「………ん…」



午前6時

新八は眠る前に予想していたよりずっと快適に朝を迎えることが出来た。

足は辛うじて伸ばすことが出来たし、部屋自体が立派なので押し入れも通常より広い。

目を開けるとすぐ真上に迫っている天井には一瞬驚いたがぐっすり眠れたようだ。

…あ、でもやっぱちょっと背中痛いかな…

そう思って寝返りを打つと



「……っえ!」



居間のテーブル前にのっそりと座る2つの人影。

小さなスタンドライトだけをつけて向かい合わせに座っていたのは銀時とだ。

2人共浴衣のまま頭を抱えるようにして微動だにしない。

驚いて完全に目が覚めてしまった新八はもぞもぞと押し入れを出ながら2人の様子を窺う。


「…お、おはようございます2人共…早いですねもう起きてたんですか…?」


歩伏前進で押し入れを出て眼鏡をかけながらテーブルに近づいたが2人は無反応だ。

「……どうしたんですか2人共…何かあ…」

「着替えろ新八。出るぞ」

目頭を押さえるようにしてじっとしていた銀時が低い声で唐突なことを言いだす。

「は…?ちょ、銀さん何言ってんすか急に…天気予報見たでしょ、船出せる状況じゃないって…」

「いいから荷物まとめろ。船なんざ漁師脅しゃなんとでもなんだろ…」

テーブルに手をついてゆっくりと立ち上がる銀時。

新八は眉をひそめて銀時を見上げ、助けを求めるようにを見る。

さん!何かあったんですか!?」

「…帰るならご自由にどうぞ。どうせ船なんか出ませんよ」

無視しているのか聞こえていないのか、はぼーっと一点を見たまま銀時に向かって言った。

一方の銀時はまだ寝ている神楽を起こしていたが起きる気配がなく、

鼻ちょうちんを膨らましている彼女を抱え上げてそのまま帰る支度を始めている。

状況が飲み込めない新八はおろおろしながら2人を交互に見つめていたが、銀時を手伝って仕方なく帰り支度を始めた。






つるばみの詠-15-







「ふぁぁああ…久々にゆっくり眠れたなぁ」


同時刻・隣室

近藤は布団から上体を起こしてうーんと大きく伸びをする。

宿泊初日からなんやかんやと騒ぎがあってなかなかゆっくり眠ることができなかったが、

今日は朝まで何事もなくぐっすりと眠ることが出来た。

寝ぐせだらけの頭を掻きながら布団を出ると総悟はまだ寝ていたが、土方は既に起きて洗面所で歯を磨いている。

「おはようトシ、よく眠れたか?」

「久々にゆっくりな…ったく、本来はこうじゃなきゃならねーだろ旅行っつーのはよォ…」

近藤も歯ブラシを銜えると居間に戻ってきてテレビをつける。

朝の天気情報はまだのようだ。

すると



コンコン



部屋の戸をノックする音。

2人は各々歯ブラシを銜えたまま入口に目をやる。

入口に近かった土方が必然的に戸を開けると、廊下には自分の荷物と枕を抱えたがぼうっと立ちつくしていた。

「…何してんだお前」

「お邪魔します…」

「ちょっ…オイただでさえ狭ェんだから…!」

は軽く一礼して入口でスリッパを脱ぎ客室に上がり込んでくる。

土方は銜えた歯ブラシを落としそうになりながら慌ててその後を追った。

「おうおはよう。どうし…っぶ、へぇ!」

は廊下の途中で荷物と枕を放り投げ、テレビの前で立ったまま歯を磨いていた近藤の背中に突っ込む。

歯ブラシを銜えている上に口の中が泡でいっぱいだった近藤は噎せ返りそうになって思わず口を押さえた。

「…ッ、…、ゴホッ!…ちゃん…人がものを口に入れてる時は突っ込んじゃいけないよ…

 昔あったじゃん?子供がわたあめの棒を口に銜えまま転んで大怪我したとかさ…ゴホッ」

泡を少し飲んでしまった。

口の端から垂れた涎をぬぐいながらを注意したが、

いつも気丈な言動の目立つ彼女とは思えない今にも泣きそうな顔をしているのでギョッとする。


「……もうヤダお家帰る…」

「…は…!?お家!?お家なら俺だって今すぐ帰りたいよ!っていうかどうした!?泣くな!?」





・・・・・・・・





「…成程。じゃあ昨夜は万事屋の連中もお前の部屋にいたってことだな?」

総悟もようやく起きて身支度を整えた3人は、の話を聞いて微妙な表情を浮かべている。

ゆっくり眠れたと思ったら朝イチでその話題か。

しかもの様子を見るにほとんど寝ていないようで、蒼白の顔面に濃いクマが浮かんでいた。

「…あたしは神楽ちゃんさえいてくれればよかったんですけどあと2人もついてくる形になっちゃって…

 万事屋の旦那も無駄に霊媒体質ですからね……ダイ●ンならダイ●ンらしく塵埃吸ってろってんだ…」

ちっ、と舌打ちして昨夜の悪夢がさも銀時のせいであるかのように言う。

近藤と土方は互いに首を捻りながら顔を見合わせたが、滅多なことで弱音を吐かない女隊士の怯えた様子を見ると

口頭で伝えられたそれらの怪奇現象は是が非でも信じなくてはならないように思えた。

「船が無理なら空から来てもらうっつーのは出来ねぇんですかね?」

「それがあの後とっつァんから全く連絡がないんだよ。ひょっとして俺ら忘れられてんじゃないのか…?」

テーブルに頬杖をつきながら総悟が後ろを振り返って窓の外を見る。

空はどんよりと曇っており、遥か海の向こうにある本土の方向には更に分厚い雲が広がっていた。

時折強く吹く寒風がカタカタとガラスを揺らして肌寒く感じる。

どうしたものかと途方に暮れていると


コンコン


再び外から戸をノックする音。

「局長、山崎です」

「入っていいぞ」

廊下から聞こえた声に近藤が返事をすると戸が開いて、ノートパソコンを抱えた山崎が「おはようございます」と顔を覗かせた。

「捜査協力を頼んでいた本土から連絡がきまして…千泉さんの夫が入院している精神病院から資料が送られてきました」

「資料?」

お邪魔します、と一礼して部屋に入ってくる山崎が持っているのはノートパソコンだけだ。

山崎は浮かない表情で頷き、テーブルの上にパソコンを置いて開く。

画面には夫と思われる男の顔写真と病状などを書いた資料が映し出された。


「南方熊二郎。10年前からこの病院に入院しています。

 幻覚、狂言、自傷行為を繰り返し、一時病院内で自殺を図ったこともあるようです。

 医師は何らかの原因による統合失調症と判断しているようですが…やはりお千瀬に関係があるのではないかと…」

「…この人が…千泉さんの旦那さん…」


頬が扱けた痩せ形の男性。

目は虚ろで毛髪のほとんどが白く、ところどころに円形脱毛症が見える。

年齢に「55」と書かれているのに千泉同様70〜80歳の老人のようだった。


「病室の様子を撮影した映像です」


山崎はそう言って1つの動画ファイルを開く。

パソコンの音量を上げ、4人は身を乗り出してパソコンを覗きこんだ。

画面には真っ白な空間にベッドとトイレがあるだけの簡素な部屋が映し出されている。

造りは牢屋のようだったが清潔感がありとても落ち着いた空間のように見えた。

部屋の真ん中には椅子に座った男。

しきりに体を揺らして周囲をきょろきょろと見渡し、貧乏揺すりをしながら何かブツブツと呟いている。

痩せた腕にはいくつもの引っかき傷が見え、その細い指の爪はほとんど剥がれてボロボロだった。


『今日の体調はどうですか?』


カメラに移っていない位置に医師がいるらしく、柔らかい声が男に向かって話しかける。

だが男はそんな声など聞こえていないように体を揺らして相変わらずブツブツと独り言を言っていた。


『南方さん、今日の朝食はおいしかったですか?』

『……だめだ、…だめだだめだ、あれはだめだ…よく、よくない、よくない……』

『先日ね、奥さんからお電話頂きましたよ。お元気そうでした』

『…ひかなきゃ、ひ、ひ、ひかなきゃならない…あ、あの、あのおんな…

 のろっ、の、のろ…、のろわれた…のろい、のろいのろい…』


会話は全く成立していないが、医師は構わず柔らかい声で話しかけている。


『…くる……』

『はい?』


始めて男が焦点を合わせて医師の方を向いた。

医師は聞き返す。


『…来る…、来る、クる…来るぁ…!あぁぁああああ!!!』


男はいきなり立ち上がり、両耳を押さえて後ずさりした。

取り押さえて、と声が聞こえて部屋の四隅にいた医師が男を取り押さえる。

既にぼろぼろの爪を耳に入れて掻き毟るような動作をするが、医師たちが慌てて両手を押さえつけた。


『ち、千瀬……来るな…くるなくるなくるなァァぁああああああ!!!!』


確かに聞こえた「千瀬」の名前にパソコンを凝視していた4人は目を細める。

絶叫する男は医師たちに取り押さえられ、映像はそこで途切れた。


「…ヤクでもきめてんのか?」

「医師の診断では薬物は検出されなかったみたいです。局長たちが南方千泉から聞いてきた話通り、

 お千瀬を養子にとってしばらくしてから症状が現れたようで…診療所も休診してたようですね」


煙草を銜えて怪訝な顔をする土方に山崎が別のファイルを開きながら答える。

朝からショッキングな映像を見せられたものだとは額を押さえて浅く溜息をつく。

「…あ。そういえば…」

テーブルに頬杖をついたところで昨日新八に聞いたことを思い出した。

「旅館の裏にデカイ蔵があるんですけど…どうやら元従業員の住み込み部屋だったらしいんですよ。

 今は物置になってるみたいです」

「住み込み部屋?じゃあお千瀬もそこに寝泊まりしてたってことか?」

「恐らく」

が頷くと近藤は顎髭を撫でながら「うぅーん」と唸る。

調べることが多すぎて頭が痛い。

「とりあえず朝飯食ってからその物置を見に行ってみるか。から聞いた話を踏まえて、

 もう一度千泉さんのところに行った方がいいかもしれない」






同時刻・港


「あァ!?何言ってんだお前ら!こんな波で船なんか出せるワケねぇだろ!

 漁にいった船もみんな戻ってきたよ!」


身支度を整えて旅館を出た万事屋の3人だったが荒れた海に船を出してくれる漁師などいるはずもなく、

漁師を脅すところか逆に怒られて漁港で途方に暮れていた。

堤防前に佇む銀時と新八に冷たい冬の風が吹き付ける。

神楽は浴衣の上に糖印の上着をかぶせられて未だ銀時の小脇に抱えられていた。


「……どうします銀さん…やっぱり船出ませんよ…」

「…お前…スタンドに呪い殺されるのと船転覆して水死すんのどっちがいい…?」

「縁起でもないこと言わないで下さい!!ま、まずは旅館に戻りましょう!?

 真選組が何か調べてくれてるかもしれませんよ!」

「みんな呪い殺されんだよ…こっちは俺1人だからいいよ?あっちはサイ●ロンの2台構えだろ?

 さすがの銀さんダイ●ンもサイ●ロン×2には敵わねーわ…」


踵を返し、とぼとぼと旅館に戻る道を歩き始める2人。

冷たい風に肩をすくめたところでようやく神楽が目を覚ました。


「……寒いアル…銀ちゃん何でこんなトコにいるアルか…?夜逃げ?

 アレ?銀ちゃん泣いてるの?新八?どうしたアルか?」


目頭を押さえて無言で歩く男2人を見上げ、神楽は寝ぼけ眼を擦りながら不思議そうに首をかしげる。





その頃、朝食を終えた真選組は旅館裏の大きな蔵まで来ていた。

露天風呂の奥の松林を抜け、周囲から少し隔離された場所にその蔵はある。

現在物置になっているだけあってあちこちにクモの巣が張っており、蔵を囲う草木は鬱蒼として全く手入れが行き届いていなかった。


「…鍵、かかってますね」


当然だが蔵の扉には大きな南京錠がかけられている。

蔵の周りをぐるりと一周してみたが他に入口はなく、窓も内側からしっかり鍵がかけられていた。

「どうしやす近藤さん、鍵壊しますかィ?」

「いや、いい。捜査令状が出てない以上手荒なマネは出来んからな」

前に出て刀の柄に手をかける総悟だったが近藤は首を振った。

「まぁただの物置なら調べても何も出てこないだろうが…」

「女将に許可とってくるか?」

「うーん…」

近藤が判断しかねている中、はなんとなく旅館を見上げて自分たちの客室の窓を見た。



「………ん?」



5階建ての立派な旅館を見上げ、気付いた異変に眉をひそめる。

「どうした?」

「いや…うちらが最初に使ってた最上階の部屋、窓は1つだったよね?」

がそう言って旅館を指差したので、声をかけた総悟も旅館を見上げて首をかしげる。

「横長のデカい窓が1つだな。俺らの部屋はベランダが土方スペースだったから窓開けてねーけど」

煙草は外で吸って下せェ、とでも言ったのだろうか。

ベランダに追いやられて寒い屋外での喫煙を余儀なくされている土方の姿が想像できたが今はどうでもよかった。

「じゃあ窓の数おかしくない?あたしたちの部屋他より広かったのに、窓の数が下の階と一緒なんだよ?

 階の幅は全部一緒なのにさぁ」

首をかしげて再び旅館の窓を指差す

総悟も腕を組んで首を傾け、人差し指を使って地道に窓の数を数え始めた。

「……ほんとだ」

が「でしょ?」と首を下げると総悟はすたすたと蔵の前を離れていく。

「どこ行くの?」

「部屋数数えに」

「、あたしも行く!」

が慌ててその後を追うと、蔵の前で悩んでいた近藤と土方もそれに気付いて蔵を離れた。



蔵の奥に聳え立つ大きな木はすっかり落葉し、細く痩せた枝がカサカサと音を立てている。

幹の周囲に散らばる細長い葉の下に、今は餌として運ぶ動物もいない小さな木の実が転がっていた。




To be continued