「い・や」




目の前に出された本日の朝餉。

それを睨む城の姫と、その目の前にどんと正座して構える悪人面の従者。



「我儘を申されるな。今日という今日は必ず食べて貰いますぞ」



は卓の右隅に置かれた小鉢をジロリと睨み、唇を尖らせてぷいと顔を逸らした。


「いや。食べない。小十郎が好きなんだから小十郎が食べたらいいじゃない」

「そういう問題では御座いませぬ。様が好き嫌いばかりなさっているから申しておるのです」


炊きたての白飯や焼き魚、味噌汁と新香はきれいに完食したのだが、

ただ一つ、小鉢に盛られた牛蒡の煮付けだけが残っている。


「兄様は仰ったもの。大きくなれば野菜なんて黙っていても食べられるようになるって。

 牛蒡なんか食えなくても死なないから別にいいだろって」

「…政宗様の仰ることは鵜呑みにしないで頂きたい」


彼女の義兄であり自分が長年仕える主でもあるあの男が、妹に適当なことを吹きこむ姿が容易に想像できる。


「だって美味しくないんだもん。土を食べてるみたいな味がする」

様は土を食したことがおありか」

「、ないけど!ないけど例えるとそういう味なの!!」


上げ足をとられたようでムカつく。

は逸らしていた顔をぱっと小十郎へ向けて声を荒げた。

小十郎ははぁ、と深いため息をついて「やれやれ」と首を振る。

彼女が牛蒡を嫌う理由はまるで子供の言い訳だ。

形が食べ物じゃないみたいだとか、土臭くて嫌だとか。

そんなの野菜はみな土に根を生やして育っているのだから当然なのに。


「我儘ばかり言って残してはこの牛蒡を育てた百姓や調理した侍女が悲しみますぞ」

「…そ…それは……申し訳ないと、思ってるけど…」


小十郎が指摘するとはしゅんと肩を落として唇をへの字にする。

それからちらりと牛蒡の小鉢を一瞥して首をかしげた。


「…兄様の乗ってる馬、食べないかな?」

「馬の餌になさるおつもりか!」


残すぐらいならと案を出したつもりだったが逆効果で、小十郎はくわっと目を見開いて大声を出した。


「さ、悪いと思うのであればお食べ下さい」

「それとこれとは話が別でしょう!?」

「別ではありませぬ。この小十郎、様が牛蒡を食べるまでここから一歩も動きませんぞ」

「牛蒡如きで大袈裟だわ!早く兄様の所に行ったら!?」

「牛蒡を侮りなさいますな!整腸、解熱、腎臓機能の向上!

 食して体に毒な成分などありませぬ!!それに軍議にはまだ時間が御座います」



小十郎はじっと正座を守って睨むようにを見る。

そんな大声で牛蒡の性能とか言われても。

さすがにも嫌気がさして胸の前で組んでいた腕を解くと、溜息をつきながらその手を箸に伸ばした。



「……分かった。食べるわ。食べたら出て行ってくれるのよね?」

「勿論です」



小鉢を左手に持ち、酒や醤油で味付けされて短く切られた牛蒡を箸で摘む。

皮つきのまま煮込んだ牛蒡を目の前にもってきた睨みつけると、そのまま勢いよく口の中に突っ込んだ。

もごもごと口を動かし箸を置いてごくんと飲み込む仕草。

小十郎はその仕草の隅々にまで目を配っている。


「…食べた。さぁ、出てって!」


はそう言ってびしっと部屋の入り口を指差す。

だが小十郎は険しい顔でを見たまま部屋を出て行こうとはしない。



「……失礼仕る」



そう言って重い腰を上げてに詰め寄り、若草色の篭手での顎をがしりと掴んだ。

「っ!」

そのまま力づくで下顎をこじ開けようとする。

従者に無理やり口を開かせられている姫という間抜けな図。



「…舌の裏に隠しても無駄ですぞ様。さぁそのまま噛みなさい!」

「ふ…っふへいほも!!(ぶ、無礼者!!)」

「無礼で結構。政宗様も幼い頃よくこうして嫌いなものを口内に隠していらっしゃった!」



言葉になっていないの言葉を器用に解釈し、容赦ない力での顎を掴んでいる。

一方口を開きっぱなしにされているは必然的に隠していた牛蒡が舌の上に転がってきて、

その瞬間口を左右から押さえられたものだから強制的に牛蒡を噛み砕くことになってしまった。



「…、……っ!」



時間差で舌が味覚を感じ取ったのか、の顔がみるみる青ざめていく。

ぱっちり見開いていた大きな瞳も梅干しを食べた後のように凋まっていった。

しゃぐしゃぐと独特な触感

酒や醤油で味付けされているとはいえ後から牛蒡特有のエグみが口内に広がる。



「美味でごさいましょう」

「…………っおい、しくない…」




小十郎はようやく彼女の顔を離し再び横に正座する。

は口を押さえてげっそりと項垂れた。








その日の軍議の後

足軽たちがそれぞれの持ち場に戻った後の広間には城主の豪快な笑い声が響いている、


「…兄様、笑い事じゃないの」


不機嫌そうに唇を尖らせるを前に政宗は目尻の涙を拭いながら「Sorry」と謝った。

謝ってはいるが表情は可笑しくてしょうがないという感じだ。


「俺もガキの頃は嫌いなものを無理やり小十郎に食わされたもんだ」


胡坐をかき直して扇子を開き、ぱたぱたと自分を扇いで肘掛に寄りかかる。

「だが小十郎の言っていることも分かるだろう?もうすぐ冬が来る。

 奥州の冬は作物が育たねぇから、秋のうちに収穫して蓄えたもので冬を乗り越えなきゃならねーんだ。

 好き嫌い言ってないで何でも食えってな」

「…これでも随分好き嫌いは減ったわ」

小十郎のおかげでね、と浅いため息をつく。

政宗はそんな妹の様子を見て再び笑った。


「OK、俺から小十郎に言っといてやる。

 もう子供じゃねぇんだからあんま煩く言うなってな」

「あ、いいの。何も言わないで」


は顔を上げて首を横に振る。

政宗は首をかしげた。

てっきりそれを自分にお願いするために部屋へ来たのだと思っていたのに。



「そんな目的でもなければ小十郎は私の部屋になんか来ないもの」



そう言って伏し目がちに床を見つめる姿は寂しそうにも見えたし、ふて腐れているようにも見える。

それを聞いた政宗は目を丸くしていたが

政宗は扇子を閉じてパン、と左の掌を叩いた。


「それは本人に直接言ってやらねぇと、あの堅物にゃ通じねーぞ」

「嫌よ。自分で気づけばいいんだわ」


顔を上げ、つーんとそっぽを向くを見て政宗は前髪を掻き上げながらクツクツと笑う。





「お前も面倒くせェトコ俺に似たな」






好き嫌いもな。そう言って立ち上がり、障子を開けて外を見る兄の横顔は何故か嬉しそうだった。




(……随分寒くなってきた…)




「畑を見てきたらどうだ」と政宗に言われ、は久しぶりに城の外を歩くことにした。

城を出る際に侍女から厚手の羽織を借りたがそれでもまだ首元を冷たい風が吹き付ける。

着実に冬が近づいているのだ。


兄様たちは冬は苦手だ、というけれど、私はそうでもない。


鼻で息を吸うと一瞬で顔を冷やす北風も好きだし、

独特の乾いた空気や霜柱を踏む感触も好き。


朝目が覚めて布団から出たくなくなるほどの寒さは少し苦手だけど、

それもこの国に住んでいるからだと思うと嬉しくなる。

小十郎も雪が降ると「早く春が来てほしい」って毎日みたいに言ってる。



(…長い冬があるから春が楽しいのに)



白い息で手先を温めながら城門をくぐると、城下の畑では数人の百姓が農作業に勤しんでいた。

土に汚れた百姓たちは畑に近づいてくる鮮やかな着物を見て勢いよく姿勢を正す。


様!このようなところで何を!」

「畑を見に来たの。小十郎は?」


兄の性分や周囲の環境もあって幼い頃から農作業に慣れ親しんできたは、こうして着物姿で畑を見ることに何の抵抗も感じない。

だが百姓たちは城主の義妹に無礼があってはいけないと慌てて頭の手拭いを解いた。


「片倉様は別の畑に…何か御用ですか?」

「ううん、いいの。ねぇ、牛蒡ってどこに生えてるの?」


は首を振りながらきれいに慣らされた畑を見渡す。


「ここに植えておりましたが今は御座いません。先月収穫を終えたばかりでございまして…」

「じゃあ来年またここに生える?」


百姓の一人が手前の畑を指差した。

そこに作物は生えておらず、奥には少し前に収穫した稲が稲木にかけられて乾燥されている。


「いえ、来年はまた別の畑に植えます」

「どうして?」

「この畑は来年また土の養分を蓄えねばなりませんから。

 丁度今、片倉様が来年植える畑の様子を見に行かれたところです」


は着物の裾が地面につくのも全く気にせずその場にしゃがんで、冷えた指先でその土を撫でた。

農業に詳しくないので小十郎のように触れただけで善し悪しは判断できないが、

城で食べる野菜がどれも美味しいからきっと良い土なのだろう。


「何か別のものを植えられるの?」

「そうですね…作物は無理でも、草花程度でしたら。

 何かご希望がおありですか?」


百姓の問いかけにはうーん、としばらく考え、ぱっと顔を上げて百姓を見上げる。


「じゃあ、撫子を植えて!」


はそう言ってすっくと立ち上がった。


「撫子でございますか?」

「うん。私、春に摘んで種をとってあったの。

 ほかの作物の邪魔にならないような…ほんの少しの広さでいいから」


畑の隅を指で差しながら「いい?」と百姓に聞き直す。

百姓たちは顔を見合わせて微笑んだ。


「ええ。来春、雪解けしたらすぐに種を撒きましょう」

「うん!」


も嬉しそうに笑う。


「お部屋にお飾りになるのですか?」

「それもあるけど…小十郎にあげるの」


再びその場にしゃがんで楽しそうに畑を見つめるの言葉を聞き、

百姓たちは再び顔を見合わせて首をかしげた。

確かに小十郎は腕のたつ武将であると同時に農業をこよなく愛する男でもある。

だがあの強面で撫子のような小さく可憐な花を持っている姿を想像すると、笑えるを通り越してかなり怖い。


「それで、似合わないって大笑いしてやる」


まるで悪巧みをする子供のように、にやりと姫らしくない笑みを浮かべた。

いや実際悪巧みのようなものなのだが。




「私が春までに牛蒡を食べられるようになったら、文句だって言わないわ」




だが次の瞬間にそれは柔らかい笑顔に変わる。

百姓たちも笑みを浮かべて「そうですね」と頷いた。


様、牛蒡は細切りにして醤油と南蛮辛子で炒めると食しやすくなりますよ。白飯もよく進みます」

「本当に?じゃあ、今夜侍女に頼んでみようかな。

 食べられるようになったら、きっと小十郎も喜ぶから」


はそう言って満面の笑みを浮かべる。




(……出るに出られなくなってしまった)





がしゃがむ畑から少し離れた蔵にいた小十郎は、戸を開けかけたところで出て行くことを躊躇していた。

畑での作業を終えて農具の片付けをしていたのだが、

突然が畑へ来てあんなことを言い出すものだから。


自分が口煩く指導するせいで彼女は自分の前でめったに笑わない。

だがそれは自分の務めであると思っているし、もとより自分は彼女を楽しませるために存在するのではないと分かっている。

でも今彼女は自分の名前を口にして楽しそうに笑っていた。



「………………」



反射的に右手で鼻から下を押さえふーっと息を吐いて深呼吸する。

先ほどまで土をいじっていた手は慣れた土の匂いがして冷たかったが、

少し熱を持った顔を冷やしてはくれなかった。




(……撫子)





男ばかりの所帯のせいか今までわざわざ畑に花を植えるということはしてこなかった。

あったとしても田畑の周りに雑草と一緒に生える蒲公英や、薬として仕える芍薬ぐらいだったが、

来春畑の一角に撫子畑が出来たらさぞ見応えがあるだろう。



(…花言葉は…何だったか)



野菜の効能ならばすぐ出てくるが、生憎花には詳しくない。

きっと彼女もそんなことは考えていないのだろう。




ただ今は、来春畑の隅に咲いた撫子を見た時の反応を考えることにしようと思う。




ほんの少し、その間の冬が楽しくなるのかもしれない。








しのぶほどばれやすい



2010年初夢は小十郎です。
去年の秋口くらいから書いてたんですが幸村長編の勢いに負けて途中で止まっておりました(笑)
キャラの身内って苦手なんですが、小十郎に小言言わせるなら筆頭の身内がてっとり早いかなと。
撫子の花言葉は「純愛」「勇敢」「燃える愛」などありますが、「しのぶ愛ほどばれやすい」は
ドラマ「風のガーデン」で倉下さんが作った創作花言葉です。ちゃんとネットの花言葉事典に載ってて凄い!