「---------半刻経ったな」


僅かに傾いた陽の影を見つめ、政宗は重い腰を上げた。

外していた兜を被って顎で紐を結び、再び馬に跨って手綱を強く握り締める。


「…忍は旨くやれているでしょうか」

「HA!相変わらず心配性だなお前は。俺が大丈夫だと言えば大丈夫なんだよ。

 お前もこの半年間、あいつの動きをただ流し見てきたわけじゃねぇだろう」


並行して馬を走らせる小十郎の心配など諸ともせず政宗は馬の速度を上げて行く。

小十郎もその速度について行きながら静まり返った甲斐の森に神経を尖らせていた。

忍を仕える武田軍、どこに忍が潜みどんな罠が仕掛けられているか分からない。



(…やっぱ大将の読み通りだったか。元気だねぇ奥州は)



小十郎の心配通り、蒼い軍旗を掲げて走る騎馬隊を見下ろす忍がいた。

太い木の幹に寄りかかり、特に追う様子も見せず呆れたような顔で迷彩柄の忍装束を夜風に靡かせている。


(アイツの姿が見えないな…右目の旦那が目を光らせてるから本陣を離れるはずないと思ってたのに…)


騎馬隊を最後まで見送ったが、昔馴染みであるの姿は見つけられなかった。

「片倉様にはまだ信用されていない」と言っていたから常に目の届く範囲にいるものだと思っていたのに。


(独眼竜が上田に見向きもしないってのも気になるな…)


対峙すれば一騎打ちになるのは目に見えている。

がいないことに加えて何となく嫌な予感がした佐助は即座に枝を蹴った。



「……まさかな」








神雷が猫を打つ-3-










上田の城下町を抜けた山裾で紅い男と蒼い男が対峙していた。

紅い男が蒼い男が本当は「女」だということにはまだ気付いていない。


「伊達軍は小田原を攻めるものだとばかり思っていた…

 一騎討ちならば喜んでお受け致す!参られよ!!」


少し高台で馬に跨っている蒼い陣羽織に向かって大きく声をかける武田の若武者・真田幸村。

扮する伊達政宗は鋭い目付きで紅い鎧を見下ろし、ゆっくりと馬から降りた。

両足を着地させ緩やかな坂を下ってくる独眼竜を前に、幸村は僅かに目を細める。

その背丈が幾分低く小柄であることに気付いたのかもしれない。



「------お初にお目にかかります。真田幸村殿」

「っ」



立ち止った蒼い影から聞こえた凛とした女性の声。


「そなた…っくノ一か…!?」


幸村は構えた二槍を思わず少し下げた。

風に靡く長い陣羽織の裾と辛うじて肩につく程度の黒髪。

眼帯に覆われた右目を隠すように流された長い前髪からは、あの男と同じ鋭い左目が覗いている。

この至近距離まで寄っても彼女の顔つきは伊達政宗としか言いようがなかった。

だがよくよく見れば顔の輪郭が政宗に比べて細く、女性特有の柔らかみを帯びている。

肩幅も華奢で背丈も幾分低かったが、馬に跨っていれば全く気付かれないだろう。



「伊達の忍、と申します。以後よしなに」



目の前の人物から聞こえる丁寧な口調に幸村は驚きを隠せず唖然と口を半開きにしたままだ。

「そなたが伊達軍の…佐助から話は聞いていた。

 元豊臣軍傭兵、腕のたつくノ一がいると…」

「私も貴方のことは政宗様からよくお聞きしております。

 政宗様は何れ貴方との一騎打ちを望んでおられる…ですが」




「今日のところは影武者・伊達政宗でご辛抱なさいませ」




そう言って胸の前で手を交差させると、腰にささった六本の鞘にそれぞれの手をかけた。

まるで、伊達政宗が六爪を抜く動作のように。

その瞬間、周囲の空気がびりりと振動する。

幸村もそれを見て一瞬身構えたが、下げた槍を再び上げようとはしなかった。



「…女を斬るつもりはござらん。政宗殿のもとへ戻られよ」



真田幸村が吐いたその言葉は、にとって予測できていたものだった。


"真田幸村に会っても絶対に殺すな。まぁお前でも難しいだろうがな。

 女は斬らねぇだの何だのぬかすだろうが、そん時ゃ全力で相手してやれ"


(…まさかここまで聞いていた通りの男だったとは)


政宗は笑っていたが、は半分呆れていた。

若さ故だと思っていたがそうでもないようだ。

槍を上げようとしない幸村の目は軽蔑でも憐れみでもない。

はふぅ、と浅く溜息をつき、指笛を吹いて馬を逃がした。


「…女は斬らぬと申すならば、私を女ともくノ一とも思わぬことです」





「怪我をしたくないのなら」





柄にかけられた指が六爪を半分抜く。

幸村がその動きに警戒するのとが地面を蹴るのは同時。

目にも止まらぬ速さで間合いを詰めてきたは、鞘から引き抜いた六本の得物を同時に幸村に向かって投げつける。


「…っ!」


物凄い速度で飛んできたのは六本の小太刀。

その全てが的確に急所を狙って真っすぐに飛んできた。

幸村は咄嗟に半身を返して体の前で右の槍を回転させ飛んで来た小太刀をいっきに弾き飛ばしたが、

弾ききれなかった一本が頬を切って僅かな痛みを残す。

だが目の前の忍は間髪入れず宙へ飛びあがり、長い右足を振り上げながら急降下してきた。

硬い脛当てに全体重が乗った踵落としは槍の柄に受け止められたが、支えているのがやっとで少し力を緩めれば強烈な蹴りが顔面を直撃しそうだ。

「くっ!」

槍を振り切るとはそのまま両手を地面に着き、倒立しながら再び幸村の顔面に向かって蹴りを入れる。

槍で防ぐには距離が近すぎたため幸村は思わず右手の槍を離して素手でその足を受け止めた。

主の手から離れた槍が地面に刺さったのを確認し、両手で地面を叩いて再び地面に飛び上がる。

そして懐から抜いた苦無を至近距離から勢いよく投げつけた。

紅い上着から覗く胸板の真ん中、苦無はそこに間違いなく刺さったように見えたが


「……………ッ」


苦無は左手の槍の柄の真ん中にきれいに刺さっている。

幸村は即座に地面に刺さったもう1本の槍を抜き、短く持ちかえて回転させると穂先の反対側で勢いよくの腹を突いた。


「ッぐ!」


外見を見繕っただけの胴鎧にヒビが入る感触と同時にの体は後ろへ飛ばさせる。

空中で体勢を立て直し、木の幹に両足をついて勢いを殺すとそのまま着地した。



(さすがは政宗様と同等に戦う男…やはり及ばぬか)



一瞬骨が軋んだ腹を押さえ、軽く咳をしながら右手を項へ伸ばした。


(でも)



「…時間は稼ぐ」



襟足の下に隠れた眼帯の結び目を解き、右目を覆っていた眼帯を外す。

それを見た幸村は体を強張らせて警戒した。

彼女はあくまで影武者

事実失明している政宗とは違い、意図的に右目を隠していたはここまで負荷を背負って戦ってきたということだ。

数回瞬きをして右目を明るさに慣れさせると即座に地面を蹴り、再び幸村との距離を詰める。

宙へ飛び上がりながら腰に手を回し、本来の得物を引き抜いて幸村の頭上へ振りかぶった。



(多節棍…!)



勢いよく振り下ろされた忍の武器が紅い槍の柄とぶつかって一瞬火花が散る。

三つの金属が繋がったしなやかな多節棍は、振り下ろすと同時に接続部分の鎖がぐにゃりと曲がって不規則な動きを見せた。

は弧を描くように手前に曲がった得物の反対側を掴んで両手で目いっぱい伸ばし、幸村の槍を力づくで押した。

細腕とは思えぬ威力に幸村の体が僅かに後ろへ動く。


(なんという力だ…ッ女子とは思えぬ…!)


すかさず幸村はもう片方の槍をなぎ払ったがが避ける方が早い。

槍の切っ先が左耳と髪を僅かに切ったが、は構わず宙返りして再び多節棍を槍目がけて振り切った。

多節棍は鎖がぐにゃりと曲がって槍に絡まり、その動きを完全に封じてしまった。


「しまった…!」


は左手で苦無を掴み、幸村の頭上に振りかぶる。

その瞬間




「っ」





の耳に届いた高周波の笛の音。

周囲の木々から鴉がバサバサと飛び立ち、山の奥から山犬の鳴き声が聞こえてきた。


「…何だ……?」


幸村は目を細めて周囲を見渡す。

は槍に絡めていた多節棍を引き抜き、耳を押さえて空を見上げた。




(本陣が小田原に到着した…)




「あ痛っ」


甲斐から上田に戻る途中に山林で佐助も耳を押さえて思わず立ち止った。

「今のは…」

騒がしくなった森の動物たちを横目に再び木の枝を蹴り、上田へと急ぐ。




「…時間のようです」




はそう言って多節棍を腰に納めて蒼い陣羽織の襟に手をかける。

勢いよく引っ張って蒼を脱ぎ捨てると本来の黒い忍装束が現れた。

幸村はそこで改めてこの影武者が本当にくノ一であったことを実感した。

得物を仕舞った相手に槍を向ける気にもなれず、幸村も槍を下げて一歩退く。


「再戦ならばいつでもお相手仕ると、政宗殿にお伝え下され」

「承知しました」


主に預かった眼帯だけは大事に懐に仕舞い、幸村に向かって浅く頭を下げた。

地面を蹴って木に飛び乗ると蒼く長い首巻きが風に靡く。


「…要らぬ節介ですが」




「その甘さ、いつか己の首を絞めますよ」




酷く冷めた眼光が幸村を見下ろす。



「私はもう、くノ一では御座いません」




はそう言い捨てて木の枝を蹴り、その場を立ち去った。

僅かに揺れる木の葉を見つめる幸村はすっかり血が乾いた頬を指で擦った。







小田原



「……なんか音したか?この笛」

「いや…何も聞こえなかったけど…」


に言われた通り笛を吹いた足軽は怪訝な顔をして小さな笛を見つめた。

思い切り吹いたのだが全く音が出ない。


「政宗様、あの笛は…」

「ああ、こりゃ忍なら相当うるせぇだろうな」


片耳を押さえる小十郎の横で政宗は笑いながら周囲を見渡した。

笛から発せられた高周波の音。

足軽たちに比べ三半器官を鍛えてある二人には軽い耳鳴りがした程度だったが、

その倍聴力が優れた忍には相当大きく聞こえていたに違いない。


「それより…いやに城下が静かだな…」


崖の上から一望できる小田原の城下。

春ならば桜の木が咲き乱れる豊かな町並みが見られるのだが、

晩秋の今は木々も痩せ活気はまったく見られなかった。

それどころか民の姿も見えない。


「まさか既に豊臣軍が…」

「いや、それにしちゃ町がまだ綺麗だ。城は落ちてねぇみたいだが…ひとまず下りるぞ」


勢いよく手綱を下ろし崖を降りて行く政宗を筆頭に、蒼い騎馬隊がいっせいに小田原へ入城する。


(巨大門が開いている…)


ひっそりとした城下を横目に馬を走らせながら政宗は目を細めた。

嫌な予感がする。

通常は開かれることのない巨大門が開け放され、よく目を凝らすとその手前に水色の軍旗が落ちているのが見えた。

政宗は強く手綱を引いて馬を停める。


「AH…?どういうことだこれは…?」


倒れている数人の足軽。

政宗が目を細めていると





「やぁ、そろそろ来る頃だと思っていたよ」






門をくぐって一人の男が歩いてきた。

緩やかな曲線を描く銀髪

白すぎる肌の一部を紫色の仮面で隠した線の細い優男は、不敵な笑みを浮かべて政宗を見上げた。

政宗は眉間に皺を寄せ、憎悪にも似た表情でその男を睨みつける。





「……竹中、半兵衛」










To be continued