神雷が猫を打つ-5-










「政宗様!政宗様!!」


主に向かって何度も声をかけるが肩にかかる体重は次第に重くなっていく。

甲冑越しだというのにその体は酷く熱く感じた。

は政宗の兜を脱がせて自分が首に巻いている頭巾を丸めて地面に置き、それが枕になるように政宗を寝かせる。


「筆頭!」

「おい!筆頭はどうなったんだ!」


足軽たちは馬を降りてその周りを囲うようにしゃがみ込む。

(…肩に刃は到達していない…)

蒼い陣羽織の肩口は少し裂けていたが下の甲冑のおかげで肩には届いていない。

は政宗の右手をとり、堅く結んである篭手の紐を解いて血の滲んだ手の平を開いてみた。


「は、早く毒を吸い出さねぇと…!」

「待って!」


慌てて政宗に駆け寄る足軽をが呼び止める。

彼女の大きな声に気圧されたのか、彼女の動揺する姿に驚いたのか、足軽たちの視線がいっせいにへ集まった。

「これは毒に耐性のある忍用に改良された強力な空木毒です。

 無暗に口に入れればその人も毒に侵されてしまいます」

「ならどうすれば…!」

足軽たちは困惑しているが、の向かいに膝をつく小十郎は無言で主の顔を覗き込む。


顔色が悪く吐息は熱い。

自分も農業を勤しむ者としてどの植物に毒性があるのかぐらいは知っているが、

全てを詳しく把握しているわけではないし要所要所に合わせた治療法も知らない。

こんな時に何もできない自分に苛立ちつつ、を見て判断を待った。

は数秒考えるとぱっと顔を上げ、後ろに立っていた足軽を見上げる。


「水と新しいサラシの用意をお願いします」

「わ、分かった…!」

素早い指示を聞き足軽は兵糧へ駆けていく。

「片倉様、薬草はございますか」

「ドクダミがある」

「十分です」

小十郎が懐から取り出したドクダミを受け取ると、はそれをすり潰すでも政宗の傷口に当てるでもなく、自分の口に含んだ。

周囲の誰もが眉をひそめ、何をしているんだという目でを見る。

それは顔に近づけるだけで独特の臭気があり、苦味も相当でとても生で食べられたものではないのだが、

は全く表情を変えず口の中でドクダミの葉を数回咬み砕くと政宗の右手をとった。

足軽が持ってきた水で傷口を洗い、サラシで二の腕をゆるく縛る。

その手捌きには迷いがなく、的確で迅速だった。

そして


「…失礼致します」


既に意識のない主に声をかけ、躊躇いなく血の滲む傷口に吸いつく。

「おい…!」

先ほど自分で言ったことを忘れたのかと足軽が手を出しかけたが、

小十郎が横からそれを制止して首を横に振った。

「…黙って見てろ」

は口内でドクダミを噛みながら血を吸い取り、血だけを吐き出す。

それを数回繰り返すと再び水で傷を洗い流した後、十分に噛み砕いたドクダミを口から出してサラシに包んだ。

「サラシを緩めて下さい」

冷静に小十郎に向かって声をかけると、小十郎も「分かった」と頷き、二の腕を縛っていたサラシを緩める。

はドクダミを包んだサラシを捩じって絞り、汁が出てきたところで傷口に押し当てた。

その上からサラシを裂いた包帯を巻くとはそこでようやく口の周りの血を拭った。


「…お願いがございます片倉様」


は政宗を見下ろしたまま口を開いた。

心なしか声がかすれている気がする。


「私に政宗様を運ばせて下さい」

「……何?」


口の周りを主の血で染め、まっすぐこちらを見る女の姿は精悍だった。

城を出た直後見た政宗の影武者である姿はどこにもなく、

その瞳は確かに彼女自身の強さを持っている。

彼女がここまで自分の意志を、存在を、小十郎に訴えてきたのはこれが初めてかもしれない。


「馬の揺れは今の政宗様のお体では耐えられません。

 忍の通る抜け道がございます。馬は通れませんが、人目につかず安全です」

「…女のお前が政宗様を抱えて移動出来るわけはねぇだろうが」

「そうですね。通常の女であれば」


ここで自分がどう判断すべきかまだ迷っていた小十郎が低い声で彼女を試すと、

はまだ残っている口の血を拭いながら政宗を見下ろした。

小十郎は内心、分かり切ったことを聞いた、と思った。

政宗の影武者を見事にやって退けた彼女ならば、自分で言いだしたことは必ずやって見せるだろう。


「甲冑を外せば可能です。本陣より早く城に着いてみせます」

「…着けない場合はどうする」



「私を斬って下さい」



再び迷いのない強い眼差しが小十郎に向けられる。

足軽たちがざわめき出した。


「我が前主、松永久秀が犯した所業はただ一人生き残る私が償わねばなりませぬ。

 ですが今は。今は独眼竜政宗に仕える忍として主を守ることが務めにございます。

 どうか私に…私に政宗様のお命をお預け下さい…!」


懇願するその表情は彼女が奥州に来た半年間一度も目にしたことがないものだった。

小十郎の中で答えはもう決まっている。

彼女の過去がどうであろうと今は半兵衛の言っていたことを確かめている時間はないし、

が言った手段が最善であることも分かっている。

恐らく主も言うだろう。「誰を信用しなくてもいいが仲間の言うことは信用しろ」と。


「…条件を追加する」


小十郎は低い声を絞り出した。


「道中、政宗様に掠り傷一つ負わせようものなら俺がお前の介錯人を務める」


介錯人、という言葉には一瞬眉をひそめる。

忍が腹を切って死ぬことなどないのに。




「政宗様を、必ず無傷で奥州に御連れしろ」




全身の毛が逆立つような低い声は変わらずだったが、いつも自分を威圧する鋭い眼光は幾分穏やかになった気がする。


「……はい…!」


は堅く頷き、強く握っていた政宗の右手を開いて薬草の上から新しいサラシを巻き付けた。

陽が傾きかけた相模の風は冷たかったが、陣羽織の下の甲冑を外した程度で体に響くような寒さではないように感じられる。

こういう時北国の寒さに慣れていることは大きな利点だ。

甲冑を外した政宗に自分の蒼い頭巾を目深に被せ、繋がっている長い襟巻で口元を隠すようにして両腕で抱え上げた。

華奢な影が鍛えられた男の体を抱える様は異様だったが、はそのまま軽々と近くの木の上に飛び乗る。


「では、奥州で」


が木を蹴るのと小十郎が頷くのは同時だった。

木の枝がいつもより大きく揺れると既に蒼と黒の影はなく、

小十郎が途中まで追えていたその気配もすぐに森の闇へと消えてしまった。


「…俺たちも急ぐぞ」


手綱を下ろし走り出す小十郎を先頭に、蒼い騎馬隊は奥州へ引き返していく。





「松永…松永久秀の側近…」


幸村は佐助に聞いた事実を険しい表情で繰り返した。

彼の手によって重傷を負った政宗の姿を見ているからだ。


「な、ならばあの男が政宗殿の六爪を狙った時も…!」

「いや、あの時あいつは既に豊臣軍にいたから関係ないよ。

 更に言うと竹中半兵衛が独眼竜を狙ってアンタらの一騎打ちを邪魔した時も、

 あいつは他の任についてて奥州攻めには関わっちゃいない」


佐助は腕を組んで城門の縁に寄りかかる。

少しを庇護するような言い方だったか、と佐助は思ったが幸村はまったく気にしていない様子だった。

だが疑問を持ったのか、幸村は眉間に皺を寄せて少し首をかしげる。


「…側近という大役を務めながら…なぜ豊臣軍で傭兵など…」


そう言って佐助の表情を窺う。

佐助は頭を掻きながら縁を離れた。


「松永軍にいられなくなったからだよ」

「…いられなくなった……とは…?」

「あいつはもうくノ一の仕事が出来ないんだ。本質を失くした」


佐助がそう言っても幸村は未だ言っている意味が分からないという顔で再び首をかしげる。


「アンタも分かんだろ。くノ一の仕事がなんなのかぐらいはさ。

 上杉のとこは別な。ありゃくノ一の仕事してないから」


そこまで言うと主もようやく理解したようで、慌てて首を縦に振った。



「あいつはもう・ ・ ・ ・
「あいつはもうそういう手段で隠密が出来なくなったっつーことだよ。
「 主の手で・ ・ ・ ・
 主の手でそうされた」




蒼を抱えた黒い影が森を駆ける。

鬱蒼と生い茂る木々を次々と飛び移り、杉林で足場ばなくなると地面に下りて道なき道をひたすら走った。

馬も通れぬ獣道は堅く細かい枝が密集して行く手を阻むが、

枝が顔に向かってくることも装束に引っ掛かることも気にせず、ただ走った。

跳ね返ってくる枝が政宗に当たらないようにとそれだけ気を配り、速度はそのままに腕の政宗を見下ろす。


「もう暫くご辛抱下さいませ政宗様…この森を抜ければ城でございます…!」


意識のない主にそう声をかけ、更に速度を上げて走り出す。

怪しくなってきた雲行きと高くなってきた気圧が、忍装束の下に鈍い痛みを報せている。




騎馬隊が相模を発って二刻、ようやく蒼い軍旗が城へ戻ってきた。

城門で馬を乗り捨てた小十郎が急いで城の中へ駆け込むと、主の部屋から薬師が出てくるのが見える。


「政宗様のご容体は!」


小十郎が詰め寄ると年老いた薬師はその剣幕に憶することなくやんわりと微笑んだ。

「大事は御座いません。次第に熱も下がりましょう。

 処置が早く的確だったのが幸いでございます」

薬師はそう言って僅かに開けた障子の向こうを見る。

政宗が静かに眠る布団の枕元でがじっと正座を守っていた。

顔や僅かに出た腿に切り傷が多数見えるのは、険しい獣道で跳ね返ってくる枝を避けずに走ってきたからだ。

は廊下に立つ小十郎に気付くと立ちあがって部屋を出てきた。

「…後をお願い致します」

小十郎に浅く頭を下げ、その場を去ろうと廊下を歩きだす。



「よくやってくれた」



は立ち止って思わず振り返った。

まさかこの男から労いの言葉をかけられるとは思ってもみなかったのだが、

目の前には小十郎しかいないのでこの男にかけられた言葉に間違いない。

は驚きのあまり相貌を見開いていたが、すぐに顔を伏せて首を振った。


「…いいえ」


「こちらこそ、信じて下さってありがとうございました」

「政宗様が目をお覚ましになられたら、お報せ下さい」


今度は深々と頭を下げ、踵を返して廊下を歩いていく。

小十郎はその影が廊下の角を曲がるまで見送った後、入れ替わりに主の部屋の中へ入った。



冷たい晩秋の風が強く吹くと締め切った障子がカタカタと音を立て、

中庭の松明が時折大きく揺らめいて飛んだ火花が乾いた空気に弾けた。






To be continued