見事な秋晴れの長月

奥州に住まう百姓が田畑の収穫作業に追われている中、城内は聊か騒がしかった。


様!様どこですか!!」


城主に仕える竜の右目は、主ではなく主の義妹の名前を叫びながら城内を競歩で駆け回っている。

擦れ違う侍女や兵に物凄い剣幕で「姫様を見なかったか!?」と問い質すも問われた者は困った顔で首を振る。

同時に笑ってしまいそうなのを堪えているようにも見えた。

城内を見渡しながら廊下を歩いていると、中庭に左馬助の姿をみつけた。

「おい、様を見なかったか!」

小十郎が切羽詰まった様子で問いかけると左馬助はびくりと肩を強張らせる。

「い、いや!見てないっす!」

「全く…!一体どこに行かれたのだ…!」

今にも暴れ出しそうな剣幕で城の姫君を探す従者の姿はとても深刻に見えたが、

その顔を横目で見た左馬助は吹きだしてしまうのを堪えるのに必死だった。


黙って突っ立っているだけで子供を泣かすことが出来るような強面には

今さっき墨で描かれたばかりの立派な落書き。


頬の刀傷を茎に見立てて花と葉が描かれており、反対側にはおまけに蝶も描かれている。

これが小十郎が姫を探す理由だ。


ここにもいないか、とその場を去ろうとした小十郎だが、

左馬助のいる中庭の垣根の傍に見慣れた草履が転がっていることに気付いた。


「…………………」


小十郎は草鞋を履いて中庭に出る。

「あ、ちょ、片倉様!ここに様はいないっすよ!」

「…この草履は様のモンだ」

漆に真っ赤な鼻緒と桜の彫刻。

前に鼻緒が切れたと自分が直してやったのを覚えている。

草履が落ちていた付近の垣根を掻き分けたが姿はなく、塀の手前に立っている栗の木を見上げた。

そして

「……失礼致します」

木に向かって断りと入れると



ゴッ!!!



「ぅわっ!!」

太い幹を勢いよく蹴りつける。

上から少女の声がしたかと思ったら声の主が甲虫のように降ってきて、

それを予測していた小十郎は降ってきた姫君を造作もなく受け止める。

左馬助は「しまった」と頭を抱えた。

髪や着物に色づいた木の葉をたくさんくっつけたは苦笑いを浮かべながら小十郎を見上げる。


「…そっちの方が男前だよ?」


頬に花と蝶を落書きされた小十郎はじろりと姫を見下ろすがまるで厳格さがない。

わなわなと肩が震えると、城中に響き渡るほどの怒鳴り声で姫の名前が叫ばれた。




ハクロ





「私が書いてる途中で寝るのがいけないんじゃない。書を見てくれるって言ったのは小十郎なのに」

「だからといって顔に墨で落書きをしていい理由にはなりませぬ」

顔を洗い、なんとか墨を落とした小十郎は手拭いで顔を拭きながら目の前に正座するを睨みつけた。

は唇を尖らせてつーんとそっぽを向いたまままるで悪びれた様子もない。

「ならば姫は政宗様が傍で眠っていても同じことをなさいますか」

「しないよ。兄様は私を怒らないもの」

「………………」

手拭いを床に置き、はぁと深い溜息をつく。

自然豊かな奥州、男所帯で育ったが故、他国の姫を比べて活発すぎるのは致し方ない。

城に籠ってばかりいると手足に黴が生えるからと政宗が放任しているのも理由の一つだ。

だから先ほどのように一人で木に上ることも造作の無いことなのだが

「…貴女様にはもう少し奥州国の姫君としての自覚を持って頂きたい。

 もし木から落ちて怪我でもしていたらどうなさっていたおつもりですか」

「実際落ちたじゃない。怪我はしてないけど」

「………………」

二度目の溜息が漏れる。

今度は額を押さえてやや大袈裟に。

「…勉学にばかり励めとは申しません。野山を駆け回り土に触れるのは存分に結構、ですが悪戯が過ぎます」

「うるさいなぁ、牛蒡食べろの次は姫らしく大人しくしてろって?

 あ、さっき上った栗の木、今年はすごい実りいいね。落ちてくるのが楽しみ」

「話を逸らさないで頂きたい!!」

バン、と勢いよく畳を叩くと正座しているこちらの体が宙に浮いてしまいそうだ。

実際何寸か浮いたかもしれない。

「私は政宗様から貴女様の世話役を任されております。貴女に何かあっては政宗様に顔向けが出来ませぬ」

小十郎は真面目に話をしているつもりだったが、今度はの方が溜息をつく。

「…政宗様政宗様って、小十郎はいちいち兄様を出さないと私と会話も出来ないの?」

「…そのようなことは御座いません」

「じゃあ丸々一日、私の前で一度も兄様の名前を出さないで私と会話出来る?」

「…………………」

出来る、と言えば主に対して無礼だと思ったのだろうか。

きりりとした眉がぴくりと動いてそれっきり言葉に詰まってしまった。

ここまではの予想通りだ。


「…最近小十郎、私を叱る回数増えたよね。昔に増してさ」


正座を崩し、片付けを途中にしていた硯の上で墨を弄びながら呟く。

折角真面目に書いた楷書も小十郎に悪戯をして放っていたからすっかり乾いてしまっている。

「私が兄様の本当の妹じゃないから?」

「……っ!そのようなことは…!!」

表情が一層険しくなった。

…この話題は禁句。よく分かっている。

兄もこの話をするといい顔はしないけど、すぐに笑って頭を撫でてくれる。

側室ですらない妾の子だからと疎まれてきた自分を城に招いてくれた兄が

自分のことを小十郎にどう説明したのかは分からない。

だから小十郎はこの手の話に触れたことすらなかった。


「政宗兄様と私を切り離せないのは小十郎の方じゃない」


硯と垂直にした墨がガリ、と音を立てる。


「私は兄様の名前を使って小十郎をどうにかしようなんて思ったこと一度もないよ」


硯の縁に墨が跳ねた。

咎めるような視線の先で小十郎の表情が歪む。

…図星を突いちゃったみたいだ。

「…もういいよ。畑に戻ったら」

「し、しかし…」

墨を置き、その手で開け放された障子の向こうを指差す。



「出てって」



強気で言ったつもりが生憎声が震えてしまった。

それが相手にも伝わったのだろう、小十郎は堅く口を閉じ、頭を下げて部屋を出て行った。

出て行った後ご丁寧に障子を閉めて。

「………………、」

置いた墨を掴み、障子に向かって勢いよく投げつける。

濃厚な墨が白い手にべっとりとついて畳に黒く飛び散り、障子にぶつかると汚い跡を残して床に落ちる。

…あの人の顔に描いた落書きより乱暴で酷い。



醜いのは、醜い自分を認めながら放置している自分だ。

自分が醜いと認められるならそれは美しいことだなんてのは嘘。

醜いものは醜いの。

どろどろ真っ暗で、誰にも触れて欲しくないくせにちょっとは突いて欲しいと思ってる。



の部屋から少し離れた所に城内で一番大きな部屋がある。

その部屋を使う城主は愛刀の手入れをしていた。

六本ある刀を一本一本拭紙で丁寧に拭き上げ、打粉を打って再び拭き上げる作業を繰り返す。

ギラリと光る刀身に自分の姿が映り、磨き具合を確認すると手早く鞘に納めた。

次の刀を持ち上げたところで部屋の前に誰かが立った気配を感じる。

「どうした?」

障子に映る影で部屋の前に立つ人物はすぐに分かった。

小柄な体と裾を引きずる着物、肩を越す髪

この城内でこんな影を作れるのは妹をおいて他にはいない。

政宗が問いかけた後、影は一呼吸おいてから口を開いた。

「…入ってもいい?」

沈んだ声。

政宗は刀を鞘に仕舞い、「ああ」と返事した。

ゆるゆるとじれったい程の速度で障子が開けられると、廊下には案の定今にも泣きそうな顔のが立っている。

その理由を何となく察した兄は苦笑しながら手招きした。



きれいになりたい。



上質な白粉や紅や、煌びやかな簪や着物なんかに負けないくらい、

真っ白なこころでいたいの。





そしたらきっと、愛するのも愛されるのも幸せだわ。





「…………はぁ」

盛大に溜息をつくと肩も盛大に下がる。

言われた通り畑に戻ったはいいが、作業が殆ど進まず城に戻ってきてしまった始末だ。

米俵の藁が緩んでいたことに気付かず中の米を半分ぶち撒けたり、

収穫までまだ時間のかかる葉生姜を間違って摘んでしまったり、

あまつ草刈り最中に鎌で指を切るというあるまじき失態。

自分に嫌気がさして作業をすべて百姓に任せ、頭を冷やそうと戻ってきたはいいが逆効果だったかと後悔する。



『小十郎』



『血筋半分だろうと何だろうと、あいつは俺の妹だ。

 俺はそう思っているし、そう接するつもりでいる』



義妹を城へ引き取った主が自分に向かってそう言ったのは何年前だったか。




『だがお前はそう見るな』

『あいつにとっては多分、それが一番辛い』





(…主の言葉を今更理解するなど…)

右の拳でゴツッ、とこめかみを撃ったが気が引き締まるはずもなかった。

このままでは埒が明かない。

主の部屋へ向かうつもりだったが立ち止まって踵を返し、数刻前に出て行った部屋へと向かう。

廊下を歩いていると部屋の障子が開け放されていることに気付いた。

癇癪を起して部屋を飛び出ていったのかと静かに中を覗くと、中央の机に突っ伏せる姫の姿がある。

だが障子の内側を見るとその癇癪の跡がはっきり残っていた。

墨のついた障子を貼り替える侍女の苦労が手に取るように分かったが、恐らく彼女は罪悪感から「手伝う」と言うだろう。

…そういう性格なのだ。

それ故に城の人間や民百姓からも好かれ、誰でも好くことが出来る。

突っ伏せる背中が静かに上下していたのでゆっくりと部屋に入り、衣桁から羽織を取って上下する背中にそっと掛ける。

白い瞼と目尻が赤く腫れぼったいから、兄の所で気が済むまで泣いて愚痴ってきたのだろう。

果たして兄は何と答えたのか、それは自分の知る所ではない。


「…逆でございます様」


掛けた羽織から手を離し、片膝をついて寝顔に向かって話しかける。

「もしも貴女が政宗様と本当に血の繋がったご兄妹なら、俺はこうして貴女に触れることすら叶いませぬ」

髪の一本すら、秋風にくれてやるのが惜しい。

「義妹であるという僅な隙と貴女のご好意に甘え…もう何年になりましょうか…」

涙の跡が残る白い頬に触れようとして思い留まり、その拳を膝の上で強く握り締めた。


「貴女は年を追うごとに政宗様に似てきておられる。顔立ちや立ち振舞い…真似せずとも良い言葉まで…

 そんな貴女を見ていると、愚かな自分を咎められているような思いです」


身の程を知れと、言われているようだ。

誰が口に出して言うでもないのだから、これは紛れもなく自分の心の声だ。

主に制御されないのなら自分でしなければならないと分かっているから。


「……お許し下さい」


そう言って羽織を掛け直し、立ち上がってその場を離れようとする。

障子に手をかけた瞬間、



「誰も咎めたりしないよ」



背を向けた机からはっきりをした声。

小十郎は相貌を見開いて立ち止まり、勢いよくぐるりと振り返った。

突っ伏せて寝ているものだと思っていたは起き上がってじっとこちらを見つめている。

「な…!様いつから…!」

「寝てたよ。話しかけられるまでは」

驚愕に歪んでいた顔が更に歪んで、首元から顔に向かって漫画のように赤くなっていく。

穴があったら入りたいとは正にこのことだと思わず頭を抱えた。

聞こえていないのをいい事に好き放題喋ってしまったが、今の状況ではつい数秒前に自分が何を話したのかすら思い出せない。


「聞いて小十郎」


動揺で揺らいでいた瞳を捕らえられてまっすぐこちらを見てくるので視線がそらせない。

「私、自分が奥州の姫だって忘れたことなんかないよ。城下に降りて遊んでる時も、木に登ったり山で動物追っかけてる時も、

 独眼竜政宗の妹であることを自覚してなきゃならないのは分かってる。例え半分しか血が繋がってなくてもね」

の顔は真剣だ。

「姫」の顔をしている、と思う。

時折見せる「立場」の顔だ。

正座を崩して立ち上がり、着物の裾を直しながらこちらに近づいてくる。


「兄様のことは好き。優しくて、たまに怖くて、感謝も、尊敬もしてる。でもね、

 私は奥州国の姫で貴方は竜の右目だけれど、私は「」で貴方は「片倉小十郎」なの」


きれいなこころにはなれないから、せめて気高くはあろうと思うの。

それなら努力次第でどうにかなると思わない?


「それは解るでしょう?貴方も兄様と一緒で頭がいいから、今更「解り兼ねます」なんて固いこと言わないでね」

障子から入り込む秋風に靡いた髪を耳にかけて苦笑する。

くれてやるのが惜しいと、思ったのに。


「だから、立場を叱ったりしないで。…お願いだから、「出てって」なんて言わせないで。

 貴方だけは「」の我儘を聞いて。…出来る限りで構わないから」


伸びてきた白い手が首に掛った手拭いと平装の着物を一緒に掴む。


「…………はい」


無骨な男の手が白い手に重なるとひんやりと冷たい感触がした。



「精進致します」



寄せられた黒髪を逃がさないようにと、重ねた手に力を込める。

秋風になど、くれてやるものか。

ほんのりと白く宙に舞った吐息ぐらいは、許してやるとしても。









オフでお世話になった暁ちゃんへの捧げものです。遅くなりました…!
ヒロインは姫と百姓どっちがいいすか、と聞いた所「姫で!」と言って頂けたので
懲りずに筆頭妹ヒロイン。奥州の姫=筆頭の妹って安易な私の頭爆発しr…
奥州はみんな仲良しでいいですね。
暁ちゃん本当にありがとうございました!