つるばみの詠-16-








『産むって…いいのかい、お婉。女将さんに話をしないで…』


25年前、町の小さな産婦人科の門を叩いたのは若干18歳の少女だった。

伊豆大島では有名な高級旅館「波浮の宿」の経営者夫婦の一人娘、お婉。

従業員の一人と恋仲になり、結婚を両親に反対されてかけおちをした、と風の噂で聞いたのだが

少女はそんな噂が聞こえてきて程なく診療所を訪ねてきた。


『話したってどうせ堕ろせって言うに決まってる』

『…相手の男も堕ろせって言ってるんだって?』


千泉と並んで座る夫が心配そうに声をかけると少女・お婉はこくんと頷いた。


『だから…いいの、この子は私一人で産んで育てる。そう決めたの』


少し膨らんだ腹部を押さえ、お婉は強い母親の顔つきでそう言い切る。

南方夫婦は困ったように顔を見合わせたが、本人の意志ならば尊重しようということで2人の意見はまとまった。


だが、診療所の入院施設で出産までの期間を過ごすことになったお婉の体調は芳しくなかった。


つわりで激痩せしたのは仕方がないにしても、胃痛や下痢を繰り返し診療所のベッドを出られない日が続いた。

その反面胎児の経過は良好で痩せたお婉の胎内ですくすくと育っている。



『…こーろーこーろーつるばみのー実で染め喪を纏いてー

 御髪で君のひとがた枝に吊るー』



『こーろーこーろつるばみのー枝に吊りし君の首ー

 右足参度引かねばつるばみ返るー』




ある日千泉が病室を覗くと、身重の少女は浴衣から真っ黒な着物に着替えて窓際に佇んでいた。

妊娠6ヵ月に入ってかなり膨らんだ腹部を締め付けないよう、帯をたるませて結んだ喪服。

何か歌を口ずさんでいたようだったが千泉が声をかけた時には既に歌い終えたようだった。


『お婉、何してるんだい』

『…千泉さん。このあたりにつるばみの木はありますか?』


お婉は窓の外を眺めたまま口を開く。

『つるばみ?クヌギのことかい?すぐ裏にあるよ』

それがどうかしたのかと問いかけると、お婉は手にもっていたものをそっと千泉に差し出してきた。

手渡されたのは人形に切り取られた壊紙。

千泉は眉をひそめた。

『これを使ってその紙をつるばみの木に結んできて欲しいんです』

更に渡されたものを見て思わずぎょっとした。

それは数十本の人髪。

長さから見てお婉のものではなく、どちらかというと太い男の髪の毛に見える。

『お婉…これ……』

表情を歪ませて千泉が問いかけるとお婉は振り返ってくすりと笑った。

『本を読んでいたら面白いものを見つけたの。つるばみの詠っていうんだって』

『…あの…童歌の?』

『あの歌には続きがあって、ほとんど知られていない三番からは人の呪い方が歌われてるんですって』

千泉はざわ、と総毛立つのを感じた。

今この状況で彼女が呪いたい人物など一人しかいない。

この人形の壊紙は誰を呪うために切り取られたものなのか、この人髪は誰のものなのか、想像するのは容易だった。


『…これを…木に吊るすとどうなるんだい…?』


恐る恐る千泉が問いかけると、お婉は変わらず不敵に微笑んで再び窓の外を見つめる。


順調に育つ胎児とは対照的に、お婉の体力は衰える一方だった。

病院食を口に入れてもすべて吐き出してしまい、葛湯だけで栄養をとっていたようなものだったが

それでも胎児は驚異的な成長で出産の時を今か今かと待ちわびているようだった。

お婉に言われた通り、千泉が診療所の裏に生えているつるばみの木に人形を吊るしに行って7日後。


『………、……!』


南方夫婦は木の枝で揺れる人の影を見た。

一度だけ、お婉と一緒に歩いているのを見かけたことがある波浮の宿の従業員。

一番太くしっかりした枝に縄が吊るされ、その先端に引っ掛かった首を支点にぶらぶらと揺れる男の体。

その横の細い枝には一週間前千泉が彼の髪で吊るした人形がふわふわと揺れていた。

お婉と別れ一人で島を出たのではないかと思われていたが、どうやら島に残っていたらしい。


『…あ、あんた……』

『……降ろすぞ…今すぐだ…!』


夫はそう言って木によじ登り、男の体を吊るしている縄を解き始める。

千泉もそれを手伝って首吊り死体を木から降ろし、二人はその死体を木の根元に埋めた。

彼の死が明るみに出ればまず真っ先に疑われるのは恋人だったお婉であるし、

二人にはどうしても彼が自分の意志で首を吊ったとは思えなかった。

悪いことだとは思いつつ、彼の死を隠ぺいすることが得策だと考えたのだ。

男の死をお婉に知らせるかどうか迷ったが、負担をかけて出産に影響するとまずいと考え、

二人は事実をお婉には伏せておくことにした。



それからしばらくしてお婉は臨月を迎える。



心配していた通り、出産直前まで体調を崩していたお婉の容体は決して良いとはいえなかった。


『お婉、お婉しっかり…!もうすぐだよ、もうすぐだからね…!』


もう頭が見えている胎児と汗だくで激痛に耐えているお婉を交互に気遣いながら千泉は言う。

十数時間に及ぶ分娩でようやく出てきた赤子の顔を見て南方夫婦はぎょっとした。

小さな頭の半分が黒い痣で覆われていたのだ。

妊娠中のお婉の体調のせいだろうか、何かの副作用だろうか、2人の脳裏に様々な憶測が浮かんだが、

今は母子の健康を優先させるべきだと急いで臍の緒を切った。

赤ん坊は力ない産声をあげて小さな手足をゆっくりと上下させている。

千泉は取り上げた赤子を両手に抱き、躊躇いながらもお婉にその姿を見せた。

『…お婉…この子があんたの子だよ…!女の子だ…!』

お婉は息を切らしながら我が子の顔を見て驚愕していたが、まるでそれを予想していたかのように愛しげに赤子の頬を撫でる。


『……ごめん…ごめんねぇ…』


その後お婉は血圧が急激に低下し、ショック状態に陥ってそのままぱったりと死んでしまった。

赤ん坊の名前を遺言に。

生まれた子供は「千瀬」と名付けられ、南方夫妻の元に引き取られることになった。

夫婦は話し合った結果、お婉の死亡届を出さず、男の死体を埋めた同じ場所にお婉の遺体を埋めることにした。

「この子が私の子供であることは絶対に世間に広げないで」それがお婉のもう一つの遺言でもあったからだ。




『千瀬?千瀬何を見てるんだい?』



少女が五つになったある日、診療所と隣接した居住スペースでお千瀬はじっと窓の外を見つめている。

顔の半分を覆う痣はそのままに、千瀬は大きくなる度母親に顔つきが似てきたようだった。

『……あそこ』

千瀬は窓の向こうに見える小高い丘を指差した。

指の先にはあのつるばみの木が生えている。

『あの木が…どうかしたのかい?』

どきりとしながら千泉は問いかける。

千瀬は指をさしたままゆっくりと小さな体を左右に揺らし始めた。



『…だれかぶらさがっているよ』



『おとこのひとがね、こっちを見てるの』




さっと全身の血の気が引いた。

千泉は思わず窓を開けて木を見る。

立派な橡の木は緩い風に靡いて枝がかさかさと音を立てているだけだ。人などいるはずもない。

千泉は慌てて窓を閉めてカーテンを引き、千瀬の前にしゃがんでその細い肩を強く掴んだ。


『なぁんにもいないよ。千瀬、お前は母親の分も幸せになるんだ。

 お前の母親がそれを望んだんだからね…』


そう言って小さな体をそっと抱き寄せる。



…その頃からだ。



千瀬は時折誰もいない場所をじっと眺めては、ぱくぱくと口を動かすような仕草をするようになった。

一人でいる時は誰もいない部屋で誰かと会話をしている。

年を重ねても千瀬はその行動を繰り返し、夫婦は対応に困っていた。


『わたしの顔はね、呪いが返ってきたからなんだって』


ある日突然、自分の顔の痣に触れてお千瀬は言った。


『歌の通り足を三回引っ張らなかったから、お母さんのかわりにわたしが呪いを受けたんだって。

 お母さんがね、言ってた。何度も何度も私に謝るの。ごめんね、ごめんねって何度も言うの』


出産と同時に死んだ母親と会話をしたことなどない千瀬が、どうやって母親の声を聞いたのか。

夫婦は恐ろしくてそれを聞くことが出来なかった。

顔の痣のせいか寺子屋でも友達が出来ず、性格は内気になり南方夫妻以外の人間とはほとんど喋らずに日々を送っていたのだが


『お義母さん。私、波浮の宿に住み込みで働くことにしたの』


千瀬は15になったある日、唐突に言った。

千泉はえっと度肝を抜く。

この頃既に夫は体調を崩して診療所を休んでおり、千泉と千瀬は2人で暮らしていたようなものだった。

彼女には母親の実家のことは何も話していない。

あの旅館の女将が彼女の祖母であることなど、知るはずないのに。


『ど、どうして突然…』

『私ももう15だし、迷惑かけていられないから。大丈夫、もう旅館と話はついてるの。

 住み込みの施設もあって食事もちゃんとつけてくれるのよ』


千瀬はそう言って部屋で荷物をまとめ始める。


『でもやっぱりこの顔だから…接客は無理ね…洗濯とか掃除とか、あまり客前に出ない仕事させてくれるって』


なぜよりによってあの旅館なのか。

この島では一番有名な老舗高級旅館だし常に人手は必要なのかもしれない。

もう奉公が決まっているというのに引き止めることはかえって不自然だ。

女将も旦那も、まさかかけおちしたと思っている娘がこの島で出産していたとは思うまい。

恋人だった男の死もまだ世間には知れていないし、千瀬の素性がばれることはないだろう。




千瀬が失踪したと聞いたのは、家を出て僅か一ヵ月のことだった。





『……おかあさん』




『お義母さん』





「おかあさん」





「…………ッ!!」


廃屋同然の家で千泉はハッと目覚めた。

散乱したゴミの間にようやく敷かれた布団の上で見慣れた天井を見上げ、

細かい皺が刻まれた目尻を大きく伸ばして相貌を見開く。

眼球を左右に動かし、這いながら布団を出ると物が積み上げられた廊下に出て破れたカーテンを引いた。

鬱蒼と生い茂った森の向こうに見える小高い丘の上の1本の木。

25年前と変わらずどっしりとした太い幹が少し高い位置から小屋を見下ろしている。

…見下ろしているのはあの木の幹だけだ。何を確認するつもりだったんだ自分は。

千泉は額を押さえて首を振り、早々とカーテンを閉めた。





「……17…18…19……やっぱり1つ足りないなぁ」


同時刻・波浮の宿

最上階とその下の客室の数を数えるため2つのフロアを何度か往復した真選組だったが、

何度数えても最上階の客室は下の客室より1室少なかった。

念のため更に下の階も数えてみたが最上階以外は全て20室で統一されている。


「…窓の数が同じなのに部屋数が少ないって…どういうことだ…?」


顎を押さえて首を捻り、元々が使っていた最上階の角部屋の前に立つ近藤。

はその後ろに隠れるようにして締め切った部屋の戸を睨みつけた。

昼間の今、4人で来れば幾分気は楽だがそれでも気味悪さは拭えない。


そんな中、は一つの可能性を導き出していた。


あの部屋に最初に入った時に感じていた違和感。

それは隣接する2つの部屋の間取りが本来非対称でなければならないのに、対称であったことから生まれていた。

その理由を考える暇もなくあれこれ怪現象が起きていたのだが、

その現象にしても冷静になって思い返してみると不自然な点がある。

が隣室で初めてみた首つり死体。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
なぜあの体は部屋の中心に吊らされていなかったのか。



山崎が目撃したという女将の夫の首吊り死体。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
なぜその死体はこの部屋でなければならなかったのか。



そして



"うるさいなぁ…いい年して何騒いでんだか…"



この旅館に来た初日、神楽に部屋を案内してもらった時のこと。

隣の近藤たちの部屋から思いのほか声が響いてきて、神楽が壁を蹴った時のこと。


"おいうるさいアル!静かにしろヨ!"


ボゴン、と大きな音を立てて揺れた壁。



・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
高級旅館の部屋の壁が、そんなに薄いはずがないのだ。




「……もしかして…」

導き出した可能性を口にしようとすると



「どうかなさったんですか、皆さん」



重苦しい雰囲気を取り払う上品な声。

4人がはっとして振り返ると、エレベーターの方から女将が歩いてくる。

千泉の話を聞いて以来女将に疑念を抱いていた4人は一瞬身構えた。

「いえ、何でもありません。そろそろ本土の天候も安定してきたし、

 この旅館も見おさめかなぁなんて…」

はは、とわざとらしい笑みを浮かべる近藤を見上げ、は言おうとしていたことを飲み込んだ。

女将に確認するのは自分たちが確認した後でいい。

「あら、落ち着いたらまた是非遊びにいらして下さいな。いつでも大歓迎ですよ」

女将はそう言って笑い、「では」と頭を下げて廊下を戻って行く。

女将こそなぜここに、と問いかけるつもりだったがタイミングを逃してしまった。


「……近藤さん」


は後ろから近藤の着物の袖を引っ張る。



「夜になったらもう一度来ましょう。…確かめたいことがあるんです」



To be continued