いくさばバンビ-赴任編-
赴任先が決まった瞬間から、私の教師生命はこの学校で絶たれるのだと覚悟していた。
教師の墓場とも言われ、病院送りになってそのままベッドから出てこられなくなった教師も少なくない。らしい。
幾多の教師を廃人にし都内にその悪名を高く轟かせる…
(…ここが)
都立夜兎工業高等学校。
打ちっぱなしのコンクリートで建てられた校舎
その外装は歴史と校舎が受けたダメージを物語っている。
黒ずんだ壁に何度も重ねて吹きかけられたラッカースプレー
色とりどりに描かれた絵やチームマーク、全部漢字で書かれたヤンキー文字
窓ガラスはところどころが割れて破れたカーテンが剥き出しになっており、なぜかタイヤのような跡も見えた。
昇降口には改造されたバイクが乗り捨ててある。
「……思ってた以上だな…」
校舎を見上げてぼそり呟く。
砂煙に舞った髪を掻き上げて呆けていると、校舎から一人の教師が出てきて駆け寄ってくる。
「あんたが新しく赴任してきた先生か」
申し訳程度に残っている毛髪と黒縁眼鏡の中年男性教師。
スーツの上から用務員のような作業着を着て、こんな荒れた学校に勤めるには聊か頼りなく見えた。
「今日からよろしくお願いします」
「悪いな、本当は女の先生は呼びたくなかったんだが…教員が何人か怪我で入院しちまってね。人出が足りねぇんだ」
男は校内に招き入れると落ち着いた様子で職員室まで誘導する。
「入院って…」
「他校との暴動止めようとして巻きこまれてな。
ったく…二学期も終わるってのに次から次へと面倒起こしやがって…」
薄い髪を靡かせて頭皮を掻く男性教師は簡単に言って退けたが、
多数いる教員が不足する程の事態とはいったいどれほどのものだったのだろう。
…校舎の様子を見ればそれを想像するのは容易いが。
「あんたここに来る前は銀魂高校で教育実習してたっつったよな?」
「あ、はい。母校なんですけど大学時代の先輩がそこに勤めてて…」
数年前に卒業した母校には同じく銀魂高校を卒業した大学時代の先輩教師がいる。
本当に教師なのか疑いたくなるような男ではあったがそれなりに生徒からは信頼されているようだったし、
学校も平和で暴動が起こったとかいう噂は聞いたことがない。
「まァあんたは俺のクラスの担任補佐と現国の授業やってくれればいいから。
あ、ウチのクラスに一人8回留年してる奴いるから気をつけてくれ」
「8回!?それいい加減学校が救ってあげましょうよ!?」
職員室での紹介もそこそこにして自分の受け持つクラスの教室へと歩いて行く。
8回って…普通18で卒業するから…26…?
(私より年上じゃん…)
まだ生徒を見てもいないが話を聞くだけで不安要素はてんこ盛りだ。
職員室を出てから各教室へ続く階段や廊下もラッカースプレーの落書きが酷く、
どころどころに穴があいたり中の基礎が見えるほど破損していたりして散々だ。
教師たちが自力で修復したような涙ぐましい跡も見えたがどうやら無駄のようだ。
「あぁそうそう、もう一人気をつけてくれ。こないだ転校してきた奴がいてな。そいつが…」
男性教師が言いかけた瞬間、目の前の教室から物凄い音が聞こえて手前のドアが激しく揺れた。
「…またやってんのか…」
…やってるって何を。
慣れてるのか呆れ顔で溜息をつき、教師はそのまま揺れたドアを開けて教室に入る。
え、入るの!?この状況で入らなきゃだめなの!?
「おい何やってんだ!仲良くしろっつってんだろうが!!」
仲良くしろってそんな小学生の喧嘩じゃないんだから。
そう思いながら恐る恐る教室の中を覗く。
ドアの傍にはなぜか教室の机が逆さまになって転がっていた。
落書きだらけの黒板
物置と化している机や本棚
タイヤの跡や土足で踏んだような跡が見える床
教室の隅には鉄バットや竹刀が立てかけられている。
(…ご●せん……?)
あんな絵にかいたような不良校が実在したとは…
「新しくこのクラスで担任補佐をしてもらう先生を紹介する」
呆けたように教室を眺めていたら男性教師がこちらを向いて手招きした。
クラス中の視線がドアに集まる。
たかが高校生にナメられてたまるかと自分を叱咤して教室の中に入ったが、
入った瞬間に空気が外とは違うことを肌で感じた。
総毛立つっていうか…体中の産毛がピリピリするっていうか…
「……です…」
よろしくお願いします、とは続けなかった。
どう見てもよろしく出来る雰囲気じゃない。
「引っ込め」とか「犯すぞ」とか聞こえてくるし。
「先日の騒動で数名の先生方が怪我をしてお休みしている。
俺もあっちこっちの教室見て回らなきゃならんから、今日からこの先生がこのクラスの担任をしてくれることになった」
「えっ!?補佐じゃないんですか!?」
「いや、補佐っつたってほとんど担任みたいなもんだよ。
分かるだろ、人手不足なんだから」
分かるかこのハゲぇぇええええ!!日本語正しく使ってぇぇえええ!!!!
「こっ困りますそんな…私こないだ教育実習終わったばっかり…!」
「そんな大した仕事じゃないから大丈夫だって。喧嘩してたら適当に止めてくれればいいから」
ハゲ教師は「なっ」と言ってクラスを見渡す。
つられて生徒たちに目を向けたが…適当に止められるようなノリではない。
急に静まり返った生徒たちの視線が体に突き刺さる。
…なんか八割同じ顔だよラーメンマンみたいな髪型の。
何だよお前ら本当に高校生かよ…私は「お前ら!あの夕陽に向かって走ろう!」とか言わないよ!?
ジャージも着ないし実家極道じゃねーし…!!
刺さるような視線から逃れようと顔を伏せていたが、ふいに顔を上げると一番後ろに座る1人の生徒と目が合った。
(…なんか…1人…違う感じの子がいる)
思っクソガンを飛ばしてくる連中の中に一人だけ、柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている生徒がいる。
ピンクのようなオレンジのような鮮やかな髪と真っ白い肌
こんな強面の中では一番まともに見えるし、ヘタしたら毎日カツアゲ被害とかに遭ってるんじゃないかと心配になった。
…いやいや、まず今後の自分の身の振りを心配しようよ自分。
「…女の先公だとよ。もうちっと色気のある感じだったらやる気も出たんだろうけどな…」
「いいんじゃない。教師なんて男だろうと女だろうと大した問題じゃないよ」
こんな状態で生徒たちの会話など聞こえるはずもなく、ピンク髪の少年から顔を逸らすと再び俯いてしまった。
一刻も早くこの教室を出たい。
っていうか転任したい。
「じゃあ先生、一時限目さっそく現国だからこのまま頼むな」
「………え」
ハゲ教師はそう言って教壇を離れ教室を出ていってしまった。
「えっちょっ待……ッ」
ピシャン、と閉められたドアに向かって手を伸ばすも既に遅い。
再び訪れた静寂と刺さる視線。
ぎしぎしと効果音をつけて首を捻ると、同じ顔をした厳つい生徒が一斉にこちらを睨む。
戦場に置いて行きぼりにされた生まれたての小鹿気分。
「……えと……授業、始めるんで……教科書出して…欲しいなぁ……みたいな…」
元気で素直な子供たちに囲まれて、生徒に好かれる先生になるのが夢だった。
ちょっと問題のある子でも真剣に向き合えば分かりあえると信じていたし、
そういう希望を持ってこそやりがいのある仕事だと思ってこの職を選んだ。
それでなんで高校の教員免許をとったかっていうとまぁ、大学の先輩が母校で教師になるって言ってたからなんだけど。
(…銀八先輩はいいなぁ。生徒みんな素直そうで)
黒板に向かってはぁ、と溜息をつくとチョークが止まってしまう。
小学校の国語教員免許も持ってるけど少子化で求人少ないし。
母校で教育実習できて安心してたのに…
(…つーか…)
誰も授業聞いてねーし…
背にしている生徒たちは好き勝手歩き回って騒いでいるし物を投げるような音も聞こえる。
おいおい、こっちに何か飛んできたってどっかの先生みたいに避けられないぞ。
「…あのー…ちょっと静かに…」
気持ちだけでも注意しようと振り返ったその瞬間、
自分の右側で物凄い破壊音がして、絶大な存在感を持つ大きな物体が目の前の教壇に叩きつけられる。
突風で髪がふわりと揺れ、右手のチョークを落としてしまった。
白いチョークは真っ二つに割れる。
元々ボロボロだった教壇を真っ二つにしたのは大きな石。
その周りに飛び散っている細かな硝子の破片。
足元には大きな破片も転がっている。
漸く、大きな石が窓ガラスを割って教室に吹っ飛んできたのだと気付いた。
破れたカーテンがぶわっと舞い上がり、派手に割れた窓から風が吹き抜けて教科書を捲る。
「………ッぅえぇぇええええええ!!!!!!」
ざかざかっと後ずさりして背中をぴったりと黒板に押しつけた。
上履きが硝子の破片を踏んだがどうでもいい。
「なっ、ど、どう……ッ!え、何…っ」
パニくってその場にへたり込む自分とは対照的に生徒たちは一斉に立ちあがって割れた窓を見る。
「春雨高校の奴らだ!」
「殴りこみに来やがった!!」
座ったまま窓に近づいてゆっくりと立ち上がると、校庭には鉄バットや鉄パイプを持った他校の生徒が数十名集まっていた。
暴走族独特のデコレーションされたバイクも数台見える。
「オラァ!!出て来い神威!こないだの落とし前しっかりつけさせてもらおうじゃねーか!」
石を投げたと思われるリーゼントの男が教室に向かって大声で叫んでいる。
神威って誰だよ!うちのクラスなの!?
その彼が出て行って事態が納まるなら「どうぞ好きにやって下さい」と言ってしまいそうな教師らしからぬ自分がいる。
(赴任初日から何でこんな…っ)
破れたカーテンに包まって泣きそうな顔で外を見つめていると、一人の生徒が割れた窓に近づいてきた。
「お礼参りに来てくれたのか。ご苦労なこった」
そう言って窓の前に立ったのは、あろうことか一番後ろの席に座っていたピンク髪の男子生徒だ。
外見通り柔らかい声色だったが座っていた時には見えなかった長ランの仰々しい刺繍がはっきり見える。
…裏地虎柄だよ。
抜きぬける風に長い三つ編みが靡き、生徒は悠長に学ランの袖を捲くり始めた。
「ちょっ…あ、危ないから…!!」
自分はカーテンに包まって身を守っておきながら言えた台詞ではないが、一応形だけ生徒の心配をする。
だってこの屈強な生徒の中じゃ一番ひ弱そうだよ…?
だが男子生徒は全く聞き耳を持たず、割れた窓を開けて枠に足をかけ飛び降りる体勢をとった。
「こ、ここ4階…!!」
「先生」
生徒は楽しそうに校庭を見つめたまま口を開いた。
「俺がここを静かにしたらお昼に学食奢ってくれる?」
「………え…」
静かに?
君が?
学食って…
「今日は焼き肉定食がいいかな。あ、頭低くしてた方がいいよ。また何か飛んでくるかも」
答える暇もなく生徒はそう言い捨てて4階の校舎から軽やかに校庭に向かって飛び降りた。
慌てて開け放された窓から外を見下ろすとピンク髪の生徒はきれいに着地して他校の不良集団に近づいていく。
「…あー…こりゃ終わったなぁ」
遅れて窓に近づいてきた長身の生徒が他人事のように呟いた。
鈍い金髪と無精髭が貫録を感じさせる。
…多分8回留年してるのってこの人だな。
「ちょっ…と、止めなくていいの!?危ないんじゃないの!?」
「危ないのは相手の方だ。死者が出ねぇよう祈っとくんだな」
他校の生徒たちはピンク髪の生徒を囲うようにして一斉に飛びかかって行く。
囲まれた生徒はボンタンのポケットに手を突っ込んでいたが、手前の男が鉄パイプを振り下ろすと右手を出してその先をがしりと掴んだ。
そのまま手首を捻ると男の腹を蹴り飛ばし、後ろから飛びかかってきた相手には振り返らずに裏拳で顔面を潰す。
その後も次々と相手を殴り飛ばしていく男子生徒は楽しそうに笑っていた。
「2週間前に春雨高校から転校して来やがってな。
転校初日にこのクラスをシメてあっという間に番長さ。
夜兎高番長神威っつったらこの辺じゃ既に名が通ってる」
「……番…」
留年生徒の話を真面目に聞いていたがハッと我に返って再び校庭に目を向けると、
数十人の他校生の中で神威という男子生徒が一人佇んでいた。
勇ましく飛びかかってきていた他校の生徒たちは皆地面に倒れている。
砂煙の混じるつむじ風に揺れる長ランの鮮やかな裏地が廃れた光景に映えた。
神威はくるりと振り返り、制服についた土埃を払って笑いながら4階の教室を見上げる。
「動いたらお腹空いちゃった。先生、やっぱり生姜焼き定食がいいな」
拝啓銀八先輩
どうしよう、
赴任早々死亡フラグです
3Z神威で教師ヒロイン。シリーズになると思います。
銀魂高校出身で銀八先生が大学の先輩っておいしいポジション。
多分1年の時4年生の先輩とかそういう感じ。神威夢になるか銀八夢になるかは分かりません(笑)