黄昏霖雨






雨は嫌いだ。と言うとだいたい賛同が得られるものだが、

私たちが言うと周囲は怪訝な顔をする。

でも嫌いなものは仕様がない。



「……風邪ひくよ」



船首の縁に座って雨に打たれている男の背中に声をかける。

等間隔で編まれた三つ編みは雨を吸って重そうに背中に貼りついていた。

紺色のチャイナ服もしっとりと濡れて背中の輪郭をくっきりと映している。

「誰に向かって言ってんの?」

肩が小刻みに上下して声が聞こえた。

笑っているらしい。

はふう、とため息をついた。

わざわざ傘を差してマントを持たされている方の身にもなって欲しい。

「一応、心配しておいた方がいいと思って。阿伏兎に小言言われるの嫌だし」

「はは、そりゃ俺も嫌だな」

海に両足を投げ出した姿勢で座っていたが、くるりと反転して甲板に足を下ろした。

こちらに向かって歩いてきたのでようやく船内に戻ってくれるのかとマントを差しだしたが、

素通りされて体も拭かず階段を下りていく。


「……………このやろ」


見た目より重いんだぞこのマント。床に捨ててやろうか。

マントを小脇に抱えて傘を閉じ、その後を追う。

船内の廊下を歩いていると数メートル先を歩く背中が手前の部屋に入って行った。

あの部屋はただの物置になっていたはずだが。

一緒に部屋に入る必要もないと思ったが、ドアが締められていなかったのでとりあえず部屋の前に立つ。

部屋の奥に目を向けるとチャイナ服の帯を解いて上半身裸になっているところだった。



(…着替えるぐらいなら最初から傘差せばいいのに)



歳の近い男の上半身を見ても顔を背けようとか思わないのは見慣れているからだ。

この戦艦に女・ないし雌と区分される性別は極端に少ない。

ましてこの男の下で動いているとムサ苦しい同郷の男共に囲まれているので、男の体には特に興味がなかった。

…目の前の男が女の体に興味がないように。

ふう、とため息をついて部屋に入り、大きな積荷の上にマントを置く。

「ここに置いとくよ」

そう言い残して部屋を出ようとしたのだが


、雨は嫌いなんだっけ」


適当に積んである荷物の中からサイズの合う服を探しながら、話を始めた。

先に戻らせる気はないんだな、と思い仕方なくマントを置いた積荷の上に腰を下ろす。

「…嫌いだよ。髪はまとまらないし、ベタベタするし、化粧はすぐ崩れるし」

「化粧なんてしてたんだ」

「気持ち程度にはしてるよ」

吹き出すように笑われたので思わず顔をしかめて振り返る。

気づかれなかったことに関しては特に反論しないが、

そういう類に疎いと思われていたことに少し腹が立った。

「日差しが嫌いなのに雨も嫌いか。お前吉原にでも行った方がよかったんじゃない?

 客は全くとれないだろうけど」

全く悪びれる様子もなくそう言ってケラケラと笑われる。

「誰があんな退屈な所」

付き添いで一度行ったことがあるだけだが、来る日も来る日も狭い空間で男の相手ばかりしていて

頭がおかしくならないだろうかと疑問に思ったことがある。

同時に地球の男はこんなことしか楽しみがないんだなと不憫にも思った。

フン、と鼻で息を吐いて向きを直すと、神威がその後ろに腰を下ろす。

上半身はまだ裸だが手には着替えのチャイナ服が握られていた。


「…わざと雨に当たりに行ったりして、黄昏れたかったの?」

「別に。阿伏兎が「男は黙って雨に打たれてたい時もある」とかおかしいこと言ってたから、

 どんなもんかと思って」


それを聞いては再び後ろを振り返る。

紅梅色の項と白い肩口。顔は見えないがきっと笑っている。


…とっ捕まえてきたあの女狐の一件だろうか。

(…別にいいか。私あの女嫌いだし)

そう思い直して再び向きを変えた。


「で?どんなもんだった?」

「変なこと聞くなぁ、雨は雨だろ?打たれたいとか打たれたくないとか、そういう問題のものじゃない」


正論すぎて笑える。

というより、この男の口から正論を聞いたことが可笑しかった。


「…出来るなら打たれないで欲しいんだけど。髪、冷たい」


は再び首を捩じって答えた。

すぐに向こうも振り返って2人の背中の間にある自分の髪に目をやった。

服は脱いだが髪は放置していたので濡れたままの背中に密着して雨水が浸透してくる。

の方が髪が短いので項にも当たって冷たかった。

「あぁ、忘れてた」

そう言って首だけでなく上半身を捻り、右手で濡れた三つ編みを持ってぎゅうっと水を絞った。

のマントの上で。

「そこで絞るなァアアアアアア!!!!」

そして濡れた手と水気の切った三つ編みをマントの乾いている部分で拭き始める。

「私のマントで拭くなァアアアアアア!!!!!」

「うるさいなぁ、細かいこと気にしてると阿伏兎みたいになるよ」

「阿伏兎みたいって何!?あの人年相応に夜兎してるだけのおじさんだから!!

 そこに自分のマントあるじゃん!なんで私ので拭くの!?」

「俺のが汚れたら嫌じゃん」

「私だって汚れたら嫌だよ!!」

なんなのこの人。なんなのこの上司。

背中のマントを前に持ってきて足元で雑巾絞りする。

ここ倉庫だしいいやもう何でも。積荷の中身とか知らない。

「ねぇ雨は…」

「だから嫌いだって…いたっ!!」

しつこい!と振り返りかけると、後ろの頭が思い切り頭突きしてきた。

舌を噛みそうな衝撃。思わず後頭部を押さえて前屈みで悶える。

この石頭…!




「お前が嫌いなのは、雨じゃなく俺だろ?」




なにすんの!と怒鳴ろうとして、そんな文句は生理現象で出てきた涙と一緒に引っ込んだ。

頭を押さえたまま振り返る。

視線に気付いたようで向こうも首を捻ってゆっくり振り返った。

羨ましいほど綺麗な碧眼と目があってどきりとする。(殺されるんじゃねーか的な意味で)

口元はつり上がっていたがその目は笑っていなかった。


「…頷いたら私殺されちゃう感じ?」

「俺はそこまで短気じゃないよ」


はは、と笑って再び向こうを向いてしまったのでツッコむタイミングを逃した。

「お前が俺をどう思おうと俺にはどうでもいいし」

「…そっちこそ、私のこと嫌いなんじゃないの?」

「雨と一緒だよ。好きとか嫌いとか、人はそういう問題のものじゃないだろ?」

手に持っていたチャイナ服のホックを外して頭からかぶる。

袖を通したところで中に入り込んでいた三つ編みを引っ張って外に出した。

毛先で項を叩かれる。地味に痛い。



「強いか弱いか、そういう問題だ」



首元のホックを閉めて袖を捲りながら言う。

「まぁ強い奴は好きだし弱い奴は嫌いだから、ある意味一緒なのかな」

強弱と好嫌ってのは。

そう言って立ち上がり、藍色の帯を結んでマントを手に持つ。

「…単純でいいな」

「なんか言った?」

「何も」

真ん中だけ不自然に濡れてしまったマントを持ち上げるように立ち上がる。

やっぱり気持ち重くなった気がする。

「そういう意味では」

足元に置いていた傘を掴み、部屋を出ながら口を開く。

「私も強い奴は好きだし弱い奴は嫌いだから、提督様のことは大好きデスヨ?」

「それは嬉しいね。でも、嘘つく時鼻触るクセ直した方がいいよ」

「………………」

スタスタと前を歩いていく上司の乾いた背中を睨みつけ、

は踵を返して再び甲板の方へ向かった。


「どこ行くの?」

「雨に打たれてくる」

「黄昏れたいの?」

「黄昏れたいの!!!」

「そ、行ってらっしゃい。風邪ひいても知らないよ」


相変わらずの笑顔で右手をひらひらと振ってくる。

傘を階段に置いて外に出るドアを開け、船の照明を反射させるほど濡れた甲板に踏み出した。

まず頭が濡れる。

そして肩。足元。

マントが重くなっていく。

とりあえず、マントの濡れた箇所が分からなくなるくらい黄昏れてやる




神威が髪絞るところを書きたかっただけの小説。
髪長い方、髪を雑巾絞りすると痛むらしいので気を付けて下さいね。