「…つーわけなんだ。とっつァん」


屯所の客間に警視庁のドン・松平の姿。

近藤は万事屋で聞いたことを全て松平に報告していた。

あの映像に映っているは偽物だったこと。

そしてその偽物がとんでもないカラクリかもしれないということ。

松平は煙草を咥えたまま腕を組んで難しい顔をしていたが、話を飲み込んだようで「なるほど」と頷く。

「誰が何の目的でそんなことをしたのかは知らねぇが…

 じゃないってことが分かれば話は早ェ」

そう言って煙草を潰し、徐に立ち上がる。

「ま、待ってくれとっつァん!でもまだ証拠が…」

「俺に任しとけ。証拠がなくても権力で何とかしてくれそうな奴に心当たりがある」







狗吠-5-








が拘置されて丸3日が経った。

未だ変わらず、出された食事に手をつけず部屋の隅でじっとしている。

変わってきているのは何故自分がこんな目にあっているのかという苦悩よりも、

ここを出たら真っ先にあの役人の顔に一発ブチ込んでやろうという意気込みが勝っていることだった。

ハーッとため息をついて頭を掻くとふいに奥のドアが開いて誰かが入ってきた。

「…うるせぇな…メシなら食わな……」

どうせまた食べもしない食事を運んできたのだろうと思い、苛立ちながら顔を上げる。

そしてその顔が凍りついた。

全身からいやな汗がぶわっと湧き出たのを感じる。

命の危険を感じた時とも違う、幽霊を見た時とも違う、

今まであまり流したことのない焦りの冷や汗。



「…、う……ッ」



檻の向こうに立っているのは、自分たち幕府に仕える全ての人間が敬うべき存在

キャバクラに通い、市民プールに出没し、雪山で遭難し、暗殺されかけた




征夷大将軍である。





「上様…!?」





開いた口が塞がらない。

薄汚い牢屋に似つかぬ煌びやかな着物

黙って突っ立っていればそれなりに男前だと言われないこともない精悍な顔つき

背後に護衛の幕臣たちを従え、変わらぬ涼しげな表情でを見下ろしている。

「なっ…なに、なにゆえこのような場所に…

 …私は上様直々に処刑ってことなんでしょうか…」

さすがのも慌てて立ち上がる。

将軍自ら処刑人を買って出るなんて聞いたことがない。

罪状は幕吏殺害容疑だし、幕府の手で葬られるという意味では間違っていないのかもしれないが。



「そなたを釈放に来た」



「…………っ、は…?」

思わず顔をしかめてしまう。

釈放?

それはいいが何故将軍自ら?

「上様…!この者は幕吏殺害容疑のかかった凶悪犯!

 証拠として映像も残っております!いくら上様のお申し出といえど…!!」

珍しく慌てた様子で役人が将軍に駆け寄る。

当然だ。

例え幕府に仕える人間といえど、将軍とこうして顔を合わせ会話することなどまずない機会だ。

「話は片栗虎から聞いた。だが逆を言えば、あの映像以外にこの者が首謀者である証拠もないと」

「…!それは…」

「そしてその話が本当であれば、未だ幕吏を殺害した人物がこの江戸の町に潜んでいるということ…」

将軍の鋭い指摘に役人も黙り込む。


「民のより良い暮らしを創るべき将軍家が、その民を守らんと刀を取る人間をないがしろにするなど言語道断。

 天人襲来後お飾りと言われ続けた我が城だが、今も尚侍の国を貫く江戸の象徴でなければならぬ」


将軍はそう言って再び牢の中のを見た。

「…この刀は、そなたが近藤局長から貰い受けたものだそうだな?」

右手に持っている刀は先日の部屋から押収され、鑑識に回された刀だ。

「…はい」

「案ずるな。鑑定の結果は白だそうだ」

「、本当ですか!?」

本当は怖かった。

もしかしたら真犯人に刀を持ち出され、あの刀で殺人が行われていたのではないかと。

将軍は渋る役人から鍵を受け取り、外から牢の錠を外した。



「そなたが自身の潔白をこの刀に誓うと言うのなら、出て来るがよい」



は一瞬踏みとどまったが、そろそろ重さが恋しくなり始めた腰のベルトに触れて1歩前に踏み出す。

自らの足で牢を出たところで将軍は刀を差し出してくる。

は刀を受け取り、その場に片膝を着いた。


「…この御恩、働きににて必ず」

「期待しておるぞ」


立ち上がってもう一度頭を下げ、駆け足で部屋を出ていく。

「…そなたも分かっていたのではないか?あの者が首謀者でないことを」

「、」

腑に落ちない様子での後ろ姿を見ていた役人に、将軍が言った。

役人は先日に近藤の刀を見せた時のことを思い出す。

「…滅相もございません。私はただ上の指示通り奴を拘置したまで。

 あの映像以外に証拠が見つからずとも、上の指示があれば処刑に踏み切ったでしょう」

「それは頼もしいな」

将軍はそう言って薄く笑い、牢の前を離れた。


「好き勝手言ったが、余に出来るのはここまでだ。

 真の首謀者、必ずや捕まえてみせよ」

「…は」


お付の幕吏を連れて牢を出ていく将軍に深々と頭を下げ、顔を上げたところで役人はため息をつく。


『あれは…確かにでした…間違いありません』


つい数時間前、一人だけ一命をとりとめた役人と面会した時のことを思い出す。

ようやく意識が戻り事件当日のことを説明した幕吏だったが、

一点だけ不可解な証言があった。


『…ですが…あの目は、普通じゃなかった』




『灯りのない埠頭で、奴の目だけが赤く光っていました』




『機械的な…人工的に作られた赤』




役人と話が出来たことはまだ真選組の連中には話していない。

話すと余計ややこしくなりそうだからだ。

(…機械的)

役人はデスクの資料からの顔写真を引っ張り出してじっと見つめる。

の目色は濃紺。

どう光が反射しても赤くは光らないだろう。


「…仕切り直しだな」




「ぅわ、」

拘置所内を駆けていると、何度か足がもたついて躓きそうになった。

丸3日狭い部屋に座り込んでいれば足腰が鈍るのも無理はない。

急く気持ちを抑えて拘置所の重苦しいドアを出ると


「近藤さん!!」

!」


外では数台のパトカーと近藤が出迎えている。

は階段を駆け下りてそのままの勢いで近藤に飛びついた。

「よかった!!無事でよかった!!

 ちょっと痩せたか!?役人に変なことされてないか!?」

鍛えられた上半身を女の細腕がぎしぎしと締めつけるように掻き抱いてくるものだから、

よほど怖い目に遭ったのかと近藤は不安になった。

「……大丈、」



ごぎゅるぐるごるるるるるる



の腹の振動が隊服を伝って近藤の腹にまで響く。




「…お腹すいた」



 

「あーッ!!ラーメンうまい!!神の食事!!」

かぶき町にある行きつけのラーメン屋

10分間無言でラーメンをすすったはスープをきれいに飲み干して漸く一息ついた。

「ここのネギ味噌ラーメンまじ最高だよおじさん!」

ちゃんにそう言って貰えると自信つくねぇ。そういやしばらく顔見なかったけどどうしたんだい」

「ちょっと出張中でさ!京都のうす味はやっぱ物足りないや!」

は笑って店主と会話した後、グラスの水を一気飲みしてから「ごちそうさまです」と丁寧に手を合わせる。

「…そりゃあ、丸3日飯食ってねぇなら腹も減るだろうな」

「ま、役人に出されるブタ箱の飯を食わねぇっつーのはお前らしいけどな」

横でマヨネーズの脂の浮いたスープをすすりながら土方が言う。

「しかし、とっつァんのおかげとは言えよく将軍が動いてくれましたね」

「屯所に見張りをつけるという条件付きでな。何か問題行動を起こせば今度は俺たち全員ブタ箱に行きだとよ」

は餃子2枚追加!とカウンターに向かって勢いよく右手を挙げる。

「…で、あたしがブタ箱生活してる間に何が分かったんです」

「話すと長くなるし此処じゃマズい。それ食ったら出るぞ」

餃子を酢醤油で食べるかラー油醤油で食べるか揉めていると総悟を横目に、

土方は煙草を銜えながら深いため息をついた。






To be continued
本誌の状況が状況なんで将軍を出すのにすんごい迷いましたが出しました