狗吠-9-







が拉致られただと?」


近藤と土方が訪れた本庁であからさまに訝しげな表情を浮かべたのは

が釈放されたら顔に一発かましてやりたいと思っていた役人だった。

役人・酒井の前には幕吏殺害事件に関する資料や写真が渦高く積まれている。

が釈放され、新たな犯人探しに躍起となっているのだろう。

「フン、殿のお力添えで釈放されたことに慄いて自ら姿をくらませたのと違うのか?」

しかしその調査もお手上げだと言うように資料をぞんざいに跳ね除けてため息をつく。

文句を言いかけた土方を抑え、近藤が前に出た。


「…本当はそうは思っていないのでは?」


酒井の眉がぴくりと動く。

を拘束した時点で、貴方は真犯人に心当たりがあったのでは?」

「…何が言いたい」

「我々田舎の芋侍が聞き及んでいない機密があるのではないかと思いましてな」

近藤の言葉に酒井は顔をしかめたまましばらく黙り込む。

目の前に積まれた資料に目を移し、浅く息を吐いて首を振った。

「…拘束した時点ではない。生き延びた幕吏の話を聞いた時だ」

そう言って資料の中から写真を2枚ほど引き抜き、投げるように近藤たちに見せた。

それは監視カメラの映像をプリントした「」の写真と、警察手帳に映っている本当のの写真だ。

「幕吏は言っていた。「確かにあれはだった」と。

 そして「あの目は普通じゃなかった」とも言っていた」

その真相を知っている近藤たちは2枚の写真を見比べるのもそこそこにして酒井に目線を移す。




「逆に問いたい。君たちはどこまで知っている?」





一方


狭い船内で白い指と睨み合うは真相なんてどうでもよくなっていた。

宇宙最強を誇る戦闘種族と二度目の対峙。

しかも今は両手を縛られ身動きがとれない。

腰に刀もない。

加えて肩と頭部を負傷している。

絶体絶命なんて単語では生温い非常に危機的デッドオアアライブだ。


(…いざとなったら…片腕捨ててでも抜け出して…)


碧眼から目を逸らせず下唇を噛み締めていると



「なーんてね。そう怖い顔しないでよ」



目の前に突き出されていた腕がぱっと引っ込む。

「言っただろ、女は殺さない主義だって。まぁ強い子供を産めそうにない女には興味ないけど君には期待できそうだし。

 それからさっきも言った通り他の師団のすることに興味はないんだ。

 あれこれ面倒なこと企てて暗躍するのも性に合わない。邪魔ならさっさと殺しちゃえばすぐ片付くのに」

神威はそう言っての横に回り、腕と背後のパイプを繋いでいた鎖を掴む。

ガシャン、と音がしたかと思うと両腕が急に楽になっていつの間にか縄も解けていた。


「怪我が治ったところで再戦、といきたいところだったけど君また怪我してるしね。

 手負いの奴と戦っても面白くないや」

「…な…っ馬鹿にしてんのか!!結べ!!結び直して拘束し直せ!!!」


カチンときたはせっかく自由になった両腕を再び神威に突き出す。

神威は相変わらずの笑顔でハハハと笑うだけだ。

「やっぱり面白いなぁ君。無駄に動くと肩の傷に響くよ。

 こんなところでブッ倒れてる暇なんかないんじゃないのかい?」

「………!」

全くもってその通りすぎて言い返せない。

一刻も早くここを抜け出して皆の所へ戻らなくては。

「君が殺されず連れてこられたのは君の記憶に利用価値があると思われたからだ。

 幕府を守るケーサツなんでしょ?顔見知り多そうだし、戦闘経験もありそうだしね」

「…嫌味かそれ」

「忠告だよ。次に万全な君と戦いたい俺の為でもある」

神威はそう言ってにっこりと笑う。

はそれを睨みつけながら頭をフル回転させて考えた。

武士たる者、敵に逃がされてそのまま「じゃあ逃げます」と逃げていいものか。

増してその相手は以前半殺しにされかけた憎き天人だというのに、おめおめと背を向けていいものか。

入口に立て掛けられている刀と神威を交互に見つめ、奥歯を噛み締める。

十数秒考えた後、深呼吸して肩の力を抜いた。


「…礼は言わない」

「いらないよ。元気になったらこいつで返してくれればいい」


神威はそう言って立て掛けてあったの刀を取り、放り投げてくる。

はそれを受け取って腰に差し直した。

「早く行った方がいい。そろそろ君を拉致した連中が戻ってくるだろうから」

「…後悔するなよ」

周囲を見渡し、誰もいないことを確認して部屋を飛び出す。

「あ、おーい」

直後神威が廊下に出てきて呼び止めた。



「忘れ物」



その手にはが先程刀を倒すために脱ぎ捨てたブーツ。

はっとして足元を見下ろすと右足だけ足袋のままだ。

くそう格好よく飛び出したつもりだったのに。

はつかつかと来た道を戻って神威の手からブーツを取り上げる。

「ど う も !!」

その場で乱暴に履き直して再び廊下を駆け出す。

「結局礼言ってるしね」

神威は廊下の壁に寄り掛かってくすくすと笑った。


「あーあ…いいのかよ勝手に逃がして」


一部始終を見ていたらしい阿伏兎が歩いてきて声をかける。

「いいんじゃない?少なくとも俺に損はないし」

「だから組織ってのはそんなんじゃ成り立たな…っと誰だよこいつ提督にした奴…っつーか、

 逃げたところでどうすんだあの嬢ちゃん。ここ空の上だぞ」

「…あ、忘れてた」


人目を避けて船内を移動していたは、窓から見える景色を見下ろし絶句していた。

眼科に広がる青い海

目を細めればかすかに見える貿易港


(忘れてた…逃げたところでこっからどーすんだあたし…)


パラシュートもないのに窓から飛び降りるわけにはいかない。

(しまった…夜兎の兄さんに目的地聞いとくんだった…)

黒幕が春雨ということはこのまま宇宙まで連れていかれるのだろうか。

「…にしてはずっと江戸の上空飛んでんな…」

物陰に隠れながらこれからの行動を考える。

折角敵の懐に飛び込んだのだから色々調べたいのは山々だが、

今は一刻も早く近藤たちのところへ戻るのが先だろう。


「おい!拘置した女が逃げたってのは本当か!!」

「っ」


廊下から声がして思わず荷物の影に隠れた。

慌ただしい数人の足音と話し声。

そうかもう逃げたのバレたのか。


「探せ!どうせここは空の上なんだ!逃げ場なんかねェ!」

「どうやって逃げたんだ…人の力じゃ外せねェはずだぞ…」


息を潜めてじっとしていると天人たちはバタバタと廊下を走ってその場を離れていく。

…まさか自分らの上司が逃がした張本人だとは思うまい。

ふーっと息を吐いて改めて今後を考える。

するとふいに、隠れた荷物に覆いかぶさっていた白い布が目に入った。

白というより少し汚れてグレーっぽかったけれど、人一人すっぽり包み込めるくらいの大きさだ。

そこで先程会った神威の格好を思い出す。




「…あんま気が乗らないけど」




同時刻・拘置所


「…成程。カラクリの存在まで把握済というわけか」


近藤がスナックでたまから聞いたことをそのまま話すと、酒井は深くため息をついて腕を組み直した。

「随分カラクリに関して詳しいようだがどこから仕入れた情報だ?」

「流石にそれは教えられませんな。我々には我々の情報網がある」

「…フン、まぁいい。その使用目的までは知らないわけだな?」

酒井の言葉に二人は怪訝な顔を見合わせた。

それが答えだと判断した酒井はもう一度ため息をつき、デスクの引き出しから小さな鍵を取り出す。

取り出した鍵でデスクの一番下の引き出しを開け、分厚い冊子を引っ張り出した。

「…あんなものを天人に渡すべきではなかった」

近藤と土方は差し出された冊子を開いて覗き込む。


「…影武者ですか」


顔を上げ、あからさまに顔をしかめる近藤。

「表向きはな。上もそう言って取引を持ちかけてきた天人の言葉をバカ正直に鵜呑みにした」

まだ全てに目を通していないのに、酒井は近藤の手から冊子を取り上げる。

「あの一件以来カラクリの取締を強化しておきながら未だ平賀源外を捕えられていない今、上がそんなんじゃな」

「だからだよ。いざとなれば「天人から持ちかけられた取引で」と言えばいい。

 天人が幕府を利用しているのと同じように、上も天人を利用しているからな」

あからさまに侮辱を言い放つ土方に向かって酒井はそう言い冊子を再び引き出しに仕舞った。


「…それを暗殺に使われることも承知の上で、ですか」


そう言った近藤に酒井は鋭い視線を向ける。

「それを防ぐために君たちや見廻組がいる」

「冗談じゃねぇ。国交のために自ら危険を招いておいて身の安全は丸投げか?

 俺たちだって暇じゃねぇんだよ」

我慢できなくなった土方は取り出した煙草を咥えて火を点けた。

来客用なのか棚にガラス製の灰皿が置いてあるのを見つけ、手元まで引っ張ってくる。

「残念だが今はそんなことを言ってはいられないところまできてしまっている。

 が実験台に使われてしまったのだからな」

「…何故その実験台にうちの隊士が」

「それは知らん。見たところ世間に顔も売れているようだし、良くも悪くも顔が広そうだ。

 君たちの知らないところで誰かと繋がっているかもしれんな」

近藤と土方は片眉をぴくりと動かす。

…思い当たる節がないわけではない。

これまでに何度か「攘夷浪士に絡まれて」では済まない怪我を負って帰ってきたことがある。

それが自身にとって都合が悪いのか、真選組にとってなのかは分からない。


「恐らく連中は」


酒井が再び口を開く。




「本番も彼女を使うぞ」





To be continued