瑠璃色を飲み干したメロウ





自分は今海にいる。

という実感が出来るのは水平線を見ながら泳いでいる時や、砂浜で遊んでいる時、

もしくは船に乗っていたり海中に潜っている時だと思う。

いずれも海を見ながら動いているから海にいると実感できるのだろうが、生憎今の自分に海は見えていない。

でも自分は今海にいる。


「…きもちぃ…」


ちゃぷちゃぷと両耳を打つ波

ゆらゆらと左右不規則に揺れる体はその波に委ねて、自分はただ力を抜いて海面に浮いているだけ。

見えているのは雲ひとつない空と、時折その空を横切るカモメ。

海面と平行に浮いているのだから当然海は見えない。

少しだけ西に傾いた太陽はまだ容赦なく海面を照らしてチリチリと暑いが、

背中や足が海水に浸かっているので丁度いい体感温度だ。

近い所で海面がぶくぶくと泡立ち、横目でそちらを見る。

少し海面が揺れたのと同時に薄緑の手拭いが見えて、人が上がってきた。


「……何やってんだ?」


長い赤毛に海水を滴らせて呆れたようにこちらを見る。

「涼んでるの」

「…普通に泳いだ方が涼めるような気がするんだが」

「言ったじゃん私泳げないんだって。浮いてるだけなら出来るから」

そう言って宙を仰いだままバシャバシャと海面を叩く。

浮けるのに泳げないという感覚が彼には分からないらしく、少し眉をひそめて首をかしげた。

「泳ぎ教えようか?」

「いいよ、なんかみよはスパルタっぽい。どうせ教わるなら重くんがいい」

「そうか、じゃあ頑張れ」

「ちょ、ちょ、ちょ、待って、陸まで連れてって」

横を泳いで離れようとした赤い後ろ髪を慌てて引っ張った。

引っ張るな、とその手を掴んで再び呆れ顔をされる。

「ここまでどうやって来たんだよ…」

「これ持って流されてきた」

右手に握っていた綱を上げて見せた。

それは浜の方まで続いていて、アヒルさんボートと一緒に繋いである。

じゃあそれを引っ張っていけばいいんじゃ、と思ったが彼女の腕力では無理だと諦めた。

「あんまり浮いてると蜘蛛兄が死体と間違って慌てるから止めてくれ」

「定期的に手振ってるから大丈夫だよ」

そういう問題じゃ、と思ったが指摘するのも面倒なので黙って縄を持つ。

彼女が肩に掴まりながら体を反転させたのを確認してゆっくり泳ぎ出した。

「みよはいつから泳げるの?」

「さぁ…物心つく前から海にいたから」

「海で育つと泳げるのかな?」

「分からないけど…だいたいそうなんじゃないか?

 近くに海があれば海に入って遊ぶだろ、普通」

ただ両肩に掴まって引っ張ってもらうだけでは申し訳ないと思い、

水中で足をばたばた動かしてみたけど速度はあまり変わらなかった。

「第三共栄丸さんは泳げないのに?」

「…お頭は……いいんだ」

お頭だから。と自分で言っておいて意味が分からなかったが、は「そっか」と納得していた。

「いいなぁ、私こうやって毎日海で遊んでるけど泳げる気配は全くないよ」

「お前は泳ぎを練習する気がないだけだろ」

「違うよ。なかなか海と仲良くなれないだけだよ」

海と仲良くなる。

なるほど泳げるということはそういう見方もあるのかと少し関心した。

「海の中って、どんな景色?」

「どんな?」

「美味しい魚がたくさん泳いでるの?ワカメとか貝たくさん獲れる?」

「…食い物ばっかりだな…」

泳ぎながら「えーと…」と答えを考える。

普段見慣れている海中の景色を言葉にしてみせるというのはなかなか難しいものだ。

数秒考えて出した答えが


「青くて暗い」

「…それじゃ分かんないよ」


背中ではぁ、と溜息が聞こえる。

すると何を思ったか泳ぎを止めてくるりと振り返った。

は慌てて再度肩に掴まり直す。

「お前、水は怖くないんだよな?」

「え、うん。浅瀬なら顔もつけられるし…」

「水中でどれくらい息止めていられる?耳抜きは?」

「えぇ…?数えたことないけど…15秒とか…20秒くらい…?

 耳抜きはやり方だけ分かるよ。泳げるようになった時のためにって鬼蜘蛛丸さんが教えてくれた」

「十分だ。これ持って」

そう言って差しだされたのはさっきまで自分が持っていた縄だ。

端を大分残して中間あたりを持たされる。

縄を握ると手の甲で3重くらいに巻かれて、手繰り寄せた縄の端を短刀で切って彼が持った。


「潜るぞ」

「え」


は目をまんまるに見開く。

彼はたまに人の話を聞いてないというかぶっちゃけると天然っぽい所があるとは思っていたが、

つい数秒前までそういう話をしてたじゃないか。

「だって私泳げない」

「だからこの綱絶対離すな。息が苦しくなったら綱を引っ張ってやるから、

 水中に入ったら体の力抜いて目を開けてるだけでいい」

「………うん…?うん…分かった」

「…その顔は分かってない顔だな」

眉をひそめながら頷くを見て舳丸も眉をひそめる。

だって泳げないのに潜るという原理が分からない。

泳げないと潜っても沈むんじゃないの?と思ったが、

兵庫水軍一泳ぎがうまい(らしい)男の言うことを聞いていればとりあえず死ぬことはないだろう。

「じゃあ行くぞ。めいっぱい息吸って、吐いて」

言われた通りいっぱい吸い込んだ息を全て吐き切って、

もう一度大きく息を吸い込み、呼吸を止めて思い切り海中に飛び込む。

耳にぷくんと膜が張って頭のてっぺんまで水に浸かると、右手の縄が引っ張られた。

まだ泡が多くて目を開けられずにいたが、突っ張っていた縄がたゆんで停止すると

左の肩に触れられた感触がしてゆっくり目を開ける。


ゴポ、と小さな泡が鼻から抜けた。

碧い海中の光景に相貌を見開く。

本当は目を見開くと海水が沁みて痛いのに、目に焼き付けなくてはと思うと見開いてしまう。

白んだ海面から底にかけて瑠璃色になるグラデーション。

日差しが差し込んで海中の岩を照らした先に小さな魚が群れを成して泳いでいる。

翻した尾が陽に反射して海中できらっと光った。

ふと足元に目を移すと、岩場に沿って生えている珊瑚に見たことにない色の魚が群がっていている。

珊瑚は浜に打ち上げられた白いものしか見たことがなかったので、

興奮したは思わず横の袖を引っ張って珊瑚を指差した。

見慣れている彼は苦笑しただけだったが、は初めて見る海中の景色に目を奪われていた。


もっと見ていたいという気持ちとは反対に息が苦しくなってきて、口を出て押さえる。

すると右手を縄ごと掴まれて体が浮上した。

名残惜しい海中の景色を振り返りながら、頭上の海面が鱗のようにきらきらと光って

それに照らされる彼の赤毛も、綺麗だと思った。


「ぷ、はっ!」


海面に顔を出して息を吐き出す。

こんなに長い間息を止めていたのは初めてだったので、心臓が異常なほど速く動いているのが分かった。

頭に酸素が戻ってくるまで時間がかかったが、

は慌てて舳丸の肩を掴む。


「すごい!すごいすごい!!海って凄いね!」

「確かに凄いけどそうやって甘く見てると危な…」

「すごい!超綺麗!いっつもあんなの見てるなんて、羨ましいね!!」


話聞けよ、と思ったが興奮していてそれどころじゃなさそうだったので「そうか」と相槌を打つ。

縄を解いて肩に掛け、再びを引っ張る形で浜へ向かって泳ぎ出す。


「私も泳げるようになったら、もっと長く潜っていられるようになるかな?」

「そうだな。肺活量鍛えれば」

「教えてくれるんでしょ?」

「重がいいんじゃないのか」

「………………」


彼女がそう言っていたからそう返しただけだったのに、何故か背後が黙り込んでしまった。

何かおかしなことを言っただろうかと振り返ると

頭の締め付けが緩くなって、いつの間にか手拭いが解かれていた。

あ。と思った時にはもう遅い。

は解いた手拭いを浜の方へぽいっと放ってしまった。

濡れて重くなった手拭いは少し先の海面に落ちて広がり、ゆらゆらと揺れている。

「何するんだ」

「みよの強情なところ好きだけど、そういうのはイラッとする」

「いや、お前が重の方がいいって言ったん「海の男は」

そう言いかけてが言葉を被せてきた。


「海の気持ちは分かっても女の気持ちが分からないからモテないんだよ」


はそう言って顔を半分海に沈め、海水をぶくぶくと泡立てている。

今はモテるとかモテないとかそういう話題だっただろうか。

そんな面倒くさいことを理解しなければモテないというのなら、

自分はもう一生モテなくてもいいと思った。

髪を押さえていたものが無くなって鬱陶しくなった後頭部を掻き、舳丸は深い溜息をつく。

足が着くところまで戻ってきたので、再びくるりと振り返っての両手を掴んだ。

怒られる、と思ったは口をへの字にしながら身構えた。


「とりあえず、バタ足の練習から」


への字の口がぽかんと開いて、まん丸の目が凝視してくる。


「…みよ。そういうのってツンデレっていうか、分かりづらくて面倒くさいよ」

「つんでれ?っていうか、面倒くさいのはお前の方だ」


少し傾いてきた陽が赤毛を照らして、少し橙色に見える。

きれいだから、手拭いで隠すの勿体ないよ。



が持っていたはずの縄が途中で切れていて、

舳丸の手拭いが海水に浮いていて、

それを見つけて血相を変えた鬼蜘蛛丸が見張り台から海に飛び込んできて

二人揃って怒られるのはこれから数分後の話。





初にんたまが舳丸ってのもダイの大冒険ですがどうでしょうか…ゴフッ
私はアニメ→原作の順だったので、アニメの超愛想いいお兄さん舳兄を見てから
原作見るとなんて愛想のない子なの!トキーン/////ってなったんですが。
キャプテン達魔鬼に泳ぎ教えるとことかいいお兄さん過ぎてドストライクなんだぜ…
個人的にヒロインにキャラを仇名呼びさせるのって苦手なんですが、 舳兄はみよしまるって呼びにくいので、みよ呼びさせてもらいました