エドガー・アラン・ポーは詩集を破り捨てた-2-









ニューヨーク某カジノ


「…は……?ラックとが喧嘩…?」


フォーロは眉をひそめ、向かいに座る幼馴染の顔を見た。

「ああ」

フィーロの向かいに座る赤毛の男・クレアはパスタを口に運びながらあっけらかんと答える。

明らかに動揺し始めているフィーロをよそにクレアは至って普通だ。

フィーロは一旦気持ちを落ち着かせ、冷静に状況を整理することにした。

「…ちょっと、待て。あり得ないだろ。あのラックだぞ?

 俺らだって滅多にあいつと言い合いなんかならねぇだろ」

「いやだってあの子事務所出てったっきり戻ってこなかったぞ?

 ラックも追わずに戻ってきたみたいだし」


が事務所を飛び出していって数十分。

クレアはガンドールの事務所を出た後、シャーネとのデートまでの時間

幼馴染であるフィーロのところへ遊びにきていた。

そこで自分が見た一部始終をフィーロに報告していたところだ。


「…理由は?大した理由もなくあの2人が喧嘩するとは思えないぞ」


フィーロの言っていることは正論だった。

ラック・ガンドールという男のことは昔から知っているが、普段から物腰が柔らかく紳士的で滅多に声を荒げたりしない。

だが逆に何を考えているのか分からない部分もあり、そんな彼が日本人女性と交際していると聞いた時は驚いた。

ひょんなことがきっかけで知り合ったらしいが当初は自分が不死者だということも黙っていたと言うし。

彼が不死者であることを知っても尚ラックと変わらぬ付き合いをしているの人柄を知れば、

2人がうまくいっていることは言わずとも分かっていた。

…そんな2人が喧嘩?


「いやな?ひょっとしたら俺が原因かもしれないんだ」


口元にトマトソースをつけたままクレアがまたもやあっけらかんと言って退ける。

「は…?お前が…!?何やったんだ!?」



「彼女と結婚しないのは、彼女が不死者じゃないからなのかって聞いた」



グラスのレモン水に口をつけるクレアの言葉を聞き、フィーロは目を見開いた。

「それを運悪く彼女が聞いてたらしくてな?」

「らしくてなじゃねぇよお前…っど、どうするんだよ!!」

おかしいと思った、あのラックが女と喧嘩なんて。

フィーロは変わらぬ素振りで話を続けるクレアを前に思わず声を荒げてしまった。

周囲の仲間たちがざわめき出してこちらに視線を集めたので、肩をすくめて声のトーンを落とす。

「ラックは何て言ってるんだ…?」

「いつかは向き合わなきゃ行けなかったことから逃げてた自分の責任だって。

 どうにか彼女と話をつけるってさ」

「話つけるったって…」

フィーロが眉をひそめると、クレアは壁時計の時間を見てすっくと立ち上がった。

「おっと、そろそろシャーネとの約束の時間だ。んじゃまたなフィーロ」

「あっ、オイ!散々引っ掻き回していく気かよ!!」

クレアはカウンターで「代金はフィーロにつけておいてくれ」と理不尽なことを言って

颯爽とカジノを出て行ってしまった。

フィーロははぁっとため息をついてがしがしと頭を掻く。

「……俺もそろそろ行かなきゃな」

今夜はアルヴェアーレで食事をしようとエニスやチェスと話をしていたのだ。

チェスは気を遣って先にアパートを出たので、エニスもそろそろ家を出てくるだろう。

だがクレアに今の話を聞いてしまっては気が気じゃなくなってくる。

なにしろエニスを食事に誘ってみたらいいと言ってくれたのはなのだから。

仕方なくクレアの食事代を払ってカジノを出ると、いつの間にか外は雨が降っていた。



「フィーロさん」



するとアパートの方向から聞き慣れた声が自分の名前を呼んだ。

「エニス」

細身の黒いスーツを着た若い女性の姿を見てフィーロは表情を綻ばせる。

エニスは自分のさしている傘の他にもう1本傘を持ってきていて、

カジノの入り口まで近づくと持っていた傘をフィーロに差し出した。

「アパートを出る時には既に降っていたので…どうぞ」

「ああ、ありがとう」

フィーロは傘を受け取り、2人はそれぞれ傘をさしながらマルティージョ・ファミリーの本拠点でもある

レストランへ向かって歩き出す。


(…クレアに聞いたこと…エニスにも言った方がいいのか…?

 とエニス結構仲良かったし…いやでもエニスにそういう知識がない以上

 ラックとのことを話しても困らせるだけかもしれないし…)


1人悶々と考え込むフィーロの横でエニスが首をかしげていると、

彼女は「あ」と小さく声を漏らしてぴたりと立ち止まった。

フィーロもつられて立ち止まり、今度は彼の方が首をかしげる。

さん…ですよね?」

エニスはそう言って数メートル先にある蜂の巣が描かれた看板を指差した。

フィーロがそちらに目を向けると、確かに看板の下にはの姿がある。

土砂降りなのに傘も差さず、ぼーっと一点だけを見つめてアルヴェアーレの入り口に立ち尽くしていた。


「ほんとだ…おい、!」


2人は慌ててに駆け寄り、エニスが自分の傘の下に彼女を入れてやった。

服も体もずぶ濡れでもうほとんど意味はなかったが。

「どうした、傘もささないで…」





「…マイザーさんに会わせて」






「マイザーさん…?」


長い黒髪かたぽたぽたと雨が滴って彼女の表情を隠す。

フィーロはそれを聞いてどきりとした。

確かにはラックと一緒に何度かアルヴェアーレに来たことがあるのでマイザーとも顔見知りなのだが、

なぜ今マイザーに会う必要があるのか。

その理由は1つしかない。




「…マイザーさんが知ってるんでしょ…?お酒の作り方…」




フィーロは目を見開き、傘を持っているエニスを見た。

エニスも困ったような顔をしている。


「…、それは」

「…どうして」


「どうして…私だけ」


「エニスも、ミリアも、ケイトさんもカリアさんも不死者なのに…

 なんで私だけ不死者じゃないの…」


冷たい雨に打たれて変色した唇が震えている。



"不死者じゃないのはあの子だけじゃないか"



これまでずっと、頭の隅では理解したつもりでいた事実。

それはクレアの口から聞いてより鮮明なものになっていた。

フィーロもエニスも

アイザックもミリアも

キースもケイトも

ベルガもカリアも

大事な人と共に不死者になったのに、後からそれを知った自分はいつだって蚊帳の外だった。





「私が不死者だったら…っラックさんにあんな顔させずに済んだのに…!」





事務所の階段を上りきった時ふいに見えたラックの表情が忘れられない。



私が銃で撃たれても死ななければ

ナイフで斬られた傷が再生できるのならば

切り落とされた指が元に戻るのならば








私が只の人間でなければ


あの人は笑ってくれたかもしれないのに









「---------…」

ラックは自分の右人差し指を眺めた。

分厚い詩集のページをめくった指が鋭利な紙の角で切れて血が滲み出ている。

とりあえず本が汚れていないことを確認して、その右手をソファーの肘掛に置いて背もたれに深くよりかかった。

その僅か数秒後

指の傷口から流れてきていた血が、するすると切れ口に戻っていく。

机に飛んだ僅かな雫さえも逃さずに指から流れた血はすべてラックの皮膚の中へ閉じ込められた。

そして斜めに切れた赤い線はすぅっと薄くなって忽然と消えてしまった。

「………………」

ラックは完全に再生された指を見つめ、反対の手で額を押さえて深い溜息をつく。

ずっと読みたかった詩集なのに今はまったくページが進まない。

冷たい水でも飲んで頭を冷やそうとソファーを立ったところで、事務所の電話が鳴った。


「はい」


受話器をとり耳に当てると聞き慣れた幼馴染の声が聞こえた。


「…フィーロ?」


ラックは電話の相手に驚いて目を丸くする。

友好関係にあるカモッラの幹部がこうして電話をかけてくることは珍しくないが、

フィーロなら用があれば直接事務所まで来るはずだからだ。

「どうしたんですこんな時間に…………え?」




「…さんが?」




ラックは表情を曇らせる。




「ああ。傘もささないでウチの店の前にいたからとりあえず中に入れたけどさ」

『…そうですか。すいませんすぐそっちに…』

「あ、いや、いいんだ。こっちにいるからってことだけ伝えようと思って。

 その……うん、今は来ない方がいいと思う」

フィーロは受話器を耳に当てたまま、店の奥にある休憩室に目を向けた。

はエニスが渡したタオルを掛けて椅子に座ったまま動こうとせず、

リアが出した暖かいココアにも口をつけずに顔を伏せている。

エニスとミリアが心配して傍についているが2人がかける言葉にも上の空だった。


「……クレアに聞いたぞ。なんか、あったんだって?」


敢てその「なにか」は言わなかった。

それは自分が口を出すことではないと思ったから。

電話の向こうのラックは数秒沈黙した後、困ったように浅く息を吐いた。

『…ええ、すいませんそっちにまで迷惑をかけて』

「それはいいよ別に。エニスもミリアもとは仲いいからな。

 セーナさんは必要なら空いてる部屋を貸すって言ってるし」

「すいません。明日にでも彼女と話をしますから』

「そうしろよ。んじゃ、またな」

フィーロはそこで受話器を置いて通話を切る。

ふーっと溜息をつきながら頭を掻き、再び横目でを見た。


…ただの痴話喧嘩に巻き込まれたというだけならまだしも、今回ばかりは勝手が違う。

不死者という世間から逸脱した存在である自分たちは

"常識的"な"普通の人間"との接し方に鈍感になりつつあった。

その"普通の人間"を恋人に持つラックは人一倍それに関して敏感になっていただけに、

今回のことも簡単には解決できないのだろう。


(…もしエニスがホムンクルスじゃなくて普通の人間だったらとか…考えたこともないな)


だって彼女がホムンクルスだからこそ今こうして一緒にいることが出来るのだ。


(ラックが普通の人間に戻れるわけでもないし…が不死者になれるわけでもない)



ならば選択は2つだ。




「………………」








"汝の魂は知るだろう"



"己が孤独であることを"











To be continued
Spirits of the Dead/エドガー・アラン・ポー