解体屋の恋路は壮大に騒々しい










カッ カッ カッ カッ



シカゴ市内の路地裏に、石畳を颯爽と歩く靴の音が響く。

閑散とした工場が並ぶ通りを1人の女が足早に歩く姿はとても目立っていた。

膝丈の紺色ワンピースに真っ白なエプロン、

細い素足にワンピースと同色のパンプス。

全身ウエイトレス姿の女が、もの凄い形相で一軒の廃工場の前に立つ。

少しの隙間を残して降りているシャッターをじろりと睨むと、シャッターをくぐって1人の男が出てきた。

「あれ、さんじゃないすか。こんちは」

出てきた男とは顔見知り。

「どうしたんですか、仕事着のまま。

 っていうか今仕事中じゃ?」

「--------あのバカいる?」

質問を続ける男の言葉を遮り、は変わらずシャッターを睨む。

「ああハイ、中にいますよ。

 今日はめずらしくローテンションで」

"あのバカ"という単語だけで指す人物を理解した男は、

外からレールを回してシャッターを上げた。

徐々に上がっていくシャッターをくぐり、は廃工場の中へと入る。

薄暗く、今は使われていない寂れた工場に

ウエイトレス姿の端麗な東洋人女性が乗り込んでいく様はとても奇妙。

「グラハムさーん、さんが来ましたよ」

男はの後ろから歩いてきて、奥のドラム缶に座る青年に声をかけた。


「-----------何…?」


こちらに背を向けてドラム缶に座っていた青い作業着の青年・グラハムはぴくりと肩を動かす。

長めの艶やかな金髪に隠れた碧い瞳には今日も覇気がない。

グラハムはくるりと振り返り、片足を地面に着いた。

ドラム缶の前には腕を組んで仁王立ちしているの姿。

…かなり不機嫌そうだ。

「…これは幻か?俺の記憶力が正しければ今この時間、つまり木曜日の午後1時17分は

 はレストランで仕事をしている時間だった気がしていたがそれは間違いだっただろうか?

 いや現にはこうして店の制服を着てきているわけだから仕事に変わりはないのだろうが、なぜこの時間にこんなところにいる?

 そこで俺が考えるのは@仕事をサボって俺に会いにきた。A仕事の昼休みを利用して俺に会いにきた。

 どちらにせよは俺に会いに来たんじゃないのか?それってかなり嬉しい話じゃねェ?どうよ?どう思う?」

「仕事中だったけど貴重な昼休みを使ってわざわざ来てやったのよ」

無駄に長い羅列を吐くグラハムの口調に慣れた様子で答える。

はーっと溜息をついた後、その吐いた息を吸い込んでキッとグラハムを見上げた。

「仕事中に店の周りウロウロすんなってあれほど言ったでしょうが!!!

 ただでさえアンタ目立つのよ!!作業着とレンチ!!!」

声を荒げ、組んでいた腕の右手でびしっとグラハムを指差す。

真っ青な作業着のつなぎと、全長60cm以上はある巨大なモンキーレンチは彼のトレードマークと言ってもいい。

だがそんな男が繁華街をウロついていたらヘタをすれば警察に通報されかねない。

「グラハムさん、午前中姿見えないと思ったらまたさんの邪魔しに行ったんですか?」

男は冷めた目でグラハムを見る。

「誤解するなシャフト、俺は邪魔などしていない。店内には入っていないし表で暴れ回ってもいない。

 ただ店の周りを57周ほどしてその間に手の中でレンチを2873回ほど回した、それだけのことだ。

 その行為が他の第三者に被害を与えたというのなら、俺はその被害者に全身全霊を込めて謝罪することを誓おう!

 『俺がレンチを回し過ぎて調理の気が散ったらごめんなさい店の人!!』と!!」

「……あたしが十分すぎる被害者だよ」

は怒りを通り越して既に呆れ顔だ。

シャフトと呼ばれた彼の舎弟も困った顔で横目にを見る。



…傍から見れば痴話喧嘩にも見えるこの会話は

痴話喧嘩といえば痴話喧嘩だが、そうじゃないと言えばそうではない。



「っていうか、まだ恋人同士でもないのにそんなことしたらストーカーですよ。

 完全な犯罪者ですよグラハムさん。聞いてます?」

シャフトが容赦ない突っ込みを入れると、グラハムは肩に立てていたレンチを右手に持って

左手の平でパシリと受け止めた。

「…楽しい…楽しい話をしよう…」

「「始まった……」」

シャフトの言葉を無視して、淡々と低い声で言葉を紡ぎ出すグラハム。

とシャフトは顔を見合わせて頭を抱える。

「そう…あれは5ヶ月と12日前…俺とが出会った時の話だ…」




解体屋であり、愚連隊総元締めでもあるグラハムと

レストランでウエイトレスを勤める日本人の

恋人同士というわけではないのだが






それなりの出会いというものがあった。







半年前

『どうすかグラハムさん、美味いでしょ』

少し前の一件でシャフトの舌を信用していたグラハムは、

今回もシャフトの案内で1軒のレストランに食事をしに来ていた。

老夫婦2人で切り盛りしていた「ドルチェ」とは打って変わり、

若い男女が複数で経営している小さなレストラン。

店内は小奇麗で、開店直後だというのに席はほぼ満席だった。

だが路地裏にひっそりと佇む、穴場という意味では「ドルチェ」と似ているといってもいい。

『……確かに、シャフトの貧乏舌には勿体無い味だ…』

メインのバッファローウイングを口に含みながらグラハムは何度か頷く。

『値段はまぁシャフトが全員分奢ってくれるようだからどうでもいいにしても、

 この手羽の絶妙な揚げ具合…タバスコも効き過ぎず効かなさ過ぎず丁度いい。

 だが俺はあまりブルーチーズが好きではないので何も付けずに食べてみたが、このウイングソースがまた絶品だ。

 ああ…俺はこの料理に感動している…今すぐ厨房からこれを作ったシェフを引っ張り出して

 この溢れんばかりの感動を包み隠さず打ち明けようと思うのだがどうだろう』

『いいから黙って食べて下さい。

 っていうか今回は俺奢りませんからね』

いつものようにグラハムの言葉をスルーして、

水の入ったグラスに手を伸ばすシャフト。

『それなら心配ご無用。俺たちは今日、お前以外誰一人として金を持ってきていない』

グラハムは淡々とそう言って右手側のグラスを持ち、水を口に運ぶ。

('Δ')はあぁぁ!?飯食いにくるのに何で金持ってこないんすか!!』

『だからシャフトが全額奢ってくれれば済むことだろう?』

『………そうしないと俺ら無賃飲食で捕まるじゃないスか…』

いつもに増して理不尽な言葉の羅列にシャフトががっくりと肩を落とす。

『どうした、不服そうだな?』

グラハムはグラスを置き、代わりに椅子に立てかけていた巨大モンキーレンチを掴んだ。

『ちょっ…!また店ん中でレンチ振り回すと…』


ガタンッ


慌てたシャフトが半分腰を浮かせて椅子を下げると、

その振動でグラハムのグラスがグラハムの方へゆっくりと倒れてくる。

『『あ』』

そして



ガシャ-----ンッ!!!



グラスはグラハムの膝でワンバウンドして、盛大な音を立てて床に落ちた。

薄い透明なグラスが半径1mほどに飛び散る。

半分ほど残っていた中の水はほとんどがグラハムの膝にかかった。

真っ青な作業着は、腿から膝にかけての部分だけ更に濃い青になっている。

『……俺の膝を水で濡らした挙句、店のグラスを落下させて割ってしまうとは…

 シャフトはよほど情緒不安定になっていると見た…

 そんなシャフトの目を覚ますべく俺はお前のみぞおちに一撃加えてやろうかと思っている次第だがよろしいか!』

『そんなこと言ってる間にグラス片付けないと…!』

すると



『お怪我はございませんか?』



すかさず駆け寄ってきた1人のウエイトレス。

『お使い下さい』

彼女はそう言ってグラハムに綺麗なナプキンを手渡した。

グラハムはそこで初めてウエイトレスの女を見上げる。

膝丈で細身の紺色ワンピースに純白のエプロン姿

漆黒の艶やかな髪を清潔に1つに束ねた、色白の女。

細い顎と、きりっとした目付きが印象的な東洋人。

『すんません騒がして』

しばらく黙って女を見上げているグラハムに代わり、シャフトがウエイトレスに謝った。

『いえ、すぐに新しいグラスとお水をお持ちします。

 床はこちらで片付けますので、グラスの破片で手を切らないようお気を…』



がしッ!!



テーブルに倒れたグラスに伸びた女の手を、

グラハムの右手がしっかり掴んだ。

『っ!』

『ちょっ、なにやってんすかグラハムさ…』



『……惚れた!!!』



店内に響き渡る勢いの声で、グラハムはとんでもないことを吐いた。




・・・・・・



『はぁ!!??』

ワンテンポおいて、シャフトは表情を歪ませながら驚愕の声を出す。

一方、女は店のど真ん中で初対面の客にいきなり告白をされてかなり戸惑っている。

『グ、グラハムさん!!いくらグラハムさんでも言って許されることと許されないことがあります!

 場と空気読んでください!!っていうか今日初めてこの店来たばっかりでしょグラハムさんは!!』

『店に来た回数など恋に関係はない…シャフトがグラスを割って水を零したにも関わらず

 すぐさま駆け寄ってきて嫌な顔1つせず迅速に対応し、ナプキンを差し出す心遣い!!

 もしも店主の教育の賜物だというのならここに店主も呼び出して感謝の意を示そう!!

 何てことだ…俺は今、本日2度目の感動を味わっている…この店にいる間にこんな感動を2度も味わえるなんて凄くねェか!?

 俺は感動を与えてくれたこの店と!このウエイトレスと!今日という日に感謝する!!』

ウエイトレスの手をしっかり掴んだままグラハムは力説した。

グラスを落としたのはグラハムさんにも責任が…と言いかけたシャフトをじろりと睨んで。

するとウエイトレスの女は困ったようにぎこちない笑みを浮かべてグラハムを見た。

『あの…お客様、酔ってらっしゃいますか?』

『酔ってなどいない!俺はいつでもシラフだ!!』

確かに酒は注文していないので正論だが。

『すんませんこの人酒入ってなくてもいっつもこのテンションなんです』

今日ほど彼と一緒にいることを恥ずかしいと思った日はない。

シャフトは頭を抱えながら再び女に謝った。

『俺は今まで何度か一目惚れというものを経験してきたが、

 今日以上に目の前が薔薇のフレームで囲まれた日はない!!

 とりあえず今の気持ちをストレートに表現してみた次第だがいかがなものか!!』

『……帰りたい…っ』

シャフトは顔を覆って項垂れる。

『と、とにかく…手ぇ離してあげたらどうですか…

 失礼極まりないッスよ今のグラハムさん。他人に対して失礼なのはいつもですけど』

呆れるように、女の手を掴んだままのグラハムの右手を指差す。

グラハムは珍しく素直にその言葉を聞き入れて女の手を離した。

『-------------お客様』

女はグラハムを見てにっこりと笑い、



『おととい来やがって下さい』




何語か分からない言葉を笑顔で吐いて、スタスタと厨房へ戻って行った。

メンバーはしばし沈黙して顔を見合わせる。

『…今あの女は何て言った?オトト…?』

『何語が分かりませんけどグラハムさんの告白が歓迎されていないことは確かです』

それが日本語だと知らない2人はそれから先その言葉の意味を知ることはなかった。




それから幾度となくそのレストランに通い、

通ってはそのウエイトレスに猛アタックをして、その都度見事に振られて帰ってくる。

そんなことが半年も続き、さすがに顔と名前を覚えられて

「顔見知り」という関係から「割と親しい間柄」という関係にまでは進展した。




その間に彼女の名前が「」であることと、日本人であることを知る。



そして今もその猛アタックは過激に続いている。

恋人同士にはあまりにほど遠く、どちらかと言えばグラハムの完全な片思い。

…と仲間内では思っているのだが。



「今思えばの気質があの緑色の女と似ているから俺は惹かれたんじゃないかとも思ったが…

 前に惚れかけた他の女と比べるという行為はに対して大いなる侮辱である、と俺は判断した」

くるくるとレンチを振り回しながら、グラハムは思い出すように言葉を紡ぐ。

「グラハムさん、その話聞くの34回目です。

 っていうかその場に俺らもいましたから」

シャフトは思い出話にも容赦なく突っ込む。

「緑色の女ってなに…気持ち悪い」

「ああ、それただ単にグラハムさんが舌足らずなだけです。

 正しくは「緑色の服を着た女」の意なんです。すんません言葉が不自由な人で、ぐぇッ…!

眉をひそめるにシャフトが冷静な解説を入れた瞬間、

大きなモンキーレンチがシャフトのみぞおちを強打する。

「ああ確かに俺のボキャブラリーは世の思想家や詩人に比べたらカスのようなものだろう。

 夜空に浮かぶ満天の星空を見ても「綺麗な満天の星空」としか言い表せないくらい俺の表現力は陳腐だ!!

 そしてその空を見ても「綺麗な空だな」という月並みな感想しか述べられないくらい表現力が乏しい!!

 ああ悲しい…!!折角この世に目と口と声を持って生まれてきたのだから目に見える美しさを存分に表現できれば

 これほど嬉しいことはないだろう!?俺の表現力は陳腐だがしかし!そんな俺でも愛する女に愛を叫ぶぐらいの表現力は持ち合わせている!」

シャフトにボディーブローを決めたレンチをくるくると回しながら、

グラハムはびしっと左手でを指差した。

シャフトはみぞおちを押さえ、嗚咽を漏らしながらしきりに咳き込んでいる。

はフン、と馬鹿にするように笑った。

「なら聞かせてもらおうじゃないの。その愛の叫びとやらを」

どうせ「好きだ----------!!!」とか大声で叫ぶんだろう。

そんな予想をしていると

「簡単だ」

そう言って回していたレンチをパシリと左手で受け止め、ドラム缶から降りてに近づく。

が首をかしげてその様子を黙ってみていると、

黒いグローブの左手が肩に伸びてきた。

と同時に、の視界は肌色と長い金髪に支配される。

唇が同じ柔らかいもので塞がれていることに気づくのに、時間はかからなかった。



その場の空気がいっきにシンと静まり返った。

シャフトは腹を押さえながらあんぐりと口を開け、2人の様子を穴が開くほど凝視している。

他の仲間も然り。

…とうとうやったか、みたいな雰囲気。



突然のことで目を開けたままだったは、しばらく全身が硬直して動くことが出来なかった。

だが数秒して、しだいに状況が飲めてくる。

「………………ッッ」

カーッと顔が熱くなっていくのは照れとか恥じらい以前に、

怒り。



ガッ



「っ」

はおもむろにグラハムが右手に持っていたレンチを掴む。

グラハムは驚いて唇を離した。

華奢な左手が掴んだレンチは、その持ち主を上回る腕力でレンチを奪い取る。

そして





ゴッ!!!







両手で掴んで勢いよく振り下ろした。

あまりに衝撃的な逆襲に、一同は再び目を見開く。

驚いたのはがグラハムのレンチを振り落としたのもそうだが、

振り下ろされたレンチをグラハムが白刃取りしている光景、にもだ。

「おお!!お前の細腕にこれだけの力があるとは驚きだ!」

「煩い!!黙って1発殴らせろ!!」

両手でしっかり巨大レンチを持ち、その先端をグラハムに掴まれつつも

まだ彼に一発食らわせようと力を入れている。

「それは無理な相談だ。俺はマゾヒストには走らない。でもサディストでもないかもしれない…

 殴る方か殴られる方かどちらが快感かと聞かれたら俺は迷わず殴る方だと答えるだろう!

 そしたら俺はサドいうことになるのか…?しかし壊すことが好きな俺が言う台詞じゃあないかもしれないが、

 一方的に殴るという行為はどうにも聞こえが悪いし鬼畜じみてやしないか!?

 でも今 に「殴らせろ」と言われてちょっと「それもありかな」と思った俺はマゾか!?

 シャフトに問う!俺はサドとマゾどっちだと思う!?」

「知らないッスよ!!っていうかまずさんに謝ったらどうなんですか!!」

シャフトは我に返り、いつもの突っ込みを返した。

「謝る?何故だ?愛する女に愛を叫ぶ最も最適な手段が…」

「歯ァ食いしばれ!!さっさと1発殴らせろ!!!」

怒りで耳まで真っ赤になって、終始声を張り上げ怒鳴る

だがグラハムは当然ながら黙って殴られるつもりなどないらしい。

すると



ゴ---------ン



ゴ---------ン





外の時計台が、午後2時を知らせる。

は全体重をかけていたレンチをぱっと離し、踵を返してグラハムの傍を離れた。

「…帰る!昼休み無駄にした!!」

ワンピースの軽い裾がひらりと翻る。

グラハムは落ちそうになったレンチを素早く掴んで、再び自分の右手で持った。

「その昼休みを割いてまで俺に会いに来たんじゃなかったのか?」

「あぁもう煩い!遥々ここまで出向いたあたしが馬鹿だった!!

 最上級にバカだったっ!!」

両耳を押さえ、グラハムに背を向けたまま廃工場を出ようとシャッターに近づく。



名前を呼ばれ、は溜息をつきながら立ち止まって振り返った。





「好きだ」





右手に持ったモンキーレンチをに向け、真顔で、言う。

シャフトたちの目は点。

は目を見開き、しばらくして再び呆れるように息を吐いた。

「それ聞くの、138回目」

カツ、と黒いパンプスのヒールが鳴る。

「アンタみたいな滅茶苦茶な奴を相手できる女なんか、

 世界中どこ探してもあたしぐらいだよ」

それだけ言って再びメンバーに背を向け、シャッターを潜って廃工場を出て行く。

それは告白に対するYesなのかNoなのか、非常に曖昧な言葉だった。

だが1人の男は、解っている。

レンチをトン、と肩に置き、口元に笑みを浮かべて再びドラム缶に飛び乗った。

「…嬉しい、嬉しい話をしよう…」








俺は今日も


俺の中心で、君への愛を叫び続けている。











初ハム。書いてて分かったことがあります。
…この人書くのすっげー体力いる!!!(笑)
うん、勢いで書くのがコツですねこの人。
こんなに書いて疲れるキャラは初めてです。次はクリスが書きたい。
一目惚れ多そう。でも好きになったら一途なタイプだと思う。
ブルーチーズ苦手なのは捏造です。