「食事をお持ちしました」



女性警官と思しき女がトレイを運んできた。

檻の小窓が開けられ、胸の高さあたりの台の上に食事が置かれる。

飾り気のない銀トレーの上には、冷え切った白いご飯と味噌汁

鯖の煮つけとお浸し、そしてお新香。

檻の隅に蹲り膝を抱えてじっとしている「容疑者」を見て、女性警官は困ったような顔をした。

「…昨日から何も召し上がってないでしょう。体に毒ですよ」

「……………」

「容疑者」は抱えた膝に顔をうずめたまま微動だにしない。

女性警官はそれ以上声をかけようとはせず、静かに部屋を出て行った。

重たいドアが閉まる音がして、カシャンと鍵がかけられた音が響く。


「…くそッ……」


「容疑者」は舌打ちをして苛立たしげに壁を叩いた。


「何がどうなってやがる……!」


黒い厚手の生地に金色のパイピングが入ったジャケット

同色のハーフパンツとブーツ

この街で知れ渡った隊服を纏った「容疑者」はギリ、と奥歯を噛みしめる。



真選組一番隊士・



江戸ではかなり名の知れた武装警察の女隊士は




拘置所なう。





「なうじゃねぇえええええええ!!!!!」







狗吠







事は二日前に遡る。


「ふあ、」


深夜起こった攘夷浪士の暴動制圧に駆り出されていたが屯所に戻ってきたのは、昼過ぎのことだった。

徹夜で街を走り回っていたのは他の隊士たちも同じで、

みんな同じように欠伸をしながらそれぞれの部屋に戻って行く。

「よう、目ぇ死んでんぞ」

部屋に戻る途中で晴れ晴れとした顔の上司に出くわした。

「…あのクソ忙しい時に隊長が非番とかあり得ないんですけど」

「オフの日は何が何でも休むのが俺のポリシーでィ。夜の見回りには合流しろよ」

そう言って仮眠に入ると入れ替わりに仕事へ出て行く。

何がポリシーだ、とその後ろ姿を睨みつけ、ふらふらと部屋に戻る。

後ろ手で障子を閉めてそのまま畳にダイブ。

布団を敷く体力も残っていない。

もそもそと隊服の上着を脱いで丸め、それを枕代わりにしてやっと眠りについた。






「………ん…」


眠りについて数時間後

隙間風に身震いして目を覚ますと、障子の向こうは既に陽が落ちて真っ暗だった。

「…やばい…今何時だ……」

見回りに合流しないと嫌味言われる…

気だるい体をなんとか起こして頭を掻き、壁に立てかけてあった刀を腰に差す。

部屋を出て広間に向かうと近藤と土方も見回りに行く支度を整えていた。

「おう起きたか」

近藤がスカーフを締め直しながらこちらに笑いかける。

「睡眠不足はお肌の敵…とは言いませんけど最近マジで肌荒れてきましたよ」

「お前のそれ畳の跡ついてるだけだろ」

右の頬を撫でると手触りが悪い。

土方に言われて姿見を見てみると確かに畳の跡がくっきりと残っていた。

…布団敷いて寝ればよかった。

「さて。じゃあ今夜も元気に市中見回り…」

屯所を出るとなにやら門の方が騒がしい。

見れば門番と紋つき羽織を着た数名の幕吏がなにやら話をしているようだ。

本庁の役人たちがこんな時間に何の用だろうと3人は顔を見合わせる。

すると屯所を出てきたに気付いた幕吏がこちらに向かって歩いてきた。


「一番隊隊士、だな?」


挨拶もクソもない、高圧的な態度。

もともと本庁の人間とウマが合わないもあからさまに態度を変える。

「見りゃ分かんでしょ、女隊士なんてあたししかいないんだから。

 悪ィけど忙しいんスよ。用あんなら手短に済ませて貰えませんかね」

横にいた近藤はハラハラしながらの様子を見守っていた。

本庁の人間はとにかくの存在を疎んでいる。

が何か問題を起こせばすぐ叩いてくるし、何かにかこつけて「女性隊士は不要」と言ってくる連中だ。

警視長官である松平のおかげで何とか平行線を保てているものの、

また何かやらかしただろうかと気が気ではなかった。

「それは悪かった。だがこちらも時間がないのでね。抵抗せずついてくるのであれば時間はとらせない」

「は…?」

が眉をひそめると、本庁の役人は懐から一枚の紙を取り出してに見せた。





、幕吏殺害の容疑で逮捕する」





目の前で見せられた逮捕令状を見て全員が絶句した。

見慣れた逮捕令状には確かにの名前が記されており、押印もある。偽物ではない。

役人の言っている意味が理解出来ず、はただ逮捕令状を見つめることしか出来なかった。


殺害?


私が?


逮捕?


何で?



「な…何の冗談ですかこれは!!」

真っ先に声を上げたのは近藤だ。

「冗談などではない。名目通り、彼女を殺人事件の容疑者として逮捕するだけだ」

「逮捕って…だから何で!!」

「…君たちには報告が遅れたが、2時間前江戸湾の埠頭で幕吏3人が殺傷される事件があった。

 内1人は重傷だが一命をとりとめている」

役人は表情を変えず淡々と話を続ける。

近藤や土方も初耳の事件だった。

そういった幕吏殺人事件などは攘夷浪士が絡んでいる可能性が大きいから、

真選組は真っ先に駆り出されるはずなのに。

「…お堅い役人さんはみんなそうやって要領を得ねぇ喋り方ばっかするんですかね?

 だからなんでその事件の犯人があたしなんだって聞いてんですけど?」

役人を見上げるのこめかみにうっすらと血管が浮き出てくる。

短気の彼女はそろそろ怒りのボルテージが沸騰寸前らしい。

「証拠がある。本庁までご同行願おう」

「…っふざけんな!離せ!」

左右から役人に腕を掴まれ、は思わず声を荒げて手を振り払った。


「暴れるのは得策ではない」


「なぜ事件の報告が君たちに届かなかったのか分かるか?

 この事件はあくまで「攘夷浪士による幕吏殺害事件」として扱われるからだ。

 まだマスコミにも知られていない。江戸の平和を守る真選組が殺人事件の犯人などと

 世間に知れたらどうなると思う」

「だから知らないって言ってんだろ!本庁の柔い椅子に黙って座りすぎて脳みそまで柔くなったのか!?」

「同行は命令だ。任意ではない。連れて行け」

門の外に停めてあった黒塗りの乗用車から更に役人が降りてきて、4人がかりでを車まで引っ張って行く。

「こ、の…ッ離せっつってんだろーが!触るな!!」

「近藤局長、貴方にもご同行願おう。貴方にも見て頂きたいものがある」

役人はそう言って近藤に目を向けた。

近藤は奥歯を噛みしめ、怒鳴り散らしたいのを我慢しながら固く頷いた。




「どういうことだよとっつァん!!を逮捕って!なんかの間違いだろ!?」




本庁へやってきた近藤は待ち構えていた松平に詰めよって大声を出した。

警視庁のドン・松平片栗虎は険しい表情で煙草を銜えている。

小さな個室に取り付けられたマジックミラーの向こうでは

今にも暴れ出しそうなが取り調べ室の椅子に座っていた。

「…俺だってそんな馬鹿な話信じたわけじゃねぇ。

 だが「アレ」は、確かにだった。逆に奴じゃねぇって証拠探す方が難しい」

「アレって…何だよ!上が行ってた証拠って…」

近藤が松平を問い詰めようとすると部屋のドアが開いて役人たちが入って来た。

「私たちとて何の根拠もなしに彼女の逮捕に踏み切ったわけではない。これをご覧頂こう」

役人はそう言って一台のノートパソコンをテーブルの上に置く。

画面に映し出されたのは殺人の現場となった江戸湾埠頭の監視カメラの映像だ。

あの埠頭付近は攘夷浪士の目撃が多発しており、天人の密輸も多く行われる場所で

海保が安全のためにと監視カメラを設置していたのだ。

カラー映像だが陽が落ちているため画面は薄暗く、すぐに暗視映像に切り替えられた。

静かな江戸湾を映していた映像に3つの人影が映る。

事件に遭った幕吏の3人だ。

行燈を手に周辺警備をしている様子だったが、突如その様子が一転する。


『何だ…!?貴様ッ…うわ…!!』


そして3人の前にもう1つ、人影が映った。

華奢で小柄な影。

海風に靡くサイドテール。

画面を見ていた近藤たちは息を呑む。

小柄な影は腰の刀を抜き、幕吏に向かって飛びかかった。


それからは一瞬だった。


その刀は次々と幕吏を斬り倒し、殺風景だった埠頭の路地は惨状と化す。

細い路地の左右には大量の血が飛び散って、

立てかけられていた戸板や積荷などが散乱していた。

血の滴る刀を握った小柄な影は監視カメラの方を振り返る。




「………、」




映像を見ていた全員が目を見開く。

振り返った影はマジックミラー越しに向こうの部屋に座っている、そのものだった。

隣の取り調べ室で同じ映像を見ていたも絶句している。

映像に映った人物は間違いなく、自分の姿をしていた。

「…なんだ……これ…」

18年間、毎日鏡で見てきた自分の顔。

とりわけ美人だと褒められたこともなければ、不細工だと罵られたこともない

自分で言うのも何だがひどく一般的な普通の顔立ち。

だが似ているとか、そういう次元の話ではない。

歩き方や隊服の着こなし、全てが自分そのものだった。


『…今度は』


画面の中の「」が呟く。

ざわりと鳥肌が立った。



『誰にしようかね…』




「……声も…」

隣室の近藤が顔を青くしながら呟いた。

死体を見下ろし呟かれた声も、のものと全く同じ。

刀を鞘に収めた「」は倉庫の路地に入って消えていってしまった。

そこで監視カメラの映像は途切れている。


「映像を分析した所、人相・体格・声紋、すべてが98.6%本人と一致した」


は呆然とパソコンの画面を見つめている。

「君は、今日の夕方5時から7時の間どこで何をしていた?」

「…部屋で寝てました。あんたらも知ってんでしょ、昨日の深夜に起きた攘夷浪士の暴動。

 あれに駆り出されて帰ってきたの昼間ッスよ。そこから仮眠とって、起きたらこの騒ぎです」

は足を組んで役人を睨みつける。

「つまり、君がその時間屯所にいたことを証明できる人物は他にいないというわけだ」

「、部屋で寝てたんだから当たり前でしょうが!屯所に戻ってから総…隊長とも話してるし!」

そのままテーブルを蹴飛ばしそうな勢いで立ち上がって抗議した。

鉄仮面のような役人の表情はまったく崩れない。

「…本当か総悟」

「ええ。夜の見回りには合流しろよって話しました。まぁ部屋に入ったとこまでは見てないんで何とも言えやせんが」

近藤たちと一緒に隣室で様子を見ていた総悟は勝手にパソコンを動かし、

もう一度監視カメラの映像を再生し始める。

「だいたい何であたしが幕吏殺害なんてくだらねぇことするんです!暇じゃないんだよあたしだって!」

「…君は幕吏を殺す動機が十分あると思っていたが?」

「は!?」



「安東茂左ェ門」



役人が口にした名前を聞いてその場の空気が変わる。

去年、攘夷派と手を組み大型飛行船「大和丸」を使って江戸城にテロを仕掛けようとした元幕府の重鎮だ。

一般人を装った犯罪組織・大蛇の首謀者であり、

あの事件で大怪我を負ったにとっては思い出したくもない事件。

更に


「あの男は、天人に襲撃された君のふた親を見殺しにしたそうじゃないか。

 君は真選組に身を置きながら、幕府への不信感を抱いてるだろう?」


「…………ッ!!」


ぶつん、と頭の中で何かが切れて、は感情のまま役人の胸倉を掴み上げた。

同時に部屋の四隅にいた他の役人がを取り押さえる。

「…拘置しろ。他の隊士との面会は一切許すな。

 暴れて何をするか分からん、身体検査を怠るなよ」

「はっ」

の手を振り払い、襟を直しながら役人はそう言って取り調べ室を出て行く。


「待てっ…この!ふざけんな!!離せ!!…ッ離せっつってんだろーがぁあああああ!!!!!」





To be continued