手は





あの人の方が大きかった、と思う。





聴かせられる言葉の一つ一つが穏やかで、滑らかで、


呪文みたいで




『私は卿を信頼しているのだよ』



『誰よりも』




思えばあの人は、何に対しても執着心など見せなかったのに。







『いい子だ。







最後に私に触れた手は





下がりゆく私の体温よりもずっと、冷たかった








神雷が猫を打つ-6-









「っ」


膝を抱え、抱えた膝に顔を埋めて小休止をとっていたのだが、

頭上から何かが伸びてくるような気配を感じて勢いよく顔を上げた。

だが自分が座っているのは城の一番西側の廊下の端。

顔を上げて目に入るのは綺麗に整備された中庭だけだ。

どっぷりと陽が沈み、ところどころで絶え間なく燃える松明の火で僅かに輪郭が分かる程度だが

当然ながらそこに人の気配はない。

夢でも見ていたのかと前髪を掻き上げ、はーっと長い息を吐いて立ち上がる。


「…………、」


屈んだところで胸に鈍い痛みを感じた。

南西の方角から流れてくる少し湿った風

遠くから僅かに轟く雷鳴

雨脚が迫ってくると痛みは強くなる。

普段ならば仕事を終えると人目につかない天井裏で次の任務に備えるところだが、

今はただ縁側に正座して主から声がかかるのを待っていた。


…話さなければならないことが、ある。


「…………………」


唇をきゅっと結び、先ほどまで主を抱えていた自分の両手を見つめる。


(……まだ重みが残っている)


初めて抱え上げた主の体





…あれが、あの人の命の重さだ。





「-----------……」


薄暗い部屋の中、政宗はゆっくりと目を覚ました。

布団のすぐ傍に立てられた一本の蝋燭以外部屋を照らすものはなく、

それも火が灯されて長いのか随分短くなっている。

障子の向こうは真っ暗で月明かりもない。

右手をついて起き上がろうとすると掌に鋭い痛みが走って再び布団に倒れ込んだ。

仕方なく左手をついて起き上がると鈍い頭痛がして目を細める。

高熱が引いた後のような倦怠感と僅かに残る手足の痺れ。

だが四肢を動かすことに支障はなく、布団を出ようとすると正面の障子が開いて小十郎が入ってきた。


「っ政宗様!お目覚めになられたのですか!」


短くなっているであろう蝋燭を替えにきたのだろうが、

起き上がっている政宗を見ると血相を変えて駆け寄ってくる。

「今しがたな…世話をかけた」

政宗はそう言って苦笑しながら前髪を掻き上げた。

そして薄暗い部屋を見渡し、更に天井を見上げて忍の姿を探す。

だがどこにも彼女の気配はない。

「…俺をここまで運んだのはあいつか」

「気付いていらしたんですか…?」

「何となくな。馬の揺れ方じゃねェし…お前の腕にしちゃ頼りなかった」

政宗はそう言って鼻で笑ってみせる。


「だがあいつは一度も腕を下ろさなかった」


ほとんど意識ななかったが、自分を抱える細腕は城に辿り着く最後の最後まで力を抜かなかったのは感じていた。

木々を飛び移る緩やかな揺れも止まなかったから、一度も休まず城まで駆けてきたのだろう。

時折心配そうに自分の名を呼ぶ声もぼんやりと聞こえていた。

「大したモンだぜ。さすが女を捨てたと言い張るだけある」

女の腕に抱えられるような柔な体つきをしているつもりはなかったが、

彼女の腕力が想像以上だったということだ。


「…を呼べ。話がある」


次の瞬間にはその顔から笑みを消し、真っすぐ小十郎を見る。

「話」の内容が既に分かっている小十郎は返事をしながら恭しく頭を下げて部屋を出た。


主が目覚めたら報せてくれと言っていたから目の届く場所にいるだろうと城内を歩いていると、

確かにはすぐ見つけられる場所に立っていた。

廊下の端に突っ立ってぼんやりと夜空を眺めている。

顔や足に見える切り傷が痛々しかったが彼女自身全く気にしている様子はなかった。



「おい」



ぼんやりしていたのか、小十郎が声をかけるまでその気配に気づかなかったようだ。

は慌てて小十郎を見る。

「政宗様がお目覚めになられた」

「っ本当ですか!?」

「ああ。お前をお呼びだ」

小十郎はそう言ってすぐに踵を返す。

後ろでが安堵のため息を漏らしているのが分かった。

が後ろについてきているのを感じながら、小十郎は前を向いたまま口を開く。


「……政宗様が何故お前を軍へ招き入れたから知っているか」


突然の問いには顔を上げて小十郎の背中を見る。

何故いまそのようなことを聞くのかと不審に思い、僅かに目を細めて首をかしげた。

「…私の…目を気に入って下さったからだと…」

そして政宗自身が言っていたことを思い出して答えた。

が問いかけた時もそう言っていたし、同じように問いかけた他の部下にもそう答えたと聞いている。

小十郎はしばらく黙った後、振り返ることなく続けた。



「表向きはそう言っている。足軽たちにもな。俺もあの後、政宗様に問いかけた」



"お考え直し下さいませ政宗様!あの女を軍へ招くのは危険が過ぎます!!"



自分の寝首を掻きにきたくノ一をわざわざ軍へ招き入れるなど酔狂にも程がある。

一度は承諾しそうになった小十郎だったが、やはり気になってもう一度抗議したことがあった。

だが主は頑なに「いいんだよ」と言う。



『あいつは傭兵なんかじゃねぇ。豊臣軍では傭兵だったんだろうが…恐らく元は主に仕えた家臣だったんだろう』



『あいつが俺の部屋の屋根裏に潜んでいた時、針を構えるまで全く殺気を感じなかった。

 主の寝床を守ってたことがあるっつーことだ。逃げる時も咄嗟に後ろを気にしたようだったしな。

 だいたい金で雇われただけの傭兵なら捕まってすぐ舌切ろうなんざ度胸はねぇだろうよ』



自分の憶測を説明する主は冷静だった。



「政宗様はお前が元来傭兵ではないことに気付いていらした」



そこで初めて小十郎が振り返る。

は相貌を見開いて立ち止まった。



「忠誠心の置き場所に迷っているように見えると」

「腕は確かだが主には恵まれなかったんだろうなと…仰っていた」



"お前は優秀だよ。それは俺も認めてる"




"けど"







------------あの人は最初から







『俺の忍になれ』








「……………ッ」


震える下顎を抑えようと下唇を噛む。

ブチリという感触と共に鉄の味が広がり、口端から溢れてきそうになった。


「例えてめえが今すぐ舌を切りたくとも、てめえの今後は政宗様がお決めになることだ。

 政宗様が生きろと仰ればてめえは生きなきゃならねぇ。それを忘れるな」


小十郎はそう言って政宗の部屋の前で立ち止まる。

も顔を上げ、ぼんやりと灯りが漏れる大きな障子を見た。

血の滲む唇をきゅっと結び障子の前で正座して床に三つ指を着く。



「---------政宗様、でございます」

「入れ」



中から返事が聞こえると両手を障子に添え、ゆっくりと開いた。

薄暗い部屋には四隅と板の間の傍に蝋燭が立てられ、

その板の間では主がまるで怪我などなかったかのように悠然と座ってを迎えている。

は再び一礼して縁を跨ぎ、部屋に入って主の前に正座した。

小十郎もその斜め後ろに腰を下ろして後ろ手で障子を閉める。


「…ご無事で何よりです」

「何とかな。薬師がお前を褒めてたぜ。薬師顔負けの処置だったってな」


蝋燭の灯りが照らす主の顔色はまだ完全とは言えなかったが随分回復したように見える。

はその表情を見て少し安堵しながら静かに首を振った。


「…政宗様のお怪我は私の責任にございます。竹中の言葉に動揺し判断を誤りました」


そう言ってそのまま頭を下げる。

政宗の表情から笑みは消えたが冷静にを見つめていた。


「竹中の言ってたことは全て事実と受け止めていいな?」

「…はい」


顔を上げたが頷くと政宗も「そうか」と頷いて長い前髪を掻き上げた。

肘掛に頬杖をついて胡坐を掻き直し、楽な体勢をとって一息ついてから再び政宗が口を開く。


「竹中にも言った通り、お前が以前どこの誰に仕えてようと興味は無ェ。

 だが腑に落ちないことがある」




「側近でありながら何故軍を抜けた?」





そこで初めてに鋭い眼光が向けられた。

の背中がびくりと強張るのを、後ろに座っていた小十郎は見逃さない。

障子の隙間から強い夜風が吹きこんできて四つの火を同じ方向へ揺らした。

チリ、と蝋の燃える音。

紐が短くなっていくと独特の焦げ臭さが部屋に立ちこめていく。

政宗が黙っての返事を待っていると、はそれに答えるため静かに深呼吸して疼く痛みに耐えようと胸を押さえた。


「…抜けたのではありません」


真っすぐ政宗を見てはっきりと答える。






「見限られたのです」


 
 



広い部屋に響いた言葉を聞き、政宗は目を細めた。

小十郎も眉をひそめて横目でを見る。






「…私にはもう、くノ一としての仕事をすることが出来ません」







To be continued