテメーだ!!」

「あたし部屋の真ん中に布団敷いてんですよ!?板の間に飛び乗って壁蹴ったっつーんですか!?」

「あぁもう分かった…分かったから…もう寝よう?いい子だから。な?」


2人を宥める近藤は半ば面倒くさそうにそう言って、

の背中を押し部屋に戻るよう促した。

土方は頭を掻きながら舌打ちをして渋々部屋に戻って行く。


「なんだ…?副長とのやつどうした…?」

「なんか部屋がうるせーとかなんとかって…勘弁しろよもう3時になるぞ」

もあれで結構寝相悪いからな…でも一回寝ると朝まで起きない奴なんだが…」


収拾がついたのを確認した隊士たちもそれぞれの部屋に戻って行く。

は部屋に戻ると音のした壁を睨みつけ、再び布団に潜り込んだ。

その日はそれ以降、壁から物音が聞こえることはなかった。





翌日


「…おはようございます……」


私服に着替えて広間に朝食を取りに来たの両目には深いクマ。

少し遅れて上座に座った土方の目の下にもクマが出来ている。


「おはようちゃん。昨日上騒がしかったけどなんかあった?」

「…何でもない」


山崎の部屋は確か丁度の真下だ。

あれが聞き間違いでないなら下の階もさぞ煩かったことだろう。

は「隣で土方さんが寝ぼけてて」と言おうとしたが、朝から怒鳴られるのも嫌なので首を横に振る。

上座から睨まれた気がするがどうでもいい。スルーしよう。


「いただきます…」


溜息と一緒に両手を合わせ、ほかほかと湯気立つ焼き魚に箸をつけた。




To be continued