つるばみの詠-12-









「…あの子は……お千瀬は、生まれてくるべきじゃなかった」


三原山山中の古びた一軒家

陰湿で重苦しい空気の中、千泉がしゃがれた声で呟いた。

4人は眉をひそめて話の続きを待つ。


「あの子は母親と一緒にあの時死んでしまった方が…楽だったろうに」


それを聞いた近藤はハッとした。

「ちょ、ちょっと待って下さい。貴女はお千瀬の母親を知ってるんですか…?

 町の助産師だったと聞きましたが」

警視庁のデータベースを調べたがお千瀬の本当の両親については何も分からなかった。

彼女が生まれてすぐ母親は死亡、父親に至っては不明。

町に出生届も出ていないのだ。

千泉はゆっくりとした動作で体を揺すりながら振り返り、虚ろな目付きで4人を見る。


「…何も聞いていないのかい。…それもそうか」


諦めるように首を振り、廊下に積み上げられた本の山を手で薙ぎ払って何かを探し始めた。

4人は首をかしげて顔を見合わせる。

「母親の腹からあの子を取り上げたのは私たち夫婦さ。

 母親は陣痛時に羊水塞栓症を引き起こして…あの子を産んですぐに死んだよ。

 あの子が生まれたことは私たち夫婦しか知らない。

 生まれてすぐ私たちの診療所前に捨てられたことにして…15年間育ててきた」

「出生届が出ていない、母親の身元も分からない、

 どうしてそこまであの子の素性を隠すつもりがあったんです?」

が問いかけると千泉は本の山の中から埃をかぶったアルバムを引っ張り出した。


「母親が望んだからさ」


「…生まれてきたお千瀬自信が望んだと言ってもいい」


千泉はそう言って古いアルバムの埃を大雑把に払い、表紙を開いて4人に見せる。

近藤がそれを受け取って3人が写真を覗きこんだ。

最初のページに1枚だけ挟まれている古い写真。

そこには横たわる女性と、その女性の横で泣いている生まれたばかりの赤ん坊だった。

女性は顔が汗ばんでいて苦しそうだったが我が子を見て安堵したような表情をしている。

一目で生まれてすぐ撮られた写真だと分かったが、4人の目はその赤ん坊に集中した。


体長50cmほどの赤ん坊は体の右半身を黒い痣のようなもので覆われていて、痣は顔の右半分をも覆っている。


「……この赤ん坊が…お千瀬…」


山崎が先天性の病気かもしれないと言っていたのは本当のようだ。


「…あれ…この母親…どこかで見たような…」


は若い母親を見て眉をひそめた。

この母親を老けさせたら…身近な誰かに似ているような。

逆に、身近な誰かを若返らせたらこの女性に似ているような。





「…………女将……?」





笑った時の目元、口の形、若い母親にはどこかあの旅館の女将の面影がある。

4人がぱっを顔をあげて千泉を見ると皺だらけの顔を更に険しく歪ませて堅く頷いた。



「…お千瀬は誰にも知られることなく生まれた、女将の孫さ」









同時刻・波浮の宿

女将は部屋に1人、夫の仏壇の前にじっと正座をしていた。

果物を供えた台には家族3人で映った若かりし頃の写真が飾ってある。

まだ若い自分と夫、そして自分の若い頃によく似た一人娘。


「…私は後悔なんかしちゃいないよ……あの子は…ああするしかなかったんだ。

 じゃなきゃ、私たちが殺される。この旅館が…終わってしまう。そうだろう…?あんた…」


夫に話しかけるように、しかしどこか自分に言い聞かせるように言った。






ころん、部屋の隅にどこからか小さな木の実が落ちてきたが気付くはずもなかった。







「急に特別優待室を作ると旦那様と女将が仰って…急遽あの2部屋を改装することになったんです。

 確かに、うちにはそういう部屋がなかったからいい機会だと思ったんですけど…

 まさかその直後にその部屋で旦那様があんなことになるなんて…」

休憩室で万事屋と話をしていた仲居は神妙な面持ちで話を続けた。

「女将もさぞ辛かったろうと思います。娘さんがあんなことになった後、旦那様まで…」

「え…っ女将さんって子供いたんですか!?」

初耳だ、と新八が問いかける。

仲居はここまで話してしまったら隠し事は無意味だと思ったのか、

少し躊躇してから「はい」と頷いた。


「娘さんが一人。…ただ…ちょっとわけがあって疎遠らしくて…」

「……わけ?」


新八が聞き返すと仲居は今更また部屋の中をきょろきょろと見渡し、

他に誰にも聞かれていないことを確認してから少し身を乗り出して小声で話し始めた。



「…従業員の一人と…その、所謂かけおち…っていうんですか…

 出て行ってしまったんですよ。島を」




なるほど、と3人は頷く。

老舗旅館の若女将になったであろう一人娘がそんな騒動を起こしていては、周囲に喋りたくないのも当然だ。


「相手はまだ厨房の見習いで…女将も旦那様も大反対だったんです。

 それで二人で島を出て行って…それっきり音沙汰はありません。

 連絡先も分からずにもう何年になるかしら…」

「まぁ、よくあるこったな。逆に何もないってことはどっかで元気に暮らしてるってことじゃねーの?」

「…そうだといいんですけど…」


銀時は右手の小指を右耳に突っ込みながら話を適当に受け流す。

職柄何度かそういう若い男女を見てきたし、「探してくれ」という仕事を受けたこともあった。

だがその大半は事件性がなく丸く治まっているものが多い。

銀時は自分の経験からそう言ったのだが仲居の表情は浮かなく、不安そうに重いため息をついた。


「…どうします銀さん、この旅館の事情知ったところで僕らにはどうしようもないですよ」

「早く帰ってご飯お腹いっぱい食べたいアル」

「俺に言うなよ。銀さんだってどうしようもないこともあるの!」


なるべく面倒事に関わらないように島を出たいのだが、立ち込める暗雲がそうさせてくれそうもない。

先ほどまで晴天が広がっていた伊豆大島の空には分厚い雲がかかり、

本土の天候を追いかけるように強い雨脚が近づいてきていた。





「…でも実際は、2人共島を出ちゃいなかったのさ」

千泉はそう言って近藤の手からアルバムを取り上げ、険しい表情で写真を見つめてからアルバムを閉じて本の山に放る。

「……どういうことですか?」

眉をひそめて近藤が問いかける。


「その時既に母親はお千瀬を身ごもっていた。…まだ18歳だったよ」


同い年じゃないか、とは少し驚いた。

結婚できる年齢なのだから全くおかしくはないのだが、今こうして働いて10代を満喫しているにとっては

この年齢で自分が母親になるなどという考えを全く持っていなかったからだ。

お千瀬が失踪したのは彼女が15歳の時。

母親は生きていれば当時まだ33歳だったということだ。


「一緒に島を出て暮らそうって約束したはずの相手は、子供がいるって分かった瞬間に顔色を変えたらしくてね…」


『こんなことにまでなって更に子供なんて…!勘弁してくれよ!!堕ろせ!島を出る前に!!』



「母親は産むと言ってきかなかったよ。それを聞いた男はあっさり母親を捨てやがった」

事実、そうしてお千瀬は生まれたのだ。

話を聞いたは明らかに不快感を表し、眉間にシワを寄せて首をかしげる。

「私たち夫婦は町の皆に内緒で彼女をかくまって出産の手助けをしたんだ。

 町の者はみんな、彼女らは揃って島を出たものだと思ってる」

「…それで男の方は?」

が問いかけると千泉は途端に黙り込む。

ヒビの入った擦りガラスをの外を見つめ、言葉を選んでいるのか数秒考え込んだように見えたが、

のそりと振り返って首を横に振った。



「…死んだよ」



「母親の呪いを受けたんだ。自業自得さ」




真面目に話を聞いていた4人はいっきに脱力してしまった。

複雑な人間関係が絡んだ事件かと思いきや、

「…呪いって」

は思わず鼻で笑ってしまう。

「……何かと思えば…くだらね…」

後ろにいた土方も溜息をついて早々に引き揚げる支度を始めた。

だが千泉の表情は硬く、冗談を言っている雰囲気ではない。

帯刀した警察を前にこの話の流れで冗談を言える図太さならとことん付き合ってやろうじゃないかと思える程だ。



「…つるばみの呪い歌を知っているかい」



かすれた声が聞き慣れない歌の名前を口にした。

だが聞き覚えのある植物の名前に4人はどきりとする。

「…つるばみ」

旅館の客室で何度か目にしているあの木の実だ。

付近に窓に届くほど大きな木があるわけでもないのに、どこからともなく落ちてきた木の実。

胡散臭い話と現実を急にリンクさせられて背筋が震えるのを感じた。

「子供たちの間で歌われてた童歌だよ。……表向きはね」



「母親はそれを使って男を呪い殺した」



「お千瀬の体の痣は、母親の胎内で呪詛返しを受けたせいなのさ」




呪い、呪詛返しなどという単語を平気で口にする千泉を前に、

4人は次第にこの女自体が信用できないのではないかと思い始めた。

だがお千瀬とその母親の存在を最もよく知っているのはこの女だけであり、

母子の事情を聞くにはこの女をおいて他にはいない。

自分たちがあの旅館で見た不可解なものが「呪い」の一言で片づけられるならこんなに簡単なことはない。


「あの写真を撮って、母親はぽっくりと死んだよ。

 自分の千倍も幸せになれるようにと、私が取り上げたから私の名前を1つ取ってと、子供の名前だけ言い残してね。

 勿論娘の死も女将は知らない。孫が誕生していたことも、成長したその孫が自分の旅館で奉公していたことも」


千泉はそう言って放り投げたアルバムをじっとりと見つめた。

…確かに、女将の口から娘の話も孫の話も聞いたことがない。


「…どうしてお千瀬ちゃんは素性を隠していたのにわざわざあの旅館で奉公を?」

「…さてね…急に言い出したんだよ。「迷惑はかけないから旅館に住み込みで奉公したい」って。

 …正直私としてもそう言ってくれて助かったんだ」


なぜ、と問いかけようとするとの足元に何か柔らかく生温かいものが擦り寄ってきた。

「、わっ!」

驚いて片足を上げるといつの間にか黒猫が1匹部屋の中に入ってきている。

…彼女がここで飼っているのだろうか。

猫はまっすぐ千泉に近づき、ゴロゴロと喉を鳴らしてその足にすり寄った。

千泉は猫を抱き上げ、台所に戻ってきて散乱した物の中から未開封のキャットフードを取り出して封を開ける。


「…ひょっとしたら女将はお千瀬が自分の孫だって、気付いていたのかもしれない。

 あの子がいなくなったことに関わっているんじゃないかと私は考えてる」


汚れた皿に開けられたキャットフードにかぶりつく猫の背中を撫でながら千泉は言った。

4人はしかめた顔を見合わせる。

関わってるって……どういう風に…?


「……悪いことは言わない。あんたらも早くあの旅館を出た方がいい」


4人を見る目はこれまでのように睨むわけではなく、まるで憐れむようにどこか寂しそうだった。

…そう出来れば一番楽なのだが。と4人は思う。

まだまだ聞きたいことがあるは反論しかけたが、横にいた近藤がその手を掴んで制止する。


「…長居しました。またお話を聞きにくるかもしれないので、その時はよろしくお願いします」


近藤はそう言って律儀に頭を下げた。

は不服そうに首をかしげたがしぶしぶ質問を諦める。

4人が部屋を出て行こうとすると



「…私の旦那は本土の精神病院にいるんだ」



そこで千泉が再び口を開いた。

半分廊下に出ていた4人は立ち止まって振り返る。

そういえば夫婦で助産師をしていたはずだが旦那の話が一度も出てこなかった。

「…精神病院?」

「お千瀬を育てた15年ですっかり人が変わっちまってね…一生病院から出られないだろうと言われたよ。

 お千瀬の奉公を許したのも、正直私も参っていたからなんだ」

廊下にかかっている古びた額の写真には、確かに3人の男女が映っている。

幼いお千瀬と千泉、そしてその横にいる中年の男性が恐らく彼女の旦那なのだろう。



「………あの子はきっと、この町を呪うために生まれてきたのだろうね…」



千泉はそう呟いてそれっきり何も言わなくなった。

4人は顔を見合わせ、近藤が再び頭を下げて重苦しい空気の立ち込める家を後にする。

来た時も足早に、まるで逃げるように、4人は上ってきた山道を降りて行く。




空は薄暗く、今にも雨が降り出しそうだった。





To be continued