狗吠-10-





江戸上空を飛ぶ飛行船内は団員総出で脱走者を探し回り騒然としていた。

「機関室は見たか!?」

「ああ、それより武器庫の方はどうだ?」

「あそこは鍵がかかってる。ったくどこ行きやがった…

 あ、オイお前、第五師団で拘置した幕府の女を知らねェか。

 肩と頭を負傷してるからそう遠くへは逃げてないはずなんだ」

船内を探し回る天人は廊下ですれ違った団員に話しかけた。

白いマントに番傘を携えた第七師団の団員だ。

「…幕府の人間かは知らないけど、黒い服着た女ならあっちに走ってったよ」

「そいつだ!追え!!」

団員の話を聞いた天人は指さされた方へ真っ先に走っていく。


(…デカイ組織って、団員の顔とかいちいち把握してないんだろうなー)


は鼻まですっぽり巻いていたマントを下げ、ふう、と息を吐く。

この15分で結っていた髪を解き、白い布を裂いてマントをこさえ、

その余り布を刀に巻きつけて番傘のハリボテを作った。

天人は地球人の顔を覚えるのが苦手だというし、髪を解いて前髪の分け目を少し変えれば人相はかなり違う。

だがここまでうまく躱せるとは思っていなかった。


(でも時間の問題だ…早いとこ脱出口見つけて…)


再びマントを鼻まで上げて歩き始めると


「…何だ?」


見てくれと言わんばかりに開放された大きな部屋。

薄暗い部屋の輪郭を縁取るように蛍光色の配線があちこちから伸びて、

腹の底に響く機械音が床を僅かに震わせている。

明らかに他と違う造りの床に這わされた配線は部屋の中央に繋がっていて

中央では数人の船員たちが何かを取り囲むように立っていた。

「何だお前。第七師団が何の用だ」

突っ立っていたに気づいた船員の一人が声をかけてくる。

まだ気づかれてはいないようだ。

「…あ、いや、見廻りしてて…何してんのかなぁって…」

「団長から何も聞いてねぇのか?まぁお前んとこ適当そうだしな」

そう言った船員たちの間から見えたのは縦3Mを超える大きなガラスポットだった。

ポットの全貌を見つめ、は思わず言葉を詰まらせた。


ポットの中には人間、のようなものが入っている。


骨格や筋肉と忠実なまでに機械で再現された人型ロボット。

身体の縦半分が肌色の皮膚で覆われ、もう半分は鉛色の基盤がむき出しになって床の配線と繋がっていた。

眼球や唇、鼻などは付いておらず、性別や年齢は特定できないがそれはたしかに「人」の姿をしている。

「…何だこれ……」

は思わず口を押さえた。

気持ちが悪い。

異臭がするわけでも、臓器が飛び出しているわけでもないのだが

にしてみればそれでも「人」の形をしているということが気味悪かった。


「"本番"で使われるカラクリの雛形だ」


船員はポットをこつんと叩いて言う。

「この数日で必要なデータのインプットが終わった。

 あとは仕上げだけなんだが…なんか捕まえてきた幕府の女が逃げたとか何とか…

 まぁお前らバリバリの戦闘部隊には関係のねぇ話だがな」

ぶる、と背筋が震えた。

こんな鉛の塊が皮膚を被り、自分と同じ顔や声で自分の親しい人間に近づいていくなんて


(…冗談じゃない…!!)


冷えた体が一瞬で熱くなって血液が沸騰しそうになる。

すると部屋の一角にある通信機にノイズが入り、操縦室と思われる所から音声が流れてきた。

『高度1300、南西の方角に飛行船を確認。何だ?どこの船だありゃ』

廊下を歩いていた船員たちが窓に寄って外を眺め始める。

もつられて窓の外を覗いてみた。

幕府の商船とは違う、小さいが立派な木造の飛行船が確かにこちらに近づいてきた。

「…あの船…」

にはどこかで見た覚えのある船だった。

…どこだっけ。

十数秒で記憶をたぐり寄せることに成功したは踵を返して廊下を駆ける。

「あたしがあの船と話つけてくる!」

「放っときゃいいだろ、どうせ攘夷浪士の船だ」

記憶に間違いがなければ、あの船はその攘夷浪士の…



同時刻・江戸上空飛行船内


「桂さん!何やら大きな船が近づいてきてますけど大丈夫ですかね?」

「…何?」


の乗っている船と並行して飛ぶ一隻の船には攘夷浪士・桂小太郎が乗っていた。

「…ここいらではあまり見かけん船だな。天人のものか?」

「分かりませんが…停止信号が出てます。どうしましょう」

「こんなところで立ち往生している暇はないが…やむを得んな」

大きな船がタラップをかけられるまで近づいてくるのを確認し、桂も甲板に出る。

船から降りてきたのは白いマントを目深に被った小柄な船員一人だった。

桂の仲間たちは腰の刀に手をかけ、いつでも応戦出来るよう準備をしていた。

「…手荷物を拝見しようか」

「その必要はない。そちらは見たところ天人の乗り合わせる船のようだが…何用だ?

 我々の邪魔建てをするならば容赦はせんぞ」

桂がそう言って船員の前に立つと、船員は右手に持っていた傘を構える。

同時に他の浪士たちも刀を抜いた。


「邪魔はしない」


船員はくるりを向きを変え、両手で持った傘を振りかぶってタラップの接続部分を叩き壊した。

「貴様何をしてる!!」

船員たちがぞろぞろと出てくるがもう遅い。

船同士が徐々に離れていく。

傘を携えた船員はマントを脱ぎ捨て、船の外に放り投げた。


「短い間だったけどお世話になりました!」


手首にひっかけていたヘアゴムで髪を定位置にまとめ、ハリボテが壊れた愛刀を腰に差し直す。

「貴様真選組の…!」

「説明は後だ桂!ちィとばかし手を組もうじゃないか。アンタも調べてんだろ?

 "攘夷浪士の仕業"で片付けられた幕吏殺害事件のことをさ!」

はそう言って振り返り、桂を見上げる。

桂の仲間たちは既に抜刀しての周りを取り囲んでいた。

「…信用出来るのか?」

「万事屋の連中から仕入れた情報もある。必要なら本庁から映像資料かっぱらってきてもいい」

は刀を床に置き、両手を上げて桂や他の浪士に向けて言った。

を囲う浪士たちは刀を構えたまま桂の返答を待つ。

桂は腕を組み、しばらく考えた後浅く息を吐いた。


「よかろう」


「逃げた女だ!何としてでも連れ戻せ!!」

春雨の船は新たにタラップをかけようと近づいてくる。

「一先ず、逃げるぞ」

桂の声で船は動き出し、タラップがかかる寸でのところで上昇を始めた。

は舳先に取り付けられた大筒を足で回転させ、勝手に火を点けた。

「あ、コラお前勝手に…!」

「ケチケチすんな、命は一個だ」

狙いを定め、片耳に小指を突っ込む。

ズドン、という爆音が響き、砲弾は相手の船のラダー部分に直撃した。

速度が落ちていく春雨の飛行船を尻目に爆風を追い風にした桂の船はどんどん上昇していく。


「アハハ、派手に逃げたねぇ」


警告音の鳴り響く船内で呑気に外を眺めながら、神威は笑ってそう言った。

「いいのかよ…逃がしたって知れたら大問題だぞ」

「お前が黙っていればいいことだよ阿伏兎。逃がして正解だ、面白いものが見れた」

「…逃げたところで遅いような気もするがな。もう粗方完成したって聞いたぞ」

その横で阿伏兎は頭を掻きながらあからさまに面倒くさそうな顔をする。

それを聞いた神威は再びふふっと笑って、母船に繋がるタラップから上昇していく船を見つめていた。



「侍はカラクリじゃ再現できないってところを、見せて貰いたいものだね」




「…成程。これで事の全てに合点が行くな。道理で調べても攘夷浪士の攘の字も出て来ないわけだ。

 最近は高杉一派に動きがあるとも聞かんし、おかしいと思っていた」


春雨を振り切った船内で事の経緯を説明すると、桂は険しい表情で頷いた。

「雛形に使う人格データが貴様だという点を除いては、不満ではあるが納得せざるを得ないな」

「なにそれ。あたしは納得できねーことばっかりなんだけど。

 もっと他にいるじゃん。幕府の重鎮とか、官僚とか使えそうな奴がさァ」

座敷で桂と向かい合い、自分の部屋のように胡座をかいて頬杖をつく。

「貴様は天人にとっても中央暗部にとっても便のいい立場であるからだろうな」

「便?」

は眉をひそめる。

「幕府直属の武装組織、幕府内にも敵対する倒幕組織にも顔が通じておろう。

 マスコミの効果で世間に名が知れ、一般市民とも広く交流を持つ。

 将軍暗殺という目的を掲げるにおいてこれ以上ない隠れ蓑が手に入るわけだ」

「…確かに顔広いのは自慢だけどいい迷惑だわ」

はぁ、とため息をつき額を手で覆う。


「…ただそうなってくると今の我々にとって重要なのは、今ここにいる貴様が本物のなのかということだ」


桂の言葉を聞き、は前髪を掻き上げたまま顔を上げた。

「…なるほど。そうなるね」

ふむ、と額から手を離してその手を顎に当てる。

なるほどそこまでは考えていなかった。

もしかしたらここにいる桂だってコピーされたカラクリであるかもしれないのに。

「あぁー…じゃあこの辺とかちょっと切ってみる?実際戦って分かったんだけど、唯一の見分け方が血らしいんだよね。

 あいつら斬ってもなんか配線出てくるだけで血は出てこなかった」

当たり前なんだけどさ。と刀を半分抜いたところで後ろに立っていた桂の仲間たちが一斉に刀に手をかける。



「止めろ」



桂はそんな仲間たちと、双方に向かって声をかけた。

「今此奴とやりあっている時間はない。貴様も刀を収めろ。仲間たちの刺激になる」

「おーおーさすが穏健派ってか。確かに言う通りで、あたしも無傷じゃないからさ。

 こんなところで更に怪我して帰りたくないわけよ」

はそう言って笑いながら刀を収める。

桂は腕を組んだまま浅くため息をつき、の肩を見て目を細めた。

「…そんなことをせずとも、血が見分ける術ならば貴様のそれが証明している」

そう言われたもつられて自分の肩を見た。

隊服が破れて焦げ付いており、合間に見えるワイシャツも茶褐色に変色している。

「もうすぐ港に着く。さっさと降り支度をするのだな」

「言われなくたってそのつもりだよ。こんなボロ船いつまでも乗ってられっか」

は刀を持って立ち上がる。


「…運賃代わりに忠告しといてやる。あたしの人格データが雛形にされたってことは、

 お前はもちろん万事屋の連中も、お前の昔のお仲間もコピーされる可能性があるってことだ」


窓から甲板に出て後ろを軽く振り返り、桂に向かってそう言った。

「まぁあたしとしては、その辺の奴らに化けて暗殺してくれっと無実が証明されて助かるんだけどね」

船が港に近づいたところで舳先に足をかけて飛び降りる準備をする。


「…貴様、高杉とやり合ったことがあるのか?」


飛び降りようと両足に力を入れたところで一瞬踏みとどまった。

「…何を言ってんのか分かんねーな」

そう言って船を飛び降り、港に着地する。

周囲に気を配りながら倉庫の合間を抜け、ターミナルの方向へ走って行った。

「よかったんですか?桂さん…」

「構わん。我々も警戒せねばならんことは事実だ。奴らがどうなろうと知ったことではないが、

 放っておける状況でもない」

が雑踏に消えたのを確認して再び上昇して、桂の船は再び上昇を始めた。





To be continued