指先からワンダーランド







「さむ…」


マフラーの隙間から漏れた自分の吐息が向かい風で自分に返ってきた。

ピリピリしてあまり感覚がなくなってしまった頬を擦りながら肩をすくめる。

一応手袋はしているけれど指先をうまく動かせない。

身も凍るような寒さとはまさにこのことだ。

早く家に返って暖炉にあたりたい。

温かい紅茶をいれてのんびりくつろぎたい。

あぁ、今夜の夕飯はシチューにしようかな。


「そうだな、確かに寒い」


横からそう声が聞こえてきたので思わず眉をひそめて横を見る。

(寒さで顔がひきつっているせいもあるが)

寒いと相槌を打ってくれた男は、青い作業着1枚で足取り軽く歩いている。

作業着の下にも何かを着ているのだろうが、あまり重ね着しているようには見えないので防寒目的ではないのだろう。

「寒い」と言いつつ震えてもいないし唇が変色しているわけでもない。

対する自分はカットシャツに膝丈の長袖ワンピース、コートにマフラーと手袋。

厚手のストッキングにジョッキーブーツ。

なるべく肌の露出を控えて最大限の防寒に徹した服装だ。


「…あんたさ、」

「何だ?」

「シカゴ出身なんだよね?」


睨むような目つきで話しかけてしまったが相手は特に気にしていなかった。

「ああ、生まれも育ちもシカゴ、純粋純血のシカゴ人だ。

 いや、親父とお袋の出身までは分からないからもしかしたらニューヨークとシカゴの混血かもしれないが、

 俺は生まれて20年余りシカゴを出たことがない」

トレードマークのモンキーレンチを振り回しながら何故か自慢げにそう言ってみせる。

がシカゴに住むようになって感じたことはとにかく一日の気温差が激しいということ。

夏は35℃を越えることなどざらだが秋になると気温はいっきに下がり、

半袖で過ごしていた翌日には厚手のコートを羽織らなければならないようなこともある。

今日も日中はコートなしで歩けるほど暖かかったのに、夜になって息が白くなるほど冷え込んできたのだ。

アメリカの中でも大雪の多い地域であり、あまり住みやすい気候だとは言えない。

そこを踏まえた上で、改めて半歩前を歩く男を見上げる。


(…出身者だから慣れてるとかいう次元ではない気がする)


すれ違う人を見るとやはり皆厚着をして足早に街を歩いていく。

(まぁ本人が寒がってないならいいけど)


「日本は寒くないのか?」


見上げていた男がふいに視線を落として口を開いたのではっと我に返った。

「冬はそれなりに寒いよ。北国は氷点下になるし。

 でも私が住んでた所はここよりは暖かかったから…ここの寒さはまだ慣れないな…」

そう言って鼻までマフラーに埋めるが容赦なく吹きつける北風が耳から上を冷やしていく。

マフラーだけじゃなく耳あても持ってくるんだった。


「…悲しい、悲しい話をしよう」

「…なに」


彼の長い講釈を聞くのもいい加減慣れたので嫌な気分はしないのだが、

寒さのせいでどうしてもしかめっ面になってしまう。

だがグラハムは構わず話を続ける。こういう人だ。

「慣れというものは恐ろしい…時に人を慢心させ怠惰と堕落の道を歩ませる。

 つまりシカゴで生まれシカゴで育ちシカゴの寒さに慣れてしまっている俺は

 寒さの耐性に関して慢心しているということだ…慢心ほど恐ろしいものはない。

 もしここでアメリカ全土が凍りつくようなブリザードが来たら俺はその慢心のせいでおっ死んでしまうかもしれないからな」

レンチの先端を額に当てて悲しそうに首を振る横顔を見上げ、

そのレンチ冷たくないのかな。などと的外れなことを考えてしまうほどどうでもいい。

「その点、慣れることに慢心せず常に向上しようとしているお前ならブリザードの中でも生き延びることが出来るぞ!

 凄いな!悲しい話からいっきに嬉しい話にどんでん返しじゃないか!!」


クソ寒いのによく舌回るなぁ…


この男と親しくなって一番上達したのはスルースキルだと思う。

あー凄いね、と適当に相槌を打って白い息を吐く。


「…そのつなぎってあったかいのかな」


あまりに寒そうな仕草を見せないから、何となく聞いてみた。

それを聞いたグラハムは立ち止まって作業着の襟ぐりを掴む。

「…何、その「着てみる?」的な動作。いいから。着ないから」

「どこにでもあるごく一般的な作業着だ。通気性も保温性もさほど優れてはいない」

そう言いながら徐にがコートのポケットに入れていた左手を引っ張り出す。

「ちょ、何…つめたっ!」

せっかくポケットの中に入れて手を温めていたのに、

手袋を脱がされて手が外気に触れてしまう。

ビリビリと冷たい風に当てられた手を掴まれると痛みさえ感じた。

すると何故かグラハムも右の手袋を脱いで口に銜え、素手での右手を握った。

手袋を口に銜える仕草にちょっとどきっとしたとかいうのは言わない。

意地でも、絶対に言わない。


「……異常なくらいあったかいんだけど」


握られた左手は手袋をしてポケットに突っ込んでいた時よりずっと暖かい。

銜えていた自分の手袋を作業着のポケットに入れ、脱がしたの手袋を返してくる。

いつも手袋をしている人だからまじまじと素手を見たことがなかったけど、

少しささくれ立った指は節々が大きく出っ張っていた。

「世の恋人たちが意味もなくとりあえず手を繋いで歩いているのを見るとあれこそ世界平和の第一歩だと思うわけだが、

 だったらその恋人たちが近くの恋人たちと手を繋ぎ、更にその恋人たちがまた別の恋人たちと手を繋ぎ、

 またまたその恋人たちが別の恋人たちと手を繋いでいけばいつかは世界一周して

 どっかのオッサンが言ってた「人類みな兄弟」ってのも実現出来るんじゃないか?

 そしたら俺たちその輪の中に入れるぞ!手を繋ぐだけで世界平和に貢献できるなんて簡単で安上がりで素敵じゃないか!!」

「…海上ではどうやって繋ぐの?」

痛いくらい握られていた手の力が一瞬緩んで、長い金髪の合間から真顔でこちらを見下ろしてくる。

「…頭がいいな。なるほどそこまでは考えていなかった。

 世界平和にはまだ程遠いということか…」

精進しよう、と力強く頷くと再び手に力が込められる。


「俺は子供の頃、家の近所のパン屋の親父に「お前はパン職人に向いている」と言われたことがある」

「…は?」


また突拍子のない話が始まった。

今度はパン屋がなんだって?

「姉貴と一緒に親の遣いで近所のパン屋に行った時のことだ…俺から代金を受け取った店の店主が俺の手を握り、

 「お前はパン職人に向いている」と言った。子供だから子供体温で手が暖かったのは当然なんだろうが、

 パン屋の店主は子供なら誰でも一度は「将来パン屋になりたい」と思ったことがあると考えたんだろうな。

 当時の俺は特に夢を持っていない可愛気のないガキだったが姉貴はケーキ屋さんになりたいとか、パン屋さんになりたいとか言っていたから

 「アンタばかりずるい」と姉貴に怒られた。俺は特にパンを捏ねるという仕事には魅力を感じていなかったんだが、

 「僕と姉さんが結婚したらパン屋が開けるよ」と言ったら買ったぱかりのバケットで姉貴に顔を殴られた」

「…それ笑う話?慰めればいい話?っていうかお姉さんいたんだ…?」

「親からはよく顔だけは似ていると言われる」

そう言われて横顔をじっと見上げてみる。


…美人だけどこいつと違って常識人ってことか。


「じゃあ解体工じゃなくパン屋になればよかったじゃない」

「俺はそもそも何かを作るということに心底向いていないらしくてな」

繋いだ手をぶんと振り回して首を振る。

「母親が夕飯の仕度をしている間物凄く暇だったから何んとなくオーブンを解体したら

 その日の夕飯になるはずだったグラタンが焼けず更に俺は夕飯抜きになった揚句、

 解体に使った工具で親父に殴られた」

「そりゃ殴られるよ…」

こんな奴にパン職人の道を進めたその店主はさぞかし後悔していることだろう。

なんだろう家族の微笑ましい思い出話を聞いているはずなのにこんなに疲れる理不尽な感じ。

溜息をついていると自宅のアパートが見えてくる。


(…そういえば)


途中から全然寒くなかったな。


「…夕飯シチューにしようと思うんだけど、食べてく?」

「じゃがいも多めで頼む!ニンジンとブロッコリーは少なめで!」

「えぇ…?人参とブロッコリー入れないと色どりが……まぁいいや…」


子供みたいな偏食しやがって。

家の鍵を出すために手を離すとそれを見計らったように冷たい外気が攻めてくる。

ああもう一度繋ぎたいな

と思っているうちに家の主より先にアパートの階段を駆けあがって行く暖かい手。


「鍵が開かないぞ!」

「だから今私が開けるから…ってレンチでノブ壊そうとするな!!今開けるから!!!」



暖かくも物騒な右手は私の小さなお城を抉じ開ける




4万打アリア様からリクエスト頂きましたグラハム夢です。
遅くなって申し訳ありません…!
シカゴは冬クソ寒いらしいので、暑さが苦手がグラハムさんは寒さには強いんじゃねーかという
勝手な妄想から書いたものです。実際ニューヨークとかあっちの人って寒さ強そうですよね。
ひそかにグラハム姉の登場を心待ちにしてる英です。
美人さんなんだろうなー(´∀`)
アリア様リクエストありがとうございました!!