38.0℃











「風邪?」


時計の針が12時を過ぎた昼食時

シカゴの路地裏にひっそりと佇む1件のレストランで、

青い作業着の男が呆けた顔をしながら聞いた言葉を聞き返した。

男の前に立つ年配のコックは頷きながら説明を始める。

「今朝電話が来て…急に熱が出たんだって。

 遅れて行くって言ってたんだけど無茶は良くないから休ませたんだよ」

オーナーであるコックは心配そうに表情を曇らせた。

遡ること10分前

作業着の男・グラハム率いる不良集団たちは彼の恋人であるこの店のウエイトレスを訪ねてきたのだが、

来て見れば彼女の姿はなく、聞けば急に熱を出して今日は仕事を休んでいるという。

寝耳に水だったグラハムは目を丸くしてキョトンとした顔をした後、

両手でガッ、と自分の頭を抱え出した。

「…悲しい…悲しい話をしよう…

 俺が知る限りはこれまで熱を出して寝込んだことなんかなかった。

 なのに今1人暮らしのあのアパートで1人熱に魘され悶え苦しんでるというじゃないか…!!

 こういう時俺はどうすればいい!?やっぱり菓子折りもって見舞いに行くのがセオリーだろうか?
 
 いやもし起き上がれないほどに衰弱していたら病院にも行けずベッドの中で気を失っているんじゃないか!?

 どうする…?どうする俺!!このまま何も出来ずを見殺しにしたらどうなる俺!?」

「たかが風邪で大袈裟な…ゲフッ!!

頭を抱えたまま心の葛藤を声に出して悶えるグラハム。

その横にいた彼の舎弟が容赦ないツッコミをいれると、

男のみぞおちに巨大なモンキーレンチが叩き込まれた。

「たかが風邪…されど風邪、だ!!

 お前はこのままが衰弱死してもいいというのか!?

 俺はお前をそんな薄情な男に育てた覚えはないぞシャフト!!!

 見損なった…!ああ俺はお前という男を見損なった!!」

レンチをくるくると回し、シャフトと呼んだ男をビシッとレンチの先端で指す。

「ゴホッ…俺はグラハムさんじゃなくちゃんと親に育てられたんすけど…

 っていうかそうじゃなくて…季節の変わり目で最近気温の変動も激しかったですし…

 それでちょっと体調崩したんじゃないすかね…?さん…」

みぞおちを押さえながら青い顔をするシャフトは冷静に言葉の訂正をした。

「そうか…迫り来る夏のせいか…!!

 クソッ…春夏秋冬がきちんと揃ってこそ地球に生まれた喜びを1年のうちで噛み締められるというのに

 俺はこれまでこんなに夏を恨んだことはない…!今年だけ夏は無しだ!!明日から秋になれ!!!」

「遂に自然現象にまでケチつけはじめたよこの人…」

「っていうか早く見舞いに行けばいいんじゃ…?」

「いやグラハムさんが行っても余計にさんを疲れさせるだけなような…」

理不尽に季節を責め立てるグラハムを呆れた顔で見つめる仲間たち。

そんな様子を見ていたオーナーが何かを思いついたように厨房に戻り、

数十秒して再び戻ってきた。

「もし見舞いに行くんだったらこれ、持ってってあげてくれないかな」

オーナーはそう言って頭を抱えているグラハムに細長い耐熱瓶を手渡した。

陶器の瓶を上からナプキンで包んでおり、蓋の間から湯気が漏れてきている。

「?これはなんだマスター」

グラハムはレンチを左手に持ち替え、右手で瓶を受け取った。

ほかほかと温かく、いい匂いもする。

「賄いの野菜スープ。野菜がたっぷり入ってるから、体力つくよ」

オーナーはそう言ってにこりと笑った。

「…素晴らしい心遣いだオーナー…!

 OK!これを無事に届けて必ず飲ませてくる!!」

一緒に差し出された袋に瓶を入れ、袋の取っ手をレンチの先に引っ掛ける。

そしてそのまま風のように店を出て行った。

「……じゃー俺たちは飯食っていくか」

シャフトはそう言って頭を掻きながら席に座る。


 




一方

「…あ゛----------------…」

自宅であるアパートの一室でベッドの潜り込んでいたは、

体温計と睨み合いながら1人で呻り声を上げていた。

「完ッ璧に夏風邪だこりゃ…」

口に銜えていた体温計の水銀は38度ジャストをさしている。

体はだるいし、頭痛も酷い。

夏だというのに寒気があって、喉が酷く乾く。

朝起きたら急にこんな症状が出ていて、やむなく仕事を休むことにしたのだ。

(朝から何も食べてないから何か食べなきゃ…

 でも起きて作るの大儀だし…食欲もあんま湧かないし…)

手の甲を額に当てて天井を仰ぐと、熱を持った肌同士が更に熱を共有して熱い。

何か簡単で腹のふくれるものを作ろうと思案していると




ビーッ




玄関のチャイムが鳴った。

「………居留守使おう」

とてもじゃないが起きて対応できる状況じゃない。

はごろんと寝返りを打ってチャイムを無視することにした。

…だが



ビーッ



再びチャイムが鳴らされた。

「…しつこいなぁ…」

もぞもぞとシーツに潜り込んで体を縮こまらせる。




ビ--------ッ



「……………」



…ビー ビー ビー ビー



「……ッうるっさいなァァもう!!!!!

悪戯のように連打されるチャイムに遂にキレて、

はがばっと起き上がり裸足のまま玄関に歩いていく。


ガチャッ


「ちょっと何回鳴らして…」

「ああ…悲しくもあり嬉しくもある話をしよう…」

勢いよく開けたドアの向こうに、金と青のコントラスト。

の顔がいっきに疲れたものに変わった。

が高熱を出して寝込み魘されて苦しんでいると聞いてすっ飛んできたわけだが、

 出てきたは案外元気だったのでちょっと安心した。

 もし起き上がれないほどに衰弱して来客にも居留守を使わなければならないほど

 弱ってしまっていたら俺は一体どうしたらいいんだと心配していたところだ!」

…いや、実際起き上がれないほど衰弱してたから居留守を使ってたんだよ。

はそう喉まで出かけたが、気力がなくてへなへなとドアに寄りかかる。

「大丈夫か?寝ていた方がいいぞ」

「……っアンタのせいだし…ッ」

さすがにそこは突っ込んで、前髪を掻き上げながら肩をわなわなと震わせた。

「で…何…?熱出てるの聞いたならあんま近づかない方がいいよ、うつるから」

溜息をついてくるりと踵を返し、部屋に戻る

グラハムはその後を追ってどさくさ紛れに部屋の中へ入る。

「その心配はいらない。俺はここ数年風邪をこじらせて寝込んだことなんかないからな」

病人を前にしても相変らず大きなレンチを弄びながら部屋の中をくるくると回って歩いた。

馬鹿は風邪を引かないと言うからじゃないか。

…それもやっぱり言わないことにした。

「…うつらなくてもちょっと…あちこち見れたもんじゃないから…」

メイクはしていないし寝ていたから髪だってまとまってない。

パジャマだし、部屋だってあまり片付いていないし。

気の知れた相手とは言え、仮にも恋人と呼ぶ存在を招ける状態ではないのだ。

「そこは全く大した問題じゃない。いつもとそう変わらないから気にするな」

「…それはそれでムカつくんだけどね…?」

相変らずの物言いに口を引きつらせながらはベッドに座り込む。

グラハムはベッド横の椅子に反対に腰をかけて、背もたれを跨ぐ形で座った。

「そうだ思い出した、オーナーから預かってきたんだった」

座ったところでレンチの先に引っ掛けていた袋を思い出し、に差し出す。

「…オーナーから?」

は首をかしげながら袋を受け取った。

中に入っていたのは、保温の効く細長い瓶。

…まだ温かい。

中身がまったく予想できないは頭に疑問符を浮かべたまま蓋を開ける。

「……わ」

蓋を開けた途端に広がる鶏ガラスープのいい匂い。

同時に様々な野菜の香りが混じっていっきに空っぽの胃を刺激した。

「…これ…賄いメニューの野菜スープ…」

余った野菜の切れ端を使って作る従業員の賄いメニュー。

オーナー特製の鶏ガラスープが絶妙で、人参やたまねぎ、きのこなどの具とも相性がいい。

も大好きな料理だ。

「これを飲んで体力をつけろというオーナーの心遣いに俺は感動した。

 あそこのオーナーは俺たちを客として温かく迎えてくれ、

 絶品料理でもてなしてくれた上に従業員への配慮も忘れない…素晴らしいと思わないか!!」

「…うん…嬉しいなぁ…」

食欲をそそる香りに表情を綻ばせ、力ない笑みを浮かべる

いつもならグラハムの講釈に冷静なツッコミを入れてくるだけに、

グラハムは珍しく真顔での顔を覗きこむ。

「……かなり熱があるんじゃないか?」

そう言って右手の手袋を外し、その手をの額へ伸ばした。

「っ」

突然のことで驚いたは一瞬体を強張らせたが、

熱い額に触れた冷たい手に緊張を解く。

大きな手はの前髪の下に滑り込んで、白い額をすっぽりと覆った。

素手で彼に触られることにあまり慣れていないは照れを隠そうと顔を背ける。

グラハムは左手を顎に沿え、眉間にシワを寄せて悩んだ後

「……………これは熱い部類なのか?」

こっちが聞きたいことを聞き返してきた。

「…知らないよ…」

はグラハムの手の下で眉をひそめる。

「素手で人の額に触れることなんかないからな。

 これが熱いのか平常なのか分からないんだ」

(…じゃあ触ったの意味ないんじゃ)

無駄に緊張してしまった。

は呆れるように溜息をつく。



----------でもなんか



(…ちょっと、元気出てきたかも)



こうして起き上がっていても苦痛じゃなくなってきた。

食欲も出たし。

「…スープ、飲もっか」

はそう言って立ち上がり、キッチンへ向かってスープカップを2つ持ってきた。

「しまった…!!オーナーに頼まれたスープを届けたはいいが

 俺自身が菓子折り持ってくるのを忘れた…!!

 これじゃあ見舞いの意味が無くはないか!?何てことだ…ッ

 今からひとっ走りしての好物である駅前のパン屋…」

「そんなのいいよ」

見舞いというより届け物に来た形になってしまった、と頭を抱えるグラハム。

だがは2つのカップに野菜スープを注ぎ、けろりと答える。

そしてカップの1つをグラハムに差し出した。



「…来てくれてありがと。グラハム」



微笑を浮かべ、呼びなれない名前を確かに呼ぶ。

グラハムは目を見開き、口を半開きにして、

カップを受け取ろうと伸ばしていた右手を間抜けに浮かせていた。

「…………っ」



ガッ!



そしてカップを持っていたの手を両手でガシッと掴む。

「…嬉し過ぎて泣きそうな話を泣きながらしてもいいか…!?」

「後にしよう…!?スープ零れんだけど…!!!」

辛うじてバランスを保っているスープの水面を見ながら

は掴まれた右手をブルブルと震わせている。

グラハムはとりあえずの手を離してカップを受け取り、そのまま口へ運んだ。

も呆れるように苦笑しながら自分のカップを持ち、再びベッドに腰を下ろす。

「………美味い!!」

ほどよい熱さになっていたのか、ほとんどいっきに飲み干してグラハムは叫ぶ。

「うちは賄いも手抜かないからね」

はスプーンで少しずつ飲みながら柔らかく笑った。





…この人と居るとめちゃめちゃ体力使うのに





いつの間にか使った分が返ってきて


それ以上にちょっと元気になってる自分





(………変なのかな、やっぱり)

スプーンを銜えながら横目でグラハムを見て苦笑する。




改めてこの人を好きなのかなって思う自分




…嫌いじゃない。




「残りも飲んでいいよ」

「本当か!」

あまりの美味さに見舞い品だということも忘れ、

差し出されたスープに再び口をつけるグラハム。









目の覚めるような青が



緩やかに熱を冷ましていく










100万打感謝小説第一弾・グラハムです。
まさか高杉と並んで5位に来るとは管理人全く予想してませんでした(笑)
もはやシリーズ化しているヒロインで風邪ネタ。
ハムはなんか風邪ひかなそう。
馬鹿が〜云々じゃなくて普通に丈夫そう。
意見欄にグラハムを書いて下さった方々ありがとうございました!!