遠く 遠く


風に流されて飛んでいったなら






グッバイスプルース







着物一枚では少し肌寒く、しかし肩をすくめて震える程ではないなんとも微妙な気温

晴天というわけではないが日差しは柔らかく風もない

あぁ仕事がしやすい日だな。

こんな過ごしやすい日はどこかでのんびりしたいと思わなくなったあたり、

自分も歳をとったなぁと思う。


(…働ける時に働いとかなきゃね)


仕事帰り、甲斐へ戻る山林を駆けながら苦笑が漏れる。

色付き始めた木の葉を引き連れて山林を抜けると、眼下に聳える城の庭に人影を見つけた。

総大将の半分ほどだが、その副将にしては小柄で落ち着いている。

落ち着いているというかほとんど微動だにしない。

庭にぼうっと突っ立って、塀の方をひたすらじっと眺めていた。

まずこちらに帰りの報告を、と思い塀の上に着地すると小柄な影がようやく動く。


「おかえり」


塀から庭に降りてくる姿を一瞥してすぐにまた塀の方を見つめ直す。

こちらを向いてやんわりと微笑んだのも束の間、

塀を見上げる視線はかなり真剣だった。

「何か探しもの?」

そんな真剣な顔をされると無視して通り過ぎるわけにもいかず、何となく問いかけてみた。

「うーん…確かにそっちに飛んでいったような気がするんだけど…」

おかしいね?と首を捻ってこちらを向いてきた。

質問が質問で返ってくるのは珍しいことではない。

何がおかしいの、と捲し立てたくなるのを堪えて苦笑し、彼女の見ている方向へ目を向けてみる。

「何が飛んで行ったの?」

「なんか、変な色の鳥」

「鳥」

更に顔を傾けてぐるりと空を見上げる。

烏も雀も、北へ向かう白鳥も見当たらなかった。

いくら城から出ない庶子だと言っても烏や雀くらいは分かるだろう、と思うと

彼女の言う変な色の鳥というのを想像するのが難しくなってきた。

「変なって、どんな色?」

「こういう」

思いのほか彼女が勢いよくぐるっと振り返ってこちらを向き、狭い歩幅で近づいてきた。

(見たことがない柄の着物だからあの親馬鹿が喜んで買ってきて着せたんだろうけど、

 卸したての布は少し突っ張って歩きにくいらしい)

そして白い手がにゅっと伸びてきたかと思ったら忍装束の端を掴まれた。



「こういう色」



「…迷彩?」

端を掴む手元を見下ろして眉をひそめる。

すると少し不機嫌そうに「違う」と首を振ってきた。

「緑っぽいの。ちょっとこう、ずんぐりしてて撫でたら気持ちよさそうなの」

「緑…あぁ、鶯かね」

緑でずんぐりした、という特徴を頼りに自分の頭の中の鳥図鑑を開いてみた。

すると彼女は目を丸くして首を傾げる。

「うぐいす?春どころか冬もまだなのに?」

「鶯は冬になるとあったかいとこ目指して南下すんの。その途中だったんじゃない?」

そう言うと忍装束を掴んでいた手がするりを離れた。

もう遅いけれど、血とかついていなかっただろうか。


「ふぅん…甲斐が不満なのかしら。贅沢な鳥ね」


そう言って再び塀を振り返る。

鳥相手にそこまで憤慨しなくても。と思わず笑ってしまった。

「気に入ったんなら、捕まえてこようか?部屋で飼う?」

「え、要らない」

驚くほど即答して首を振る。

また笑ってしまった。

「そんなに熱心に探すくらいだから欲しいのかと思って」

「鳥は飼うより追いかける方が楽しいもの。そもそも飼い方が分からないわ。

 鳥って何を食べるの?たくあんとか食べる?」

「食べない。絶対食べない。食わせたら多分死ぬ。

 木の実とか虫とか、体に見合ったものを食べて質素に暮らしてます」

「食べないの?ますます贅沢な」

腰に手を当ててフン、と鼻で息を吐く。

何が基準で贅沢なのかよく分からないが、考えたところで彼女基準は自分には理解できない。

たくあんを食べる鳥の方がよっぽど贅沢だと思うのだが。

「ちょっと佐助に似てたから、気に入っただけ」

「え、俺あんなずんぐりしてる?」

「いっぱい着こんで重たそうなのにちゃんと飛べるとこ?とか?色?」

よく分かんないけど、と曖昧に首を傾げる。

忍が動物に例えられるのはよくあるけれど、鶯に例えられたのは初めてかもしれない。


「鳥は、いいよね。眺めてると楽しい」


ただ塀を眺めているのにも飽きたのか、くるりと踵を返して池の方へ歩いて行く。

「自由に飛べるから、とか?」

そのつもりはなかったのだが鼻で笑うように言ってしまった。

性格悪く見えたらごめんなさい。

そしたら彼女が振り返って逆に鼻で笑ってきた。

黙っていれば父にも母にも似た整った顔立ちなのに、物凄く性悪女に見える。

「鳥は自由奔放に飛ぶ生き物でしょ?人間如きがそれを羨むなんて、人間どんだけ欲しがるんだよっていう。

 城に閉じ込められた可哀相なお姫様気分なら、わざわざ飛ばなくても塀でも門でもさっさと壊して出て行けばいいのよ」


「私は此処を出ようと思えばいつでも出て行けるし」


池の前にしゃがみ、冷たい水に指をつけて水中の鯉の背中を撫でる。

意外な答えだった。

(…出て行く気はないんだとばかり)


「それって、嫁に行く準備は出来てるってこと?」

「勿論。父上より強くて、幸村様より男前で、佐助より働きのいい忍がいる所なら何処へだってね」

「…ごめん贔屓目に見てもちょっと探すのしんどい」

額に手を当ててとりあえず考えるだけ考えてみたが、残念なことに候補が挙がってこなかった。

ふふ、と笑い池から指を引き抜いて立ち上がる。

雑務が身についてしまったのか無意識に手拭いを差し出してやると、

ありがとう、と笑って濡れた指先を拭いた。

「どこかいい貰い手知ってる?」

「あー…奥州は?」

「ここより寒いところは嫌。南蛮語も覚えられない」

「長曾我部?」

「私、海に出たことがないから多分船というものに酔うと思うの」

どんどん狭まって行く選択肢。


「いっそ真田の旦那の嫁になる?」


極論。

手を綺麗に拭いてから手拭いを返してくる。

「幸村様が父上よりお強くなって、佐助が嫁入り道具についてくるならね」

「…あ、旦那の方の婿入り道具じゃないんだ?君の嫁入り道具の方なんだ?」

腰に手拭いを差しながら苦笑してしまった。

忍が嫁入り道具って。

いや、下手な家具や着物より身の安全が確保されると思えば重宝するだろうか。

「だからね、鳥を羨む可哀相な姫様がいるなら教えてやりたい。

 あんな塀ぐらい、ちょっと頑張れば越えられないこともないのにね」

そう言って再び塀を見上げる。

高さは彼女の背丈よりもう半分高いくらい。

踏み台でもあればどうにかよじ登って越えられないこともないが、

そうまでしてあちら側に行きたいなら黙って門を出た方が早い。

だが彼女にとって塀は敷地を隔てるものではなく越えられるか越えられないかの障害物らしい。

「いや、そんな生っ白い脚じゃ無理だよ」

「………………」

「はしたないから!脚出さないの!!」

徐に着物の裾を持ち上げて白い両足をお披露目してくれたものだから、

慌ててその手を掴んで裾を下ろさせてやった。


「佐助は?」

「は?」

「お嫁さん、貰う気ないの?」


そんな純粋無垢な顔で聞かれても。

「ないよ。忍が嫁貰ってどうすんの」

「え、仲良く暮らしたら?忍夫妻って格好いい」

「格好よくない」

「それとも、佐助はやっぱり謙信公のくノ一さんみたいなぐらまぁな女じゃないと嫌?」

「…どこで覚えたのそんな言葉」

「前に京から遊びにきた派手な井出達のお侍さんが言ってた」


あの自由人余計なことを!!

(大将に殴られてしまえ!)


「結局殿方ってそうなのかしら。…贅沢ね」


本日三度目の贅沢発言。

今度は少し間をおいて。


「贅沢だね」


思わず復唱してしまった。


こうして話をする時間も

少し寒そうに両手を擦り合わせる様を気にかけるのも

貸せる上着も温めてやる手も用意出来ないなぁと思うことも。


「お茶でも淹れましょうか」

「…どういう風の吹き回し?でも佐助の淹れるお茶美味しいから、頂こうかな。

 あとね、焼き芋食べたい」

「旦那呼ぶ?火種要らず」

「呼ぶ!」


足取り軽く庭を離れて草履を脱ぎ、縁側に飛び乗る。

やれやれとその後を追いながらふいに後ろを振り返ると、

萌葱色の鳥が飛んできて瓦にちょこんと止まった。


どうかこの子を一緒に連れていってくれないかな。

え?俺が?

嫌だよ面倒くさい


呼んでくる、と廊下を駆けていったのを見送ってから足元の小石を拾い、池に向かって放り投げる。

ポチャンという音に驚いた鳥は瓦を離れてまたどこかへ飛んでいってしまった。



グッバイ、スプルース 永遠に。




何を隠そう初佐助。
幸村ばかり書いているとどうしても出張ってくるので書いた気でいましたお馬鹿さん!
筆頭忍の方でも出てましたしね…出番多いのに。
佐助は非常に地雷が多く、書きにくい要素の塊みたいな人です…精進します