「千泉さんが死んだって……本当なんですか…!?」


山崎の電話を受けて旅館を飛び出した3人は千泉の家がある南の森にいた。

「家の裏にある木で千泉が首を吊っている」と山崎はかなり動揺した声で言っていた。

ただでさえ足場の悪い山道を走るのは大変で、踏みつけた木の枝が足に絡みつく。

ブーツのは構わず走り抜けるが足袋に草履をつっかけただけの土方は舌打ちをしながら生い茂る草木を掻き分けた。


「近藤さんと山崎が見たってんだ…間違いねぇ」

「でもどうして!」

「知るか!とにかく急ぐぞ!」


二度と通りたくない道だと思っていた斜面を登り、坂の上から一件の民家を見下ろすと山崎が手を振っている。

「こっちです!」

山崎が家の裏に回ったので3人もそれを追って開けた原っぱに出ると、

丘の上にぽつんと一本だけ聳え立つ大きな木の傍に近藤が立っていた。

近藤の足元に横たわる人の身体。

顔を含む上体を近藤の羽織が覆っていたが、そこからはみ出した白髪や服装からその死体が千泉であることが分かる。

死体の前にしゃがんで羽織を剥がし、3人は息をのんだ。

もともと血色の悪かった顔は更に蒼白で鼻や口からは体液が流れた跡がある。

見開かれていたであろう相貌は近藤か山崎が閉じたのだろうが、骨と皮だけの細い首にはくっきりと絞縄痕が残っていた。

「自殺ですかィ?」

「分からん。でも踏み台はないし…この木は枝が高いからそう簡単には登れないぞ。女手で登れるとは思えんな」

「あたし登れますよ」

「オメー基準で考えんな」

軽くジャンプして枝に掴まり、懸垂するようにしてから幹に両足をついてよじ登ろうとするだったが、

それは小さい頃から道場の庭の木に登って遊んでいた為出来る芸当だ。

小柄な千泉では枝に手も届かないだろうし、届いたとしても腕の力だけでぶら下がるのは無理だろう。

「とにかく、俺は地元警察に連絡を入れる。山崎、夫の入院先に連絡を頼む。

 トシと総悟は千泉さんの自宅を調べてくれ」

「え、あたしは?」

指名されなかったは自分を指差して首をかしげた。


「「「遺体の見張り」」」

「えぇぇぇえええ!!!」


3人が指差したのはの後ろに安置された千泉の遺体。

「な、なんであたしだけ!」

「仕方ないだろ、俺は地元の警察署に行って捜査に協力しないとならんし…

 山崎には旅館に戻って精神病院に連絡を入れてもらわないとならない。

 千泉さんの自宅も調べる必要があるしな。俺が戻ってくるまでの間見張っててくれ」

だったら自分が旅館に戻って病院に連絡いれるから山崎が見張りを、と言いたかったが局長の言うことには逆らえない。

「しっかり見張っとけよ」

「まぁこんな所誰も来ないだろうから、ちょっと待っててくれな」

「ごめんねちゃん」

4人はそう言って緩やかな丘を下りと遺体の傍を離れて行く。

はそれを睨めつけながら深いため息をついた。

そしてそのじと目を後ろの遺体へ向ける。


…死んだ人間と二人きりになるのは慣れているからいい。


戦場で自分が斬った相手の死体と一晩過ごすことはよくあることだし、

警察という立場状さまざまな種類の死体を見てきている。

物言わぬ死体に今更不気味さは感じない。




もちろん、この遺体が自殺によるものならば。




「……………」

これまでの体験から彼女がただの自殺だとはどうしても思えない。

遺体から目を逸らして彼女が吊るされていたであろう枝を見上げた。

「………ん?」

枝に何かが引っ掛かっているのを見つけ、軽くジャンプしてそれを摘み取る。


「……髪の毛」


枝の節に引っ掛かっていたのは黒く長い人髪。

長さは千泉と同じぐらいだが白髪交じりだった彼女の髪とは明らかに違う、黒々とした若い髪だ。

は髪を摘んだまましゃがみ、遺体にかかっている羽織をめくって千泉の首元を見る。

縄のようなもので絞められた跡の残る首に、同じような黒い髪の毛が数本まとわりついているのが分かった。

(…こんな小さい島にDNA鑑定できる施設があるとは思えないけど…)

袖からハンカチを取り出し、数本の髪の毛を挟んで再び袖に仕舞う。

するとその袖の中で携帯が鳴った。


「土方さんだ」


千泉の家を調べているなら大した距離じゃないんだから直接来いよ、と思いつつ携帯を開いて通話に出る。

「もしもし」

『--------いの、持品、……』

電話の向こうから聞こえる声は途切れ途切れで、は「あ」と思って周囲を見渡した。

この山中では電波も悪いだろう。

は千泉の家に近づいて電波が入りそうな場所を探りながら再度「もしもし」と声をかける。

『……んだ…電波悪ィな…』

ようやく土方の声が聞こえてきた。

「そりゃそうでしょ、千泉さんの家だって電力通ってなかったみたいだし。で、どうしたんですか?」

『遺体の所持品調べてくれ。指紋つけんなよ』

「つけませんよ素人じゃあるまい……し……、」

面倒くさそうに前髪を掻き上げてくるりと振り返り、は我が目を疑った。



遺体が、消えている。



大きなつるばみの木の下にあったはずの遺体が忽然と消え、

被せられていた近藤の羽織だけがふわふわと揺れて今にも飛ばされそうだ。

「……っな……!」

は慌てて駆け寄って辺りを見渡す。

見通しのいい原っぱに自分以外の姿はない。

まさか生きていたのか?いや、そんなことはない。確かにあれは遺体だった。

動物が餌と間違えて持っていった…?それなら物音で気づくはずだし、遺体から目を離したのはほんの数秒だ。

『おいどうした?』

「…遺体が……消えた…」

『は…!?』

「遺体がないんです…!ど、どこにも…!!」

『探せ!俺たちもそっちに戻る!』

ブツ、と通話が切れるとは即座に近藤の番号を呼び出し、

近藤に繋がるのを待ちながらも周囲を見渡して千泉の遺体を探した。

「近藤さん!すぐ戻ってきて下さい!」




その後旅館に戻っていた山崎が数十人の隊士を連れてきて付近の山を捜索したが、千泉の遺体が見つかることはなかった。

遺体がなくては地元警察もとりあってくれず、周囲の住民と関係を絶っていた彼女は入院している夫以外に身内もいない。

結果としてあの場に居合わせた5人だけが南方千泉の死を目撃した形となった。


「………………」


日が暮れるまで山を捜索していた面々は夕食も食べずに部屋に籠っていた。

近藤と土方はテーブルを挟んで座って頭を抱え、

総悟はテレビの前に横になっては畳に突っ伏せている。

テレビから流れてくるバラエティー番組の音声が聞こえてくる以外は静かなもので、誰も言葉を発しようとしない。

するとテーブルの上に置いてあった近藤の携帯が震えてテーブルとぶつかりゴトゴトと音を立てた。

「…もしもし…」

もはや電話の相手に興味のない他の3人は会話に聞き耳を立てることもなくぼーっとそれぞれ好きな方向を向いている。

「…あぁ…え?明日?…そうか、分かった。……え?いやいやそんなことないさ。じゃあよろしく頼むよ」

通話は僅か数十秒で切れ、携帯を閉じた近藤は3人の方を見た。


「明日本土から船が到着するそうだ」


これまでならここで歓喜の声が上がるのだが、今の4人にはそんな気力も余裕もない。

むしろ今これからの方が重要だと思うと糠喜びもしていられない。

「…つまり、明日がリミットってことですね」

畳に突っ伏せていたはむくりと起き上がる。

「どこ行くんだ」

「部屋。刀取ってきます」

旅館の中にいる時は基本腰から抜いておいたのだが、今回ばかりは幽霊相手でも必要かもしれないと思った。

他の3人も同じことを思っているのか「刀なんか役に立つのか」とは言わなかった。

スリッパを履いて隣室へ行くと、居間の小さなスタンドランプが1つ灯っているだけで部屋はほとんど真っ暗だ。

昨日の夜のように真ん中に布団が2つ並んで敷かれており、手前では神楽が布団を蹴飛ばして眠っている。

押し入れも上下の襖が閉まっているので恐らくあとの2人も眠っているのだろう。

(…もう12時過ぎたしな…)

捜索を終えて旅館に戻ってきたのはつい30分ほど前だ。

は壁に立てかけていた刀を静かに持ちあげて腰に差し、神楽が蹴飛ばした布団を掛け直してやるとそのまま部屋を出た。

戸が閉まる音と同時に神楽がむくりと起き上がり、押し入れの襖が上下同時に開く。





同時刻・女将の部屋

ほとんどの従業員が勤務を終えてそれぞれの家路につく頃、女将だけは一人で部屋に残っていた。

従業員用の休憩室とは別に設けられた女将専用の部屋は広く小奇麗で、

置いてある家具の一つ一つに至るまで高級感が溢れている。

だが部屋の高級感とは裏腹にその空間は酷く散らかっていた。

桐箪笥の中に整理してあった本やアルバムは無造作に積み上げられていくつかの塔を成している。

黄ばんだ古い書類の束は乱雑に散りばめられて足の踏み場を探すのが難しい程だ。

女将はそんな奇妙な光景の部屋の真ん中に座り込み、一冊のアルバムを食い入るように見つめていた。

白黒の写真が挟まれた古いアルバム。

旅館をバックに従業員の集合写真を撮った時のものだ。

真ん中に女将とその夫。周囲には当時の従業員たちが笑顔で映っている。


ただ一人、一番左端に無表情で映る顔に痣のある少女を除いては。


「…………………」


女将はギリ、と奥歯を食いしばり、写真を挟んでいたフィルムを剥がして乱暴に写真を抜き取った。




「おばあちゃん」




「ッ!!」

すぐ真後ろから少女の声。

驚いて勢いよく振り返ったが、背後には誰もいない。

冷たい冬の風が戸の隙間から入り込んできて少し身震いした。


「…どこまで私を苦しめれば気が済むの…!千瀬…!!」


剥ぎ取った写真をぐしゃりと握り締め、箪笥から取り出した"護身用"の武器を右手に持って部屋を飛び出す。

立ち上がった瞬間自分の座っていた場所に一人の少女が立っていたことにも気付かずに。





「しかし。今更あの部屋に行って何か分かるのか?明日には本土に帰れるんだぞ」

部屋を出た4人はエレベーターを使って最上階の角部屋を目指していた。

人の気配がない廊下は下の階より更にひんやりと冷たく、階段の非常灯以外に明かりがないという視覚的温度も加わっている。

「初めから違和感があったんです、あの二部屋」

「それは部屋の間取りだったんじゃないのか?」

「ならどうしてあの間取りにする必要があったんです?管理側としては不便だし、造りの割に壁が薄いんですよ」

「…つまり」



「あの二部屋はもともと三部屋だったってことか?」




半歩前を歩いていた土方が遂にの考えを口に出した。

「そうです」

「えっ」

は頷き、総悟も分かっていたのか無表情だったが近藤は立ち止って驚愕に目を見開く。

「意図的に潰された一部屋、消えた従業員。高級食材が揃いましたよ。あとは掘り出すだけです」

「掘り出すってどこを!」

は躊躇うことなく突き当たりの部屋の戸を開け、スリッパを脱ぎ捨てて中に入った。

締めきっていたはずの窓はなぜか開いていて白いカーテンが不気味に揺れている。

居間に上がって床の間の前に立ち、半分切れた掛け軸を上から下まで睨みつけながら腰の刀を鞘ごと抜いた。

「総悟」

「おう」

鞘ごと腰から抜いた刀を再度左腰に構えると、総悟も同じように刀を抜いて床の間の前に立つ。

「ちょっと何する気ィ!!」

「これもしはずれて旅館から請求きたらどうにか工面して下さい、ねっ!!」

2人同時に刀を鞘ごと振り切って勢いよく床の間の壁を突く。

通常ならば大抵の衝撃には耐えられる壁はいとも簡単に崩れ、その向こうに隣の部屋が見える……はずだった。

問題児の部下2人がやらかした所業をあんぐりと口を開けて見ていた近藤だったが、

大きな穴の向こうに広がる景色を見てハッと我に返る。


「…何だ……これ…!」


壁の向こうに広がる暗い空間。

部屋を部屋の隙間というには広く、床の畳はそのままだ。

畳の網目にみっちりと詰まった埃や空間に張り巡らされたクモの巣の数から相当の年月放置されていたことが窺える。

4人は板の間に上がって壁の中を覗きこみ、部屋から持ってきた懐中電灯で中を隈なく照らした。

空間の奥、その天井を照らすと、梁の下にゆらゆらと揺れる紐のようなものが見える。

続いてその真下を照らし、4人は息を飲んだ。




「……お千瀬……」





真選組から少し遅れて最上階を目指していた女将は部屋から持ってきた「武器」を懐に隠し、小走りで階段を駆け上っていた。

何かに追われるように、何かを追いかけるように。


「どこに行くんですか女将さん」


階段を上りきったところで万事屋の3人がその行く手を塞いだ。

「あの部屋に見られちゃマズイものでもあんのか?」

「…何もありませんよ。昼間に掃除に行って忘れ物をしたので取りに行くんです」

必死の形相をすぐに隠し、いつものように柔らかく笑って銀時の横をすり抜けようとする。

だが横にいた神楽がすぐにその前に立って道を塞いだ。

「あいつらもう部屋の異変に気付いてんぞ。幕府の犬たァよく言ったもんでな、

 犬並みに嗅覚鋭いのがいんだ。頭は空だけど」

「………何が言いたいんです」

穏やかな表情が一転、睨ねつけるような目付きで3人を見る女将。




「アンタ自分の孫どこにやった?」





部屋と部屋の間に意図的に造られた空間に、既に性別も年齢も判別できない亡骸がひっそりと存在した。

一部白骨化したミイラ死体。

長い黒髪がその頭部に少しだけ残っていて、痩せた体には喪服のようなものが纏われていた痕跡がある。

頭蓋骨の半分は陥没しているようにも見えた。

埃なのか腐敗臭なのか分からない臭いに顔を歪めながら4人はその亡骸に近づく。

「…女将が……やったのか…」

「恐らくその夫も一緒にな」

元は天井の梁に吊るされた紐で首を吊るされて放置されていたのだろう。

年月が経つにつれて痩せた死体は紐からはずれて床に落ちた。

10年間ずっとこの場所で。



「…何を言ってるんです。私には孫なんていませんよ。娘は何年も前に島を飛び出していったきりです」

「アンタ知ってたんだろ?千瀬が自分の孫だって。本人から聞いたのか調べたのか、そこは知らねぇがな」



"母さんは、貴女たちを恨んでいましたよ"



女将の表情が更に歪む。

真冬の夜だというのにその額には汗が滲んでいた。



『どうしたんだい千瀬、改まって話だなんて』



顔の半分を痣で覆われた奇妙な少女が奉公したいと申し出てきたのは、うだるような暑い夏の日だった。

客商売故に千瀬のような人間を表に出していいものかと夫婦は悩んだが、

ここで断って旅館の評判を落とすのも得策ではないと思い、少女を裏方として雇い入れた。

千瀬は口数が少なく仕事以外で他の従業員と接することも少なかったが仕事を真面目にこなし、よく働く娘だった。

雇い入れて1週間、夫婦は千瀬から「話がある」と使われていない客室の1つに呼び出された。


『よく働いてくれているよお前は。痣のことなら気にしなくていい』


既に部屋に来ていた千瀬はなぜか旅館の着物ではなく真っ黒な喪服を着ている。


『……母さんは、貴女たちを恨んでいましたよ』


くるりと振り返った千瀬はその小さな手いっぱいに何かの木の実を握っていた。

夫婦は眉をひそめて首をかしげる。


『何を言ってるんだい…千瀬…』
『母さんが死んで15年になるんですよ…・ ・ ・ ・ ・
『母さんが死んで15年になるんですよ…おばあちゃん』


長い前髪の合間から覗くどす黒い顔の右側

その瞳が僅かに細められてうっすら微笑んだように見えた。

不気味な笑みに、叩きつけられた事実に、夫婦は背筋がぞくりと震えるのを感じて一歩後ずさる。


『まさか……あんたお婉の…!!』


15年前従業員の一人とかけおちして島を出ていたと思っていた一人娘。

千瀬の年齢と娘がいなくなった年が一致するばかりでなく、長い前髪にかくされた顔には娘の面影がある。

『お婉が…死んだ…!?男は!相手の男はどうした!』

ようやく状況を理解した2人が声を荒げて問い質すが、千瀬は不敵な笑みを浮かべて肩を上下させた。


『…母さんと一緒です。つるばみの木の下にいます』


そう言って右手を前に出し、握り締めていた拳をゆっくりと開く。

手の平から零れた木の実がコロコロと畳に落ちて2人の足元に落ちた。

千瀬はその手を懐に入れ、中から取り出したものを胸の前に構えて女将に向かって突進する。

きゃっ、と短い悲鳴が聞こえて畳の上にぱたぱたと血が滴り落ちた。

千瀬が両手に握り締めた脇差は女将の右腕をかすり、裂けた着物の合間から大量の血が溢れ出てくる。

薄暗い部屋で脇差を握り、前屈姿勢で構える千瀬の長い髪が振り子のように揺れて不気味さを強調した。


『…っ千瀬…!お前…!!』

『私は母さんの呪いのあかし。母さんはあの男の足を引っ張らなかったから…歌の通りに出来なかったから…
 
 だから母さんの代わりに私がやらなきゃならないの…!』


思いきって飛び込んだ夫が再び脇差を構えた千瀬の手を押さえ込む。

奇声を上げて暴れる千瀬を押さえようと夫が両手を自由を奪うと、

女将はとっさにテーブルの上にあったガラス製の灰皿を掴んだ。

夫が千瀬の髪を掴み上げて動きを制止させた瞬間、女将の手に握られた堅い物体がその小さな頭に向かって振り下ろされる。

ゴッ、と鈍い音がして、女将の手とガラスの灰皿に返り血が飛んだ。

がくんと崩れ込む少女の華奢な体。

恐怖と動揺に震える夫婦が千瀬から離れようと一歩後ずさると、床に倒れ込んでいた千瀬が勢いよく起き上がり飛びかかってきた。

『こ、の……ッ!!』

女将の手から血まみれの灰皿を奪い取った夫が再びその頭を叩きつける。

一度では足りず、更にもう一度。

ゴッ、ゴッ、と連続して響いた堅い音が、グシャッ、と潰れた音に変わるまでその頭を殴り続けた。

最後に部屋に響いたのは夫が手から灰皿を落とす音。

2人の目の前には原型がなくなるほどに頭を殴られ、事切れている千瀬の遺体。

『ァ……ッぁあ…あなた…!!』

『………っ隠すぞ…!早くしろ…!!』

夫は千瀬の長い髪を引っ張って遺体を引きずり、床の間に放ってきょろきょろと部屋の中を見渡した。

『か、隠すって…すぐ見つかってしまうよ…!』

『…この部屋を潰すんだ。大丈夫、俺たちだけでやればバレやしない』

大量の血が滲んだ畳を乱暴に引き剥がして裏返し、ふと天井に目を向ける。

『屋根裏の板を外して梁に吊るしておく』

『吊るすって…!!』

『いいから早くしろ!!旅館を潰したいのか!?』

夫はおもむろにテーブルの上に椅子を乗せてその上に乗り、天井の板を外して天井裏に上った。

自らの着物の帯を解いて梁にかけると再び部屋の戻ってきて千瀬の遺体を抱え、また天井裏に上る。

女将は部屋の壁や家具に付着した血痕を必死に拭っている。

天井裏の一番低い梁に帯を括りつけてその輪に千瀬の首をかけると、丁度遺体の足だけが部屋の天井から見えている状態だ。



『…従業員には急遽改装すると伝えるんだ…誰もこの部屋には通すなよ…』




…覚えている。



あの時切られた腕の痛みも


少女の頭を殴った時の感触も


飛びかかってきた千瀬の形相も叫び声も




"おばあちゃん…"




「……………ッ」


女将は懐から脇差を抜き、勢いよく駆けだして万事屋3人の真横を通り抜けてしまった。

「あ…ッ!!」

女将が目指すのはもちろん、廊下突き当たりのあの部屋。

丁度部屋からは真選組の4人が出てきたところで、近藤が携帯でどこかに連絡をとっているところだ。

女将がまっすぐ突進していくのは、こちらに背を向けて立っている横結いポニーテールの少女。


さん!!」


新八の声が届く前に足音と気配で振り返っただが、脇差を突きだした女将は既にその懐に飛び込んでいた。

脇差の刃が少女の胸に滑り込み、周囲にいた3人も声をあげそうになったが



「…残念」



胸を貫かれた少女はにっこりと笑って女将の手を掴み上げた。

そのままスリッパで素早く足払いをして女将を床に叩きつけると手から離れた脇差が軽い音を立てて足元に落ちる。

不思議なことにその刃にはほとんど血がついていなかった。

は倒れた女将に馬乗りになって両手首を右手一本で押さえつけると、左手で自分の着物の襟をぐいと引っ張って見せた。


「ど真ん中だったんだけどね。お守りとフロントホック万々歳」


首から下がったお守りの真ん中には穴が開き、年頃の割に控えめすぎる胸を覆った下着のホックが少しへしゃげている。

微々たる白い谷間にはかすり傷程度に薄く血が滲んでいるだけだった。

「あたし一応女性に優しい警官だからさ。暴れないでくれると助かるな」

再度にっこりと笑って左手で髪紐を解き、手錠の代わりに女将の両手を縛ってようやく上から退いた。

近藤がゆっくりと千瀬に近づく。

「…アンタが南方千瀬を殺したのか」

「…っあの子が悪いんだ…!この旅館を守るために…あの子には死んでもらうしかなかったんだよ!!」

縛られた女将の右手には古い切り傷のようなものが見える。

近藤は土方と顔を見合わせて浅く溜息をつき、一度切った携帯を再び開いて先ほどの発信履歴を呼びだした。




それから10分足らずで地元の警察が旅館に駆けつけ、女将は殺人と死体遺棄の容疑で逮捕される形になった。

他の従業員は事件に全く関わっていなかったらしく、高級旅館の敏腕女将が突然逮捕されたとあってみんな動揺しているようだった。

彼女の証言では正当防衛が認められるかもしれないが、肝心の千瀬がもう死んでしまっているので難しいだろう。

女将がパトカーの乗せられて連行されるのを見送り、4人は千瀬の遺体が放置されたあの部屋に戻ろうとエレベーターの乗った。

「遺体はどうするんです?本庁の鑑識が来るまであのままなんですか?」

「ヘタに動かせんからな…まぁここからは俺たちの仕事じゃないし、地元の警察に任せるのがいいだろ」

最上階に戻ると万事屋の3人が暇を持て余して廊下に座っている。

「よう、お前中学生のスポーツボラじゃなくて助かったな」

「うるさいなぁ、今のスポブラって画期的ですよ?CでもDでも対応してますからね。

 ってか今時中学生だって普通のやつしてますよ」

「でもお前は当分B65から脱出できねぇだろうがな」

「い、いいんだもん胸なんて邪魔なだけだもん!」

並んで歩くドSコンビを怒鳴りながら角部屋に入り、奥の居間を覗いて一同は絶句した。


「…あれ…?」


壊された壁の向こうに放置された千瀬の遺体が消えている。

忽然と。

「誰か持ち去ったか…!?」

「そんな、僕たちずっとこの廊下にいたんですよ!誰も通ってません!」

狭い空間に皆で入ってあちこち懐中電灯で照らすが、遺体はどこにも見つからなかった。

遺体が身に纏っていた喪服でさえも。

ははっとしてベランダに出ると旅館から町中に続く道路を探し始めた。

パトカーは既に目で見える場所からは離れてしまっている。


…消えた遺体の行き先はなんとなく解っていた。


あり得ないとおもいつつも、きっとそうだろうと確信があった。





同時刻

女将を乗せたパトカーには3人の警察官が乗っていた。

運転席と助手席に男性警官が2人、後部座席に座る女将の隣に女性警官が1人。

旅館から少し離れた警察署を目指して車を走らせていたのだが、

トンネルの手前に差し掛かったところで運転していた警官が勢いよくブレーキを踏んだ。

パトカーはタイヤが擦れる高い音を出しながら急停車し、残りの4人はシートベルトをしていたのも関わらず体が前に傾いた。

「ど、どうした!」

「…今……人が…人が飛び出してきて……」

運転手の警官は真っ青な顔をして真っ暗な道路の先を見つめている。

助手席の警官は車を降りてボンネットの前に立ち、辺りを懐中電灯で照らした。

周囲は街灯が少なく、時間帯もあって車はほとんど通らない。

おまけにすぐ目の前がトンネルだということもあって異常なまでに不気味な雰囲気を醸し出していた。

「何かありましたか?大丈夫ですか?」

後部座席に座っていた女性警官もドアを開けて半分体を出しながら前方に声をかける。

だがいくら探しても人の姿など確認できなかった。

女性警官が隣に座る女将から一瞬注意を逸らした隙に、女将は手錠をかけられた手で反対側のドアを開けてパトカーを飛び出した。

「…あっ!こら!!」

女性警官も慌ててパトカーを出て追いかけようとしたのだが、



ぐしゃり。


女性警官の足元に草履の片方と女将の・ ・ ・ ・
女性警官の足元に草履の片方と女将の体の一部が飛んできた。

トンネルを猛スピードで出てきたダンプカーが道路に飛び出した女将を刎ね、

その体はほとんど原形なく道路の真ん中に叩きつけられる。

「…っ救急車!!救急車呼んで下さい!!」

女性警官が慌ててパトカーに声をかけたが、ここから見ていても息があるとは思えなかった。

停車したダンプカーの十数メートル前に横たわる女将の体に、のっそりと近づく黒い影があった。

長い髪を揺らし、喪服に身を包み、細く白い手いっぱいに木の実を握った少女の影。

少女は顔の潰れた女将の髪を引っ張り、道路をずるずると引きずって森の中へ連れ込んで行く。



「…だいじょうぶ」


「三回引けば、だいじょうぶ」



旅館の廃館が決まり、千泉の家も取り壊しが決まって周囲の工事が進められる最中、
家の間裏にあったつるばみの木の根元から・ ・ ・
家の間裏にあったつるばみの木の根元から4人分の白骨死体が見つかったと報告を受けるのは


真選組が本土に戻ってきて間もなくのことだ。








真冬に開始したホラーをホラー本番の夏に完結させるといういいんだか悪いんだか分からない結果に。
け、計算通りだぜ…!←
年末のアンケートにご協力頂いた際、「真選組固定ヒロインシリーズの長編」「冬のホラー」「銀魂でホラー」という
ご意見を頂いたので、じゃあ冬に真選組固定でホラーをやろうということで書かせて頂きました。
でもうちのヒロインキャー!とか言わないんで怖さ半減ですね。
作中の「つるばみの詠」・「波浮の宿」は実在しません。あしからず。
ここまでお付き合い頂いてありがとうございました!