猫足が喚ぶ






すん、と鼻を鳴らす。


(…なんの匂いだろう)


冷たい秋風に乗って嗅ぎなれたような、それでいて初めて嗅ぐような匂いが漂ってきた。

硝煙のなかに交じる、甘い匂い。

塀の上で立ち止まり、ぐるりと辺りを見渡す。

本丸の風上から細い煙が上がっているのが見えた。

屋根を伝って近づいてみると、園庭で足軽たちが煙を囲っている。焚き火が何かだろうか。


「おっ!丁度いいところに来た!こっち来いよ!」


少し離れたところから落ち葉を抱えて走ってきた左馬助が屋根の上に立つ忍に気付き、大きく手を振る。

は首をかしげながら屋根を降り、煙に近づいた。

こんもりと盛られた落ち葉の中で火が燻っていてとても暖のとれる火には見えない。

「…これ、暖とれてるの?」

「別に暖とってるわけじゃねェよ。ほら」

そう言って孫兵衛が火ばさみで落ち葉の中から何かを取り上げた。

差し出されたそれは真っ黒に焦げていて原型が分からない。

「…なに、これ」

「何って芋だよ。お前焼き芋食ったことないのか?」

「やきいも…」

言葉通り焼いた芋なのだなぁということは分かる。

けれど芋をこうして落ち葉と一緒に焼いて食べるなんてことは、里はもちろん京にいた頃も経験がなかった。

それを見ていた良直が徐に真っ黒な芋を取り上げて半分に割る。

向かいにいた左馬助の眼鏡が一瞬で曇るぐらいの湯気が立ち上り、

焦げて裂けた茶褐色の堅い皮からは想像もつかない鮮やかな橙が現れた。

ほれ、と差し出されて両手でそっと受け取る。

篭手の上からでも感じるほど熱くてじっと握ってはいられない。

「あつ、」

口に入れたところで猫舌だったことを思い出す。

しばらくは熱さで味など分からなかったが、口の中で覚めていく芋はほろりと崩れて甘く口内に広がって行った。

…初めて口にする味だ。

「…おいしい」

「だろ?さっき収穫したばかりなんだ。今年は出来がいいって、片倉様のお墨付だからな」

、筆頭のところに報告に行くんだろ?持っていってくれよ、温かいうちに食べてもらいてぇんだ」

「うん、持っていく」

は襟巻きを解き、芋を包んで胸に抱えた。

屋根には登らず縁側からきちんと城内に入って主の部屋を目指す忍を見送り、四人は顔を見合わせる。

「あいつ最近よく笑うようになったよな」

「来たばっかの頃は能面みてーな顔で筆頭以外とは口も聞かなかったのにな」

「いいことじゃねーか。筆頭の御影だな」

「そうだなぁ…ってそこ、焦げてる」



胸にほかほかとぬくもりを感じながら主の部屋を目指す。

少しでも熱が逃げないようにきゅっと抱きしめたら自然と足早になっていた。


「政宗様」


障子の前に座り、主を呼ぶ。

「戻ったか。入っていいぞ」

主の声にはい、と返事をして障子を開ける。

こちらに背を向けて立っている政宗は着替えの最中だった。

「し、失礼致しました…!」

「あ?気にすんな、あと帯結ぶだけだ」

慌てて障子を閉めようとすると、着流しに帯を一周させて端を口に咥えながら政宗が言う。

…本当に入っていい時に「入っていいぞ」と言って欲しい。

慣れた手つきで帯を結ぶ政宗をなるべく見ないように顔を伏せ、芋を包んでいた襟巻きを畳に置く。

「足軽たちが…政宗様にと」

「何だ?」

「焼き芋…というものらしいです」

「らしいですって、お前焼き芋知らねーのか」

帯を結び終えた政宗は腰を下ろして眉をひそめる。

「知らなかったというか…ああいった調理法があるとは知らず…」

「お前にも知らねーことがあるんだな」

政宗はそう言って蒼い襟巻きを広げ、大きな芋を手にとって半分に割った。

自分と同じように「あち、」と言いながら口に運ぶ。

「今年は出来がいいな。お前食ったか?」

「はい。焚き火で焼くとああも甘くなるのですね」

「干せば保存も効くしな。覚えとけ、暇ありゃ手伝わされるぞ」

そう言われたが思わず身構えると、政宗は笑いながら勢力図を開く。


「…さて、本題だ。豊臣の残党は?」


「殆どが石田軍に。徳川に流れたのは一割にも満たないようです」

「だろうな。で?その石田は?」

「雑賀衆と手を結ぶ為紀伊へ出向いたようです」

「雑賀ね…」

肘掛に寄りかかり、政宗は鼻で笑う。

「親猿を亡くした小猿は女頭領の力でも借りねーと天下は獲れねーってか」

政宗はそう言って着流しの上から左の脇腹を軽く押さえた。

気づいたが何かを言いかけて口を開くと


。少し遠出を頼めるか」


先に政宗がもう一度口を開き、顔を上げてこちらを見てきた。

「はい。何処へなりと」

「これを三河へ頼む」

そう言った政宗が差し出してきたのは文だった。

「…徳川と同盟を?」

「ああ。小十郎にはもう話をつけた。今日の軍議で皆にも知らせるつもりだ。

 直接出向いてやりてぇがこちらも時間が無ェ」

「…?といいますと」

「明日、本陣も大阪へ向かう」

それを聞いたの目つきが変わる。

数日前、徳川家康から政宗に宛てた文を城へ持ち帰ってきたのは自分だ。

恐らくこれはその返事の文なのだろう。

は文を受け取り、真っ白な懐紙を見つめる。

「畏まりました」

「ついでと言っちゃなんだが甲斐の様子も見てきてくれ」

そのまま下がろうと文を懐に仕舞い畳に両手をついたところで政宗はそう言う。

もう一度顔を上げると、格子戸から外の景色を眺めていた。


「…いつまでも小虎のままじゃいられねぇだろう」


少し苛立たし気に、それでいて残念そうに、待ちきれぬように。

「…御意」

障子の前まで下がって立ち上がり、部屋を出ようとすると


「…お前、髪が伸びてきたな」


政宗は残りの芋を食べながらそう言った。

は一瞬何のことを言っているのだろうと目を丸くする。

「特に邪魔だとも思いませんし支障がなければ切る必要もないかと…

 煩わしく見えるのなら直ぐに切りますが」

反射的に髪を触ってそう答えると、政宗はふっと鼻で笑った。

「そうじゃねーよ。俺の命令で切らせたからな。好きに伸ばせばいいと思っただけだ」

下がっていいぞ、と言われたので再度頭を下げて障子を閉める。

立ち上がり、廊下を歩きながらもう一度自分の髪に触った。

此処へ来た当初は背中まであったが、政宗に影武者を命じられて肩にかからない程度まで切った。

あれから二年が経ち、髪は肩を少し超えるほどまで伸びている。

昔髪を伸ばしていたのは長い方が便利だったからだ。

鬘は重たくて嫌いだったから、他人に化ける時は自毛で出来る方が動きやすい。

くノ一として色々な女の顔を持っていた時の名残のまま伊達軍に来たというだけで。


(…好きに伸ばせというのは…「切れ」と「伸ばせ」とどちらなのだろう…)


足を止めて真剣に考えてみたが答えは出ない。

答えを任せられるのは苦手だ。

「伸ばせ」と言っているのだからこのまま伸ばせばいいのか。という決論にたどり着き

今までにない位置でとどまっている髪を少し気にしながら廊下を歩く。






同時刻・上田

陽が傾きかけているということもあり、上田城は静かだ。

いつも厩舎から聞こえる足軽たちの他愛ない会話も

鍛練場から聞こえる竹刀の音や勇ましい掛け声もない。

勝手場に近づいてようやく侍女の声や足音が聞こえてくる程度だ。

城の最上階にある部屋では若い城主が正座を守り文を握りしめている。

最小限の荷物を風呂敷にまとめ、きれいに折りたたんだ文をその上に乗せて膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。



アニメ版コミックとゲーム3の赤ルートをごちゃまぜにしたような流れで進みますー