猫を飼う竜









月夜を猫が舞う。




闇に溶け込み、まるで闇の一部が切り離されて自我を持ったように

黒い影は無駄のない動きで城の屋根に降り立った。

足を着いても油断せずに呼吸と気配を殺したまま影は城を奥へと進み、

城内で最も大きな部屋の前に跪く。


「---------政宗様」


障子越しにぼんやりと浮かぶ蝋燭の灯。

その中にいるであろう主に向かって静かに声をかけた。


「入れ」


主の返事を聞くと頭を下げたまま右手で障子を開ける。

広間の真ん中をぐるりと囲うように蝋燭が立てられ、

その灯りの中心には群青色の着流し姿の主が悠長に座って酒を飲んでいる姿があった。

下座には彼の右目を担う男が鎮座し、晩酌の相手をしている。

片眼の竜は左目で影の姿を確認するとその眼を細めてにやりと笑った。

「戻ったか」

不敵に笑う政宗とは裏腹に、下座に座る小十郎はその鋭い目でじろりとを睨む。

「どうだった?」

猪口に酌んだ酒を飲み干し、畳の上に置いて報告を聞く姿勢をとった。

「明智・前田両陣営が予告通り上杉・武田軍に奇襲をかけた模様です」

「Ha!随分楽しそうなpartyじゃねーか。で?状況は?」

の報告を聞くと楽しそうに笑いながら胡坐の足を組み替え、話の続きを促す。

「上杉と武田が事前に忍を送ったようで、明智・前田は兵数が半分以下だったようです。

 織田軍の合流を待たずに撤退しました」

「成程。お前の同志もなかなかいい働きしてるみてぇじゃねーか」

肘掛に頬杖をつく主の言葉を聞き、は肩をぴくりと強張らせた。

そんなの様子を見て政宗はフ、と笑う。

「下がっていいぜ。明日また頼む」

「…承知しました。お休みなさいませ」

は床に三つ指をついて頭を深々と下げ、両手で静かに障子を閉めた。



「……奴を拾って七日になりますか」



再び主従2人になった部屋で小十郎は低い声を紡ぎながら、政宗の猪口に酒を酌む。

「戦場に出向かずともあちらさんの交戦状況が分かるってのは楽なモンだな」

政宗は再び猪口を右手に持って口へを運ぶ。

「…しかし政宗様。まだ油断は出来ませぬぞ。

 いつまた豊臣軍に寝返るか…」

「お前は神経質過ぎんだよ小十郎。

 寝返ったらそん時はそん時だ。大して面倒事じゃねぇだろ?」

暗殺されかけていながら悠長なことを言う主を前に、

小十郎は「全くこのお方は…」と額を押さえて首を振った。

「お前ももう休め。明日も早ぇしな」

「---------は」

主に言われると小十郎は膝の上に手を着き、頭を下げて部屋を出る。

障子の前で再び一礼して静かに廊下を歩いて行った。






"今、竜の旦那の所にいるんだって?"







先日、長篠で合戦があると聞いたはその戦を木の上から傍観していた。

その際に同郷の出身である忍にかけられた言葉を思い出す。


『フラフラすんのもいいけどさ、いい加減居場所定着させたら?

 1人の主についてみるのも悪くないと思うよ?』


『…放っといて』


激しく交戦が繰り広げられる荒野を見下ろし、は表情1つ変えず返事する。

忍の男は「つれないなぁ」と肩をすくめた。


『でも…あの独眼竜がよく寝首を掻きに来た忍を殺さずに傍においてるねぇ』


男の言葉には僅かに目を細める。


『そのうち真田の旦那とか暗殺に来ないでよー?

 ま、来ても俺が止めるけどさ』


『……暗殺は、するなと言われてる』


は荒野の戦場を見下ろし、静かに口を開いた。

男は横目でを見る。


『"俺には暗殺なんざ必要無ェ。殺らなきゃならねー奴は自分で殺る"

 それがあの方の命令だから』

『…へぇ、あの人らしいかもね』


より主のことを知っているのか、男は頭の後ろで手を組んで苦笑いした。



『じゃ、次会う時は戦場で戦おうぜ』




そう言ってひらりと木の上から飛び降り、忍は主の背中を護って戦を始めた。



『………………』




七日前



は、現在の主を天井裏から見ていた。



(------------あれが…)



奥州筆頭




独眼竜の伊達政宗




噂には聞いていたし、何度か戦場で目にしているのでその姿を見るのは初めてではなかった。


"伊達政宗の暗殺"


それが豊臣軍に仕えるに与えられた任務。

上杉・武田軍とは異なり忍を仕えていない伊達軍に忍び込むのは意外に安易で、

標的となる男は今まさにの真下の部屋で床に就いていた。

蝋燭の燃えきった真っ暗な部屋でも、夜目の効くにははっきりその姿が認識できている。



---------殺れる。



は懐から蝮毒を塗った苦無を抜き出し、男の頚椎に狙いを定めた。

呼吸を、気配を、全てを闇と同化させて指先に神経を集中させる。

その瞬間。



「---------------ッ!」



静かに閉じられていたその左眼が突然開かれ、

は右手に構えた苦無をビタリと制止させてしまった。

が天井裏から跳ね退くのと、寝ていたはずの男が枕元の刀を抜刀するのはほぼ同時。


「小十郎!」


天井裏を抜け出し、屋根へ駆け上ろうと床を蹴った刹那、

の喉下からギラリと光る銀色の刃が垂直に突き上げられた。

「ッ!」

頬に大きな傷のある男が勢いよく放った太刀。

それはの頬と髪を切り、バランスを崩した影の首元を掴んでそのまま床へと叩きつける。

「政宗様!!」

冷たい木目にうつ伏せに倒れ、背中で両腕を拘束された状態では顔を上げた。

右手に刀を持った標的がゆらりと目の前に立ちはだかる。

「こんな夜更けに随分crazyじゃねーか。

 どこの飼い猫だ?」

そう言っての前にしゃがみ、首に巻きつけた黒布をグイと引っ張る。

布の端には白地で桐の文様が描かれていた。


「Ha!猿が猫を飼いやがったか。間抜けな話だぜ」

「………………」


主を詰られようと、の中に怒りはなかった。

自分は豊臣秀吉という男に忠義があって仕えていたわけではなく、

奴の下につく竹中という男に金で雇われていた身だったからだ。

秀吉という男が己の妻を殺害していたことには他人事ながら不快感を抱いていたし、

異質とも言えるその戦法にも疑問を持っていた。


だからこそ即座に切り捨てることの出来る金だけの関係にしようと、

竹中から話を持ちかけられた時に決意していたのだ。


忍は猫だ。などとはよく言ったものだ。


餌(主には金であるが時に色をも餌となる)さえ与えられればどんな主にも懐いてしまう。

犬と比べてタチは悪いが使い回しは効く。



あの男にとっても、自身にとっても

ただそれだけのこと。



だがここで敵に手に落ちるなど、一忍としての恥。

は迷うことなく上下の歯の間に舌を滑らせた。


「おっと」

「ッ!」


素早く口の中に手を突っ込まれ、長い2本の指に舌が掴まれてしまった。

は双眸を見開いて目の前の男を見る。

片眼でありながらその眼が放つ圧力と妖艶さ。

いつもは兜で隠れている黒髪が夜風に揺れてそれを強調させる。

独眼竜と呼ばれる由縁を、は今始めて身をもって感じていた。



…恐怖している。

これまで幾度となく味わったどの恐怖とも違う。




この男を…恐ろしいと、感じている。




「すぐに拷問の準備を」

「いや、必要ねェ」


素早く立ち上がる右目の言葉を制し、竜は左手での髪を引っ張って強く引き寄せた。


「拷問よりもっと屈辱的なモンがあるだろうが。understand?」


言葉の出せないは眉をひそめる。

閏の相手でもさせられるのだろうか。

だが次の瞬間竜の口から発せられた言葉はそんな予想を裏切るものだった。







「俺の忍になれ」








舌を掴まれたまま眼を見開く

が声を出す前に

「ッ何を申されますか政宗様!!」

横にいた右目が声を荒げた。

「上杉も手前の寝首掻きに来たくの一使ってるっていうじゃねーか。

 脳みそ涌いてんのかと思ったが…面白ェ」

左手に掴んでいたの髪をするりと離し、竜は目を細めて楽しそうに笑う。


「お前が発声できる言葉はYesだけだ。否定権はねぇ。OK?」


指で掴んでいた舌を静かに解放して、唾液の絡みついた指を自身の舌で舐めた。

「なりません政宗様!!豊臣に飼われていた忍など!!

 いつまた背中をとられるか…!」

「俺の背中はお前が護るんだろーが。

 猫ってのは爪を立てるモンだろ?その仕置き方法ぐらい心得てる」




竜の爪に恐怖したのか






其の左眼に心を石化されてしまったのか






命が惜しかったのか







……其の全てに呑まれてしまいたいなどと

思って  




しまったのか







「発言権をやるよ。Are you redy?」









魅せられて



震える下顎は



男の思惑通りに動く









「-----------……は、い…」










の返事を聞き、竜は再び嘲笑った。


伊達政宗という男は、自分にほとんど"忍"としての仕事をさせない。


暗殺の必要はないと言われ、色を使って情報収集することも強いられたことはない。

…何のための忍なんだろう。

最初はそう思ったが、あの男の傍にいて性格を理解するとそれも頷けた。

主に言われた場所へ出向いてその動向を監察し、必要があれば戦へも参加する。



「おい」



廊下を歩きながら七日前のことを思い出していたは背後からドスの効いた声で呼び止められた。

声の主が分かっているはその殺気に臆することなくゆっくり振り返る。

「先程の報告に偽りは無ぇな?」

頬に大きな傷のある竜の右目・片倉小十郎は今にも斬りかかりそうな殺気を放ちながらを睨んだ。

「…はい。上杉・武田両陣営共疲弊しているようですが政宗様の敵視する真田幸村という男も

 特に重傷を負っている様子もございませんでしたので、報告は最低限に留めました」

は毅然とした態度で答えるが、この七日間この男から自分に向ける殺気が消えたことはなかった。

…主の寝首を掻こうとした忍なのだから、不信感があるのは当然だが。

「………ふん」

小十郎は視線を逸らし、を追い越して廊下を歩いていく。


「…片倉様」


はその隙のない背中を呼び止めた。

小十郎は立ち止まったが振り返らずに話を聞く体勢をとる。

「…ご心配なさらずとも私はもう政宗様を狙うつもりも、自害するつもりも御座いません」

それは本心だった。

どうせ死ぬことを許されないなら主に尽くせばいい。

小十郎は首を僅かに後ろへ向けて変わらぬ目つきでを睨む。


「-----手前の意見は聞いてねぇ。俺が手前を信用できねぇだけだ。

 今度政宗様に手を出してみろ。…喉笛潰して撒き散らすぞ」


全身を震動させるような声でを威嚇し、

再び背を向けて自室へと戻っていった。

「…………………」

は浅いため息をつき、細い指で前髪を掻き上げて夜空に眼を向ける。

(…気に入らないのなら主に言って殺してくれれば良かろうに)

それが出来ないから自分はまだ生かされているのだ。

ひらりと屋根に飛び乗り、城の上からその全景を見下ろす。

何気なく辺りを見渡すと主の部屋の障子が開いており、手摺の前には政宗が立っていた。

どうしたのだろうとが視線を送ると主もそれに気づいたようで、屋根の上にいるに目をやった。

片眼といえどその視力は衰えていない。

政宗は右手を上げ、を招くようにその中指を動かした。

は一瞬躊躇したがすぐに主の部屋の屋根に飛び移り、政宗の後ろへ着地して跪く。

「小十郎がいると碌に話も出来ねぇからな。

 あいつは心配性過ぎんだ」

着流しの両袖に手を入れ、空を見上げたまま後ろのに声をかける。

「……当然です。私は政宗様のお命を頂戴する為にここへやってきたのですから。

 貴方様の忍となった今でも、片倉様の不信感は拭えませぬ」


「今でも欲しいか?」


そう言いながら振り返り、跪くをその左眼で見下ろした。





「俺の 命が」






は顔を上げ、双眸を見開く。

竜が背負った月の光が端麗な顔に影を作り、その輪郭を更に妖しく見せた。


「……いいえ」


は静かに首を振る。

「私の刃はとうに…貴方様の牙に削がれておりまする」



「今は只、微力ながら政宗様の為に」



再びこうべを垂れ、主に深々と頭を下げた。



「……Ha!」



吐き捨てるように鼻で笑いながら、長い手での顎を掴んで顔を上げさせた。

細い髪が無骨な男の手を撫でる。




------------嗚呼なんて





あたたかな熱を持った

竜なのだろう







心地よさに目を瞑り、大きな手のひらに頬を寄せる。

その仕草が本当に猫のようだと政宗は目を細めて笑った。










「A good dream.My blackcat」












筆頭はアレですか、ル●大柴の真似をする土方さん(中の人繋がり)みたいなキャラでいいんですか。
あんま英単語使いすぎるとガチでル●大柴ですよ。
筆頭夢のヒロインは小十郎には好かれんのでしょうな。
常に殺意ビリビリ。保護者だから。