俄雨決行!逃げ水捕獲大作戦







「「………あっつ…」」」




赤信号に引っ掛かり、ゆるゆると速度を落とした原付が横断歩道の手前で停まる。

走っている最中は幾分風を感じていられたのだが停止してしまうと真夏の日差しが容赦なく二人を攻撃した。

ヘルメットのおかげで直射日光は避けられているものの、逆にヘルメットで熱が籠って頭がむしむしする。

そこから滲み出た汗がこめかみを伝って顎にひっかけた紐に沿って流れてきた。

右横に停まっているトラックからくる熱風が恨めしい。

左横の街路樹からはけたたましい蝉の鳴き声が聞こえてきて、不快指数は増すばかりだ。


「…銀ちゃん…スケルトンかシースルーになってよ…掴まってるの暑い…」


運転手の腰に掴まって原付の後ろの席を跨いでいたは、手をぱたぱたと扇いで無茶苦茶なことを言った。

「俺だってなれるもんならなりたいよ…ってか…スケルトンになったら涼しいの俺じゃね…?

 掴まってるお前はそんな涼しくなくね…?」

「気持ちの問題だよ」

額の汗を拭いながら銀時の背中に半分かかった白い着物をぱたぱたと扇いでやる。

多分ほとんど涼しくはならないだろうけど気休めにはなるかもしれない。

「お前こそこのクソ暑いのに年中着物なんか着てねーでちったぁ涼しい格好しろや。

 足出すとか腕出すとか水着になるとか」

「じゃあ私もさっちゃんみたいに二の腕出してツッキーみたいに網タイツにすればいいかな」

「駄目だキャラかぶるから」

信号が青に変わって原付は走り出す。

走り出せば風を感じて少しは涼しくなるかと期待したが、取り巻く風も熱風でちっとも快適にならなかった。

「…暑い!もう掴まってるのが暑い!」

「あああもう騒ぐな暑苦しい!掴まるの嫌なら手ぇ離せばいいだろ!

 そのまますっ飛んでって風感じておいで!」

「分かったじゃあ離す」

腰に回していた手を片方離して準備すると、運転手も慌ててグリップを片方離し、

腰に残っている片手をがしりと掴む。

「肝冷えた?」

「…お前マジ降りて歩いて帰ってくんね?」

「こないだパフェ奢ったお返しに送ってくれるって言ったの銀ちゃんだよ」

改めて両手で腰に掴まり不満そうに溜息を洩らす。

溜息をつきたいのはこっちだ。

確かに先日パフェを奢ってもらったので今日は彼女の家から仕事先まで送っていくと約束したが、

こう暑い中、密着を強いられる原付2人乗りでギャーギャー騒がれては敵わない。

仕事先と言わずせめて駅までと言えばよかった、と後悔しながら原付を走らせていると背中から「あ」と短い声が聞こえた。

再び赤信号に引っかかり、銀時は舌打ちをしながら今度はやや急停止する。


「……蜃気楼が見える」

「あ…?」


脇の下の手が信号機の向こうを指差した。

銀時も汗で下がってきたヘルメットを直しながらの目線の先を追った。

まっすぐ伸びた直線道路はこの先少し下り坂になっていて、

坂の手前がゆらゆらと揺らめき、この炎天下の中まるで水溜りがあるかのように見える。

「あぁ…逃げ水な…」

は目線を銀時の背中に向けた。

顔を覗きこむまでは出来なくて右耳の後ろを見上げる形になる。

後ろのの反応がなくなったので銀時が振り向くと、それを見上げていた彼女と視線がかち合った。

「何?そんだけ?」

「…ううん。なんか、わざわざそうやって言い直すあたりウザい。

 俺日本語知ってます的な」

「お前マジなんなの!?暑いからって当たらないで欲しいんだけど!!」

はすぐに視線を信号の向こうに移して小首をかしげた。

「だってあれ、蜃気楼でしょ?」

「いや蜃気楼っちゃー蜃気楼だけど…なんかこう…アレだよ。

 アレな時に出来るアレ的な蜃気楼だよ」

酷く曖昧な説明をしていると信号が青に変わり、原付はゆっくりと発進する。

慣性の法則で軽く上体が後ろに仰け反ったが彼はよほど急いでいる時でないと乱暴な発進はしないな、といつも思う。

先ほど蜃気楼が見えた地点に近づいていくと水溜りはフッと消えて、

今度は坂道を下った先の景色がぼんやりと揺らめいている。

どんなに近づいても追いつけない、まるで鼬ごっこだ。

白い背中越しにぼんやりと遠くの景色を眺めていると、鼻頭にぽつ、と何かが落ちてきた。

運転手の汗だろうかと思ったが、しばらくしてそれは銀時の腰に回した手の甲にも落ちてくる。

手を緩めて顔を上げると、いつの間にか上空に広がっていた雨雲から落ちてきた滴が目薬のように右目を直撃した。

「銀ちゃん、雨」

「あ?」

「雨降ってきた、急いで!」

「急いでっつったって…」

ぽつ、ぽつ、と次第に間隔が狭まって落ちてくる雨滴。

ヘルメットのおかげで頭は濡れないが肩や膝が徐々に冷たくなってきた。

銀時は言われるままグリップを捻って速度を上げるが、の職場まではまだ距離がある。

次の瞬間

「ぅわ、」

バケツをひっくり返したような雨とは正にこのことだ。

激しくヘルメットを打つ豪雨。

咄嗟に膝の上で抱えたバッグを庇うように上体を屈めたが、雨は容赦なく背中を打つ。

「早く停めて!」

「停めてどうすんだよ!雨宿り出来るとこなんかねーぞ!」

「私折りたたみ傘持ってるから!」

幾分速度を緩め、お互い雨音にかき消されないよう声を張る。

の声を聞き取ることが出来たようで、サイドミラーを確認しながらハザードランプを点滅させた。

原付が完全に停車するとはバッグから折りたたみ傘を取り出して座席を下りる。

ヘルメットを外して傘を広げ、エンジンを切った原付を歩道に乗り上げる銀時の頭上に翳した。

道行く人も突然の雨から逃げるように店の軒先に避難し、

準備よく傘を持っていた者は慌てて傘を広げて足早に街を歩いていく。

「そういえば今朝結野アナが所により俄雨が何とか言ってたような…」

ヘルメットをハンドルに引っ掛けて原付を押しながら雨雲を見上げる。

頭上はどんよりとした分厚い雲が立ち込めていたが東の空は明るい。

1時間と降らずに止むだろう。


「お前、頭」


傘を差して横を歩くの後頭部を指差す。

が首をかしげて自分の頭に触ると、出掛ける前綺麗にセットした髪が絡まってぐしゃぐしゃになっていた。

スプレーで固めた部分も雨を含んで膨張している。

「うわ」

「ヘルメット被んのにそんな頭で来るお前が悪い」

最悪…と顔をしかめるの横で「諦めろ」と軽く言って、原付を押しながら先に歩いて行ってしまう。

は髪をまとめていたヘアゴムを解いて小走りでその後を追った。

「銀ちゃん」

「何」

「結って」

押していた原付を停めて怪訝そうに横を見下ろす。

「ガキじゃねぇんだから自分で結いなさい」

「これ30分もかかったの。銀ちゃん器用だから、すぐ出来るでしょ?」

「銀さんにも出来ることと出来ないことがあるよ!?」

はぁっとため息をついて白い手からヘアゴムを取り上げる。

自分と同じようにくせっ毛で悩む彼女の髪は湿気でど更に酷いことになっていた。

少し歩いた先にある行きつけの団子屋の軒先に原付を停め、

屋根のある長椅子に腰を下ろしてを横に座らせた。

は折りたたみ傘を閉じながら少し体を斜めにして銀時に頭を向ける。

少し濡れた手先がすぐに髪を掬って、前頭部から手櫛で髪を梳いていく。

その感触が心地よくて、何故だかすこし眠くなってしまった。

面倒くせーな…とぼやき声が聞こえてくるが、結わえられていく髪はちっとも痛くなかった。

自分で結っても突っ張ったりゴムを掛け間違えたりして痛いのに。

「いらっしゃい銀さん、団子は?」

「悪ィ帰りに寄るわ。ちょっと椅子借りる」

店から出てきた瓶底眼鏡の店主が声をかけてきた。

銀時は自分の手元を見たまま答え、右手で髪をまとめたところで口に咥えていたヘアゴムを通していく。

は軒先から垂れる雨滴を見上げてから坂の下に目をやった。

少し急な坂になっている為、激しい雨が坂を流れて下った先の排水溝に勢いよく流れている。

逃げ水は本当の水溜りに変わっていた。

「ほら」

パチン、とゴムの留まる音がして、無骨な指は髪から離れていく。

が後頭部をさわると、髪は先ほどより低い位置で綺麗なお団子状にまとめられていた。

「これでいいだろ」

より先に立ち上がり原付に手をかける。

「お団子にしてくれるなら簪持ってくればよかったな」

「団子の串でも刺しとけ」

手鏡で出来栄えを見ながら呟く。

悔しいけど自分がコテを使ってワックスとスプレーで固めて30分で仕上げた髪より断然綺麗だ。

も立ちあがって再び折りたたみ傘を開こうとしたが、

軒先から垂れる雨滴が急に勢いを弱めたので思い留まった。

恐る恐る軒先から出てみると雨雲が切れて空が明るくなっている。

まだ少し弱い霧雨が降っているが傘を差すほどではなさそうだ。

「っとにすぐ止んだな…」

「また暑くなりそうだね」

傘を畳んで雨垂れに濡れた肩を軽く掃う。

「銀ちゃん、私ここでいい」

「あ?何で」

「帰りにまた迎えに来てくれればいいから」

「…聞いてねーぞそれ」

「今決めた」

はい、とヘルメットを返して折りたたみ傘をバッグに仕舞う。

「あのな、俺だって忙し「絶対」

声を張りかけた銀時の台詞に被せるように、は再度口を開いた。


「絶対、迎えに来てね」


真顔で言うものだから銀時は思わず身構える。

迎えに来ないとどうなるか分かってんだろうな的なオーラではないが、

それでも有無を言わせない圧力を感じるというか。

舌打ちをして原付に跨り、ヘルメットを被る。

雨上がりのむっとした空気は雨が降る前より不快かもしれない。

「なんか奢れよ」

エンジンをかけてそう言い残し、走りだした原付は坂道を下って行った。

水溜りと、雨上がりの湿気や熱気を含んで霞んだ景色に溶けていく。

再び揺らめく世界は、怖い。

まるで触れたらそのまま取り込まれてしまいそうな、

どこか違う世界へ連れて行かれそうな、

似ているから、間違って連れて行かれるかもしれない。

こんなに暑いのに、背筋が少し冷たくなる。



どんなに縋ったって、わたしはあの人を捕まえられっこないんだ。




遅くなりましたフリー夢銀さん!!ズサア
実は管理人も逃げ水って知ったのつい最近でして…
逃げ水って言葉自体は知ってたんですが、どういう現象を逃げ水っていうのか知らなくてですね…
綺麗な言葉ですよねー日本語独特っていうか。
銀さんに髪結って欲しかっただけ(^q^)