狗吠-7-





「ふぁ…」


晴天の昼下がり

信号待ちのパトカーの車内で思わずあくびが出た。

運転席の窓から差し込んでくる日差しが丁度よくて、

昼食をとったばかりでお腹がいっぱいで、

要はあれだ、眠い。


「ハンドル握ってて欠伸すんな。オメーの無実証明するための調査だろうが」

「…てッ分かってるよもー…けど朝から市中ぐるぐる見回ってるけど、

 カラクリどころか攘夷浪士だって大人しいモンだしさー」


運転席から総悟に思い切り横っ面を叩かれ目が覚める。

1〜3番隊はそれぞれかぶき町・ターミナル・江戸城近辺の見回りを言い渡された。

「そういや近藤さんと土方さんは?」

「とっつァんと話があるって警視庁に。まぁ将軍に動いてもらったわけだしな。

 今回ばっかりは上にヘコヘコしとかねーと」

そう行った総悟はを注意しておいて眠そうに欠伸する。

「…上っていやぁ、ブタ箱にいた時好き勝手言ってくれた役人に一発かますの忘れてたな…」

「またブタ箱に逆戻りになるのがオチでィ、大人しくしとけ」

パトカーを発進させたところで道路傍に同じパトカーが泊まっていることに気づいた。

徐行させながら近付くと


「山崎たちだ」


ハザードを出してそのパトカーの後ろに駐車する。

山崎含む監察の数名は道路沿いの定食屋でなにやら聞き込みをしているようだった。

「あ、沖田隊長!ちゃんも!」

「お疲れ。なんかあった?」

ちゃん、沖田隊長とずっと一緒だったよね?」

山崎が何やら神妙な面持ちで変なことを聞いてきたので、

は眉をひそめて横の総悟と顔を見合わせる。

「うん。屯所からここまでパトカー降りてないし」

それがどうかした?と聞き返すと今度は山崎たちが顔を見合わせた。


「ここの店主に聞き込みをしたら、同じことを少し前に来た女隊士に喋ったって言うんだ。

 きっとまだこの辺りに…」


それを聞いた2人の顔色が変わる。

「山崎、土方さんに連絡しとけ。、オメーあっち探せ」

「了解!」

は来た道を戻るように駆け出す。

人通りの多い大通りを避け、路地に入って周囲を見渡した。

此処は事件のあった埠頭に抜ける横道がいくつかあって、細い小道が入り組んでいる。

すん、と鼻を鳴らして勘を頼りに路地を進んでいくと


「あ、てッ!」


細いT字路で思い切り人をぶつかった。

「すいませ…って、近藤さん!」

「何やってんだお前こんなところで」

路地を歩いてきたのは近藤だった。

は鼻を押さえながら近藤を見上げる。

「近藤さんこそ…土方さんは?一緒じゃないんですか?」

「山崎から連絡が入ったって聞いて途中で別れた。

 埠頭沿いに歩いてきたけど、それらしいのは見なかったぞ」

「…出所したてで勘鈍ってるかな」

はそう言って鼻を擦り近藤に背を向ける。

「じゃあ総悟たちが向こう探してるから一旦合流しましょう、」


「ねッ!!」


振り返ると同時に近藤の顔面に後ろ周り蹴りを叩きこんだ。

ゴッと鈍い音がしてブーツが顔面に減り込み、

「近藤」が右手に持っていた刀が地面に落ちる。



「…へぇ、意外と化けの皮薄いんだな」



の足は近藤の左頬骨を直撃したはずなのだが、

その頬は血が出ているわけでも、腫れ上がっているわけでもなかった。

健康的な肌の色が捲れ上がり、金属質な素材が見え隠れしている。

「…何故分かった」

確かにいつも聞いている近藤の声だが、近藤ではない声でその「近藤」は言った。


「鼻毛」


は足を下ろして答える。

「今朝の朝礼の時、近藤さん右の鼻毛1本出てたんだよね。

 言ってあげようかな〜って思ったけど、士気下げんのもアレだし黙ってたんだ。

 もしかしたら土方さんが注意するかな〜とも思ったんだけど、

 あの人も私と同じでそういうの直接本人に言いにくい人だし」

がそう言っている間にも捲れ上がった皮膚は再生してまた「近藤」は近藤に戻る。

「まぁ外れたら外れたで謝ればいいし。ウチの大将馬鹿で懐デカいからさ。

 …間違っても、そういう悪人面は出来ないっていうか」

やっと手元に戻ってきた愛刀を抜き、右足を半歩下げる。



「近藤さんなら殺れないとでも思ったか。残念だったな、私はブン殴りたいくらい近藤さんが好きだ」



右足で地面を蹴り、両手で柄をしっかり握って刀を勢いよく振り切った。

避けることも構えることもしなかった「近藤」の頚椎に刃が減り込む。

ガチッ、と嫌な手応えがあって刃はそれ以上進まない。

は舌打ちして飛び退く。


(…だいたい予想はしてたけど)


「長期戦はやだね」


そして徐に刀を逆手に持ち替えた。

再び地面を蹴って「近藤」に近づき、逆手に持った刀を相手に向かって槍のように放り投げる。

最初こそ勢いがあったが、重心の傾いた刀は相手の素手で弾かれるほど失速して足元に落ちた。

だがは突進したまま懐に手を入れ、取り出した円柱状のものをそのまま相手に向かって勢いよく放り投げた。

ズドン、という爆発音と共に爆炎が上がり地面が振動する。


「相手がカラクリだって分かってから準備しといたんだよね!」


落ちた刀を拾い、煙に包まれる相手に向かって再び突進する。

煙の晴れた隙を狙って斬りかかろうと右手を振りかぶったが、

それより早く煙の中から長く太い腕が勢いよく伸びてきての顔を鷲掴みにした。

「ん、む…!」

鼻から下を片手で掴まれたまま背後の壁に叩きつけられる。

刀は辛うじて離さなかった。

シュウ、と煙を上げる「近藤」の姿が次第に鮮明になってくると

焼け焦げた表面の皮膚は爛れていたがその下の金属は全く傷ついていなかった。

それどころか皮膚は徐々に再生して行く。

何とか左手でこの拘束を抜け出せないかと「近藤」の腕を掴むが、

爪が皮膚に減り込む感覚はあってもそれ以上ビクともしない。

次の瞬間、「近藤」の右拳がの腹に勢いよく減り込んだ。


「…ッ!」


そこでようやく手を離され地面に両膝を着く。

「ゲホッ…!ゴホッゴホッ…ぅ…ぇッ…ゲホッ!」

今まで何度もみぞおちを攻撃されたことはあったが比べ物にならない。

巨大な砲丸を腹に落とされたような衝撃だった。

逆流してくる胃液を吐きながら左手で腹を抑える。

肋骨が何本かイったかもしれない。


「…どうだ、上司に殴られる気分は」

「…は…ッ最悪…」


口元を拭い、握り直した刀を支えになんとか立ち上がる。

「土方さんにならしょっちゅう頭叩かれてるけど…

 実はこの10年近藤さんに手ぇ上げられたことってないんだよね」

自分でも自覚があるが、近藤はに対して気持ちが悪いほど過保護だ。

それは自分が女だからでもあるだろうし、幼い頃から一緒に過ごしてきたからでもある。

だから怒鳴られたことはあっても手を上げられたことは一度もない。


「…確かに、この姿はお前には効果がないようだ」


そう言った「近藤」の再生された皮膚が再び変形していく。

「だから…誰に化けても無駄………、」

みるみるうちに変形していく骨格。

がっしりとした近藤の体は次第に細く小柄になっていくが、肩幅や腕の太さは剣士のそれを残したままだ。

浅黒かった肌が白くなり、ざんぎり頭が少し伸びて髷に変わる。

三白眼は切れ長の二重になって少し目の周りに皺が出来た。

黒い隊服が胴着に変わり、革靴は草履に変わったところで

はせっかく握り直した刀を手から落としてしまった。





「…………と」






向けられた銃口にも動けない。





「あの世で会おう。






「、」

少し離れたところから爆音を聞いた総悟と山崎はのところへ向かっていた。

前を走っていた総悟がいきなり立ち止まったので山崎も慌てて立ち止まる。

「どうしたんですか沖田隊長!」

「…銃声だ」

「え!?」

爆音を聞いて同じように現場に駆けつけるパトカーのサイレンで山崎には全く聞こえなかった。

総悟は再び走り出し、煙の上がる小路に入った。

それを追おうとした山崎の携帯が鳴る。

「はい山崎…あっ副長!今どこですか!大変なんですさっき爆発が…!」

『うるせーな知ってる!今向かってるとこだよ!で!?町で聞いたの目撃情報ってのは!?』

本庁から現場に向かうパトカーの中、ハンドルを握る土方は近藤に携帯を持たせて電話越しに山崎を怒鳴った。

近藤は助手席で遠くに見える爆煙を不安げに見つめている。

「それが…沖田隊長とちゃんが手分けして探しに行ったんですけど…

 さっきの爆発がどうもちゃんの向かった方向かららしくて…」

『ちッ…お前らは!?現場着いたのか!?』

「今着くところで…あっ沖田隊長!」

この辺りは今は使われていない廃工場が並んでいて普段からあまりいい匂いはしないが、

近づくと思わず鼻を覆ってしまう焦げ臭さに包まれていた。

辺りはまだ煙がうっすらと立ち込めていて目に染みる。

「沖田隊長、局長と副長も今こちらに…」

山崎は壁の方を向いてしゃがみこんでいる総悟に声をかけようとして、

総悟が見ていたものに目を見開いた。

「お、沖田隊長…それ…」

「血だな」

総悟は地面に付着している血を素手で擦り、顔に近づける。

「まさかちゃんのものじゃ…!」

「まさかじゃなくてもそうだろ。敵はカラクリなんだから血なんか出るわけねぇ」

そう言ってすっくと立ち上がり辺りを見渡す。

焦げた臭いが充満しているだけで辺りは静かなものだった。

「沖田隊長…これ」

何かを発見したらしい山崎が小さな破片を持って近づいてきた。

薄いピンク色の半球体で気の抜ける表情が描かれた物体の一部。

二人はこれに見覚えがあった。

「相手がカラクリなら刀が効かないかもしれないからって、ちゃんが持ってったんです。

 多分爆発はこれが…」

総悟はそれを見下ろしながら携帯を取り出し、の番号を呼び出す。

5回、10回、15回とコールが鳴ったがは通話に出なかった。

「近く探せ。負傷したまま敵追ってその辺に転がってるかもしんねぇ」

「あ、は、はい!」

総悟が耳から携帯を離した直後

ガチャリと通話が切れる音がしてコールは不通を示すツー、ツー、という音に変わった。






To be continued