ハーフムーンの祈り







奥州へ戻ってきたのは亥の刻を過ぎたころだった。

静まり返った城内を灯りなしで歩く城主は、兜のみを外した状態で自室へ向かっている。

騒がしい大広間から離れたこの場所はとても静かで、

カシャン、カシャンと甲冑がぶつかる音だけが廊下に響いている。

部屋の前で立ち止まり、静かに障子を開いた。

手前の座敷に敷かれた布団で眠る後ろ姿を見下ろし、その場にしゃがむ。

もう一枚障子を挟んだ奥が政宗の寝床だったが、障子は開け放され、布団は部屋の隅で綺麗に畳まれていた。

静かに上下する肩に視線を戻し、白い頬にそっと触れる。

目元から顎までなぞるように触れていると色素の薄い唇が僅かに動いた。

同時に目尻からうっすらと涙が滲んできて政宗の指先で止まる。

唇が「まさむねさま」と動いた気がした。

頬に張りついた黒髪をそっと梳いて指先は離れていく。

立ち上がって部屋を出ると静かに障子を閉めて部屋の前を離れた。



ふ、と部屋の空気が変わったのを感じて目が覚めた。

ぼんやりと薄暗い部屋。

もしかして、と隣の部屋を見たがやはり政宗の姿はない。

部屋を見渡すと障子が僅かに開いていることに気付いた。

は慌てて起き上がり、羽織を肩にかけて部屋を飛び出す。

寝起き間もないせいで足がもつれたが、精いっぱいの速度で廊下を駆ける。



「政宗様!」



曲がり角の先に政宗の姿を見つけて声を張る。

立ち止まって振り返った政宗は少し苦笑していた。

「悪いな、起しちまったか」

はぶんぶんと首を振る。

「…すぐに、お発ちになるのですか…?」

「ああ。不足してるモン補充しに寄っただけだからな。夜明け前には奥州を発つ」

「…そうですか……」

伏せた顔をすぐに上げて何かを言いかけたが、言いかけた言葉をそのまま飲み込んだ。

いつお戻りになるのですか。

これは聞かない約束だからだ。

再び顔を伏せるの言いたいことを察して、今度は政宗の方が口を開く。


「…悪い夢を、見たのか?」


はぱっと顔を上げた。

涙の乾いた右頬にまだ髪の毛が数本張りついている。

肩にかけた羽織をぎゅっと握りしめ、黙って頷いた。

ここ数日毎晩同じ夢を見る。

魘されて目が覚めて、忘れようともう一度眠るとまた同じ夢を見る。

政宗が城を開けてからそんなことがずっと続いていた。

今自分が起きているのか眠っているのか、そんなこともあやふやだ。

目の前に立つ政宗も本当は夢の中の映像なのかもしれない。

そんなことを考えると拭って貰った涙が再び溢れてきた。


「……私は…戦が嫌いにございます…」


これから出陣という時に何を言うんだ。

はそう思ったが、政宗はそれを口にはしなかった。

ゆっくりと近づいてきての前まで来ると、抱き寄せた頭を自分の肩口に押し付ける。

武装している時、彼はを強く抱きしめたりはしない。

甲冑を気にしているのだろうし、戦の匂いにを近づけたくないのかもしれない。


「俺だって嫌いだ」


ひんやりと冷たい陣羽織と甲冑の感触。

ぎゅうっとしがみついても彼の熱は伝わってこなかったが、

耳元から降ってくる声は確かに夢じゃないと実感できた。

「もうじき終わる」

戦を終わらせるための戦なのだと、

彼女に何度こうやって言い聞かせただろう。

その度に「解っております」と言う彼女の、本当に言いたいことは知っているのに。

は政宗の肩を離れて顔を上げる。

逆光を浴びた眼帯の真下にまだ新しい切り傷が見えた。

指先を角ばった顎に沿わせて傷の傍をなぞる。

いつだって思うのは、他国の姫のように戦に出られる力なんて要らないから

この傷を癒す力が欲しいということ。

けれど自分の指は治癒も、刀を持つ力も、手綱を持つことも出来ないただの痩せた指だ。

政宗の手がその痩せた指をとって、白い爪に口付ける。


「…政宗さま、」


項を引き寄せられて爪から離れた唇で言葉を遮られると、少し、鉄の味がした。

戦の後はいつだってそう。

外から吹き抜ける冷たい夜風で肩の羽織が滑り落ちないように、

政宗の手が端を掴んで押さえると唇は静かに離れて行く。

隻眼はいつものように笑っていた。

「すぐ戻る」

遂に羽織を掴んだ手さえ、離れて行った。



「それまで、もう少し血色良くして肉付けて待ってろ」



踵を返してに背を向け、廊下を歩いて行く。

暗い廊下の先に消えて行く蒼い背中を見送るのは怖かったが、

下唇を噛みしめてじっとそれを見送った。

いってらっしゃい、と言えなかったのが悔やまれた。




一階に下りて縁側で草鞋を履き、兜を持って外に出ると城門の前で小十郎が待っていた。

「…もう宜しいのですか」

「ああ」

右手に持っていた兜を頭に被り、顎で紐を結びながら門をくぐる。

小十郎は少し遅れてそれに続き、躊躇うように一度城を振り返った。


「毎度毎度、慣れねぇもんだな。城を開ける時ってのは」


紐を結び終え、馬の鞍に足を掛けながら声色暗く呟く。

城から政宗に視線を移した小十郎が何か言いかけたようだったが、

政宗はそれを待たず馬を発進させた。



「行くぞ」



そのまま自室に戻る気になれなかったは廊下の柵に体を預け、

夜空にぽっかりと浮かぶ月を眺めていた。

満月にはまだ少し足りない月はじっと見ていると吸い込まれそうで怖い。


唯一の救いは、今夜は月が綺麗だということ。

満月でも半月でも三日月でも何でもいい。

月は政宗様の味方だから。


武家の女子は強くあるべきと死んだ母や城の侍女は言うけれど、

私に強さを促してくれるのはいつだって政宗様の方で

政宗様はただの一度も、私に「強く在れ」と仰ったことはなかった。

それに甘える私を咎めることさえも。



月明かりに照らされて城下を抜ける騎馬隊を見送り、柵を離れて胸の前で指を組む。

これは異国の祈りだと政宗様が教えて下さった。

ただ手を合わせるより効きそうだろ?と言って。



「…どうか御武運を…政宗様」





思えば筆頭夢は忍ヒロインしか書いたことなかったので、
夢っぽいというかちゃんと甘い夢はこれが初めてな気がします…
基本、幸村で書けないものは筆頭に押しつけます(笑)
さすが主人公万能だぜ!←