つるばみの詠-11-
「お千瀬さんは10年前までこの旅館で奉公していたんですよね?」
新八は自分たちの向かいに正座する仲居にお茶を出しながら問いかける。
「はい。私も当時からこの旅館に勤めていたので、あの時のことはよく覚えています。
当時の奉公人の中でお千瀬ちゃんは一番若かったから…」
仲居はそう言って休憩室の壁にかけてある写真を見た。
当時のものではないのだろうが、数十人の仲居と女将が旅館をバックに写っている。
「お千瀬ちゃんはこの旅館に住み込みで働いてたんです。里親の実家も近かったはずなんだけど…
迷惑かけるからって住み込みにしたみたいで…」
「住み込み?ここそんな施設あるんですか?」
新八は首をかしげる。
一応5日間この旅館で働いて一通り場所の把握はしたつもりだが、
従業員が休めるのはこの休憩室だけ寝泊まりできるような場所はなかったはずだ。
「旅館の裏に大きな蔵があるんです。今は物置になってるけど、昔はあそこが従業員の住み込み場所だったんですよ」
それを聞いた銀時はの部屋の窓から外に出た時のことを思い出した。
確か裏庭に松林で囲われた大きな蔵があった。
「……本当に、突然だったんです。営業時間が終わって後片付けをして…そこまでは皆お千瀬ちゃんを見ていたのに、
蔵の消灯時間になってもお千瀬ちゃんが戻ってこなくて…それっきり」
仲居が言ったことはだいたい女将が言っていたことと同じだ。
3人は顔を見合わせ、今度は女将が口を噤んでいたことを問いただしてみる。
「…旦那さんが自殺をしたっていうのは…」
仲居は顔を上げ、一瞬戸惑ったが全てを話す気でいるのか再び口を開いた。
「…はい。お千瀬ちゃんがいなくなった直後です。
確か…今あの女性隊士の方がお使いになっている部屋で、首を吊って見つかりました」
「でも、」
仲居はすぐに接続詞を入れた。
「…あれは普通じゃなかった」
「え?」
当時を思い出したのか、仲居の顔がみるみる青ざめていく。
「…旦那様の首を吊るしていたのは…人の髪だったんです」
同時刻
真選組の4人は広大な伊豆大島の山中にいた。
「……っ何だこの道……」
道なき獣道を歩いて1時間近く経つ。
島の丁度真ん中に聳え立つ三原山の登山道を外れ、ゆるやかなハイキングコースとは違い木々が鬱蒼と生い茂る山道。
先頭を歩くとほぼ並んで総悟が続き、近藤と土方は少し遅れてその後を歩いていた。
ブーツのは慣れた様子で先を進んで行くが、足袋や素足に草履をつっかけただけの男3人は少し遅れている。
「助かりましたねぇ、ウチら田舎育ちで」
「いくら田舎育ちっつったってな…毎日こんな獣道歩いてたわけじゃねーだろ…」
「土方さんはいい加減煙草やめた方がいいですぜ。
こんな山道どうってことねぇでしょう」
「…るせぇな…あー…でもマジやめっかな値上げすんだよな…」
さすがに乾燥した山中で煙草は銜えていないが足場の悪い山道にうんざりしている様子だ。
長い坂道は当然手摺などなく、木に掴まらなくては傾斜を登って行けない。
すると先を歩いていたが坂の上で立ち止まり、その先を見下ろして声を出した。
「あそこ!」
総悟が並んで指差した先を見下ろす。
「…なんだありゃ」
遅れて登って来た近藤と土方も下り坂の先を見た。
鬱蒼と生い茂る木々の中にのっそりと現れた一軒の民家。
…民家…なのか?
と全員が思って眉をひそめる。
錆びたトタン屋根と石壁には蔦が絡み、どこが窓でどこが入口なのか全く分からない。
家の周りには廃材や使われていない洗濯機などが無造作に並べられていて人が住んでいる気配など全くなかった。
「…と、とりあえず行ってみよう」
近藤が先に降りていくと3人も後に続く。
登りは登りで大変だったが、足場の悪い傾斜を下って行くのも大変だ。
草木を掻き分けて家の前まで来るとその古さがよく分かる。
こじんまりとした平屋は確かに1人で住むには十分だったが、一体どこに生活スペースがあるのかと思うほど廃れていた。
白い石壁は汚れて黄ばんでおり、大量の漆の蔓が絡んでいて近寄りがたい。
正門と思われる入口の周りを囲うように積まれたビールケースや壊れた換気扇、割れた植木鉢。
今にも崩れ落ちてきそうなトタン屋根の下に入るのは勇気がいる。
廃材を踏みながら近づくと悪臭がした。
「……す、住んでるのか…?これ…」
家を見上げて近藤が思わず呟く。
「でも、漁師さんは住んでるって」
「住んでたの間違いじゃねーのか?」
「や、やだなぁ慰安旅行に来てまでこんなところで遺体発見するの…」
「何言ってんですか、ここまで来て」
渋い顔をする近藤をよそに総悟は積み重なったビールケースを蹴飛ばして道を開いて行く。
「すいませーん、江戸から来た真選組の者ですけどぉー!」
後に続く近藤が中に向かって声をかけるが応答はない。
正門と思しき門をくぐって古びたドアを開けると中も酷い。
もう使用価値のないであろう日用品が乱雑に転がっており、履き物を脱いで上がったら足が黒くなりそうだ。
足の踏み場もないのでやむ無く履いたまま玄関に上がり、もう一度「すいません」と声をかけるがやはり返事はない。
床に転がるゴミを避けながら奥に続く廊下を進んで行くと、左右の壁に傾いた額がかけられていた。
すっかり埃をかぶって汚れているが写真が飾られているようだ。
はふぅっと息を吹きかけて埃を払い、指で表面を擦る。
「……これ…」
写真に映っているのは幼い子供とその母親らしき女性。
子供の顔の半分が黒い痣で覆われている。
この子供は南方千瀬で、この家は里親の南方千泉の家に間違いないらしい。
「留守ですかね?」
「にしてもきたねぇな…」
各々がいくつかの部屋に分かれた平屋を散策しているが、どこもゴミだらけで人の気配などない。
台所と思しき場所を物色していただがここは一番悪臭が酷く、
食べ終えたカップラーメンの容器や残り物がそのままにしてあるフライパンが放置してあった。
は着物の袖で鼻を覆いながらテーブルの上を漁っていると、一番下で古ぼけた新聞が下敷きになっている。
日付は今から10年前、山崎が見せてくれたものと同じ記事だ。
新聞を引っ張ると上になっていたゴミがいっきにテーブルの上から転がり落ちる。
「あぁーもう…」
もともとゴミの山だが落としたままなのも何なので拾おうとしゃがみ込む。
するとしゃがんで見えたテーブルと椅子の向こうで、
同じようにしゃがんでじっとこちらを見つめている老婆と目が合った。
「…………ッ!!」
は慌てて立ち上がろうとしたがテーブルの縁に頭をぶつけてそのまま尻持ちをついた。
テーブルの向こうには一人の老婆がのっそりと立ちつくしている。
「どうした…うお!」
物音を聞いた近藤がひょっこりと顔を覗かせて同じように老婆に驚く。
は這いつくばるようにして近藤の後ろに隠れた。
別の部屋にいた土方と総悟も台所にやってくる。
「…あ…あのぅ…み、南方千泉さん……ですか…?」
近藤は恐る恐る問いかける。
はしゃがみこんだまま近藤の足に掴まって老婆を睨みつけた。
…どうやら全員に見えているからこの世にいない存在ではならしい。
現在52歳のはずだが、目の前の老婆は正に「老婆」で、70〜80歳程に見える。
背中まで伸びてボサボサの白髪、顔に刻まれた沢山の皺。
老婆は皺に覆われた目をぎょろりと動かして4人を見る。
「え、江戸から参りました真選組です!」
近藤が慌てて警察手帳を出す。
帯刀はしているが私服姿では警察だと分からないだろう。
「…警察が何の用だい」
しゃがれた声が4人を威圧する。
名前を聞かれて否定しないところを見ると、やはりこの女性が南方千泉で間違いないようだ。
「…10年前の失踪事件を調べてまして…貴女の里子であるお千瀬ちゃんのお話を聞きたいのですが」
お千瀬の名前を出した瞬間、千泉はバッと体ごとこちらを向いて4人を睨みつけた。
予想しなかった機敏な動きと物凄い形相にさすがの4人もビビってしまう。
「…あの事件について話すことなんかもうないよ。出てっておくれ」
千泉はそう言って台所を離れ廊下に出て行く。
「波浮の宿」
何とか立ち上がったが宿の名前を口に出すと、千泉は立ち止ってのそりと振り返った。
「あたしらそこに宿泊してます。…あそこで何があったのか教えてもらえませんかね?」
相手が話の通じる人間だと分かると強気になるのは早い。
切り替えの速さに呆れつつこういう時は頼もしいな、と思いながら3人は横目でを見た。
千泉はじっとりとを睨みつけた後3人にもちらちらと目線を移す。
「……聞きたいのはこっちの方だよ。あそこで何かあったから此処に話を聞きに来たんじゃないのかい」
外見の割に口調はしっかりしており、やはり実年齢は52歳で間違いないようだ。
は数秒、次の言葉を選んだ。
「…その『何か』、話したら信じてくれますか?」
周囲を森に囲まれ町から隔離された屋内はシンと静まり返っている。
「話してくれるまで動きませんよ。今はあの旅館に泊まるよりここでテント敷いた方がいいくらいなんで」
波浮の宿・従業員休憩室
仲居の話を聞いていた万事屋の3人は青白い顔で口を半開きにして小刻みに震えていた。
「……あ…あああの…ひ、人の髪って……」
新八はガタガタと震えながら念のため聞き直す。
「…旦那様の遺体を発見したのは…女将と私なんです」
仲居も暗い表情で当時のことを思い出すように話を始めた。
10年前
『あなた!あなた開けて頂戴!!』
最上階の一番奥の角部屋
旦那がこの部屋に入ったのを見た従業員がいたのだが、それから何時間経っても出てこないというのだ。
女将は内側から鍵がかけられた戸を必死に叩いて呼びかけるが応答はない。
だが中から鍵がかかっているということは確実に部屋の中にいるということだ。
『女将!合鍵を!』
仲居が合鍵を持って走ってくると女将は奪い取るようにして鍵穴に差し込む。
乱暴に戸を開け、スリッパを履いたまま部屋に上がり込んで入口と奥を仕切っている擦りガラスを勢いよく開けた。
入ってすぐの照明スイッチを点けると同時に、部屋に入った2人は同じ人物と目が合った。
白目を剥いて焦点の定まっていない眼球
かぱぁっと開いた口端からは涎が垂れてきており、耳の穴からも汁が流れている。
ガラスを開けた軽い揺れで気刻みに揺れた体が床から数十センチ高い場所にあると気付いたのは、悠長にもそれらを隈なく見た後だった。
『……ぁ…っぁあぁ、あなたぁぁああぁぁあ!!!!!』
絶叫した女将が天井からぶら下がる夫の体を揺する。
体は女将の手の動きに合わせてゆさゆさと揺れるだけだ。
『誰か…っ誰か降ろしてぇぇえええ!!!』
『………旦那様……っ!!』
ぶらんと垂れさがる夫の足にしがみついて泣き叫ぶ女将の後ろで、仲居も恐怖に震えていた。
首吊り自殺。
誰もが一目でそう判断できる光景だったが、一瞬視点を変えるとその判断は怪しくなった。
仲居は天井と旦那の首を繋いでいるものに目をやる。
縄ではない。
黒く細いものが何本も絡み合って天井から伸びてきて旦那の首を締め上げていた。
目線下ろすと宙に浮いた旦那の足元に何か落ちている。
仲居はその場にへたり込んで震える手でそれを摘み取った。
それは長い髪の毛。
髪の毛だと認識すると慌てて捨て、再びゆっくりと顔を上げた。
首に絡まった髪の毛は縁に引っかかっているのではなく、天井に貼りつくように垂直に伸びてきている。
だがその髪には続きがあって、向かって右側の床の間の天井から伸びてきており、
まるで隣の部屋から蔦が生えて伸びてきたかのように見えた。
こつん。
何か小さなものが降ってきて、床の間に落ちる。
『……誰か…っ誰か来てぇ!旦那様が…っ!旦那様が!!!』
我に返った仲居は慌てて立ち上がり、助けを呼ぶために部屋を出て行った。
床の間に転がった木の実が段差から転げ落ちて、ぶら下がる夫の足元に落ち着いた。
「…お千瀬ちゃんが居なくなって間もなくのことでした。
警察はお千瀬ちゃんのことで責任を感じたんじゃないか、って自殺で片づけたんですけど…
遺書もなくて…首を吊ったのに踏み台もなかったんです」
仲居の話を聞く万事屋の3人は顔面蒼白だ。
「おいあいつそんな部屋に2泊もしたのかよ…!」
「し、知らせた方がいいんですかねさんに…」
「いや逆効果じゃね…!?っていうかあっちもあっちで何か調べてるらしいし…」
銀時と新八はあわあわとうろたえていたが、の部屋、ということが引っ掛かった。
「……もしかしてさんたちの部屋が他より広いのは…そのせいなんですか…?」
彼女らの部屋に入った時から感じていた他の客間とは違う広さ。
人が自殺した部屋など誰も使いたくないのが本音だ。
だが潰すのは勿体ない。
いわく付き物件などでよくある改築で真新しくしてから再利用したのかもしれない。
だが仲居はきょとんとした顔をして首を振った。
「いいえ…その逆です。お千瀬ちゃんがいなくなって間もなくあの部屋は改築が行われて…
旦那様がお亡くなりになったのは改築が済んだ後なんです」
3人は顔を見合わせる。
「……どういうこと?」
To be continued