つるばみの詠-14-










「…………………」

「…………………」


時刻は夜の10時を回ったところ。

万事屋の男性陣2人は従業員休憩室より遥かに広く立派な部屋にいた。

歴史を感じさせる古い家具の心地よい木の香りと、窓から吹き抜ける爽やかな潮の匂い。

1人1部屋使うには勿体ない高級旅館の客室の…



押し入れの中。



「神楽ちゃんそっち持ってー」

「こうアルか?」

「そうそう、そこ引っ張って布団の下に入れて…うん、それで終わり。寒いなら毛布借りてくるけど平気?」

「大丈夫アル。いつも薄い布団で寝てるから1枚で十分ヨ」


部屋の真ん中ではと神楽が布団を広げて寝る支度をしている。

襖を隔てて女子同士の楽しそうな会話を聞く銀時と新八の視界は真っ暗だ。


「アンタらは?そこはあったかいと思いますけど」


ガラ、と襖を開けてが顔を覗かせる。

布団を全て出して空になった2段の押入れには下の段に新八が、上の段に銀時が小さくなって納まっていた。


「…何なんだこの扱い…」

「…2人で休憩室居ても怖いだけだって言ったの銀さんでしょ…」


30分前。

が神楽を買収したことによって彼女はの部屋で一緒に寝ることになったのだが、

休憩室に残された万事屋2人は気が気じゃなかった。

人一倍霊感の強い銀時。

折角買ったお守りも無くしてしまい、唯一霊の存在を怖がらない神楽がいなくなっては怖さも倍増だ。

「押し入れなら使わせてあげますけど?」と言うの誘いを一度は怒鳴りながら断ったが、

静か過ぎる休憩室の空気に耐えられなくなり、恥を忍んで再びの部屋までやってきたというわけだ。


「狭ぇーな…足伸ばせないんだけどこれ」

「僕はギリギリ伸ばせますけど…アレですね、押し入れってやっぱり神楽ちゃんサイズですよね…」


普段万事屋の押し入れは神楽の寝床となっているが、今は立場が逆転してしまった。


「襖閉めます?」

「いやいやいやいやいや!!いい!開けといて!!」


襖に手をかけて首をかしげるを銀時が慌てて止める。

押し入れってなんか無意味に怖い。

押し入れ開けたらなんかいた、とかよくあるけどその逆もありそうで怖い。

「いいですけど朝まで畳に足着けないで下さいよ。出てきたら刀抜きますからね」

はそう言って開けた襖に刀を立てかけた。

霊より怖ぇーよ、と押し入れの2人は黙り込む。

「…そ、そういえばさん、昼間どこかに行ってたみたいですけど…何か分かったんですか?」

新八は既に布団に潜り込んでいる神楽の横で隊服をハンガーにかけるに問いかけた。

「…うん…まぁ…分かったといえば分かったけど更に分かんなくなったと言えば分かんなくなったかも…」

「んだよそれ。ったく…船さえ出せりゃこんなとこさっさとおさらばしてぇのによー」

銀時は組んだ手を頭の下にして押し入れの天井を眺める。

勢いよく起き上がれば頭をぶつけてしまいそうな程低い。



「…お千瀬は、女将の孫らしいんです」



ハンガーを縁にかけて押し入れに目を向ける。

新八は思わず頭を浮かせて「えっ」と声を漏らした。

「島の誰にも知られず生まれた子供…もちろん、女将も知りません。

 でも千泉さんは女将はそれを知ってたんじゃないか、って…」

「…し、知ってたら…どうだっていうんですか…?」

身を乗り出す新八の問いには首を振る。

失踪事件に関与しているのではないか、という推測までは話せなかった。

「母親はお千瀬を産んですぐ病死しています。父親は…」

「かけおちしたっつー従業員か?」

銀時が口を挟むとそこまで知っているなら話が早い、とは頷く。



「…呪い殺したらしいんです。母親が、つるばみの呪い歌を使って」



神妙な面持ちで「呪い」などと口にする

普段なら何を馬鹿なと笑い飛ばすところだが、状況が状況なだけに2人は黙り込んでしまう。

神楽は既に布団で寝息を立てていた。

「呪い歌って…」

「そこは明日山崎に調べさせるつもりです。千泉さんの旦那が精神病院に入ってるってのも気になるし…」

「…それ俺らに喋っていいのかよ」

ごろんと寝返りを打ってあくびしながら銀時が言う。

は布団に座りながら苦笑した。

「ここまで来るともう捜査云々じゃないですよ。確かにあたしらが警察だから話してくれたんでしょうけど…

 もし本当ならあたしらがどうこう出来るレベルじゃない」

好奇心と探求心で動いてるようなものです、と照明の紐を1回引っ張る。

部屋が少しだけ暗くなった。

「…あ、これは関係ないかもしれないですけど…裏庭にある大きな蔵、

 昔は従業員の住み込み施設だったみたいですよ」

「あぁ、あの立派な蔵…成程、道理で敷地からちょっと隔離されてるわけだ。そこも明日調べてみるよ。

 じゃあ消しますね」

はそう言って紐をもう一度引っ張る。

部屋がいっきに暗くなり、カーテンの隙間から僅かに差し込む町の灯りだけが部屋を照らした。

鼻ちょうちんを作って呑気に眠っている神楽の横でも布団に潜り込み、

あまり眠たくはないが何とか寝ようと瞳を閉じる。

万事屋の2人もとても寝付ける雰囲気ではなかったが、これは早く寝た方が勝ちだと慌てて目を瞑った。






コロコロつるばみの 実で染め喪を纏いて


御髪で君のひとがた幹に吊る




コロコロつるばみの 幹に吊りし君の首


右足参度引かねばつるばみ返る







ゴドン。




天井が降って来たような大きな物音。

目を瞑ってからどれくらい経ったか、熟睡していなかったは勢いよく目を開けた。

真っ暗な空間に目が慣れてくると次第に見えてくる天井の木目。

は起き上がりもせず寝返りも打たず、仰向けのままじっと天井を見上げる。

左横では神楽が鼾をかいてぐっすり眠っていたが、大きな物音はそれに掻き消されることなく確かに聞こえた。

反対側に首を回して置時計を見ると時刻は午前2時を過ぎている。



ゴドン。



2回目。

が体を起こすと押し入れの中でもむくりと起き上がる影があった。


「……何の音だ」


暗がりで見えないが掠れた声は恐らく銀時。

は布団から出てまだ寝ている2人を起こさぬよう小さなスタンドライトを点ける。

「…分かりません…上からでしたよね」

「ちょ、出ていい?腰と足超いてーんだけど…」

ほとんど膝を折り曲げた状態で押し入れに納まっていた銀時はに断りを入れて畳に降りてきた。

は立ち上がってじっと天井を見上げる。

「……上って…誰もいねーだろ…」

「いねーからおかしいんですよ…」

腰を押さえながら横に並んで同じように天井を見上げる銀時。

答えるのこめかみに嫌な汗が滲んだ。



ゴン。



3度目の音と共に天井が揺れる。

見上げていた2人は思わず後ずさりした。


「……おい、おい起きろ新八」


銀時は天井を見上げたまま踵で押し入れの襖を蹴り新八を起こそうとする。


「神楽ちゃん、神楽ちゃん起きて」


は寝ている神楽の体を揺する。

だがどちらもぐっすり寝入っていて全く起きる気配がなかった。


「「……………………」」


2人は無言で顔を見合わせる。


「…旦那行って見てきて下さいよ」

「何で俺だよ。元はお前の部屋だろ」

「いやアンタらのバイト先なんだからちゃんと点検して下さい」

「もうバイト終わったっつーの!」



……そんなこんなで。



「…ちょ、押すな!!」

「アンタいい年こいて女の子に前歩かせる気ですか!?」

「こういう時ばっか女推してくるんじゃねーよ!!」


揃って部屋を出ると縦に並んで廊下を進む。

隣の部屋はもちろん、どの部屋も当然静まり返っていて蛍光灯が煌々と照らす長い廊下が不気味だ。

自分たちがこんな状況なのに呑気に寝入っている他の連中が憎らしい。


「……旦那は呪いって信じますか?」


1階で止まっていたエレベーターはすぐに上がってきて扉が開く。

がボタンを押しながら神妙な面持ちで口を開いた。

状況が状況なだけに銀時も嫌な汗を滲ませてを見下ろす。

「…もし実現できりゃお前んトコのマヨラー今頃この世にいねぇぞ」

「いやあれ結構効いてますよ。総悟が藁人形打った次の日はタンスに小指ぶつけたりとかしてるし」

気休めの小話を挟むとすぐに1つ上の階に到着する。

チン、と音がして扉が開くとやはり廊下は静まり返っていた。

噂を聞いた隊士たちも下の階に移ってきていて、今この階を使っている隊士はほとんどいない。

問題の角部屋周辺はほぼ無人といっていい。

だからこそ、あんな大きな物音が聞こえるのはおかしいのだ。

並んで廊下を歩き、奥の部屋を目指していくと近づくたびに重たい空気に包まれていく気がする。

部屋の戸はしっかりと閉まっており人の気配はない。

銀時が戸に手をかけ、は腰の刀に手をかける。


「「………………」」


アイコンタクトを交わし、銀時が勢いよく戸を開けると同時にが抜刀した刃の切っ先を部屋の中へ捻じ込んだ。

鈍色の刃は冷たい空気を斬る。

締め切られた窓とカーテン。出て行った時と何も変わらぬ部屋。

だがどんよりと重苦しい雰囲気は2人の足を止めさせた。

銀時が先に入って入口の照明を点けたがやはり部屋に変化はない。

も刀を納めて部屋に入り、辺りを慎重に見渡しながら押し入れの中を開けたりして部屋を調べた。

押入れには布団がぎっしり詰まっていて何かが入りこむスペースはない。

銀時もカーテンを開けて外を見ているようだったがこれといった変化はみられなかった。

すると


ゴドン。


物音は床の間側の壁から。

2人はバッ、と顔を上げて壁を凝視する。

振動で半分切れた掛け軸が僅かに揺れていた。


「…なんだっつーんだよ…」

「あ、ちょっと旦那…!」


銀時は部屋を出て隣の部屋に入って行く。

が慌ててその後を追おうとしたのだが


ゴドン。


2度目の物音に思わず立ち止まって再び壁を見た。

銀時が隣の部屋で蹴っているのか?いや、それにしては早すぎる。

床の間の前まで戻ってきて壁の縁を見上げると、隅に小さな物体が転がっていた。

は瞬時にその物体の正体を察してどきりとする。

「………………」

物体を拾おうとしゃがみ、手を伸ばすまで気付かなかった。



自分のすぐ後ろに、もう1つ人影が存在したことを。

憎悪にも似た形相で自分の背中を睨みつける、喪服姿の女の姿を。

その喪服の袖から伸びた青白い手が、項のすぐ傍まで迫ってきていたことを。


「おい!こっち何もねぇぞ!」


隣室から銀時の声が聞こえ、ハッとして顔を上げる。

背中や首の辺りがひんやりとしたが、背後には広い客間が変わらず在るだけだ。

「待って下さい今そっちに…」


ドン。


また壁から物音。

そして




ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン





まるで太鼓を連打するような、耳を塞ぎたくなる轟音。

無意識に後ずさりしたは膝裏をテーブルにぶつけてその場に尻持ちをついた。

腰から離れた刀を掴もうと顔は壁を見たまま畳の上で手をばたつかせると、


「----------------……、」


テーブルの下に滑りこんだ右手に、何かが触れる。

それが人の手だと気付くのに時間はかからなかった。



「おい!何だ今の音!」

隣室の銀時は壁に向かって声をかけたがの返答はない。

壁を叩く音は不気味なほどピタリと止み、今もまだ壁が震えているような錯覚に陥る。

「おい………、」

再び声をかけようとしたところで、開けっぱなしにしていた戸の向こうを何かが横切ったような気配を感じた。

銀時は眉をひそめて入口に戻り、スリッパを履いて廊下に出る。

影は隣の部屋からエレベーター方向へ向かっていったように見えたが廊下に人影はない。

不審に思って隣の部屋を覗くと広い客間の壁にへばりつくようにして座り込むの姿があった。

床の間に上がり、顔面蒼白で右手に鞘から抜いた愛刀を握っている。

その切っ先は誰もいない押し入れの方へ向けられていた。


「何やってんのお前…」

「……っ戻りましょう旦那…」


は壁に掴まりながらなんとか立ち上がり、ふらふらと廊下に出てくる。

「いやお前何が…」

「早く!調べるのは明日にして今は…」

エレベーターに向かって駆ける体勢の整ったとそれを怪訝そうに見下ろす銀時。

次の瞬間、初めて二人は「恐怖」を共有した。



背後になにか、いる。



何かは分からない。

振り返っていないから。

だが確かに、自分たちと廊下の突き当たりの間に「第三者」が存在している。

じっとりと2人の背中を見つめる視線。

その視線に促されるように背中を伝うのは冷や汗。


「………ろ…」


「何か」が「何か」呟いた。



「……、……み…ア゛ァア



全身の毛穴という毛穴がいっきに開き、そこから一斉にぶわっと汗が噴き出す。

2人は同時に廊下を蹴って駆けだした。

背中や腕にねっとりと絡みつく嫌な空気を振り払うように、旅館の廊下を全速力で。

突き当たりのエレベーターに向かって体当たりするようにボタンを押すと、最上階で止まっていたエレベーターはすぐにドアが開いた。

2人の体が中に入るか入らないかのところで「閉」ボタンを押したが、この状況では案の定というべきかドアは閉まらない。

「……っなんだこれ…!」

ボタンの前に立つ銀時は叩くようにボタンを何度も押した。

「旦那早く!!」

「んなこと言ったって…!」

はドアを押さえながら廊下に顔を出し突き当たりを見る。

確かに感じたあの気配はどこにも見当たらない。

横では銀時が苛立ちと焦りで何ともボタンを連打していた。

がそれを横目で見てから再び視線を廊下の外に戻すと


「………ッァ…!」


過度に吸いこんだ空気で横隔膜が痙攣しそうになった。



廊下の丁度真ん中あたり、階段につづく通路の壁からのっそりと顔を覗かせる人影がある。



……近づいてきているのだ。




「……ッ旦那!!早く!早く閉めて!!」

「………!くそッ!!」


影は遂に通路の角からのろのろと出てきて、真っすぐこちらに向かってくる。

左右バランスのとれない前傾姿勢の歩き方。

それに合わせて振り子のように揺れる長い黒髪。

恐怖と焦りでは銀時の腕を強く揺さぶりながら急かした。



「早く!!!」



ドン、と銀時の拳がボタンを叩き、次の瞬間エレベーターが感知してドアが閉まる。



「…………………」

「…………………」



階数がしっかりと下がったことを確認すると、2人はその場にべしゃっと座り込んでしまった。







To be continued