弥生の半ば

火鉢の音が響く部屋の中では姿見を前にして立っていた。



忍装束の下に着ている黒い襦袢を開き、自分の身体に残る大きな傷口を見つめている。

長いこと自分の身体に在るせいで傷がなかった頃の姿を思い出せない。


(…気温が下がってもあまり痛まなくなったな…)


なだらかな谷間を縦断する刀傷をなぞると、全く別の傷口が傷んだ。

半分千切れてしまった左耳。

返しのついた刃で斬られた傷は他のものと比べて随分と治りが遅い。

薬師からは聴力に問題はないと言われたが、分厚い包帯に覆われているせいで聞こえが悪い。


ー!いるかー!?」


そんな心配を吹き飛ばす声量で部屋の外から自分を呼ぶ声が聞こえた。

…足軽の良直の声だ。

どたどたと廊下を走る音が近づいてきて部屋の前で止まる。

「開けていいよ」

返事をすると外側から障子が開けられた。

「大変なんだ!ちょっと来ってうおぉぉおおおおおい!!!」

振り返ったを見て良直は開けたばかりの障子を再び勢いよく締めた。

「前!閉めてから!!返事しろよ!!!」

障子越しにそう言われたは襦袢が開きっぱなしだったことを思い出した。

今更男に裸を見られることに何も感じないのだが、

こんな身体を見ても不快だろうと思ってすぐに紐を結ぶ。

「ごめん。で、何」

掛けてあった忍装束に袖を通しながら障子を開ける。

「あぁそうだ!ちょっと厩舎まで来てくれ!」



良直に連れられるまま厩舎にやってくると、厩舎の周りを囲うように足軽や百姓たちが集まっていた。

皆雪掻きの手を休めて何やら厩舎の屋根を見上げている。

「お!来たか!」

その中にいた左馬助が慌てた様子で手招きしてきた。

「…何の騒ぎ?」

「ほら、あそこ」

屋根の上を指さされて視線を上げると、屋根に積もった白い雪の中で何やら蠢く生物がいる。

の耳には微かに篭った鳴き声を聞こえてきた。


「…猫?」


雪に埋もれるようにして丸くなっているのは確かに猫だ。

白と茶色の斑模様。大きさから見るにまだ子猫だろうか。

「こないだ厩舎で生まれた子猫なんだけどよ。どうやって登ったんだか…降りて来られなくなったみてぇなんだ」

「文七郎が梯子で登ろうとしたら滑っちまって…あの通り」

側にいた孫兵衞もそう言って、厩舎の入り口で伸びている文七郎を指差した。

草鞋では滑るに決まっている。

は浅く溜息をつき、足場の雪を踏み固めてからいっきに厩舎の屋根に飛び乗った。

屋根の上にはの脛のあたりまで雪が積もっていて、

その中に埋もれるようにして小さな斑猫がか細い鳴き声を上げている。

「…降りれなくなるくせに登るんだよね、猫って…」

は蒼い襟巻きを解き、抱き上げた猫を包んだ。

片腕で猫を抱いたまま屋根を降りると心配そうに見上げていた足軽たちが駆け寄ってくる。

「さすがだぜ!」

「最初からに頼んどきゃよかったなぁ」

猫を襟巻ごと良直に預けて手足について雪を払う。

「そういや、耳大丈夫か?」

良直は猫を抱いたままそう言って心配そうにの左耳を見る。

「平気。薬師様も聴力に問題はないって言っていたし、包帯のせいで聞き取りにくいだけだから」

「ならいいけどよ。筆頭も…怪我の具合悪いのかな。大阪から戻ってきて以来あまり部屋からお出になられてないだろ?

 折角あの石田を討ち取ったってのに、なんかいつもの筆頭じゃねーよな」

「……うん…」

そう言った良直が天守閣を見上げたのでも続いて目線を上げる。

それについては自身も色々な考えがあったが、憶測で物をいうのはやめようと首を振った。

「…私も、ここ数日部屋に呼ばれていないから分からない…

 片倉様に訊いても「お身体に変わりはない」と仰っていたし…」

がそう言うと他の二人も「そうかぁ」と言って猫を頭を撫でた。

はそこで初めて、納屋の傍で焚かれている焚火に気づく。

芋を焼いていた時に見たものより火力が強く、くべられた薪をたちまち飲み込んで轟々と燃えていた。



「…それ、芋焦げるんじゃないの」




がそう言って焚き火を指差したので、3人は目を丸くして顔を見合わせた。

「いやこれ、普通に暖とる為の焚き火だからさ。こう寒いと雪掻きの手ぇ動かなくなるからな」

「今日は芋入ってねーよ」

良直と左馬助がそう言ったので今度はの方が「え、」と目を丸くする。

すると横にいた孫兵衛が吹き出すように笑った。

「お前、そんなに焼き芋気に入ったのか」

「ち、違…!政宗様がまた食べたいと仰っていたから…!」

「あーはいはい。しょうがねぇからウチの忍様の為に芋焼きますかー」

「だから違うと…!!」

「食いたいなら食いたいって言えよな。筆頭を言い訳にしなくたっていつでも焼いてやるのに」

「だから…!」

「特別ににはデカイ芋やるよ」

「…もう!!」

足軽3人は笑いながら納屋に歩いていく。









「ここにいらっしゃったのですか」

城内を歩いていた小十郎は部屋の前の手摺に寄りかかり、外の景色を眺めている主に気づいた。

「今日は冷えますからあまり外気に当たられては傷に…おや」

そう言って近づいてきた小十郎は政宗が見下ろしている城下に目を向けた。


「美味そうな匂いがしてきましたな」

「ああ」


城から見下ろせる田畑の開けた場所に立ち上る煙と、それに乗って城まで届く甘い匂い。

焚き火を囲う足軽たちに混じって黒装束の忍の姿も見えた。

焚き火の前にしゃがんでじっと火を見つめては待ち切れないのか火箸で焚き火をつついている。

足軽たちに「まだ早いって」と言われ慌てて箸を引っ込める姿を見ていると政宗の表情は綻んでいった。

視線に気づいたのか、は顔を上げて城を見上げる。


「政宗様」


声を聞いた足軽たちもこちらを見た。

「筆頭!」

「もしお身体の調子が良ければこっちに来て下さい!」

「片倉様も!もう時期焼き上がりますから!」

政宗は柵から手を離す。

「今行く」

そう返事して肩にかけていた羽織に袖を通した。

「大丈夫ですか」

「芋くらい食える。それに、早く行かねぇと全部あいつに食われそうだからな」

そう言った政宗の表情がとても穏やかだったので、小十郎もつかれるように笑って後に続いた。

城を出た二人を孫兵衛が迎えに行き、納屋の前はまた賑やかになる。

「何だその猫」

「こないだ厩舎で生まれた猫で…すいません、邪魔にならないようにするんで」

「馬に蹴られねぇようにしとけよ」

政宗がそう言うと、の襟巻に包まっていた猫が急に身を乗り出して政宗の腕に顔を近づけた。

両腕を政宗の腕に乗せてしきりに羽織の匂いを嗅いでいる。

「…同じ匂いがするか?」

猫は返事をするように短く鳴いて、額をぐりぐりと羽織にこすり付けた。

「ならこれやるからそっちはコイツに返してやれ」

片袖を抜いた羽織ごと猫を良直に返して反対にの襟巻を取り上げる。

「政宗様!お身体を冷やします!」

「今日はさほど寒くねぇから大丈夫だ。つーかお前最近ほんと小十郎に似て小言増えたな」

「政宗様のお身体を案じてのことです」

小言と言われたのが腑に落ちないのか、小十郎は浅く溜息をついて自身の羽織を政宗に差し出した。

政宗はその羽織に袖を通しながらに襟巻を返す。

「ほら」


「大事なモンだろ」


既に端々が擦り切れ、所々焦げ付いて変色している。

だが金の糸で縫いこまれた竹と雀は褪せることなく、雪解け水を吸ってきらきら光って見えた。

「…ありがとうございます」

両手で受け取って首に巻き直すと、猫を包んでいたせいかとても暖かかった。

「春が近いな」

そう言った政宗が厩舎の傍を見ていたのでもつられて視線を上げる。

厩舎の壁の隅、屋根から滴った雪解け水が地面の雪を溶かして土が見えている。

その土の中から一房だけ、僅かに顔を覗かせている蕗の薹が見えた。



猫足が春を喚ぶ




本当は前回で完結予定だったのですが、どうしても焼き芋のターンを入れたくて引き伸ばしました。
うちの固定シリーズではダントツの根暗っ子だったのにどんどん足軽たちと仲良くなってます。
よかったね……