ごめんね




父さんを、恨まないでね。










統べる兎魄に対不起










「ぅお、」


突然勢いよく目を開いたを前に阿伏兎は間抜けな声を出した。

母船の一室でが座ったまま眠っていたので、起こさないように立てかけていた傘を慎重に持ち上げたのだが、

その気配に気づいたのか結局起こしてしまった。


「悪い起こしたか」

「…………ううん」


阿伏兎が謝るとは静かに首を振る。

寝起きのせいかその顔色は良くなかった。

持ち上げた傘を腰に差す阿伏兎を見上げ、は首をかしげた。


「…どこか行くの?」

「ターミナルにちょっとな。あのすっとこどっこいがどっか行っちまったから結局俺が行く羽目になった」

「…居ても行かないと思うよ」


違いねぇ。阿伏兎はそう言って鼻で笑いながらマントを巻き直す。

「そろそろ着くけど一緒に来るか?ずっと此処に居ても暇だろう」

「…うん。じゃあ、行く」

は立ち上がって肩にかけていたマントを羽織り、床に置いていた傘を腰に差して阿伏兎の後を追った。



春雨に入団して一週間になる。



入団、というのは少し語弊があった。

にとっては寝泊まりする場所が花街から宇宙船に変わっただけだ。

まだ団員としての働きをこなしていないし、あまりこなすつもりもない。

この一週間で自分をここへ誘った張本人が急出世したことにより入団で揉めることはなかったが、

やはり規則だからと入団の際に簡単なテストを受けさせられた。


"この50人を殺してみせろ"


元遊女の前に立ちはだかる50人の船員。

女1人に仰々しい武器を携えた大柄な天人たちがにじり寄る。

傍から見ればすぐにでも助けに入らなければ女の命はないような光景だった。

は少し困ったように首をかしげ、後ろにいた阿伏兎を振り返る。

"全員、天人だよね?"

阿伏兎が「そうだ」と頷くとは再び前を向き、自分に言い聞かせるように何度も頷いた。


"…ならいいや"


それからは一瞬だ。

何もないだだっ広い船室の真ん中に気だるく立つ女が1人。

阿伏兎は彼女が戦う姿をこの時初めて目の当たりにした。

血まみれの傘と白い腕

顔に返り血が飛ぶのは殺し方が汚いからだ、と昔誰かが自慢げに言っていたのを裏付けるように、

青白い顔には赤い斑点が数個付着しているだけだった。

神威は「見るだけ無駄だよ」とこの場には居合わせていない。



…何が混血だ。



喉まで出かけた文句と唾を同時に飲み込む。

彼女がいればあの上司も幾分上手く立ちまわってくれると期待していたが、

どうやらその期待も儚く消えてしまいそうだ。


「ターミナルで何があるの?」


横を歩くの声を聞き、はっと我に返って回想から現実に引き戻される。

「外交に行ってたお偉いさんのお出迎えだよ。護衛に俺たちをご指名だ。

 なんやかんやで攘夷志士共のテロがおっかねぇらしい」

「…ふぅん。組織って面倒くさいんだね」

重厚な扉が開くと耳障りな機械音と人の声。

目を瞑りたくなるような眩い人工照明に発着地の複雑な回路が照らされ、

地球にさほど長く住んでいないにもこの星と建物の不釣り合いさが感じられた。

は興味なさそうに答えて船のタラップを降りる。


「おい聞いたか」


反対にタラップを上って帰ってきた他の船員とすれ違い、その会話が聞こえてきた。


「あの星海坊主も地球に来るらしいぞ」

「あぁ、神威の親父の?」


ぴた、とは立ち止った。

「もう気安く呼べねーよ殺されんぞ」

「無茶苦茶な出世したもんだな、あいつも」

母船に戻って行く船員の背中を振り返りながら、は僅かに目を細める。

既にタラップを降りた阿伏兎がを見上げて首をかしげていた。

「どうした?」

「…ごめん、あたしやっぱり行かない。ターミナルの中ぶらぶらしてる」

港に降り立ち、は傘を傾けて阿伏兎を見上げる。

阿伏兎は再び首をかしげた。

「いいけどよ、ウロウロして迷うんじゃねーぞ。お前地上の地理ほとんど分かんねーだろ」

「大丈夫。出航の時間には戻ってくるから」

が言うと阿伏兎は「そうか」と頷き、他の団員を連れて人混みの中に紛れていく。

はその背中を見送るとキョロキョロと辺りを見渡し、勘を頼りに他の発着場を見てみることにした。



「荷物?ねぇよ、こいつだけだ」



待合室から発着場へ続く手荷物検査の一角で、1本の傘を携えた男が足止めを食らっていた。

「ただの傘だよ。物騒な世の中だ、護身用に傘持ってたっていいだろ?」

顔以外を厳重に隠し、耳まですっぽり隠れるゴーグル付きの帽子を目深にかぶって傘を開いてみせる。

ようやくゲートをくぐることが出来ると傘を閉じて面倒くさそうにのろのろと歩き出した。

「ったく…来るたび来るたび面倒くせぇなこの星は…」

テロ多発中!という大きな看板を横目に歩いていくと、自分と同じような服を着た女が行く手を塞ぐように立ちはだかった。


「……お久しぶりです」


誰だ、と一瞬身構えたが、その声を聞いた男は自分の息子の幼馴染を思い出した。




"…いないの?"




あの日も相変わらずの雨だった。

変わらぬ空、変わらぬ淀んだ空気

いつものように自分を呼びにやってきた幼馴染の声

だがいつも自分の傍にあった2つの影は、今は自分の目の前で倒れている。

親の死体を目の前にぼうっと座り込んでいる自分を見て、あの時幼馴染が何を思ったのかは分からない。

だが、それから数年後の彼の行動に少なからず影響を与えてしまったことは確かなようだ。



"…これでいいだろ。…色々と大変だろうが、何かあったら遠慮なく頼れよ。

 って、ウチも楽じゃねぇからな…大口は叩けねぇが"



その後彼が自分の父親を呼びに行ったらしく、その父親は両親の墓を掘ってくれた。

彼は自分がしたことについて何も言わなかった。

咎めも、同情もしなかった。

…それから数年してからだ。




幼馴染が父親の腕を吹き飛ばし、返り打ちにあって死にかけたという話を聞いたのは。





「…そうか、今あの馬鹿息子と一緒なのか。世話かけるな」


待合室のベンチに腰をおろし、ここしばらくの経緯を話して聞かせたが男はさほど驚かなかった。

幼馴染・神威の父親、星海坊主。

宇宙最強の掃除人と名高いこの男を、は幼い頃から知っている。


「……ごめんなさい」


は一点を見つめたまま謝った。

「何を謝る必要がある。お前は十分夜兎の血と戦った。お前が選んだなら俺にどうこう言う権利はねぇよ。

 …まぁ、話を聞くに半ば強制的に入団させられたようなモンみたいだがな」

星海坊主は背もたれに深く寄りかかり、ぼんやりと天井を仰いで言った。

「……あの子」

「あ?」

「あの子、元気ですか?」

がこちらを向いて問いかけてきたので星海坊主は一瞬目を細めて考える。

「…あぁ、神楽のことか。こないだ手紙来たよ。元気にやってるみてぇだ」

娘の名前を口にすると宇宙最強を誇る男もただの父親の表情になる。

「気になるなら会いに行けばいいじゃねーか」

「きっと覚えてませんよ。郷にいた頃だって遊んだことがあったわけじゃないし…

 あいつが郷を出た後はあたしもあの子に近寄りませんでしたから。

 …今更会いに行って合わせる顔もないし」

今となってはぼんやりとしか思い出せない幼馴染の妹の顔。

髪色や顔立ちもどことなく兄の面影を感じさせる少女を思い出すと、今自分のしていることに酷く罪悪感を感じる。

星海坊主は頭を掻きながら「…そうか」と言って頷いた。



「…あいつ大暴れして大出世したらしいな」



娘の話をした時と一転、表情が険しくなって声も一段と低くなる。

どうやら先日春雨で起こった一件を知っているらしい。

「我が息子ながら鼻が高い…とは言い難いな。馬鹿息子が」

「…あいつ頭は空ですけど回転は速いですよ。ただ30字以内で納まらないことだと面倒くさがってやらないだけで」

はそう言って浅いため息をついた。

性根は変わっていない。そう思っている。

星海坊主は横目でを見るとそれ以上に大きな深いため息をつく。

「…お前は昔から、神楽の次にあいつの近くにいたからな」

だがそう言ってすぐに「いや」と首を振る。


「今と昔という意味では、お前の方があいつを理解しているのかもしれん」


今度はが横目で彼を見た。


「…買いかぶりすぎですよ」


「あたしは所詮、夜兎と地球人の混血です。夜兎としても地球人としてもどっちつかずの半可者。

 自分の都合に合わせてその血を使い分けてフラフラしてるだけです。

 あいつのことどころか自分のことだって理解できちゃいませんよ。

 今この立場にいるのも自分の弱さやあいつのせいじゃない、夜兎の血のせいにしてます」


白い右手で白い頬に触れ、長い爪に力を入れる。


「…あたしにとって、夜兎の血はその為にあるんです」


赤い線が痛々しく蚯蚓腫れになって浮かび上がってきたが、これも数分後には綺麗に消えてなくなっているだろう。

「随分毛嫌いされたもんだな」

「夜兎以外誰も夜兎の血なんか好みませんよ。自己陶酔もいいところです」

そう言って爪の間に入った薄い皮膚を親指でピン、と弾く。

「あたしはあいつが春雨をどう動かそうと、誰と手を組んでこの星をどうしようと、どうでもいいんです。

 楽に暮らしていければそれで」

すっくと立ち上がって黒いマントを翻し、ベンチを離れて星海坊主に背を向けた。



「…一つ聞いていいか」



歩き出したところで低い声が呼び止める。


「郷を出て陽の光から逃げながらどうしてよりによって吉原なんかに落ち着いた?

 鳳仙の下でこそこそして、簡単に殺れるはずの百華に従って、

 そうまでしてあそこに居続けた理由はなんだ?」


は立ち止ったが振り返りはしなかった。

低い位置で結われた黒髪が吹き抜ける空調の風に揺れる。



"第七師団?"

"ああ、鳳仙様が作った春雨の最強部隊らしい。鳳仙様がここへ隠居なさった後は

 若い弟子が団長を勤めていると聞いた。近々吉原へ来るらしい"


初めは単に陽の光を避けるために潜り込んだ地下遊郭。

肌に合わなければどうにでもして抜け出せると思っていた。

だが街を警備する百華の話を耳にして踏みとどまってしまう。



『心配しなくてもまたすぐに会えるよ』



…なのに




"君も春雨に来たら?"





「…お前、ひょっとしてあいつを」

「おじさん」


星海坊主の声を遮っては振り返った。



「言ったでしょう、あたしはただ、楽に暮らしていければいいって」



無表情が一転、自虐的に笑う。

「あの子に会ったら伝えて下さい。…「ごめんね」って」

再び背を向け、今度は振り返ることなくターミナルの人混みに消えて行った。

星海坊主は滑りのいい頭をボリボリと掻いてチッ、と舌打ちする。




「…馬鹿息子が」





…吉原にいた頃、テレビで地球のドラマだか映画だかを見たことがある。

犯人がDNA検査を掻い潜るために自分の腕に人工の血管を埋め込み、血液型を偽装するというものだ。

は誰も見ないのにただ流しっぱなしにしているテレビを凝視していた。

この腕に地球人の血を詰めた人工の血管を入れて採血すれば、自分は地球人を見なされるんだな。

そんな馬鹿なことをぼんやりと考えていた。

だから何だ、と自分で考えて鼻で笑いたくなる。

純血の夜兎ならば夜兎らしく生きることが出来たのか、純血の地球人ならば地球人らしく生きることが出来たのか



「……どうでもいいや」



母船の船首で一人、腹が立つほど綺麗な輪郭の月を見上げて呟いた。

指で頬を撫でると引っ掻いた腫れは既に平面になってどこに傷があったのか分からなくなっている。

溜息をついて手摺に肘をかけると



「昼間どこ行ってたの?」



気配に気づくより先に声が飛んできた。

溜息の原因を振り返りながら睨みつけると、暗がりでも鮮やかに見える髪の束が夜風に靡いている。


「……阿伏兎と一緒に、ターミナルに」

「ふぅん、意外と仕事熱心なようで安心したよ」


細い支柱の上に腰かけていた神威はそう言って降りてきた。

軽い音を立てて着地するとそのまま歩いてきて横に並び、とは反対に手摺に寄りかかる。

「ここの居心地はどう?」

「…良くも悪くもない」

「でも船内にいれば陽は避けられるし、花街にいた頃より動かなくていいから楽なんじゃない?」

夜空を見上げながら神威が言ったのでは思わず眉をひそめてそちらに顔を向けた。

「……あたしに"仕事"をさせる気はないの?」

「ないよ。したきゃすればいい。生憎、世渡り以外で部下の手を借りなきゃならない程戦力に困ってないんだ」

確かに、この男は一度も力を借りたいなどとは言わなかった。

連れてきたくせに、と思ったがそれを受け入れてしまった今は文句を言うつもりはない。

仕事の話はやめよう、とは再び向きを変えて月を見上げる。


「…吉原にいた頃、遊女が言ってた」


口を開くと神威は手摺に後頭部を乗せて横目で逆さまにを見た。




「月には餅をついてる兎がいるんだって」




が真顔で言うと、神威はその目を月に向けて逆さまに月を見る。

上下どちらから見ても丸いのだから変わらないのだろうが。

「兎がわざわざ宇宙船で月に行って餅つくの?」

「さぁ…そう見えるんじゃないの」

「ふぅん、何で兎なのか知らないけど餅は食べたいね」

むくりと起き上がって体を反転させ、と同じように正面から月を眺めた。

「ねぇ

すぐに月に興味をなくしたその視線はどこか遠くを見つめている。


「お前ここで何がしたい?」

そして今の・ ・ ・ ・ ・
そして今の立場らしい質問をぶつけてきた。

今度は反対にの方が神威に目を向ける。

「暴れたいなら俺についてくればいいし、面倒なら黙ってりゃいい。

 金儲けがしたいなら別の師団紹介しなきゃならないけど、まぁお前はそんなこと言わないだろうね」

はは、と笑う横顔は悪戯を考える子供のように楽しそうだったが、は全く別のことを考えていた。

…立場が「宇宙海賊春雨船員」になってからだ。

彼が、「君」ではなく「お前」と呼ぶようになったのは。

彼自身意識して変えたのかそうでないのか、それは分からない。

だが回りくどいことを嫌う人だからきっと彼にとって意味などないのだろう。


「…いいよ。ここに来た時点でそんなのなくなってる」

「え?何で?」

「教えない」


はそう答えて手摺の前を離れた。

神威は振り返って再び手摺に寄りかかりながら肩をすくめる。


「女って面倒くさいね」

「面倒くさいんだよ。理解するつもりもないくせに」

「ないよ。それこそ面倒くさいし、お前の性別が女だからこればっかりはどうしようもない」


そう言って神威も手摺を離れ、「そろそろ出るよ」と言い加えてを追い越していった。

「餅の話したらお腹すいちゃった。ゴハン食べようよ」

揺れる三つ編みと白いマントを見つめ、それを照らす月を振り返って目を細める。

月は先ほどより近くなったように感じたが遊女から聞いた兎など全く見えない。




「…………ごめんね」




彼にも、ひょっとすると自分にも聞こえないように呟いたが、自分が意識して発した言葉なのだから

自分は確かに「何か」に謝ったのだ。



彼にか


彼の妹にか


彼の父親にか


自分の父親にか


母親にか


遊女たちにか


この星に住まう地球人にか


昔の自分にか





恐らく、その、すべてに。








「ヴェロニカの血肉」を更新後、ありたがくも春雨として動いてるヒロインが見たいというお声を頂いたので書いていたのですが、
途中でさっぱり進まなくなって最近のジャンプでようやく進みました。
これから春雨どうなるのか分からないのであんま提督とか鬼兵隊とか触れないようにしました。
内容的にパピー>神威だけどキニシナーイ(笑)