死んだ姿を、確認したわけではなかった。


出稽古から戻って荒れ果てた道場を前に座り込んでいたら

稽古先の師範が慌ててあたしの顔を両手で覆って視界を塞いだ。

いつの間にか担ぎ出されていた二つの体が汚れた茣蓙の上に乗せられて、

更にその体の上にも茣蓙を被せられて

ようやくあたしの顔から手を離した師範が、父と思われる手を握らせてくれた。


後でお墓を掘りに戻ってくるから、今は逃げなさい。


泣く暇もお別れを言う暇もなく師範があたしを引っ張ってきてくれて

逃げ惑う人たちの中でその師範ともはぐれてしまって

気がついたら一人になってしまっていた。

ほんとうにあの手は父のものだったんだろうかと疑わしくなって、

もう一度道場に戻ろうとしたら木刀を握る右手を誰かに掴まれた。





お前も死ねばよかったのに。






狗吠-8-






「-----------…ッ」

急激に空気を吸い込むと同時に勢いよく目が冷めた。

右の頬が冷たくて痛い。

うつ伏せに倒れていたのだと気づく。


「…い、…って…」


起き上がろうとして体のあちこちに痛みが走り、再びうつ伏せに倒れ込んだ。

どうやら背中で両手が縛られているらしい。

動くと金属的な音がするから、恐らく縛った上から後ろで何かと繋がれているのだろう。

自分から放たれる血の匂いに顔をしかめ、首を捻って右肩を見た。

隊服の肩口が焦げて穴が開いている。

その下に着たワイシャツの繊維は血で赤黒く変色していた。


(…そうだ…撃たれて…)


傷口を見てようやく倒れる前の記憶が鮮明に蘇ってきた。

発砲され、辛うじて避けた弾は右肩を掠り、構え直す暇もなく頭を殴られて気を失ったんだった。

そこまで思い出して左のこめかみが痛み出す。

そういえば少し鉄の味がする。

こめかみから流れていた血が顎まで伝って乾いているようだ。


「…で…ここはどこだ」


痛みを堪えて体を起こし床に座り込む。

やはり両手は後ろのパイプと鎖で繋がれているようだ。

ぐるりと周囲を見渡してみる。

裸電球が1つあるだけの薄暗い空間。

広さにしておよそ4畳くらい。

コンテナのような荷物が無造作に積まれ、景色が揺れるたびにカタカタと…


「…ん?」


そういえば何で景色が小刻みに揺れているんだ?

電車や車の揺れとは違う。

安定しているようだけど、たまに横へ煽られるような揺れ方。

(…飛行船…?)

生憎この部屋には窓がないので確定できないが、取敢えず何らかの乗り物の中らしい。


(…殺さずに運んできた…ってことは…まだあたしに用があるのか…?

拷問してまであたしに聞くこととかないでしょ。隠してることなんもないし)


強いて言うなら冤罪をかけられて一度留置所に入っていたことを世間に公開していないことだろうか。

自分たちに都合のいいように事を隠蔽している幕府に不満を持つ攘夷浪士相手ならまだしも、

今回は天人が関係している可能性が高いらしい。

天人の見る幕府関係者の価値など公開処刑して見世物にする程度だろう。


(…アイツは、山崎が土方さんに連絡したのを知ってた。コピー出来るのは外見だけじゃないってことか…?)


痛みを紛らわすために取り敢えず考える。

伸ばしていた足を曲げ、首を下げて固く目を閉じた。

気を失う直前に見た相手の顔を思い出すとまた全身が痛み出した。

ざわざわと背中や腕を這うような生温い悪寒がぶるりと身震いさせる。


「…あー…」


「近藤さんに会いたいなー…」



どこだか分からない場所に負傷した状態で監禁されている危機的状況で

ふいに溢れたのは何とも呑気な郷愁感だった。





一方その近藤は。


「………………」


携帯を耳に当て、一向に繋がる気配のないコールを10回ほど聞いて通話を切った。

かれこれ2時間近く同じ番号に電話を掛け続けている。

「…繋がらんな」

「拉致られる途中で落としたか、相手に壊されたか、あるいは」

「出られる状況じゃねぇかのどれかですね」

屯所に戻ってきた一同は険しい表情で顔を見合わせた。

「…のことだ、心配はいらんと思うが…」

「心配はそこじゃねぇ。あいつが拉致られた今、もしまた敵があいつに化けて事件起こしてみろ。

 あいつは今度こそ殺人犯にされて処刑される。誰も助けられねぇぞ」

唸る近藤の横で土方が苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

周囲に集まっていた隊士たちも言葉を失った。

近藤は腕を組み、目を瞑ってしばらく考えた後顔を上げて隊士たちを見る。

「一、二番隊はもう一度がいなくなった現場に向かってくれ。

 三、四番隊はターミナル周辺、五〜七番隊は貿易港、その他は通常業務と並行しながら聞き込みを続けろ」

了解、と隊士たちの声が広間に響き、それぞれの持ち場に散らばっていく。

「俺たちは拘置所に行くぞ、トシ」

「は?拘置所?」

立ち上がる近藤を横目に土方は眉をひそめる。

「協力してくれそうな奴をあたりに行く」

「はァ!?役人にそんな奴いるわけ…っておい聞けよ近藤さん!!」







「…ふ、…っぎ…!」

座り込んでいるのにも飽きたはそろそろ脱出を試みようと立ち上がる。

縛られた手は後ろのパイプに繋がれていたが、上下の動きは自由が効くので立ち上がることが出来た。

繋がれている所から3mほどの部屋の入口にの刀が立て掛けられていた。

よくもまぁご丁寧に、と思ったがこの状況で逃げ出すことなど出来ないと思っていたのだろう。


…実際本人も少し厳しいかな、と思っている。


いくら足を伸ばしても届かないし、肩の痛みを押さえてめいっぱい前屈姿勢になっても鎖は外れない。

手を縛っている縄は抜け出せないような縛り方をしている。


(…せめて刀に届けば…)


そう思って左足で自分の右足の爪先を踏み、ブーツを半分ほど脱いだ状態で右足を振り子のように動かした。

「あーした天気になーれ」の要領で入口の刀めがけてブーツを脱ぎ捨てる。

右足からすっぽ抜けたブーツは見事刀に命中し、刀は倒れて少しこちらに近づいた。

「しめた…!」

その場に寝そべって刀に向かって足を伸ばす。

ブーツが脱げて素足に白足袋だけになった右足を攣りそうなほど伸ばしたがまだ僅かに届かない。

「こ、の……っあとちょっと……!」

この姿がどんなに無様でもここから抜け出せれば構わない。

だが




「面白い格好だねお嬢さん」




真上から突然聞こえた声に慌てて顔を上げる。

先ほどまで全く気配を感じなかったのだが、背にしている入り組んだパイプの上にはいつの間にか人が座っていた。

「……お前…!」

ピンク色の三つ編み

柔和な声を発する柔和な笑みが貼り付けであることは既に分かっている。


「久しぶり、ケーサツのお嬢さん。ごめん名前なんだっけ?」


男は相変わらずにこにこと笑ってを見下ろし手を振ってくる。

てめっこっちは一度も忘れたことなど無いというのに忘れただと?

何だっけ、と言われたが癪なので名乗ってやらなかった。


「何だか災難だったみたいだね?」

「うっさい!肩の骨折超痛かったんだぞ!!ギプス外れるまでに2ヵ月!更に完治に1ヵ月!!

 3ヵ月まるまる無駄にしたわ!!」

「そうなの?地球人ってのはすぐ怪我するくせに治るのは随分時間がかかるんだね」

「宇宙人と一緒にすん……あ…?お前がいるってことは…」


久しぶりの再会相手が最悪すぎて事の重大さに気付くのが遅れた。


「黒幕は春雨か…!!」


鎖が伸びるギリギリまで立ち上がって今にも飛びかかりそうな犬のように男を見上げる。

神威はハハ、と笑っての目の前まで飛び降りてきた。

「半分当たりで半分ハズレ。残念だけど俺の管轄外だから何も知らないよ。他の師団がやってることなんか興味ないし」

「他の師団…?」

「もともと各々好き勝手やってる連中の集まりだからね。

 勢いで提督になったはいいけどそれを統率する気なんかサラサラないんだ」

面倒くさい。と笑って積荷の上に座る。

眉をひそめて話を聞いていたはそこで「ん?」と首をかしげる。

「…え……提督って…アンタこないだ会った時「団長」だって言ってなかった…?」

「あぁ、出世しちゃった」

「…しちゃったじゃねぇよ…」

組んだ足の上で頬杖をついて相変わらずの笑顔で出世報告をされた。

出世願望はないが完全縦社会で生きている地球人から見れば羨ましい限りである。


「あのカラクリは何だ…?連中はあれを使って何を企んでる!?」

「あれ、まだそこ把握してなかったの?道理で君が簡単にこんなとこに連れて来られちゃったわけだ」

「うるさいなァ!教えてくれんの!?くれないの!?」


ケラケラと笑う神威を前にの血圧はただただ上がる一方だ。

両手を鎖で縛られて自由が効かない体勢で随分偉そうだな自分、とは思わなかった。


「その体勢で随分強気だね」


そして代わりに神威が口にする。

は再び神威を睨んだが、神威は「まぁいいや」と笑って足を組み直した。


「少し前、江戸でカラクリのクーデターが起こっただろ?

 あれはそれを利用して造り出された全く新しいカラクリなんだよ」

「新しいカラクリ…?」


機械によるクーデターの騒動はも記憶にある。

奉行所の見廻り組が対処に回ったため真選組に仕事が回ってくることはなかったが、

長時間エネルギー供給がストップして屯所もえらい騒ぎだった。

結局それはナンチャラ博士という人が造った人格データをめぐった騒動だったらしく、

武装警察である自分たちには全く関係のないことでそれ以上の詳細は知らない。


「何でもそのカラクリは対象物に触れることで、対象物の容姿と記憶をプログラミング出来るらしい」

「記憶…?」


万事屋のたまは容姿や音声をコピー出来るとは言っていたが、記憶までコピーされているとは予想外だった。

(山崎から連絡が行ったことを知ってたのはそのせいか…)

「対象物の記憶をコピーしてそいつの知り合いや今まで会ったことのある奴に化けることが出来る。

 内臓チップが記憶を学習すると機械全体が再構築されてその人物の容姿や声帯を忠実に再現するんだ。

 但し対象物に意識がない時はコピー出来ない。寝てたり気絶してたり死んでたり」

神威はそう言って積荷の上から飛び降りる。

は頭がおかしくなりそうだった。

ただでさえ機械には疎いのにやれ学習機能だやれコピーだ、こっちの学習機能がパンクしそうだ。

すると難しい顔をしていたを察したのか神威はカラカラと笑って右手をひらひら振る。


「ま、俺も詳しいことは知らないよ。全部阿伏兎に聞いてうろ覚えだから」


阿伏兎、というのはターミナルでこの男と一緒にいたもう一人の夜兎だな。

「元々は中央暗部の影武者用に開発が進んでたみたいなんだけどね。

 このご時世影武者なんかいらないでしょ。影武者も本人も殺しちゃえば済む話なんだから」

幕府の護衛を任されることの多い警察の前でそれを言うとは。

は口元をヒクつかせて神威を見上げる。


「影武者を暗殺者にする。トーダイモトクラシ?っていうの?何とも面倒くさい話さ」


冗談じゃない。

映像解析も潜り抜ける偽物がこれ以上出回ったら…

(マジで幕府潰されんぞ…!)


「…で、お嬢さんどうする?君が仲間に化けられて連れてこられたみたいに、君の仲間の元にも君に化けた奴が行ってるかもしれないよ?」


奥歯を噛みしめて苦い顔をしていたら一番気がかりだったことを言われてはっとした。

あれからどれくらい時間が経ったんだろう。

近藤さんたちはどこまで現状を把握しているのだろう。


「まぁその状態じゃどうしようも出来ないだろうし、それに」



「考える間もなく今ここで死ぬかもしれないしね」



白く長い指が鼻先でぴたりと止められて

ガラにもなく、生唾を飲み込んだ。





To be continued