「………………」

「………………」


夕方のガンドール事務所は静まり返っていた。

もともと一階のジャズホールからジャズミュージックが僅かに流れている程度で事務所自体は静かなものだが、

今日は何だか緊張した空気が立ち込めている。


事務所にいるのは幹部の3人。

長男、キースは生粋の無口。

それは弟たちはもちろん構成員や幼馴染も知っている。

今日も奥の机に座ったまま一人でトランプを弄んでいた。


だから普段会話があるのは次男ベルガと三男のラック。

仕事の話はもちろん、世間話やベルガの夫婦事情など兄弟らしい他愛のない会話をする。



…だが今日はそれがない。



ラックが今朝からほとんど言葉を発しないからだ。

ベルガが話しかけても返事がどこか虚ろで曖昧。

しっかり者のラックらしくないぼんやりとした様子で流すように本を眺めている。

兄弟喧嘩があったわけではない。

構成員のマリアがまた問題を起こしてラックの機嫌が悪いわけでもない。

ベルガはその理由を察しているからこそかける言葉に迷っていた。

ラックはさっきどこかへ電話をしていたようだったが、通じなかったらしく数秒で通話を切っていた。

2人の兄はなんとなくその相手も分かっていた。




…その相手と弟がこれからどうなるのかなどは、分からないのだが。







エドガー・アラン・ポーは詩集を破り捨てた-5-









一方、その相手は事務所へ下りる階段のすぐ傍まで来ていた。


「…………………」


は何度も階段を覗き込み、「どうしよう」と呟いて深いため息をつく。


遡ること30分前


公園で通りすがりの薬剤師に声をかけられたは、ある人物に会いに行くことを決心していた。


ラックの義姉、ケイト。


ガンドールの幹部3人と共に不死者になった人間の1人だ。

前に一度ジャズホールで酒を飲みながら話をしただけだが、彼女と話した後とても落ち着いたことを覚えている。

彼女とまた話がしたいと思って行動を試みたはいいが、考えてみたらキース夫婦の家を知らない。

前にラックからぼんやりとした場所を聞いた記憶はあるがすっかり忘れてしまったので、場所を聞くにはキースに会うしかないのだ。

だがキースに会うには事務所に来なければならない。


…というわけで今に至る。


今、ラックと話す準備はまだ出来ていない。

だからケイトと話がしたい。

でも


(…っそう丁度よくキースさん出てきてくれないよなぁ…)


かれこれここでウロウロして10分になる。

幸いなのは他の構成員が一度も出入りしなかったこと。

構成員にも顔を覚えられているので来ていることがラックに知れてしまう。

「…どうしよう」

もう何度目か分からない呟き。

すると



「あれぇー?さん何やってるんですかぁ?」



Σ('Д')!!!!!



背後から突然聞こえた声。

はびくっと肩をすくめて慌てて振り返った。

「ち、チックさん…!」

後ろに立っていたのは構成員のチックだ。

チックにはマリアやイーディスを紹介して貰ったりして親しくしている。

ラックとも古くからの付き合いだと聞いた。

「ラックさんに用ですか?下にいると思うので呼んできますよー」

チックはにこにこと笑って階段を下りて行こうとする。

「ちょっ、ちょっと待って下さい…!!」

は慌ててそんなチックの左腕を引っ張った。

針金のように細いチックの体はそのままふらーっとの方へ引き寄せられる。

チックは相変わらず笑顔を浮かべたまま小首をかしげた。

「…あ、あの……今日はラックさんじゃなくて…キースさんに用あって来たんです」

「キースさんですかぁ?ラックさんじゃなくて?」

「……はい…」

なぜか後ろめたい気持ちがしての声が小さくなる。

「だからあの…呼んできてもらえると嬉しいんですけど…

 き、来たのが私だってことは…出来れば黙ってて…くれませんか…?」

チックの手を離しながらおずおずと要件を述べた。

チックは再び首をかしげたが、にかっと笑って頷く。

「分かりましたー呼んできますねー」

そう言って再び階段を下りていくチック。

は心配そうにその背中を見送ったが、自分では行けないのだから彼に任せるしかない。



コンコン



「はい」

事務所のドアが外からノックされ、ラックが返事をした。

「チックさん、どうしたんです」

ドアの傍にいたラックは顔を上げてドアを見る。

チックは顔を半分だけ覗かせていつものようににこにこと笑顔を浮かべていた。

「キースさんいらっしゃいますかー?上にお客さんがいらしてますよー」

「客?」

無口なキースの代わりにベルガが聞き直す。

キースも顔を上げて首をかしげたが、重い腰を上げて立ち上がると1人で部屋を出て行った。

残された2人は顔を見合わせる。

「客って誰だ。用があんなら下りてくりゃいいのによ」

「まぁ…チックさんが通したってことは顔見知りなんじゃないの?」

兄の知り合いを全員把握しているわけではない。

ラックの言葉に納得したベルガは「そうか」と言ってテーブルの上に新聞を広げた。

ラックも再び本に目を移す。



一方、部屋を出たキースは1人で階段を上っていた。

チックは既に自室に戻ったようだったが、しかし客とは誰だろう。

念のため胸元のポケットに入れている銃をいつでも抜けるように準備しながら階段を登りきると、

そんな装備は一瞬にして無駄になってしまった。


「あ……こ、こんにちは…」


階段の前に立っていたのは何故か弟の恋人。

は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げる。

キースは上ってきた階段を見下ろし、再びの顔を見た。

彼女がチックの言っていた客人か?

何故弟のラックではなく自分に?


「あ、あの…!すいません突然…今日はキースさんに用があって来たんです」


無表情だがキースの困惑を感じ取ったのか、は慌てて再び口を開く。

キースは僅かに目を細めて首をかしげた。

ますます彼女がここへ来た理由が分からない。

彼女と会話を交わしたことはない。だが妻や弟から話を聞いてその人柄は理解しているつもりだ。

「あの…私ケイトさんとまたお話がしたくて…会いに行こうと思ったんですけどお家を知らないので……

 もしよろしければ…住所を教えて頂きたくて…」

はそう言って遠慮がちにキースを見上げた。

キースはそれを聞いて先日ケイトが言っていたことを思い出した。

事務所の前で偶然彼女と会ってジャズホールで酒を飲みながら話をしたこと。

家に遊びに来てねとは言ったが、急いでいて住所を教えられなかったと言っていたことも思い出した。

必要であればラックに聞くと思っていたのだろうが、今それは叶わないだろう。

キースは懐のポケットから革の手帳を取り出し、空いているページに自宅の住所を書き出していった。

簡単な周辺地図と自宅の電話番号も書き添えてページを破り、に差しだす。


「ありがとうございます…!」


は両手で手帳の切れ端を受け取って頭を下げた。

キースはゆっくり首を振る。

「ご迷惑おかけしてすいません…あの、私が来たことラックさんには…」

がキースの表情を窺うと、キースはこくんと頷いた。

は再び礼を言って頭を下げる。

すると





「………済まなかった」





頭の上から聞こえた低い声には目を見開き、がばっと顔を上げた。

確かにそれは、目の前の男から発せられた声。

声を聞くこと自体は初めてではないが、それが自分に向けられたのは初めてだ。

はそれを聞いてこの一件が彼の耳にも入っているのだと分かった。

「…え…っあ、いえ…!悪いのは私なんです…!

 勝手にラックさんとクレアさんが話してるのを聞いちゃって…

 本当は、もっとちゃんとラックさんと話をしなきゃならないのに…」

受け取った手帳の切れ端を握りしめては表情を曇らせた。

「ケイトさんにお話を聞いて自分の中でしっかり整理したいんです。

 …私がしっかりしなきゃ、ずっとラックさんに心配かけたままだから」

そう言ってキースを見上げた瞬間にその表情は強い意志を秘めたものに変わっていた。

キースはそんな彼女を見てゆっくりと頷く。

「それじゃあ…これからお家にお邪魔してきます。

 本当に、ありがとうございました」

は再度深々と頭を下げその場を離れた。

人ごみに紛れて行く後姿を見送って、キースは再び階段を下り事務所へ戻っていく。


「オイ兄貴、客って誰だったんだ?」


ドアを開けるなりベルガが声をかけてきた。

キースは懐から手帳を取り出して2人の弟に見せる。

「…忘れた手帳をケイト義姉さんが届けてくれたの?」

その仕草から兄が言いたいことを察したラックが問いかけると、キースは黙ってこくんと頷いた。

「なんだ、なら下に降りてくりゃいいのに。

 出来た嫁だなァケイト義姉ちゃんも。ウチの嫁にも見習って欲し…」

ベルガはそこまで言ってキースの視線を感じ、その顔をぎこちなく向いのラックへ向けた。

ラックは既に本に目を向けており2人の視線には気付いていない。

机に座ったキースは先ほど破いた手帳のページを見つめ、机の隅に重ねていたトランプをそっと指でなぞった。





それから30分後

はキースに貰った地図を片手にヘルズキッチンをうろついていた。

事務所のあるマルベリー通りから程なく、ラックが住むアパートが近いこともあって見慣れた建物もいくつがあるが、

路地1本違うだけでまったく知らない土地へ来たようか感覚になる。

穏やかな雰囲気の漂う住宅街はとてもマフィアボスの夫婦が暮らしているとは思えない街並みだった。


「……あ」


街頭に取り付けられた番地のプレートを見ては立ち止る。

プレートの番号とキースが書いてくれた住所の数字が一致している。





「…ここだ…」






To be continued
5話じゃ終わりませんでした(笑)