はもともと白い肌を更に蒼白にさせ、化け物を見たような顔で背後に立つ男を見た。


…いや、実際この男は化け物なのかもしれない。


直立するのこめかみに冷や汗が伝う。

あれこれ考える前には横に立っていた阿伏兎をギッと睨み上げた。

阿伏兎は慌ててぶんぶんと首を横に振る。図ったと思われたら堪ったものじゃない。


「だ、団長!なんでここにいる!今日の任務はつまらなそうだから船に残るって言ってただろう!」


彼がここに来ることを知らなかったのは本当だ。

は視線を阿伏兎から目の前の男へ移し、全身を強張らせる。

「そのつもりだったんだけど行き先が京だっていうからさ。

 阿伏兎はここに寄るんじゃないかと思って来てみたらアタリだったね」

神威はそう言ってにこにこと笑いながら2人に近づいてきた。



「ほら、俺の言った通りだったろ?」



そして矛先をへと向ける。

は無意識に1歩たじろぎ、阿伏兎は意識的に1歩退いて2人のやりとりを傍観することにした。

やりとりと言っても恐らくは神威の方が一方的に彼女を攻めるだけなのだろうが。


「君に穴倉生活は似合わないってさ」


コツ、とブーツの音が響いて神威が更に近づく。


「、あたしは…!」

「春雨には来ないって?まだそんなこと言うんだ、この状況で」


の勢いを押さえつけ、神威はにこにこと笑って傘を傾けた。

冷たい夜風に紅梅色の三つ編みがふわりと揺れる。


「俺もしつこいのは嫌いなんだよ。だからさっさと君が来てくれれば一件落着なんだ。

 今日のそれはいいキッカケになったと思うけど?」


神威はそう言っての右腕を指差した。

袖を捲くった藍色のチャイナ服の裏地に、拭いきれなかった僅かな返り血が覗いている。

はばつが悪そうにその袖を下ろした。


「悪い話じゃないはずだろ?君が、君の姿のまま生きられる場所があるってんだからさ」

「っあたしは半分地球人だ!」

「地球人は素手で天人を殺したり出来ないよ?」

「っ」


恐らく表通りで騒ぎの一部始終を聞いてきたのだろう。

殺し方まで聞かされていなかった阿伏兎は少し驚いてを見た。

…どうやら本当に夜兎の血が地球人の血を喰ってしまっているらしい。


「君もその方が楽だと思うんだけどなー

 俺としても俺の代わりに世渡りしてくれる同胞が増えるのは嬉しいしね」


そこかよ。

阿伏兎はツッコミかけた。

確かに元遊女のは世渡りが上手いかもしれないが、あくまでそれは表の顔だ。

事実彼女は自分が夜兎だと悟った客をその手で殺しているのだから。


「……あたしは地球人として地球で生きてく。郷を出た時にそう決めたんだ」


この男に揺るがされまいとは強い口調で反論する。

それが矛盾しているということは彼女自身が一番よく分かっているのだろう。


「矛盾してるね」


神威はそれを躊躇いもせず口に出した。

「だってそれが出来ないから吉原に紛れ込んだんだろう?

 鳳仙の旦那の目をくぐって、あそこを出た後も夜の街で太陽の光を避けて、

 結果として自分の本能で客を殺すことになったんだろ?」


「純血の」・・・
「純血のアイツでさえ地球で誰かを殺したことなんかないのに」



はそれを聞いてびく、と肩を強張らせた。



「そんな君が地球人として地球で生きてくなんて、出来るわけないじゃないか。

 君は地球人の血じゃなくて夜兎の血を受け入れて生きていく方法を考えないと」


「………断る」



はそう言って傘を放り、右手の人差し指と中指を左手首に添えた。

神威は首をかしげ、阿伏兎は眉をひそめる。

先端を鋭く揃えた2本の爪は徐々に白い手首へと減り込んでいった。

更に力を入れて皮膚がミチリと音を立てると手首と爪から大量に血が溢れ出してくる。

「っおい」

阿伏兎が思わず声を上げたがは表情一つ変えず、そのまま傷口を縦へ広げた。

汚れたコンクリートの地面に赤い液体が滴り落ちる。




「…地球人なら、このまま黙ってりゃ死ぬよ」



「あたしはそれを受け入れる」





恐らく故意に動脈を傷つけたのだろう。

手首の傷口と右手の指からは尋常ではない量の血がボタボタと音を立てて落ちていく。


…正気かこいつ


阿伏兎はこめかみに冷や汗を滲ませてそんなことを思った。

いくら丈夫な夜兎の血を引いているとはいえ、全く痛覚がないわけではない。

純血の夜兎より治癒能力が劣るの体は一定の量の血を流せば確かにそのまま死んでしまうだろう。




「無駄だよそんなことしたって」




阿伏兎の心配をよそに神威はいつもの調子で言葉を投げかけた。



「いい加減ちゃんと自分を見なよ」



更に一歩踏み込んだその表情から一瞬笑顔が消える。

反対にの感情はいっきにボコボコと沸騰し始めた。


「…っそれはこっちの台詞だ…」


手首の傷を押さえることもせず、血を垂れ流したままはギリ、と奥歯を食いしばる。



「そんなん言うならアンタこそもっとちゃんとあたしを見てよ!!」



静まり返った花街の裏路地に少女の声が響いた。

凍りついていた表情は一転、今にも泣きそうな弱々しいものに変わっている。

神威がのそんな姿を見るのはとても久しいことだ。



「アンタは何も見てない!あたしの血しか見てない!!

 昔はそんなんじゃなかっただろう!?ちゃんと…ちゃんと、あたしを見てくれてただろう!?」





""






手首の激痛も足元にできた血溜まりも全く気に留めず、目の前の男に向かって叫ぶ姿はもはや遊女でも夜兎でもなかった。



(--------------そうか)



阿伏兎は手首から血を流すを見て冷静にある結論を導き出していた。



(こいつは団長を恐れてるんじゃなくて、最初から)




「…人の所為にするのはやめなよ」






「見てないのはの方だろ?」




「俺を見てない。俺の血しか見てない。

 俺の血が怖くて俺を避けるなら、それは自分を避けてるのと同じだ」




「俺を見てると、あの時の自分でも思い出すかい?」


刹那、の表情が凍りつく。






"母さん!!"







母の胸を貫いた時 父の釣り上がった口元は



この男と似ていた






…でも






そんな父を手にかけた時


自分も同じ顔を  していたと、思う






"どんな人生であれ"








"最後は笑って見送ってやらないとね"







「…………っ」


怖いのは






恐ろしいのは、あたし自身









あたしが怖いのはこの人じゃなくて









感覚がなくなり始めている左手首を見下ろすと、

傷口の浅い部分は既に血が乾き始めていた。


「…、………っ」


ぶんぶんと首を振ると頭がぐらりと傾き、目が霞んで重心が前に移動する。

神威はそのまま微動だにせず、倒れてきたを自分の体で受け止めた。



「……馬鹿だな」



既に意識のないへ向かって声をかけ、痛々しい左手首を掴んで気休めの止血をする。





「俺は見てるよ。あの頃から、ちゃんと」





彼女が自分の前で笑わなくなったのはいつからだったか


彼女の笑い顔を最後に見たのはいつからだったか


彼女が自分に向ける表情が「怯え」だと気付いたのはいつからだったか






「………どうでもいいか」






俺は俺でしかないし、


彼女も彼女であるしかない。




俺はずっとこの血と生きてきたし、これからも血のままに生きていく。




家を出てきたあの時も







『神威!神威…ッ!!』



まだあどけなさの残る表情

その表情は今より素直に喜怒哀楽を表していた気がする。



後ろから追いかけてきたは雨だというのに傘を捨て、両手で神威の背中を掴む。



『お、お母さんは!?病気なんでしょ…!?

 妹だってまだ小さいのに…!』



もともと色白の肌を更に蒼白に染め、大粒の雨に体を濡らして必死に訴える。

背中を掴む両手は弱々しく神威が1歩前に出ればするりと離れてしまいそうだった。

神威は背中に手を回し、ゆっくりとその手を引き剥がす。





『興味がないよ』





変わらぬ笑顔でそう言い放って、地面に落ちたの傘を拾う。


も飽きたら星を出てみたらいい。

 もうここには何もないよ』


もともと何もないけどね、と言って傘をに差しだした。

はその傘を受け取らず目を見開いて神威を見上げている。

彼女を打つ雨は遮られたが既にその体がずぶ濡れだ。




『心配しなくてもまたすぐに会えるよ』









君が夜兎である限り。










春雨・船内

あれから小一時間が経った。

既に京を発った春雨は宇宙へ向けて上昇を始めている。

船内の長い廊下を歩く神威はすれ違う天人たちに見向きもせず、まっすぐ突き当たりの個室を目指していた。

部屋の前に立つとセンサー式で自動的にドアが開き、無機質な室内が視界に入ってくる。

打ちっぱなしのコンクリートで簡素に作られた6畳ほどの部屋。

質素な部屋の隅に設置されたパイプベッドには静かに眠るの姿があった。

神威は静かに部屋の中へ入ると、目覚める気配のないの横に腰を下ろす。

絶え間なく船内を支配する機械音の中でも彼女の寝息は辛うじて聞き取れる。


包帯が巻かれた左手首

蒼白の顔

もともと血色のいい夜兎などいないのだが、やはり出血の影響なのかその顔色はよくない。

だが大量に出血したはずの傷も次第に塞がってきてるようで、包帯から血が滲んでくることはなかった。


神威はそんなの左手を掴んで自分の口元に引き寄せる。

ざらついた包帯の巻かれた手首に色素の薄い唇を押し当てて、冷えた指先で冷えた手首を撫ぜた。







「……おかえり」










ヴェロニカの血肉

非常に後味の悪い暗い小説になりましたが神威夢はこれで結果オーライなんじゃないかと思います(笑)
管理人が神威をどういう見方してるかバレバレで恥ずかしいですね。
また機会があれば春雨として動いてるヒロインも書きたいですが夢にならなそうなのでやめときます(笑)