神雷が猫を打つ









「これより軍議を始める」


大広間に集められた兵士たちは上座に座る総大将をまっすぐ見ていたが、

時折その視線が泳いで下座に正座する忍へと向けられる。

彼女が軍議に参加するのは珍しいことだったが、兵士たちが驚いているのはその身なりの方だ。


「…パッと見分かんねぇよな…」

「な、なんか変な感じだよな筆頭が正座して大人しくしてんのって…」

「いやでもあれ筆頭じゃねーから。くノ一だから」

「いや似過ぎだろ…近くで見ると貧弱だけどよ、顔だけはそっくりだって!」


の傍に座る足軽は総大将に扮している忍を見ながらヒソヒソと耳打ちする。

確かにその華奢な影武者は顔形こそ総大将と瓜二つだが、全体を見るとやはり輪郭の華奢さが目立つ。

それでもまるで広間の上座と下座から竜の眼に睨みつけられているような威圧感があった。

だが影武者は忍らしく、その存在をそこに強調しないように気配を散らせていて不思議な雰囲気を放っている。


「おいそこ静かにしろ」

「っは、はい!!」


政宗のすぐ向かいに座っていた小十郎が振り返り、じろりと足軽を睨んで低い声を出した。

ようやく広間が静まり返ったところで政宗は右手の扇子をパン、と開く。


「予定通り、明日小田原へ向けて奥州を発つ」


そう言って地図を広げると足軽たちは身を乗り出して地図を覗き込んだ。

「まずは小田原城ですか?」

「ああ。豊臣よりも先に相模を抑える。上杉・武田に動きはねぇ。

 今なら小田原を攻めるのは容易なはずだ」

閉じられたままの扇子が相模を指す。


「…あ、あのぉ筆頭…くノ一に影武者をさせたのは……?」


手前にいた足軽がおずおずと右手を上げて下座にいるを振り返った。

他の武将たちも下座に目を向ける。

広間でその姿を見た時から誰もが気にかけていたこと。

黙って正座を守るは僅かに顔を上げて横目で上座の主を見た。

政宗はその質問待ってましたと言わんばかりにニヤリと口元を釣り上げて笑う。




を数名の斥候と共に上田に向かわせる」




「「「っう、上田…!?」」」


足軽たちの声が裏返った。

事態をだいたい予想していたは僅かに目を細める。


「ど、どうして…!上杉と武田が動かねぇんなら…そのまま南下して甲斐を越えれば上田には…」

「確かに虎のおっさんは動かねぇだろう。だが真田幸村はどうだ?」


政宗はそう言って足元に散らばっていた白い碁石を信濃に置いた。

主の口からその名前を聞いた足軽たちは顔を見合わせ息を呑む。


主と同等に渡り合い、主が最も敵視する男。

これまでに何度も刀を交えてきたが決着がつくことはなかった。



「今奴に進路を塞がれると面倒だ。あいつとは軍抜きで決着をつけてぇしな」

「…忍を影武者に真田幸村を上田へ留めておくということですか」


政宗の考えを早々に読んだ小十郎がゆっくりと口を開く。


「そうだ。本陣はその間に小田原へ抜ける」


黒い碁石を二つ奥州に置き、一つを上田へ、もう一つを小田原へと動かした。


「…しかし政宗様、影武者ならば何も忍を使わずとも私が…」

「お前には俺と一緒に本陣に居て貰わなきゃならねぇ。豊臣が動かないとも限らねぇからな」


政宗がそう言うと小十郎も僅かに視線を後ろへ向けてちら、とを一瞥する。

確かにここから見れば、彼女が「伊達政宗」だと言われても疑わないだろう。

顔の輪郭や体つきの細さは隠しきれないが、すらりと通った鼻筋にかかる長い前髪と

その合間から覗く鋭い瞳は長年仕えた従者も目を疑うほど似せられていた。

馬に跨っていれば身長は大して気にならないし、近寄って声を聞かなければ分からないだろう。



「…奴に真田幸村を留めておくだけの時間が稼げますか」



絞り出すような小十郎の声に再び全員の視線がへ向けられた。

は横目で小十郎の背中を見つめたが何も言わない。

政宗の右目であるこの男は政宗に忠誠を誓い、政宗の信じるものは己の信ずべきものだと心に決めてきた。


だが突如伊達軍に入ったくノ一だけは例外だった。


政宗の首を獲るべく豊臣軍に雇われていた忍。

主が傍に置くことを決めた今も、常に主を狙うことの出来る立場にいる。

それだけで彼女を疑う理由は十分だ。




「稼げるさ」




小十郎の不安をよそに政宗はそう言いきってを見る。


「なぁ?


は体を主に向けて顔を上げた。


「はい」


凛とした声がはっきりと答える。

小十郎は低い唸り声を出したが、それ以上反論することはなかった。

豊臣軍の動きを警戒して各々が硬直状態にある中、小田原を攻めるにあたって最も懸念すべきは甲斐・武田軍だ。

総大将・武田信玄が動いてくることはないというのは小十郎も考えていたが、

副将である真田幸村についてはそうも言い切れない。

以前もあの男に足止めを食らったことを考えると斥候を送るのが得策だろうと思っていた。


「…承知致しました。この小十郎、身命を賭して貴方様の背中を御守りいたします」

「YEAH!いい返事だ小十郎」


床に両拳を着き、頭を下げる小十郎を見て政宗はすっくと立ち上がる。



「支度をしろ野郎共!夜明け前には出発だ!」



大将の掛け声に床や壁がビリビリと震えるほどの雄叫びが響く。

そんな中は静かに立ち上がり、気配もなく広間を出て行った。




(………片眼…)




未だ足軽たちの大声が響く広間を背に廊下を歩きながら、懐から黒い眼帯を取り出した。

二日前政宗から渡されたものだ。

視力や平衡感覚は常人以上に優れている自信があるし、瞼を怪我して片目で戦いを余儀なくされたこともある。

…だが今回ばかりは相手が違う。


(…真田幸村)


旧知の忍からよく話は聞いていた。

だが合間見えるのはこれが初めてになる。


(…どこまで時間が稼げるだろう…)



「おい」



背後に感じた威圧感と共に低い声が呼び止める。

振り返ると案の定険しい表情を浮かべた小十郎が立っていた。

職業柄人の発する殺気や鬼気などには敏感だが、特にこの男は際立ってそれらをにぶつけてくる。

暗にではなく、まるでに気付けとでも言っているかのように率直に。



「…俺は政宗様が信じるものを信じている。これまでそれを後悔したことは一度もねぇ」

「………はい」



は黙って小十郎の言葉に耳を傾けた。



「だから俺も信じる」



小十郎は歩き出しながらそう言っての横を通り過ぎる。


「政宗様の顔に泥を塗るような真似だけはしてくれるな」


背中越しにそう聞こえたのでは再度振り返った。


「…有難うございます」


浅く頭を下げるとこれまでより鬱陶しくなった前髪がばさりと垂れ下がる。

遠ざかって行く足音から幾分威圧感が薄れたような気がした。

頭を上げ前髪を掻き上げると黒い眼帯を右目に宛がい、耳の後ろに紐を通して項で結ぶ。。

視界が半分隠れ、前髪を下ろすことで視野はさらに狭くなった。



(………これが)








あの人の見ている世界。










徐に懐へ手を入れ、中で掴んだ苦無を中庭に向かって勢いよく投げつける。

池の手前の七竈の幹には地面に落ちる寸前だった葉と一緒に苦無が刺さっていた。







上田城



「…風が止んだ」



城の中庭で鍛錬に励んでいた城主は両腕を下ろし、冷たい風が止んだ夜空を見上げる。

先ほどまで周囲の木々をざわめかせていた風はピタリと止み、まるでこれから来る嵐を告げるような不気味な静けさが城を包んでいた。







丑の八つ半を過ぎた頃、蒼い軍旗を掲げた騎馬隊は甲斐の国境に到着していた。
軍の先頭には蒼い陣羽織を着た総大将が ・ ・
軍の先頭には蒼い陣羽織を着た総大将が二人、それぞれ馬に跨って高台から甲斐の国を見ろしている。


「…忍の気配はありません。甲斐はこのまま突破できます」


兜をかぶらない女の影武者はそう言って周囲の木々に意識を集中させた。

付近に潜んでいれば分かる同業者の気配はまだ感じられない。


「よし、お前らは先に行け。半刻したら本陣も相模へ向けて出発する」

「はい」


政宗がそう言うとは手綱を下ろし、斥候として同行する足軽たちも馬を発進させた。


「…これ相模に到着したら吹いてくれってくノ一に言われたんだけどよ…

 ただの笛じゃねぇのかこれ」

「ただの笛なら他所の奴に聞かれちまうじゃねーか」


政宗と小十郎の後ろで法螺貝を携えた足軽が小さな陶器の笛を訝しげに見つめた。

奥州を発つ際にに渡されたものだが、これに一体何の用途があるかは伝えられていない。

ひとまず無くさないようにと懐に仕舞い、と斥候が上田に到着するまでの半刻を静かに待つことにした。




東の空から昇ってくる太陽を左手に見つめながら、は上田を目指して馬を走らせていた。

後ろには蒼い軍旗を掲げた足軽が五騎ついてきている。

は右目を覆う眼帯を少し上げ、崖下に見える上田の町に目を凝らした。

昇り始めた太陽の明るさはまだ慣れぬ右目に沁みたが、すぐに眼帯を下ろして馬の腹を強く蹴った。



「幸村様!幸村様!!」



夜が明けて間もない城内に城主を呼ぶ慌ただしい声。

「何事だ」

既に身支度を整えていた城主は紅い鉢巻きを締めながら部屋を出てくる。


「信濃国境に蒼い軍旗を確認!先頭に伊達政宗と思われる蒼い陣羽織が…!!」

「何…!?」


城壁を横目に馬を走らせていると、林の向こうに並列して走る馬と真っ赤な鎧が見えた。

はそれを確認すると速度を緩め、足軽たちに「行って下さい」と告げて林の中へ飛び込む。

足軽たちは来た道を引き返し、国境へ戻って行った。



「政宗殿!何用で参られたか!!」



開けた場所で馬を停めるとの左目に鮮やかな紅が映る。

背中に携えられた二槍を一瞥すると、左手で少しずれた右目の眼帯を直した。







To be continued