パラノイア感染症
「---------暇だ」
薄暮の夕日が緩やかに差し込んでくる新宿の高級マンション
その広大なリビングに設置された大きなソファーに座る部屋の主は、
点けたテレビを流すように見つめながら足を組んで呟いた。
「ああそう。貴方が暇でも私は忙しいわ」
本棚に隠れている秘書の女はいつものように淡々とした言葉を返す。
「1時間も前に呼んだ人はまだ来ないし…本当に昔から時間にルーズというか何というか」
「…誰か呼んだの?」
ソファーの背もたれに深くよりかかり、白濁色の天井を見上げて目を瞑る部屋の主・臨也。
ファイルの整理をしていた秘書の波江はその言葉を不思議に思って本棚の横から顔を覗かせる。
「昔の馴染みをちょっとね」
臨也は再び姿勢を戻し、口元を吊り上げて嬉しそうに笑った。
波江は首をかしげ、再びファイルの整理を始める。
彼の馴染みの顔などすべて把握しているわけではないが、あの池袋最強喧嘩人形・平和島静雄と
岸谷森厳の息子・岸谷新羅の2人とは高校時代から知り合いだということは知っている。
彼ら以外に昔の馴染みなどいたのかと思案をめぐらせていると
ピンポーン
部屋にインターホンの音が響く。
「--------来たかな?」
顔を上げ、ニヤリと笑みを浮かべる臨也。
波江は整理していたファイルを一旦置き、玄関へ出てモニターを覗き込んだ。
モニターに映っているのは1人の女。
年齢は臨也と同じか少し下といったぐらいだろうか、
色白で細身、軽いセミロングの茶髪が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
ラフなインナーに膝丈のチュールスカート姿というカジュアルな格好。
気の強そうな印象を与える端正な目つきで、不機嫌そうにモニターを睨んでいる。
「…女の子よ?今まで見たことない感じの…」
波江はそう言ってリビングの臨也に向かって相手の様子を伝えた。
これまでにここへやってきた臨也の取り巻きの女子とは明らかに雰囲気が違う。
「やっと来たみたいだね。いいよ、通して」
どうやら彼女が臨也の言う「昔の馴染み」のようで、波江は言われるままロックを解除して彼女を家に入れた。
「どうぞ」
ドアを開けると彼女は波江の顔を見て一瞬「誰だ」という顔で眉をひそめたが、
すぐに顔をそらして無愛想に口を開いた。
「…お邪魔します」
靴を脱ぎ、きれいに揃えられているスリッパを履いて女は颯爽とリビングへ向かう。
どうやら前にもこの家に来たことがあるらしく、リビングへ向かう足取りに迷いはなかった。
「やあ」
波江と共にリビングへやってきた彼女を見て、臨也はソファーに座ったままにこりと笑みを浮かべる。
「遅かったね。久しぶりの新宿で道に迷った?それとも急に俺から電話なんか受けて来るの躊躇った?」
相変わらずの調子で言葉を紡ぐ臨也。
リビングの入り口に立っていた女は無表情でソファーに近づく。
臨也の前に立とうかというところで、女の右足が目にも見えない速さで振り上げられた。
ゴッ!!!!
「ッ!!」
女が右足から繰り出した強烈なハイキック。
驚いて思わず足を1歩前に出したのは波江。
彼女の右足は臨也の左頚椎を的確に狙って叩き込んだように見えたが、
臨也は手元にあった分厚い本を盾にその足をガードしている。
いとも簡単にガードしたかに見えたがその威力は膨大だったらしく、受け止めた臨也の手は小刻みに震えていた。
「……普通、スカートでやる?」
臨也はそんなダメージを完全に無視して鼻で笑う。
「…アンタの顔見た瞬間スカートで来たこと忘れちゃったー臨也くーん」
誰かを思わせるわざと間延びした棒読み口調で、女は臨也に冷たい視線を送る。
その場にピリピリと息が詰まる空気が張り詰めた。
「…はッ…ハハハハハッ!君は本当に昔からシズちゃんそっくりだね!笑えるくらい似てるよ!」
臨也が盾にしていた本を下ろすと、女も同時に右足を下げた。
「まぁシズちゃんほど理不尽じゃないし、力も4分の1くらいだけどね。
こんな至近距離でシズちゃんに蹴りなんか食らったら手首が捻れ切れるだろうし」
スリッパだったのにも関わらず硬い本の表紙に跡をつけたハイキックも十分凄い。
波江はそう思いながら冷や汗を流している。
「久しぶりだね。」
本を置き、臨也は柔らかい笑みを浮かべて両手を広げ訪問者を歓迎した。
だがと呼ばれた女は表情を一切変えず腕を組んで、再び口を開く。
「…何の用」
凛とした綺麗な声だったが、明らかに敵意がこもっている。
「用があんならそっちから出向いてきやがれっつーの。
何であたしがわざわざ新宿まで来てやんなきゃならないわけ?何様?」
端麗な容姿とその声からは想像もつかない言葉遣い。
そんな敵意剥き出しのに対し、臨也は肘掛に頬杖をついてにっこりと微笑んだ。
「俺様」
傍若無人な臨也の言葉に、の中でブツンと血管の切れる音がする。
「……っアンタ…ッあたしと殺り合う為にあたしを呼んだの…?」
ひくっと口を引きつらせ、怒りをなんとか抑えている。
似ていると臨也が言うとはいえ、静雄の場合はこの時点でブチ切れて殴りかかっているところだから
の方が気が長いといえば長い。
臨也はそんな彼女を見てクス、と笑う。
「まさか。仮にも元彼女と殺り合うだなんてとんでもない。
久しぶりにゆっくり話をしようよ」
そう言って自分の向かいのソファーに座るよう示唆した。
は眉に濃いシワを刻みながらソファーを見下ろす。
(-----------…元…彼女…?)
臨也の言葉に表情を曇らせたのは離れたところで見ていた波江。
この男に恋人がいたことがあったのかと、目を見開いて2人を交互に見た。
するとそんな波江の様子を読んだのか臨也が再び口を開く。
「波江さん、悪いんだけど1時間ほど外してくれるかな」
「え…っ?あ…ええ、分かったわ」
突然自分に話をふられて驚いた波江だったが、素直に臨也の言葉を飲み込む。
コートをバッグを持ち、言われた通り静かにマンションを出て行った。
「…あの人は?秘書かなんか?」
波江が去った廊下を見やりながらは目を細める。
「ああ。俺の代わりに大抵のことはしてくれる、優秀な秘書だよ」
「アンタ年上趣味だったんだ」
「妬いてる?」
「誰が」
どかっとソファーに腰を下ろし、長い足を組んで臨也と向かい合わせに座る。
「いやいや、でも本当変わってないねぇ。変わったのは髪の色と長さぐらい?あとちょっと痩せた?」
「鬱陶しいから切って染めた。いい大人がいつまでも派手な髪色じゃいらんないしね」
「それって遠まわしにシズちゃん馬鹿にしてない?」
「静雄はあれで似合ってるからいいの」
ここに居ない互いの知り合いの顔を思い浮かべる2人。
臨也は世界でもっとも苦手とする相手の名前を聞いて不快感を覚えているが、
は久しぶりに口に出した旧友を思い出して幾分表情を和らげた。
「君が新宿を離れて2年…か。どう?新宿も随分変わったでしょう」
臨也はそう言って立ち上がり、背中にある大きな窓を覆うカーテンをいっきに引いた。
周りに聳え立つ高層ビルを抜く高さにあるこのマンションには
他のビルに遮られることなく夕陽が降り注いできている。
「ど?元彼は変わってる?」
くるりと振り返り、両手を広げて首をかしげる臨也。
は一瞬目を丸くしてすぐに眉をひそめた。
「不気味なくらい全く変わってない。性格も見た目も全然変わってない。
アンタ人間じゃないでしょ、髪の長さから輪郭まで全く2年前と変わってないんだけど。
ホントに歳とってんの?21歳のまま止まってる気がすんだけど」
容赦ない言葉の羅列にも臨也は一切動じない。
「それって2年前の俺の髪型やら輪郭やら細かい所まで覚えててくれてるってことだよね」
にこりと笑う臨也の言葉にのこめかみからビシッと音がした。
「…っとに…わざわざあたしを呼んで何企んでんの?
あたしを利用して首なしライダーも静雄もダラーズも黄巾賊も手玉にとろうって?
流れで付き合って流れで別れた元カノもアンタにとっちゃ貴重な手駒ってわけだ。
そりゃそうだよねぇ?付き合ってた頃はうまいこと利用できなかったんだから」
「……相変わらず、心底俺を楽しませてくれる言葉ばかり吐くよねぇ君は」
怒りを抑え、冷静を装って話を進める。
臨也は再びカーテンを閉め、嬉しそうに笑みを浮かべながら窓に寄りかかった。
「君がシズちゃんと違うところは暴力と理屈半分半分の割合で生きてるところだよなぁ。
安心してよ、今日は本当にそういうの抜きで呼んだんだ。
趣味も計画も全部ナシにして、俺個人の欲望の為にさ」
意味深な言葉には目を細める。
はハーッと溜息をついて前髪を掻き上げた。
「……静雄、ちょっと前に撃たれたんだって?」
「え、誰から聞いた?」
突然話題をころりと変えた。
臨也は珍しく驚いたように目を丸くして窓から背を離す。
「新羅がメールで教えてくれた。その後一応心配だから静雄にメールしたら撃たれた数時間後にはピンピン歩いてたから
全然大丈夫だって。タフっつーかもう人間じゃないっていうか、まぁとりあえず無事でよかったよね」
その言葉を紡いだ瞬間今日初めて、は僅かに柔らかい笑みを浮かべて見せた。
「…おやおや。俺以外の奴らとは仲がいいようで」
「妬いてんの?」
「うん」
先ほどの臨也の質問に対抗して言ったつもりが、
臨也はあっさりと肯定してみせた。
は目を丸くして臨也を見上げる。
「………もしかして本当に世間話なの?」
「そうだよ?言ったじゃないか、ゆっくり話をしようって」
窓の前を離れ、テーブルを回りこんで臨也はの右隣に腰を下ろす。
組んでいた足を直し、は横に座る臨也を見て目を細めた。
臨也は爽やかな笑みを浮かべて言うが、次に吐き出された言葉は決して爽やかなものではなかった。
「単純な話さ。久しぶりにに会いたくなった。世間話のほかに理由を付け加えるとすれば…」
左手をソファーに踏み込んで身を乗り出し、
右手の指先で軽くの頬に触れる。
「--------こういうこととか、ね」
目の前に迫った端正な顔。
自分の顔で影が出来て、ニヤリと笑う妖しい瞳がを一瞬金縛りにした。
「----------ッ!!」
耳まで赤面したは反射的に右手を振り上げる。
だが臨也の右手がいとも簡単にその拳を受け止めた。
「…ほんっと、変わってないなぁ。
こういう時の反応とか、そういう顔になった時は力が半減するところとか」
その距離を保ったまま臨也は笑う。
強く掴まれているわけじゃないのに、振りほどくのを躊躇ってしまう冷たい感触。
は自分を射るように見る臨也から目を逸らせずにいた。
「でもそういう反応をしてくれるってことは…
まだ俺のこと考えててくれた、って自惚れてもいいのかな?」
長い指がするりとの白い頬を撫でる。
の肩がびくりと跳ねて、それまで強気だった表情は一転した。
受け止めていたの手から力が抜けたのを感じ、臨也はゆっくりとその手を解放して同時に顔の距離を縮める。
「……………っ」
吐息のかかった距離では思わず瞳を閉じた。
遅れて重なる唇
空いた手が腰を抱き寄せて、の両手は必然的に臨也の胸板に押し付けられる。
数秒して唇はわずかな距離をおいて離れ、細い顎をなぞりながら静かに首筋に吸い付いた。
「…っちょ……ッ待っ、て…!!」
やっとの思いで臨也の肩を押し、両手でそれぞれ口と首筋を押さえて真っ赤になりながら臨也を見る。
臨也は姿勢を戻し、それでも吐息のかかる距離でそんなを見てほくそ笑んだ。
そして今日もっとも理不尽な言葉を耳元で呟く。
「------元彼から家に誘われた時はさ、もっと警戒しなきゃ」
左手で押さえるの首筋に、真紅の痕が浮かび上がってきた。
ピリリリリ
ピリリリリリ
そろそろ1時間が経つのでマンションに戻ろうとしていた波江の携帯が鳴った。
波江は立ち止まり、携帯を開く。
メールの受信ボックスには「折原臨也」の名前。
首をかしげながらメールを開くと
<今日はもう帰っていいよ。また明日>
とだけ淡白に書かれた本文。
波江は本文を見て目を丸くすると、目の前に見えるマンションの最上階を見上げた。
「………あいつに付き合える子がいたなんてね…」
それは心の底から思った本音だ。
人間が好きだと口癖のように言っていた男でも、あの性格についていける女がいるとは思っていなかった。
(しかも再会して早々ハイキックかまされるって…一体なにやらかしたのよあいつ)
ふぅと浅く溜息をつき、波江はそのまま踵を返して自宅へと戻る。
症状 誇大妄想、執着心、異常な独占欲
偏執病は
首筋の真っ赤な痕を合図に発症する
シズちゃんに続きまして臨也。
こいつじゃじゃ馬を手なずけるのが楽しくてしゃーないんでしょうな。。
気性がシズちゃんに似たヒロインを書きたかったので。
「臨也」って名前は子供につけてみたい名前ですな。
でもこんな子に育ったら嫌だな(笑)